9話ー⑨『守りたいもの』

 俺には、一つ上の幼馴染みがいた。茶髪の三つ編みと透き通った海のような青いワンピース姿で、いつもエメラルドグリーンの大きな目を輝かせていた。俺と同じ水属性の魔力者で、皆から将来が期待されている程の実力の持ち主でもあった。

 俺は、そんな幼馴染みの『七海』と、いつも一緒にいた。



「かいとくん、またないてるの?」



 顔を上げると、七海が心配そうな表情を向けていた。

 昔の俺は、誰からも期待されない弱虫だった。まともに弾を的に当てられず、魔法も上手く使いこなせない。その度に親に怒られ泣いていた。そしてその度に、七海が慰めてくれた。



「ぼく………もうれんしゅうしたくない……」

「なんで?」

「だって………やったってつよくなれないもん……」

「そんなことないよ! かいとくんだってつよくなれるよ! それにね……」



 七海は照りつける太陽を背に、俺の手を強く握って笑った。



「たおせることだけが、つよさじゃないんだよ!」





「七海は、俺にとっては希望みたいなものだった」



 俺は歩きながらそう言い放つ。隣で歩く紫苑は、黙って聞いていた。ズボンのポケットに手を入れ、虚空を見上げながら、俺は言葉を綴った。



「だけどある日、事件が起きた」





 その日は、どしゃ降りの大雨が降っていた。七海は姉と部屋に行き、俺は廊下で待っていた。雨の打ち付ける音がうるさく、なかなか七海が部屋から出てこないことに不安を覚え、俺はそっと部屋の中を覗いてみた。

 するとそこには、頭から血を流して倒れている七海がいた。



「え………? な……ななみちゃん……?」

「―――――――あぁ、海斗君。見ちゃったのね」



 ギロリと大きな目玉が俺を見据えた。濁ったような青緑の瞳は、七海のそれとは似ても似つかなかった。

 出会った時から、七海の姉とは馴染むことが出来なかった。七海とは六つも離れているし、普段家にいることも少ないし、何を考えているのか分からなかったこともあるが、

 一番の原因は―――その目だった。

 目が、怖かった。何かを憎んでいるような目。怒っているような目。俺達を見る時は、必ずそのような目をしていた。だから、怖くて近付けなかった。

 そんな恐怖の対象が、倒れている七海を笑って見下ろしていた。



「な……っ…なん……で……⁈ ななみちゃん………!」



 涙が溢れて止まらなかった。自然と足も動き、七海のもとへと歩いていた。

 ―――――――刹那、首元に血濡れた刀が当てられた。



「近付いちゃダメよ? 海斗君」



 女は笑った。その顔に、怒りよりも恐怖が俺を支配した。ガタガタと体が震え始め、涙もさらに流れ落ちる。



「そんなに怖い? 海斗君は本当に弱虫なのね」

「うっ………うっ……!」

「七海もそうだったら良かったのに」

「え…………?」



 女が視線を落とす。俺も倣って見た。七海はピクリとも動かず、鉄のにおいは部屋に充満していた。



「この子が突然言ってきたのよ。「おねえちゃんとなかよくなりたいから、おはなししよう」って」



 それを聞いて、思い出した。たしかに七海は、ほとんど喋ったことのない姉と仲良くなりたいと言っていた。家にほぼいないし、喋ろうとしても避けられる。でも家族だから、仲良くなりたい―――そう言っていた。



「それで何を言うのかと思えば……」



 おねえちゃんは、どうしてわたしからにげるの? なにかわたしにわるいところがあるならなおすよ。



「本当馬鹿よね」



 あまりの驚きで、俺は言葉が出なかった。女はそのまま続ける。



「どうして逃げる? あんたが嫌いだからに決まってるでしょう? 悪いところがあるなら直す? なら直してみなさいよ……」



 あんたの、存在そのものをね!



