16話―③『ひより』
海斗は病院に残り、朱兎と別れた薄暗い帰り道、蘭李はコノハとしりとりをしていた。
「理科!」
「カマキリ」
「リクエスト!」
「通り」
「リスク!」
「栗」
「りばっかり! やめてよ!」
「選り取りみどり」
「今のは違うから!」
「蘭李?」
「だから違う――――――ん?」
コノハではない少年声に、蘭李とコノハは振り向いた。後ろにいたのは、制服姿の紫苑だった。彼の隣には、白菫色の長髪を垂らす、ブラウンのセーラーワンピースを着た小さな少女がいた。
「紫苑?」
「よお………えっと……」
「はじめましてです! おねえちゃん!」
少女が幼い手を上げて、ニッコリと笑った。蘭李は紫苑から事情を聞く。彼は辺りを見回し、声を潜めて言った。
「実は………」
・
・
・
それは今朝のこと―――。紫苑はいつものように目覚め、身支度を済ませて登校しようとしていた。しかし家を出て門を開けると、彼はいつもとは違う異変に気付いた。
「へ………?」
門の前に、少女が倒れていたのだ。白菫色の髪を乱し、ブラウンのセーラーワンピースは汚れている。紫苑は一瞬躊躇ったが、すぐに彼女を抱えて家に運び込んだ。少女の介抱を母親に頼み、彼は改めて学校へと足を進める。
「何なんだ……? あの子は……」
紫苑には当然疑問が残っていたが、学校に着いた頃には気にしている様子も無く、彼はいつも通り友人達と楽しく喋り、授業を受けていた。しかし給食の直前である四時間目、彼がぼんやりと窓の外を眺めると、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。
「なっ……⁈」
窓に張り付いていたのは、今朝方助けた少女だったのだ。紫苑と目が合うと、少女は無邪気な笑顔を浮かべた。
「おにいちゃん! おにいちゃん!」
「なっ、なんでここに⁈」
「おにいちゃん! あけてあけて!」
バンバンと窓を叩く少女に、教室中の視線が集まった。慌てて立ち上がった紫苑は窓を開け、少女を引っ張り上げる。教師が彼の背後に立った。
「忌亜くん。誰ですか?その子は」
「えっ⁈」
誰かと訊かれても、彼にも分からない。というかここ、三階だぞ。どうやってこの子は上ってきたんだ―――紫苑は目を泳がせながら口ごもる。
「えーっと………い、いとこ………かな……?」
「いとこ?」
「あっあの! そう! いとこが遊びに来てて、間違えてここに来ちゃったんですよ! こいつ寂しがりやだから! アハハー……」
沈黙が流れる。誰もが不審な目で彼を見ている。誤魔化し笑いもフェードアウトし、紫苑は顔を真っ赤にさせた。
「…………ごめんなさいいいいい!」
ついにその場の空気に耐えられず、紫苑は少女を連れて教室を飛び出していった。教師の引き止める声が後追いしてくるが、彼が足を止めることはなかった。やがて校舎裏につき、少女を解放する。
「お前なあ……! なんでここに来たんだよ!」
息を整えながら紫苑が怒鳴ると、少女はニッコリと笑った。
「おにいちゃんにあいたくてきたのです!」
「はあ……⁈」
「おにいちゃんはわたしをたすけてくれました! だからこんどは、わたしがおにいちゃんをたすけるばんです!」
「助けるって……」
既に君に悩まされたけど。紫苑は言葉を飲み込み、ため息を吐いた。
「君、何があったの? なんであそこで倒れてたの?」
紫苑が尋ねると、少女の白菫色の瞳が淡く光った。
「えっと………その………」
「?」
「お、おなかすいちゃって……」
先程の紫苑と同じように、口ごもる少女。嘘だな―――紫苑は問いただすが、少女は言い訳を変えるばかりで本当のことを言っているようには見えなかった。その間にも授業は終わり、昼食を告げる鐘が鳴る。
「君、気持ちは嬉しいけど俺は助けとかいらないから。早く家に帰った方がいいよ」
「いやです!」
「嫌って………」
「おにいちゃんといっしょにいる!」
それは困る。見ず知らずの少女を住まわせるわけにもいかない。紫苑は何度もたしなめたが、少女の意志は固く変わらなかった。いくら言っても聞かないので、紫苑は無理矢理少女を校門に連れていった。門の外に少女を立たせ、彼女の肩に手を置く。
「帰りたくないなら、警察の人に言いなさい。俺にはどうすることも出来ないから。分かったか?」
少女は首を傾げた。それでも紫苑は、少女を置いて踵を返した。きっと、親切な人が少女を安全なところまで連れていってくれるだろう―――そう思うことにした。彼はそう言い聞かせ、その日の授業を終えた。
――――――が、事は終わってなどいなかった。
「おつかれさまです! おにいちゃん!」
校門の前に立つ少女。多くの生徒が下校する中、彼女は紫苑を見付けると、彼へと駆けていった。勢いのまま抱きつき、満面の笑みを見せる。その光景に、彼の友人は唖然とした。
