僕は君のカメラになりたい
志貴 啓
僕は君のカメラになりたい
八月のある昼下がり。
夜空を揺する大輪の花を、褪せないうちに押し花にするために、君はカメラを買った。
風が穏やかな日だった。
通り雨で瑞々しく濡れた太陽と、裏腹に乾いた冷たい月。暮れ泥む曖昧な色彩に満ちた空は、やがて透き通った紺青一色に染まっていった。
君は首からカメラを下げて、浴衣姿で現れた。薄花色の浴衣には、芙蓉の花が描かれていて、君によく似合っていた。
河川敷に着くまでの間、僕は君のお喋りに耳を傾けながら、花火に喜ぶ君の姿を思い描いていた。
人で溢れる河川敷に着き、僕は君の左手を取った。君は嬉しそうに笑った後、指と指を絡めてみせた。
すると最初の花火が上がった。君は僕の手を離し、ファインダーを覗き込む。辺りの歓声に被せるように、君のカメラは瞬きをした。
君が変わってしまったのは、きっとその瞬間だった。
君は、過去を物のように扱うようになった。欲張りな君はすべてを愛した。すべてが綺麗だと一人謳った。そしてすべてを欲しがった。シャッターが瞬く、その一瞬すらをも惜しがって、君は夢中でシャッターを切った。
零さないよう、忘れないよう。
君は止まり方を知りたいようだった。
流れ続ける時の中で、過去は確かに美しい。美しくなっていく。しかし、美化とは淘汰である。明度や彩度の高いものは強調され、低いものは薄れていく。だから気付けば、記憶の所々は白く飛んで、ぼやけている。まるで水彩画を光に透かした時の、意味を持たせた空白のように。その眩い白から感じ取れるのは、切ないほどに僅かな温もりだけで、決して触れることはできない。
君はそれを嫌がった。眩しさに誤魔化されて、綺麗かどうか分からない。君はそう言っていた。
その眩しさこそが、美しいのに。
やがて君の瞳は僕を映さなくなった。
君は時を止めてしまったのだ。
君は今を生きていない。君は未来を見ていない。君は過去をつくらない。
君は閉じられた過去に住むうちに、少しずつ感覚を失っていった。
しかしある雪の日、ついに君のカメラは壊れてしまう。君も一緒だった。
開かれた、ガラスのように澄んだ茶色の瞳は、何も映していない。淡く血の色を灯す、薄く開いた唇が、言葉を紡ぐこともない。
君が求めていた瞬間は、どんなものだったのだろう。時を止めないと、見ることができなかったのだろうか。それを見ることが、君にとって幸せなことだったのだろうか。その割に、君はいつも苦しそうだった。
僕は思う。君が綺麗だと言ったすべての瞬間は、君にしか見ることができない、君のための瞬間だと。
最初から、すべての瞬間は君のものだ。
しばらくぶりに、僕は君の肌に触れた。君の乾いた頰に右手を添えて、細く柔らかで、あたたかい焦げ茶色をした君の髪を左手で撫でながら、僕は君への言葉を探す。
君に戻ってきてほしい。
いろんな所に行こう。いろんな思い出を作ろう。忘れそうになったら、その度一緒に思い出そう。その方が、きっとずっと鮮やかだ。だから、
「僕が、君のカメラになるよ。」
僕は君のカメラになりたい。
今度は僕が教えよう。
君の世界の、彩りを。
僕は君のカメラになりたい 志貴 啓 @shiki0401
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