 笑い声が響く。雨の音と相まって、部屋は狂気に満ちていた。

 今すぐにでも、この女を殺したかった。だが出来なかった。体が恐怖に支配されて動けなかったのもあるが、もっと本質的なものからだった。

 俺とこいつには、圧倒的な力量差がある。いくら俺が足掻いたところで、こいつに勝てる確率などゼロに等しかった。





「……結局俺は、部屋から飛び出した。その足で大人達に助けを求めた」



 静かな森に響く声。紫苑は目を丸くして驚愕していた。



「姉は逃走。七海は一命こそとりとめたものの、未だに意識不明のままだ」

「マジかよ………」

「そして俺は思った。このままじゃ駄目だと」



 またあいつは、七海を襲うかもしれない。ならば、弱虫のままじゃ駄目だ。強くならなければいけない。あいつは七海と仲良くする気など微塵も無い。ならば、話し合いの余地など無い。



 今度は確実に、俺が殺してやる―――――!





「………これが俺の、強さを求める理由だ」



 沈黙が降りた。俺は立ち止まり、ゆっくりと深呼吸をして息を整える。さっきので魔力をほぼ使いきったようで、歩くのも結構一苦労だった。紫苑も立ち止まる。呼吸が落ち着いたところで、再び口を開いた。



「七海の姉に勝てるような強者になる必要があった。今度こそ七海を守る為に。それなのに……」



 俺は嘲笑にも近い笑みを浮かべ、紫苑を見た。



「蘭李はずるいよな。あんな良い才能を持ってるのに、今まで使わなかったなんて………もし俺が持っていれば……」



 そこまで言って、口をつぐんだ。紫苑も何も言わない。そのまま、俺達は再び歩き出す。ざわざわと、風が葉の音を奏でる。


 もし俺に才能があったら―――何度思ったか分からない。思ったところで無駄なことだとも分かっていた。だが、思わずにはいられなかった。

 才能さえあれば、七海はもっと軽傷で済んだかもしれない。七海の姉を逃がすことなく殺せたかもしれない。

 こんな醜い嫉妬に支配されることなんてなかったかもしれない――――――――。





「お前にだってあるさ! 海斗!」





 突然の声に、俺達は振り向いた。茶髪で槍を背負う男子が、そこには立っていた。そいつはニカッと笑っている。驚きで声が出なかった。



「蘭李にも誰にも劣らない才能がさ!」



 槍耶は、俺を指差して叫んだ。



「槍耶……⁈ なんでここに……⁈」

「蘭李の先祖が助けを呼びに来たらしくてさ。白夜と雷は先に蘭李の方へ向かってる。俺はお前らを回収しに来たんだよ」

「まさか話、全部聞いて―――――」



 槍耶はコクりと頷いた。思わず溜め息が溢れる。こいつにだけは、知られたくなかったのに………。



「で? 俺に何の劣らない才能があるって?」



 歩み寄ってくる槍耶を、俺は鋭く睨んだ。



「勿論、ここだよ!」



 目の前で立ち止まり、自分の頭を指差す槍耶。笑顔を見せるこいつに、俺も笑みを向ける。勿論、嘲笑だが。



「頭脳ってことか? 生憎、俺はそこまで頭は良くない―――――」

「違う。お前の才能は、冷静さだよ」

「そんなもの―――――才能でも何でもない」

「そんなもの?」



 槍耶は目を細めた。普段は見せない鋭い眼差しに、息を飲む。しかし、すぐに反論した。



「ああ。そんなものだ。冷静だからって、誰かに勝てるわけじゃない」

「でも、友達は救えたじゃないか」



 思わず目を見開いてしまった。右手が自然とホルスターへと向かう。槍耶は構わず続けた。



「お前の話を聞いてて、正直びっくりしたよ。だって、友達が死にそうになってても、冷静に助けを呼びに行ったんだから」

「………それは俺じゃ敵わないと分かっていたから」

「そう分かってるのは、冷静だからだろ?」

「そんなこと馬鹿でも分かる。第一、未だ七海は目覚めないってのに、救えたなんて言えねぇだろ」

「命は助かっただろ?」



 銃に手をかける直前で、ピタリと止まった。小さく笑った槍耶は、紫苑と俺の間を通り、前を歩き出す。俺達もこいつについていく。



「蘭李は友達が死んでしまった。方法が見つからなかったとか言ってたし、少なくともその時はパニックになってたんだろう。だけどお前は違った。冷静に、助けられる人に助けを求めた。それって凄いと思う」

