第2話 前編(省略版)


この物語は西日本豪雨による実際の被災経験を基に執筆されておりますので、閲覧にはご注意ください。

また、この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは一切関係がございません。



 *



 パラパラと降りしきっていた雨が止むと、雲の切れ間から太陽が顔を出しました。地平線から吹く湿り気を帯びた風が気持ちよく肌を撫で、すがすがしい気持ちが胸を満たしました。二人の幼児はいつの間にかお日様へと手を伸ばしていて、

さっきまで泣き叫んでいたはずの小さなお顔に満面の笑みを浮かべていました。


 わたしは、ふう、と一息をつくと、ソーラーパネルの角をしっかり掴んで四つん這いになり、ずっと我慢していたおしっこをしました。

 ワンちゃんみたいで少しおかしな用の足し方ですが、仕方ありません。足場の悪い屋根の上でうっかり立ち上がると、そのままバランスを崩して眼下の濁流へと落っこちてしまうかもしれないからです。たとえば、さっきまで一緒に屋根の上にいたはずの、私たちのお父さんのように。



 さとうシオリ、三歳。ふたりの妹は、一歳。

 見渡す限りの泥水で満たされた山裾の盆地に立つ一軒家の屋根の上に私たちは子供だけで取り残されましたが、けっこう元気です。

 ……まだ、今は。

 



"非難民"




「車はもうダメだ!」


 甲高い音バリン!を立てて割れる窓ガラス=狭苦しい車内で振るわれた金槌が形成した即席の脱出路――窓枠に付着したガラス片を父が手で払いのけると、まるで金管楽器を奏でているかのようなシャリシャリ綺麗な音が立ちました。"わたし"はその音色に思わず昨日食べたかき氷のことを思い出して――でも、わたしはかき氷の名前を『あいす』と間違えて覚えていたので、後部座席のチャイルドシートのベルトを緊急脱出用ハンマーに付属するシートベルトカッターで切り裂くことに夢中な父の背中に向けて、こう呼びかけました。


「おとうさん、あいすたべる」

「今それどころじゃない!」


 父に怒鳴られて、わたしは驚きのあまり固まってしまいました。わたしはただ自分の要求を述べただけなのに、それを頭ごなしに怒鳴られ否定されることがどんなにつらく苦しいことか。しかしそれらのやるせない悲しみを表現する語彙もなければ手法にも乏しいわたしは、ただその感情が両の眼から液体となってあふれ出る感覚に身を任せることしか出来ません。うええええん、と泣き始めた私の姿を見て取り、父はハッとなったような表情を浮かべると、そのままゆっくりと窓枠の外へ大きな身体を通して車外へと出ていきました。水音と共にじゃぼん、茶色い泥水に腰のあたりまでずっぷりと浸した父が、うってかわって穏やかな声色で私に語り掛けます。


「シオリちゃん。大きな声を出して、ごめんね?」にこりと微笑む父――黒縁の眼鏡の向こう側にあるはずの瞳の色は、たたきつける大量の雨粒に遮られて見えません。「こっちへおいで。だっこしてあげるから、一緒におうちへ帰ろう?」


 わたしはまだ憤懣遣る方無い感情が収まりきってはいませんでしたが、しかしだっこという言葉は非常に魅力的でした。わたしが自分の足で立って歩けるようになってからというもの、父の懐は幼い妹二人に占拠され続けていたのです。わたしは蜜に誘われる蝶のごとく助手席から運転席へと這い這いしながら移動すると、差し出された父のかいなにその身を委ねました。父は片手でわたしをひょいと抱え上げると、一面の水たまりの中を歩きだしました。空いた方の腕には二人の妹を抱えていました。いつもぐずってばかりいる小さないきものたちは、不思議と父の腕の中では静かになりました。父はバスタオルを頭から肩にかけてかぶり、懐に抱えたわたしたち三姉妹が、曇天の空から吹き付ける凄まじい雨風に晒されないようにしてくれました。


 そしてその時のわたしはといえば、初めて目にする"洪水"という現象に、心をときめかせていたのでした。

 冠水によって道路も庭も沈んでいきます。やがて水は玄関に侵入し、一階の畳を浮かび上がらせ、階段を一段ずつ登り始めます。道路へ置き去りにした車が少しずつ水に飲まれて見えなくなっていく光景を窓から眺めていると、やがて水位は二階にいる私たちの足元にまで及びました。本棚や椅子を引き倒してベランダに積み上げた階段すらも、泥水に飲まれてぷかぷかと浮かび上がるのでしょう。そうなる前に、おとうさんは私と妹たちを屋根の上に連れて行ってくれました。ゴミ袋に穴を開けて作った合羽は暑苦しくて動きづらかったけれど、そんなことは問題ではありません。私の心は未知に対するときめきにあふれているのですから。


 だって、まるで遊園地のアトラクションのようではありませんか。

 こんなにもたくさんの水が押し寄せる光景も、それによってあらゆるものが破壊され流されゆく惨状も。

 わたしは初めて目にしました。自らの知る世界の全てが、こうも容易く浮かび上がっていくさまを。

 こんなに巨大な流水プール、楽しくないはずがないではないですか!


