その11:計画は念入りに
ベルナデットを城下に連れ出す、というのは当然ながら簡単にできることではない。
これが去年の『お願い』であったのなら、難易度は多少下がったかもしれない。ただの王女であった頃ならば。
今ベルナデットはこのエヴラール王国でも警護の厳しい人物の五指に入る。まもなくロンゴリア王国に嫁ぐ王女に万が一のことがあってはならないからだ。
(とはいえ警護がしっかりしているのはもとからだし、まったく抜け道がないわけではないのよね)
自室のベッドに転がりながらアンリエットは考える。これが誘拐犯であったなら犯行は難しいものだっただろうけれど、アンリエットはベルナデットの騎士である。警護の状況も、その時の担当も知っている。
(連れ出せても一時間ちょっとってところかな……長い時間は誤魔化せない)
ニノンに協力してもらえば、少しでも時間を延ばせるかもしれないが、バレたあとの責任を彼女にまで負わせるわけにはいかない。
もちろんバレずに終わればいいのだけれど、アンリエットはそこまで楽観的ではない。ベルナデットの親衛隊は数時間も主の不在に気づかずにいるほど無能ではないのだ。
連れ出すのなら、ベルナデットの誕生日の翌日。誕生日当日はそのお祝いで夜遅くまで城内は賑やかになっているし、それに伴って騎士たちは夜半まで警備の手を緩めることができない。
夜会などの翌日は、貴族はたいてい昼近くまで眠っているし、警護もわずかだが薄くなる。だからアンリエット一人でベルナデットを城下へ連れて行くチャンスはその時だけだ。
可能な限りアンリエット一人が責任を負うように。他の人が罰せられるようなことはないように。
そのための最善の方法を考えてアンリエットは頭を悩ませていた。
(……しまった。悩みすぎてよく眠れなかった)
寝不足でアンリエットの目の下にはうっすらとクマができている。
親衛隊の皆はどうやら恋わずらいか、まだ配属先が決まっていないことを悩んでいると思ったらしく、午前中は軽い仕事を頼まれてばかりだった。
そしていつものようにサンドイッチ片手に東屋に向かっている。
ふぁ、と欠伸を噛み殺して目をこすると、東屋には先客がいた。
「……セルジュ様?」
珍しい、というのは失礼かもしれない。しかしここしばらくの彼の多忙さを考えれば、昼休みをしっかりととれて、その上アンリエットよりも先に東屋に来ているのはたいへん珍しかった。
「こんにちは、アンリエット」
「こんにちは……お仕事は大丈夫なんですか?あんなに忙しそうだったのに」
「忙しいことには変わりないんですが。同僚たちがそろそろ鬱陶しいから休めと」
「う、鬱陶しい……?」
あの華やかな第一騎士団でもそんな会話をするのか、とアンリエットは苦笑いでセルジュの向かいに座る。
「忙しくてここにくる暇がなかったので、ストレスも溜まっていたんですよ」
「ちゃんとごはんを食べてないとイライラしちゃいますもんね」
「……いえ、主な目的は昼食ではないんですけど」
と、言葉を濁すセルジュ。
昼食をとるためだけに東屋に来たわけでないのなら、この近くで何かやることがあるのかもしれない。
「もしかしてこの後もなにかご用事が? あ、あたしには言えない任務とかですか!?」
任務によっては極秘のものもあるだろうし、簡単に話題に出せるものではなかったかもしれない。アンリエットも騎士の端くれだ。それならそうと、言ってくれれば深くは追究したりしない。
しかしセルジュは苦笑いで「いえ」と答えた。
「重要な用事はもう済みましたよ。食べましょうか? 昼休みが終わってしまいますし」
「あ、そうですね」
(セルジュ様とゆっくり話せるのなんて久しぶりだから、つい夢中になっちゃった)
アンリエットがにこにことサンドイッチを頬張っていると、その様子をセルジュがじっと見つめてくる。
「な、何か……?」
もしや食い意地がはってるな、などと思われているのだろうか。アンリエットは思わず緊張でサンドイッチを握り潰しそうになった。
「アンリエットは、もしかして寝不足ですか?」
(目の下のクマーーーー!!)
よりにもよってこんな顔の時にセルジュと遭遇してしまったのだとアンリエットは真っ青になった。ただでさえ美形なセルジュの前に、平凡な顔立ちがさらにクマによって悪くなっているアンリエットが並ぶことになるとは。
(お、女の子としてどうなのそれは……!?)
明け方にようやく眠りについたアンリエットは、案の定寝坊した。なので、お化粧でクマを隠す余裕もなかったのだ。もともとアンリエットはお化粧をあまりしないのだけどそういうことにしておきたい。
「き、昨日たまたま眠れなくて……」
えへ、と引き攣った笑顔で誤魔化すが、セルジュは眉間に皺を寄せた。美形がそういう顔をするとけっこう迫力がある。
「何か悩み事でも?」
誤魔化されてくれないらしいセルジュは、心配そうに問いかけてくる。
(悩み事はあるんですけど、さすがにセルジュ様にも相談できません……!)
まさかベルナデット王女をお忍びで城下に連れて行くことになって、なんて言えるはずがない。
口籠もるアンリエットに、セルジュは声を落としてやさしくゆっくりと口を開いた。
「……見合いや転属先のことをまだ悩んでいるんですか?」
「それは……」
(悩んでいるといえば、悩んでいるのかな)
けれど目下の悩みはベルナデットのことであって、お見合いのことはすっかり忘れていた。近頃は両親からせっつくような連絡もないのでなおさらだった。
「まったく悩んでいないと言えば、嘘になりますけど。……大丈夫です。今はベルナデット様の誕生日も近いし、それどころじゃないですから!」
「プレゼント、喜んでいただけたらいいですね」
(……あ)
実はもう渡したんです、ベルナデット様はとても喜んでくださったんです。と反射的に言いそうになったのだが、アンリエットは咄嗟に口を噤んだ。
既にプレゼントを渡したのだと告げたら、きっと何故早めに渡したのかと聞かれてしまう。当日は忙しいからなんていう理由だけではセルジュは納得しないだろうし、正直に話すと『なんでもひとつ願いを叶える券』のことまで話さなければならなくなる。何をお願いされたのかという話にもなるかもしれない。
「絶対に喜んでくださいます。あたし、かなり手応えがあるので!」
隠しごとが下手なアンリエットは、兄のディオンが言っていたように真実を織りまぜて嘘をつくなんてできなかった。
「エヴラールで過ごす最後のお誕生日ですから、思い出に残るものにして差し上げたいんです。だから、今は自分のことでぐじぐじ悩んでなんていられません」
だから、話題に触れないように会話を終わらせるしかなかった。
「何か手伝えるようなことはありますか?」
猫の手でも借りたいアンリエットだったが、セルジュのやさしい申し出に微笑んで見せた。笑顔はとてもうまくいったと思う。
「……いいえ、大丈夫ですよ」
誰かを巻き込むなんて、とんでもない。
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