「お前……! 幼女に抱きつかれて……!」
「なっ……なんでまだここに……⁈」
一番驚いていたのは紫苑だった。少女を引き剥がし、困惑した瞳で彼女を眺める。少女は甲高い声で返答した。
「おにいちゃんをまってました!」
「だからなんで!」
「おにいちゃんとはなれたくないからです!」
ざわりと周囲が騒然とする。紫苑は慌てて少女を連れて逃げ出した。適当な路地裏に入り、少女をギロリと睨む。
「………俺にはどうすることも出来ないって言ったよね?」
「はい! でもおにいちゃんをたすけたいのです!」
「だから、俺は助けなんていらないよ。どうして見ず知らずの俺を助けようとするの」
「おにいちゃんはわたしをたすけてくれたからです!」
あんな風に倒れていたら、誰だって助けるに決まってる。紫苑は困ったように頭を抱えた。
こうなったら、このまま警察に連れていくしかない。それが一番良い判断だろう。
「じゃあ、ついてきて」
「はい!」
紫苑の腕に飛びつく少女。離そうとしても無駄だった。仕方無く紫苑は、そのまま道へと出た。傍から見れば、仲の良い兄妹のように見えるだろう。
変な子に捕まってしまった―――紫苑は深いため息を一つ吐いた。
「――――――君、ちょっといいかい?」
それは五分程歩いた時、大通りから外れた道を歩いている時だった。背後からかけられた低い声に振り向くと、スーツ姿の男が二人いた。二人ともサングラスをかけており、平和な町並みに合わない風貌だった。紫苑に緊張が走る。
「やっと見つけた……間違いなくこいつだ」
「は………?」
「君、その子を返してくれないか?」
男の言葉に、紫苑は自然と視線を移していた―――自身の腕に絡みつく少女に。少女から先程までの笑顔は消えていた。怯えたような瞳で男達を見つめ、腕にしがみつく力は強くなっている。そこから伝わる震えは、紫苑に疑問を抱かせた。
――――――何故、この子は怖がっている? この二人は、一体何者なんだ?
「その子は私の子なんだよ。勝手に家を飛び出して……探していたんだ」
やっぱり家出っ子だったのか―――納得はしたものの、とても彼らの言う通りにする気にはなれなかった。男が胡散臭い笑みを浮かべたのもそうだったが、
少女が涙まで流したからだ。
「ほら、早く帰ろう。お兄さんも困っているよ」
「っ…………」
「それとも、お兄さんを困らせたいのかい?」
ビクッと少女の体が震えた。男二人は口角を上げる。少女の親を名乗った方が、手を差し出した。少女の震えがさらに増す。紫苑は困惑していた。
この子の怯え方は異常だ。この男が親だという証拠もないし、親だとしても安全を保証出来るような存在とは思えなかった。
だが、俺に何が出来るのだろう―――?
「早く来なさい」
男が少女を促す。それでも少女は動かない。ため息を吐いた男は、紫苑達へ歩き出した。一歩一歩と近付いてくる男。少女は縋るように紫苑にしがみついた。そんな姿を見て、紫苑はさらに戸惑った。
何だか分からないが、この子を助けるべきなのかもしれない。こんなに怯えている子を、すんなりと引き渡すわけにはいかない。
だけど、もしそれでまた、痛い思いをしたら?
また俺は、死ぬ思いをするのか―――?
「やめなさい」
紫苑ははっと我に返った。振り向くと、淡い緑の髪を揺らす―――夏がそこにはいた。夏は鋭い眼差しで男達を睨んでいる。彼女は紫苑達を守るように二人の前に立った。
「この子は彼を選びました。あなた達にそれを覆すことは出来ません」
「なんだ? 貴様」
「私は魔法道具屋です」
「魔法道具屋?」
「道具屋が我々の邪魔をするのか?」
夏は持っていたバッグの中を漁り、そこから何かを取り出した。それを見た男達は、ごくりと息を飲む。
「これで、この子を買いましょう」
それは札束だった。紫苑は夏を凝視する。自分達を守る背中からは、普段の穏やかさを感じられず、怒っているような、そんな雰囲気を感じ取った。男の一人がうろたえながら、言葉を絞りだす。
「そ、そんなもんで買えると思ったら……」
「ならもう一つ」
もう一つ札束を取り出す夏。小さな肩掛けバッグに一体いくら入っているんだ―――夏以外の全員が疑問に感じた。当の夏は平然として、札束を握り締めた。
「もっと出してもいいですよ。そちらの言い値で買いましょう。さあ、いくら欲しいの?」
「くっ………」
「ほら、早く。言わないのならこの金額で交渉成立ね」
「ま、待った!」
男の一人が思わず手を上げる。彼は今の倍の額を夏に要求した。あまりの金額の大きさに、紫苑は言葉が出ない。しかし夏は全く気にする様子はなく、その通りの額をバッグから取り出した。過ちの功名―――男達はしめしめと、夏から札束を受け取り、嬉々として去っていった。