「おとうさん、すごいね!」


 と、私は父に呼びかけました。この興奮を一番身近な人と共有したかったのです。

 しかし、父は力なく微笑みながら「そうだね。これから、たいへんだね」と呟くのみでした。私は父が楽しくなさそうなことを不思議に思いましたが、じきに尿意を催してくるとどうでもよくなりました。


 わたしは、おしっこをするために立ち上がりました。


「おとうさん!」と、わたしは呼びかけました。焦っていたので、おしっこという言葉を言い忘れました。肝心のおとうさんはというと、わたしに背を向けながら、屋根の斜面に設置されたソーラーパネルの隅のあたりで何か作業をしていたようですが、わたしの呼び声に応えて振り返りました。

「どうし」たの、という言葉を紡ごうとしたおとうさんの目が、大きく見開かれました。その視線は、ソーラーパネルのフレーム上に立つ私の足元に向かっています。ほとんど突起物の存在しないコロニアル屋根の斜面において唯一と言っていい足場がこの厚み数十センチの側面外周フレームでしたが、屋根の傾斜に合わせて斜めに傾いたこの足場の上を人間が立って歩くのはいかにも危険でした。事実、私は数秒後、足を踏み外しました。身体が横に傾ぎ、眼下のプールへ向けて転がり落ちました。


 凄まじい反応速度で屋根を駆け下りた父が、私の服の裾を掴みました。父はそのまま屋根の外側に身を躍らせたものの、空いた方の手で軒下の雨どいを掴みながらすかさずわたしを屋根の上へ持ち上げました。わたしは屋根の斜面にカエルのようにべったり張り付いて、全身の摩擦をフル動員しながら落っこちないようにしがみつきました。背後からバキバキと雨どいが剥がれ落ちる音がして、大きな水音が響きました。わたしは振り返りました。


 おとうさんはもうそこへいませんでした。


 私はズリ落ちないよう気を付けながら屋根の上に這い上がり続け、ようやくソーラーパネルのフレームにお尻をのっけて休憩をすることが出来ました。ふと見れば、フレームの角の突起に大きな旅行鞄の肩紐が括り付けられていました。鞄を覗き込むと、小さなふたりの妹が雲の切れ間に向かって手を伸ばしています。いつのまにか雨は止み、太陽が顔を出していました。私は強い尿意を思い出して、四つん這いになりながら排泄を行いました。


「おとーさーん」と、私は呼びかけました。しかし何度繰り返しても、返事は返ってきませんし、水面に顔を出す様子もない。

 おとうさんはどこへ行ったのでしょうか。それだけがすこし、気がかりでした。


 

 *



 屋根の上に鞄は三つありました。ひとつ目の中には妹たち。二つ目の中にはなんだか分からないものがたくさん。そしてこれが重要なことですが、三つめの鞄にはたくさんの飲み物やお菓子が詰め込まれていました。これはつまり、豪遊のチャンスでした。

 涼やかな風と温かい日差しに包まれながらのおやつタイムは、これまでの人生で一、二を争うほどの至福と言ってよいひと時でした。菓子を貪りゴミを散らかすことを咎める者はおらず、思い付きでどのような奇声をあげようとも諫める声はかからない。立ち上がって歩き回れないことを除けば、屋根の上は存外に快適です。ちょっとしたピクニック気分というやつでした。


 しかし、そんな楽しい時も異臭と共に終わりを告げました。唐突に妹のひとりが大声をあげて泣き始めたのです。理由を探ろうと近づいてみれば、なるほど、二人が押し込められた旅行鞄の内側から立ち上るのは凄まじい便臭でした。

 わたしは反射的に、妹がうんちを漏らした旨をおとうさんに向けて呼びかけました。普段であれば、すぐさまおとうさんが駆け寄ってきて、妹たちのおしめを取り換えることで泣き声の原因を取り去ってくれるのです。あるいはそれで泣き声が止まなかったとしても、抱き上げるなり哺乳瓶を咥えさせるなりして、とにかく荒ぶる妹たちの機嫌を収めてくれるのがおとうさんでした。しかし今この場におとうさんはいませんから、妹たちの泣き声は留まることを知りません。「うるさい!」とわたしが怒っても、妹たちはもっとうるさくなるだけでした。わたしは色々なものが詰め込まれた二つ目の鞄をあさって、この問題を解決するための方法を見つけました。