「どこがだよ。俺に力があったら、七海はもっと軽傷で済んだかもしれないだろ?」

「だからお前は強くなろうとしてる! 冷静に!」



 叫びながらくるりと踵を返した槍耶は、俺の両肩に手を置いた。間近になる茶色い瞳に、俺の顔が映っている。



「なあ、努力すれば強くなれるって言ったのお前だよな? 人にあれだけ言っといて何諦めてるんだよ!」

「ッ………」

「たしかに蘭李は強いよ。ムカつくんだろ? でも、それで怒って立ち止まったって何も変わらない!」

「そんなこと分かってるんだよッ!」



 槍耶を突き飛ばした。固い土の上に尻餅をついた槍耶は、キッと睨みながら俺に掴みかかってくる。俺も槍耶の手首を掴んだ。



「ならなんで怒ってるんだよ!」

「そんなことテメェに関係ねぇだろ⁈」

「親友が挫折しようとしてるのに放っておくわけないだろ⁈」



 槍耶の勢いに圧され、俺達は地面に倒れる。上に乗る槍耶は手を離そうとしなかった。



「挫折じゃねぇ! 少しムカついただけだ!」

「挫折だよ! 天才に負けて今までの努力に意味を見出だせなくなった! 自暴自棄になって悪魔に乗せられた!」

「ッ……! あぁそうだよ………! 今まで何をやってきたのか分からなくなった!」



 蘭李に負けて、努力を信じられなくなった。もうどうすればいいのかも分からなくなった。

 結局どんなに頑張っても、才能には勝てないんじゃねぇのか?



「なぁ……教えてくれよ………どうすれば俺は強くなれる……? どうすれば七海を守れるんだ……?」



 ぽつりと呟いた。辺りに沈黙が流れる。不意にカタカタと音が聞こえてきた。紫苑も何かを叫んでる。蜘蛛が再び集まってきているのだろうか。最早そんなことどうでもよかった。



 もういっそ、死んでしまっても―――――。





「努力するしかないだろ⁈」



 槍耶の叫び声に、一瞬空気が張り詰めたような気がした。蜘蛛が皆、槍耶の言葉をかき消すようにカタカタと音を鳴らして蠢く。

 だがこいつも負けなかった。槍耶は俺から退き、地に右手をつけて土人形のゴーレムを作った。ゴーレムはゆっくりとした動作で、幹に張り付く蜘蛛を思いっきり殴る。振動で葉が散った。



「努力すれば必ず強くなれる! 俺にそう教えてくれたのはお前だ! 俺はそれを信じてやってる! お前もそうだろ⁈ 海斗!」



 ドン、という鈍い音をバックに、必死に叫ぶ槍耶。あいつ自身も、そして紫苑も蜘蛛を退治し始める。俺は上半身を起こし、そんな二人を眺めた。くるりと振り返った槍耶と目が合う。



「それともお前は、一回負けただけで諦める弱虫なのか⁈」





 ――――――海斗君は本当に弱虫なのね。





「違うッ………! 俺は……!」



 弱虫が嫌で、必死に努力した。何も出来なかった自分が嫌で、変わろうとした。七海を守りたい。ただその為だけに。





 かいとくんだって、つよくなれるよ。





「俺はもう――――――弱虫なんかじゃないッ!」



 立ち上がり、ホルスターから拳銃を取り出した。その銃口を槍耶の背後の蜘蛛に向け、トリガーを引く。発砲音と共に、蜘蛛は脱力して地に落ちた。



「海斗!」

「………案外俺も、馬鹿だったんだな……」



 世界は不平等だ。才能が無かったら、凡人はそれ以上に努力するしかない。そんなこと、はじめから分かっていたはずだ。必死に、必死に一歩ずつ、確実に進まなければ敵わない。簡単じゃないことくらい、分かってる。

 けど、俺はここまでこれた。それは紛れもない事実だった。



「ハハッ……お前に説教したってのに、諦めかけて……」

「いいさ、別に」



 槍耶はニカッと笑った。蜘蛛を槍で突き刺し、右の拳を俺に向けてきた。



「俺が説教してやるからさ」



 偉そうに言いやがって。まだまだ俺より弱いくせに。

 でも、滅茶苦茶嬉しかった。そういえば槍耶とは一番長くつるんでるし、無意識的に槍耶には信頼を置いていた。頼りになるが、こういうことで巻き込んではいけないと思っていた。

 ――――――けど少しくらい、頼ってもいいのかもな。



「頼むぞ。親友」

「ああ!」



 俺は槍耶と拳を合わせた。

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