第4話 最悪な出会い

「…おい」


ガッ。


痛い。


「おいったら!」


ガツンッ。


痛いってば。


肩の辺りに痛みが走り、私はうっすら目を開いた。


すると今度は、


「おい、おまえだよ、おまえ」

「…痛っ」


ガッ!

更に強い痛みが走り、私はようやく覚醒した。


え?私今、顎蹴られた?


確認すべく顔を擦ると、間違いない。

私は今、顎を蹴られて顔を無理やり上げさせられたのだ。

頭に被っていたフードが落ち、開けた視界に、ピカピカの靴先が見える。


「チッ、女だったか…まあいい。おい、そこにいたら客の邪魔だ、とっとと失せろ」


見上げると、ほんの少し気まずそうな、でも"超迷惑です"といった顔つきの男が、高いところから私を見下している。


ピカピカの靴にキラキラの腕時計、黒のロングコートに、やはり黒の芸能人みたいな長いマフラー。

一見して堅気には見えないその男の周りには4、5人の美女がはべっていた。


男はなおも続ける。


「いいか女。ここは俺の店で、おまえみたいな汚いのが玄関先に踞ってたら困るんだ。つまり、営業妨害だ。解ったらそこをどけ」


だが私は。


「…ねがいします」


「はぁ?」


「お願いします!

私を、どうか私をここで雇ってください!!」


脚にすがり付き、叫んだわたしに、男はうっと身をひいた。


「はぁぁ?

何バカなこといってんだよ、離せコラ、汚れるだろ、離せったら」


腕から逃れようとする脚に、私はなおも追い縋った。


「お願いします旦那様!

どこにも行くところがないんです!何でもします!掃除でも洗濯でも、本当に何でも。言われれば床でも靴でも舐めますから、おねがいしますっ」


「は な せっ」

「あっ…」

殊更大きな怒号が飛んで、私の腕は強引に引き離された。


「うわ~キモッ、何この子」

「あっはは、修爾さん、こいつヤブァいよ~」

周りの女の子達がざわめいている。中にはスマホをこちらに向けている人も。


そんな中、男はスーツを払いながら、冷たい視線を私に向けた。


「ラリッてんのかババア。

店の格と、自分てめえ格好ナリみて出直してこい。面接希望なら、せめて小綺麗にして出直せ」


「もういいじゃん修ちゃん、行くとこないんじゃしょうがないって。はやく行こ行こっ」

女の子のひとりが、気を利かして男の手をとる。


「チッ…仕方ない。

朝までにはいなくなってろよ」


男が身を翻した。



ああ、行ってしまう_____


「待ってくださいっ!!!」

渾身の力で叫んだ私は、抱っこひもの肩を素早く取り外し、両膝立ちで、圭ちゃんを抱え、高く上げた。


「ふやっ…」

疲れて眠っていた圭太は、小さな声をあげかけたが、じき眠りに落ちてしまう。


このまま行かせるわけにはいかない。

だってこの男は_____


私は捨て身の作戦に出た。


「お願いします、助けてくださいっ。

借金取りに追われてて、どうしようもないんです!この子、もう泣く元気もないんです!おっぱいも全然でなくって、昨夜から何も食べられなくて、水分もおっぱいに取られてて…泣きたくっても涙も出ません」


「…あかちゃん」

女の子のひとりが呟くと、男の足がふいに止まった。


男がゆっくりと振り返る。


よし!

私は続けた。


「この子、どんどん軽くなってるんです!普通なら重たくなるはずなのに。

…夢をみるんです。赤ちゃんがどんどんしぼんでいって、最後に消えてしまう夢を。おむつも買えないから、ギリギリまで使っておしりもかぶれて…」


支離滅裂だ。自分でももう、何を言ってるのか分からない。


それでも、ほんのひと欠片でいい、何かこの男の心に引っかかれば。


「だから、おねがいします本当に何でもやります。なんでも一生懸命やりますから。掃除も洗濯も靴でも便器でも舐めます。

そうだ!

いっそ私を買ってください!一生あなたの奴隷でかまいません。

おねがいしますっ、私を、赤ちゃん助けてください」


だが_____


「お願いしま…ああ」


行ってしまった。

女の子たちにうながされるようにして踵を返し、男は歩き去った。


ダメだった。

まあ、当たり前だよね。こんなことで大声出して。

彼らの言うとおり、私はヤバい頭おかしい人でしかない。


私はまた、失敗した。


がくん。

突如力が抜けて、アスファルトに両の膝から落ちてゆく。


「あ…はは…」


私は再びうずくまり、眠る圭ちゃんの肌の暖かみにすがるように、ぎゅっと抱きしめた。


ね、圭ちゃん、どうしよっか。

これから私たち、どうしたらいい?


もう、ホント涙も出ないや…




「…おい」


はい?

軽く頭を小突かれた気がして、かすかに首を動かす。


「おい、おまえだよおまえ。さっきまで喚き散らしてた」


私はバッと顔を上げた。

さっきの男が戻ってきたのだ。


「おまえ、何でもすると言ったな。本当か」


周りに女の子達ははいなかった。

ひとりきり、コートのポケットに手をいれて、体を少しくの字に曲げ、わたしに問う。


冷たい視線で見下ろしながら。


「は、はい本当です!何でもしますお願いします」


私は地べたに頭をつけた。


「一生か?どんな嫌なことでもか?

腹が満たされた後で逃げ出したり、嫌になってサボったり…

決して俺を裏切らないと誓えるか?」


「誓います!

そんなこと絶対にしません。誠心誠意尽くします。

この子に誓って」


最後のチャンスだ。私は地面におでこがめり込みそうなほど、頭を下げた。


「…よし、買った。着いてこい」


「! あ、ありが…」


顔を上げ、礼をいいかけたところで、男はさっさと歩いてゆく。


私はふらつきながら立ち上がると、トートバッグと圭ちゃんをしっかりと抱え、もう遥か先を歩いている男の後を追いかけた。


私達はもう、この男についていくしかない。


だって_____


よくも悪くも、この男だけだったんだもの。

今日の半日、路上でうずくまっていた私に声をかけたのは。

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