 食品保存用のラップフィルムです。

 おとうさんが鞄の中に詰めているところを、水に侵されゆく台所で目にしていたのでした。なぜそんなものを鞄に詰め込んでいたのかはわかりませんが、しかし結論を先に言うとこれはとても役に立ちました。


 わたしは旅行鞄ごと、妹たちをラップでぐるぐる巻きにしました。

 泣き声はまだ続いていましたが、少なくとも便臭が漂ってくることは無くなりました。

 そして、続いていた泣き声もやがて――止みました。


 すなわち、私の天下がまた舞い戻ってきたということでした。

 わたしは目の前の頭を悩ます問題をひとりで問題を解決したという自己肯定感の赴くままに菓子を貪り、家の周りに広がる大海濁流を眺めました。あらゆるものがどんぶらこっこと流されてくるので、眺めていて飽きるということがありません。木の板、ポリタンク、バスケットボール……どの漂流物もヤスデやハエ、アリ、ワラジムシといった生き物が這いまわっていて、まるでその塊ひとつひとつが生物のように蠢いています。その楽し気な様子に、わたしもプール泥水の中で遊ぶべきかを真剣に検討しましたが、なんとなく怖いので止めました。だって水の中はいったい今どうなっているのか、泥土による濁りで何も見通せないのですから。


 揺蕩う品々をぼーっと眺めていると、ふと、船舶のごとく水面をかき分けながらこちらへ泳いでくる一匹の生き物を見つけました。それは軒下にぶら下がる剥がれかけの雨どいにしがみつくと、両足を使って器用に屋根の上まで登ってきました。「ねずみさん?」と、私はその生き物を呼ばわりましたが、おそらく実際は蝙蝠か何かでした。わたしはこのとき、魚以外の生き物が水の中の泳ぐことを知りました。新鮮な驚きが胸を満たし、好奇心が右手に宿ってその生き物をぐわしと捕まえました。


 噛まれました。

 いたい、と叫びながら反射的に放り出した蝙蝠は、そのまま空中で羽を広げて悠々と飛び立っていきました。わたしは指先に残留する鋭い痛みに思わず泣きそうになりましたが、苦難はこれだけでは終わりませんでした。ぶうぅん、と耳障りな羽音が耳朶を打つと共に、気が付けば小石ほどの大きさの黄色い虫が私の周囲を飛び回っていました。


 蜂でした。

 それも、ミツバチやクマバチなどの比較的安全な種類ではありません。強い毒性を有する、アシナガバチの一種でした。恐らく洪水で巣が流されて群れが離散した個体なのでしょう。何か月も前に農作業をしていたおとうさんが蜂に刺されて痛がっていた姿を覚えていたので、わたしは恐怖と共に両手を振り回して威嚇しました。蜂を刺激しかねない軽率な行動であったことは確かですが、屋根の上で逃げ場のないわたしに取り得る行動はそもそも限られていました。やがて幸運にもハチは何処かへ飛んでいきましたが、新たな問題はすでにその時発生していました。

 わたしは恐怖のあまり、パンツを穿いたまま脱糞してしまいました。


「えぅ……」


 泣きっ面に蜂という言葉がこれほど似合う状況も無いでしょう。

 わたしは臀部に広がる粘着質な不快感をしばらくそのまま放置しましたが、やがて観念して座ったままパンツを脱ぎ捨てました。長く耐え続けるにはあまりにも臭くて、痒くて、たまらなかったのです。思わず此処へいないおとうさんに助けを求めてしまうほどに。


「おとおさぁん!」と、私は叫びました。

「おどぉぉ、ざぁぁぁぁ!!」と、私は泣き叫びました。


 叫びに応える声はなく。

 私を助けてくれるものは居らず。

 この屋根の上にひとりぼっち。


 雲の切れ間が遠のきます。

 太陽は曇天に隠れ、やがて小雨が降り始めました。

 私の泣き顔をぬぐうように、ぱらぱら、ぱらぱら、ぱらぱらと。


 汚れてしまった悲しみごと洗い流してくれるほどに降りしきってくれたならよかったのに、雨はそこまで面倒を見てくれません。

 わたしは観念して二つ目の鞄を漁りました。ねばねばと気持ちの悪い臀部を何とかするための方法を見つけなければなりません。蝙蝠の噛み痕がじんじんと痛む指先でポケットティッシュをつまみ上げると、それでおしりをぬぐいました。上手くぬぐえず両手がベトベトになったわりには、まるで綺麗になった実感がありません。なにかないか。もっとなにか。二つ目の鞄だけでなく、いよいよ三つ目の鞄に手をかけた頃、わたしはようやくそれを見つけました。


 飲料水です。味のあるジュースばかり飲んでいたわたしは、味のない水のペットボトルが鞄の中に残っていたことを忘れていました。わたしはウォシュレットという言葉を知りませんでしたが、便器が水を吹いてお尻を洗ってくれる場合があることは知っていました。この水を背中越しにお尻へかければ、臀部全体にこびりついた軟便を洗い落とすことが出来るかもしれません。私はさっそくペットボトルの蓋を――三歳児の技術と握力では大変に苦労をしましたが――開けて、臀部を洗い流しました。温い流水が臀部を包む快感が通り過ぎると、臀部の状態も多少にはなりました。しかし、綺麗になったのは臀部の表面のみにすぎません。のあいだにはまだ粘着質な不快感が残留していて、みじろぎするたびに怖気が立つのです。わたしはもう一本ペットボトルを取り出しました。自分の身体の後ろ側を水洗いするという行為は非常に困難を伴いましたが、座ったり這いつくばったりして何度か姿勢を変えるうちにコツが掴めてきました。わたしはもう一本ペットボトルを取り出しました。これが最後の飲料水のようでした。


 わたしが躊躇なく蓋を開けようとした瞬間、小さな泣き声が聞こえたような気がしました。

 わたしは――


 わたしは滅茶苦茶に巻かれたラップを一枚一枚丁寧に剥がすと、ぐったりしてしまった妹たちを鞄の外へ出してやりました。

 おむつを外してやると、案の定小さな臀部の周りが凄まじいことになっていました。わたしはポケットティッシュを飲料水で濡らすと、その汚れを拭き取ってあげました。

 決して短くはない時間をかけて、ようやく綺麗にお尻を拭き取ることが出来ました。しかし、替えのおむつなどありません。いえ、あったのかもしれませんが、まだ文字の読めないわたしにはそれが鞄のどこにあってどのように使えばいいのか分からなかったのです。仕方ないので、カバンの中からタオルを取り出し、下半身を包んであげました。布おむつにしては不格好でしたが、これがわたしの精一杯でした。


 たくさん働いて、のどが渇きました。わたしは空のペットボトルに目もくれず、パックジュースの方を漁りました。ほんの僅かの飲み残しを吸い上げて、口の中に貯めました。


 わたしは小さな妹たちの前に跪くと、口移しで口中のジュースを分け与えました。

 少しずつ、少しずつ。何度も、何度も。


 ふえぇ、と妹が声を上げました。



「ふえぇぇぇん! ふえっぇぇっ! ケホッ、エホッ……ぎゃえぇぇぇん!! ぎゃあぁぁぁぁん!!」



 妹たちは、声の限り泣き叫びました。

 とても五月蠅くて、とても耳障りで、思わず目を背けて耳を塞ぎたくなるほど、やかましいその叫び声。



 糞便に塗れながらおとうさんに助けを求めた先ほどのわたしの泣き声と、びっくりするほど同じだったから。



 *



 またも曇天が空を覆い始めると、吹き抜ける風の質感まで変わり始めました。太陽の下ではあんなに涼やかで心地よかった夏風が、ひと吹きごとに濡れた身体から体温を奪っていきます。

 わたしは鞄の中の妹に覆いかぶさるようにして、雨風をしのぐ屋根になってあげることにしました。そんな私の腕や足には、食品用ラップフィルムがぐるぐるに巻かれています。妹たちを一度ぐるぐる巻きにしたときになんとなく察していたのですが、これは非常に保温性が高く、雨も風も肌に触れないように出来るので――先にとして述べた通り、これはとっても役に立ったのです。


 おとうさんは、こうなることを予期してラップを鞄に詰め込んだのでしょうか。

 今度会ったら聞いてみよう。わたしはそんな他愛もない考えに浸りながら、自分の身体の下でグズり続けている妹たちを観察しました。泣き疲れたのか、先ほどまでみたいな大声を上げることはありません。けれど、たまにその小さな腕を伸ばしては、わたしの顔をぺたぺたと触ります。



 この屋根の上にぼっち。

 私たちを助けてくれるものは居らず。

 ――けれど、わたしは貴方の叫びに応えます。



 わたしは貴方たちに寄り添います。

 だから、あなた達もわたしに声をかけてください。

 わたしに出来ることはけして多くはないけれど。

 それでも、助けになれることがあるかもしれないから。



 希望を捨てないで。

 声を上げ続けて。

 わたしが貴方たちに気づいたように。

 誰かがわたしたちに気づくから。


 希望を捨てな いで。

 声を 上 げ続 けて。



 そ のこ え が――

 きぼう を だれ かに つなぐ か ら。



 *



 父が助けを呼んでくれたらしいということを知ったのは、数か月も先のことになりました。

 わたしが運び込まれた診療所の先生は、「あしたお母さん迎えに来るそうだから」と前置きして、出来る限り分かりやすく優しい言葉を使いながら、事の経緯を説明してくれました。


「お父さんは水に流されながら、君たちのいる場所をずっと近くの人たちに伝え続けていてくれたんだよ」


 水に落ちたおとうさんは濁流の中でもがいた後、奇跡的に捕まえた流木のおかげで水面に浮かぶことが出来たそうです。

 そしてそのまま下流へ流され続けながら、ずっとわたしたちの住む家の場所と、小さな子供が残されていることを、叫び続けていたんだそうです。


 おとうさんは地元の消防団によってボートの上に引き上げてもらいましたが、片足から大量に出血していました。濁流に落ちた拍子に水中へ漂っていた木片が突き刺ささり、大動脈を傷つけた可能性が高いとのことです。

 消防団のボートはその情報を元に濁流を遡りました。途中の家々にはまだ逃げ遅れた人たちが救助を待っていて、しかし、多くの人が、流されゆくおとうさんの姿を目撃していました。ボートはそれらの情報を頼りに、家があると思わしき地域へと到達しました。

 しかし、周辺は静まり返っていました。運悪く――それとも、良いのか――この近辺の家に取り残されている者は、恐らくわたしたちの家庭だけでした。そして、消防団のボートはひとつひとつの屋根の上に登ってわたしたちの存在の有無を確認するための燃料が残されていませんでした。救助者である消防団が遭難の危険を冒すことは出来ません。そのぶん、ほかに助けを待つ人々の命が危険に晒されるからです。諦めて、引き返そうとしたときでした。


「ぎゃあぁぁぁぁん! ぎゃあああぁぁ! おぎゃあ、ぎゃああ、ぎゃあああああ!!」


 それは、幼児の泣き声でした。もちろん、低体温症と感染症の初期症状によって衰弱して気を失っていたわたしの泣き声ではありません。


 妹たちが、わたしたちの居場所を消防団に伝えてくれたのです。

 大きく、高らかに――声を、上げて。



「お母さんに会えるの、嬉しいかい?」


 わたしのお母さんとは知り合いなのだという診療所の先生からの質問に、わたしは応えることが出来ませんでした。

 わたしと妹たちはずっとおとうさんと一緒に過ごしていたから――"おかあさん"という人のことを、あまり詳しく知りません。


「そうか。寂しかったろうね。けれど、お母さんを怨んじゃいけないよ。お母さんは外国にいてね、ずっと大事な仕事に関わっていたんだ。沢山の人の命を救うための道具を、日本に持って帰るお仕事に協力しているんだよ」


 本当はシオリちゃんと妹さんたちも"それ"に乗せてあげるつもりだったのだけれど。

 、と。


「この国は沈みゆく船だ。鉄錆の溶け込んだ淀みの水に腹の底から犯されゆけば、誰もかれもが狂い枯れる……こんな場所からは、はやく逃げ出すべきなんだ。幼子ならば、なおさら……"それ"が生む既成事実が嚆矢足り得れば、きっと、きっと誰もが……綺麗な水を……」


 先生はわたしの頭を優しく撫でながら、けれど、わたしじゃないどこかへ向けてお話していました。

 わたしは、こう尋ねました。



"それ"って、なんですか?



だよ。この日本を脱出するための、さ」先生はまるで、熱に浮かされたかのように語りました。「まずは。それだけでもロシアが受け入れてくれれば、きっと、きっとみんなそのあとに続く。そうなればみんな綺麗な水が飲めるんだ。腹の底から全身をに侵されていく人間を診るたび、どうしようもない無力感に苛まれる必要もなくなる。大丈夫だ。きっとうまくいくとも。だって、と記されているのだから――」


 そして、不意に黙り込みました。

 わたしが診察室に入る前から机の上に置かれていたPDAが、凍てつく港の映像を映し出しています。



 ナホトカ湾。

 今日、わたしがいたかもしれない場所。

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