「ふう………大丈夫? 忌亜くん」
夏が振り向く。紫苑は開いた口が塞がらなかった。去っていった男達、そして夏を見つめ、おそるおそる声を絞り出す。
「あ、あんな大金………いいんですか………?」
「うん。大したことないよー」
のほほんと答える夏に、絶句する紫苑。夏の金銭感覚に、彼の頭は痛くなった。
夏はしゃがみこみ、少女の顔を覗き込む。
「これでもう、あなたは自由だよ」
「……………ほんと………?」
「ええ」
「あっ………あの………! 雛堂さん……」
必死に言葉を紡ぐ紫苑を、夏と少女は同時に見た。
「この子が誰だか、知っているんですか?」
「ううん。知らない」
「えっ………」
「でも、この子が何者かは分かる」
夏は少女の頭に手を乗せた。白菫色の髪を撫でる。
「この子はね――――――」
・
・
・
「魔具⁈」
蘭李は声を上げて驚いた。少女はニコニコと笑いながら、勢いよく頷く。
「そうなんです! わたし、まぐなんです!」
「えっ⁈ えっ、じゃあコノハと同じ……⁈」
隣のコノハを見つめる蘭李。彼は顔をしかめながら、少女に顔を近付けた。
「魔具にしては………おかしなところがあるんだけど」
「え?」
「こいつは、誰の魔力でこの姿になってるの?」
「あ、たしかに」
紫苑の話からすれば、少女は初めから「少女」のままだ。もし魔具だというのなら、その為に魔力を渡している人物は一体誰なのだろうか。
紫苑は少女を見ながら呟いた。
「この子を探していたあの二人組の男……そのどちらかのじゃないかって雛堂さんが……」
「そもそも、その人達は何者なの? 持ち主ではないの?」
「闇商人じゃないかってさ。魔具はよく闇市に売り出されるらしいから。色んな意味で都合が良いんだってさ」
「そうなんだ……」
蘭李は思わずコノハの服の裾を掴んだ。それを見た少女が、紫苑の腕にしがみつく。紫苑はそれを振り払うわけでもなく、困ったように笑った。
「それで、何故か俺についていくってこの子が離れなくて……」
「へぇー。いいじゃん、魔具。頼もしいよ!」
「でも、急にこんなことになってもなあ……」
「いいじゃんいいじゃん~。ところで何で夏さんは魔具だって分かったんだろ?」
「カンだってさ」
「すご……さすが道具屋さん…」
「ねえ。お前、何の魔具なの?」
コノハの問いに、少女は再び手を上げた。
「わたし、たてなんです!」
「………………タテ?」
「タテってあの………守る時に使うあれ?」
「そう。あの「盾」らしいんだ」
意外な答えに、蘭李とコノハは少女をまじまじと見つめた。こんな小さな子が盾に―――そのギャップに、二人は疑念を捨てきれない。
「本当に盾……?」
「俺もまだ見せてもらってないけど……」
「うたがうなら、いまここでみせます!」
「ああここはやめて! 後ででいいから!」
慌てて少女を止める紫苑に、蘭李はくすりと笑った。
「なんか、兄妹みたいだね」
「え?」
「紫苑はものすごくヘタレだけど、守ってあげてね~」
「まかせてください!」
えっへんと胸を叩く少女。蘭李は少女の頭を撫で、目を輝かせて紫苑を見上げた。
「ねえ! 名前つけてあげなよ!」
「うわ、何だよ急に……」
「だって、名前が無いと不便でしょ⁈」
「そうだけど………楽しそうだな、蘭李」
「だって~魔具使いとして、あたしが先輩になるわけでしょ~?」
ぞわりと背筋が震える紫苑。こいつは悪ノリしかねない―――しかし、名前をつけるという意見に関しては同意だった。紫苑は少女を見つめる。白菫色の髪と大きな瞳、ブラウンのセーラーワンピース。無邪気な笑顔は一切の穢れを持っていない。彼はしばらく間を置いて、口を開いた。
「…………ひより」
「ひより?」
小さい彼の言葉を、蘭李は聞き逃さなかった。蘭李が復唱すると、紫苑は顔を真っ赤にした。
「やっ、やっぱいい! 後で考える……」
「いいじゃん『ひより』! かわいい! ねっ!」
「はい! わたしすごくきにいりました! おにいちゃん!」
少女が嬉しそうに飛び跳ねる。紫苑は赤らめた顔で彼女の顔を見た。少女は目を輝かせ、満面の笑みを浮かべる。
「わたし、ひよりです! よろしくおねがいします! おにいちゃん!」
『ひより』の眩しい笑顔に、紫苑は引くことが出来なかった。火でも出そうな程熱くなる顔を彼女から逸らし、ぼそりと呟いた。
「…………よろしく、ひより」
「はい! おにいちゃん!」
こうして少年は少女と出会った。
この出会いが、彼の運命を大きく変えることとは露知らず―――。
16話 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます