10. 第三試合 二回表
二回表。木村の盗塁死で先程のイニングは攻撃終了したので、打順は引き続き松岡から始まる。
入手出来る範囲のデータから新藤が分析した傾向によると……特定のコースや球種を苦としておらず、右・左打席で成績が変わることもない。コース次第で引っ張りも流し打ちも柔軟に対応することが可能。それに加えて一発狙いも単打狙いも使い分けられる。なかなかに厄介な相手だ。
どう攻めるか。岡野の答えは決まっていた。『余計なことを考えず、新藤のサイン通りに投げる』その一事に尽きた。
初球。内角高めのストレート。松岡はこの球を捉えたが、打球は右に大きく逸れて一塁側の内野スタンドに飛び込んだ。
一度目にしたとは言え、ほぼ初見のストレートを完璧に捉える適応力は大したものだ。流石は全国制覇を成し遂げた大阪東雲で四番を任されるだけはある。
ここで新藤は再び例のアレを要求してきた。岡野は了解の意味を込めて頷く。
投じたのは先程と同じ内角高めのコース。松岡も再度ストレートのタイミングに合わせてスイングしてきた。
しかし―――ベースの手前でボールは内に切れ込むような変化を見せた。バットには当たったものの、打球は上がらず痛烈な打球がファースト方向へ転がっていく。正面で捕球したファーストがそのまま自らベースを踏んで、一アウト。松岡は悔しそうな表情を浮かべてベンチへ戻っていった。
一方の岡野は、満を持して披露した秘密兵器でアウトが取れて安堵した表情をしていた。
苦手としていた左打者対策に習得した新球種、それは―――スライダー!
右打者からは逃げていく軌道で変化するスライダーは、サイドスローの投手が用いるとオーバースローやスリークォーターの投手と比べて打ち辛いと言われている。体の横から投じられる上に横方向の変化が加わることで、ボールのキレが増すように感じるためだ。
右投手が左打者を打ち取るのに代表的な球種として挙げられるのは、カットボールだ。スライダーと同じ軌道だが、ストレートに近い球速で打者の手元で急激に変化するため、打者は対応出来ず凡打を打たされてしまうのだ。岡野のスライダーもカットボールの軌道と酷似していた。変化する幅は小さいので空振りを奪うのは難しいが、芯を外す程度は期待出来る。木村には強引に外野まで運ばれてしまったが、引けを取らない実力者の松岡は抑えられたことで、岡野のスライダーが通用することを証明した。
『五番 ショート 稲垣君』
岡野が確かな手応えに自信を深めていると、稲垣が左打席に入ってきた。
稲垣は典型的な巧打者タイプのバッターだ。バットコントロールに優れ、ミート力も非常に高い。柵越えは望めないが長打を打てるだけの技術は有している。木村・松岡の両者が返し損ねたランナーを稲垣が返すこともあれば、木村・松岡がランナーとして出塁した後に稲垣が返すこともある。稲垣が五番に据わることで打線に厚みを増しているとも言えよう。
初球。新藤は外角に逃げていくシンカーを要求してきた。一回表に先頭打者の中居を打ち取った時のように凡打を誘うのが狙いだ。岡野も最悪歩かせても良いと割り切って考えているので、思い切って腕を振ることだけ意識した。
岡野が投じたボールは外角低めのコースから沈むようにストライクゾーンの外へ逃げていく。ほぼ新藤の構えた場所に投じることが出来た。
しかし―――稲垣は体勢を崩しながらバットを出し、さらに届かないと悟った直後には左手をバットから離した!
右手一本でバットに当てた打球は、サードの頭を越えてレフト線ギリギリに落ちた。打球の行方を確かめた稲垣は一塁を蹴って二塁に悠々到達した。
体勢を崩され、尚且つ片手一本で芸術的な流し打ちを放つあたり、流石は大阪東雲でクリーンナップを任されているだけはある。そして本人はさも当然と言わんばかりに涼し気な表情をしていた。
『六番 ピッチャー 長瀬君』
高校野球の世界では、投手が強打者という話はよくあることだ。長瀬もそうした部類に入る一人だ。
打率は二割前後で三振数もチームワーストと、一見すれば警戒するに値しない成績のように映る。しかし、注目すべきなのはホームラン数。ホームラン六本は四番松岡と並んでチーム二位の数字だ。常に狙うはスタンドイン、三振上等のフルスイングこそ長瀬の打撃スタイルだ。多少粗は見られるが、それを補って余りあるフリースインガーと言って良いだろう。
意気軒昂な態度でバッターボックスへ向かってきた。その顔には「俺の手で先制点を掴み取る!!」とはっきり書かれていた。
(……暑苦しいなぁ)
岡野は自分と対極にある性格の長瀬に若干の鬱陶しさを抱きながら打席に入るのを待っていた。
「さあ来ーい!」
長瀬は打席に立つと一声威勢よく吼えてからバットを構える。
初球。アウトコースへのストレートにフルスイング。バットには当たらず、空振り。その差、数十センチ。
二球目。今度は先程からボール一個外したコースにストレート。これも空振り。先程と比べるとボールとバットの差は縮まった。
すると長瀬は一旦打席を外して一回二回と自分のスイングを確認する。スイング自体は悪くない。何も考えず全力でスイングされるのは投手側からすれば御しやすいが、反面で万が一の怖さもある。追い込んだが、追い込んだ気が全然しない。
「よっしゃー!! 行ける行ける!!」
長瀬は自らを鼓舞するように叫ぶ。本当に騒がしい人だな、と岡野は冷めた目で見ていた。
新藤も間を置かず次のサインを送ってきた。アウトを取る道筋は割と簡単に結び付いたらしい。
三球目。外角高めから外へ逃げていくスライダー。二球ストレートが続いていたので、長瀬はそのタイミングに合わせてスイングしたものの、バットは虚しく空を切った。勢い余って体が二回転して転ぶ有様だった。
その後、七番の草薙にはカットで粘られた末に四球を出してしまったが、続く八番の国分をセカンドゴロに抑え、三アウト。初めて得点圏までランナーを進められたが、無失点で切り抜けることが出来た。
控えのメンバーが拍手や声掛けで戻ってきたナインを温かく迎え入れてくれた。特に強力打線を二回零封と素晴らしい立ち上がりの岡野には皆が「ナイスピッチ」と声を掛けてきたが、曖昧に応えるだけで奥のベンチに直行した。
ベンチに深く腰を下ろすと、それまで張り詰めていた緊張の糸が緩んだのか、安堵の溜息が漏れた。
(……あと、七イニング)
調子自体は悪くない。ここまでランナーは出しているものの決定打は許していない。上出来だ。
ただ、楽観視はしていない。一巡目は様子を探っている部分もあるから、本当の勝負は二巡目に入ってからだ。タオルで顔を拭いながら気を引き締めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます