05. 開会式 ~ 練習


 三月二十三日。遂に、待ちに待った日を迎えた。

 選抜高校野球大会の開会式が執り行われ、夢の舞台が華々しく幕を開けた。

 入場行進では初出場の泉野高ナインも一糸乱れぬ行進を見せた。前々日からこの日の為に入場行進の練習をしてきた努力が実を結んだ。

 滅多なことでは緊張しない岡野も、今日は明らかに緊張した面持ちをしていた。手と足が揃って出てないか、チームメイトの動きとズレてないか、顔やユニフォームに何か付いていないか。様々なことで頭が一杯になり、とても楽しむ余裕など無かった。

 それでも、内外野を埋め尽くす超満員の大観衆から送られる拍手や歓声を浴びて、今までに経験したことがないくらい興奮していた。テレビの中の世界に、自分が立っている。全方位からスポットライトで照らされている。そう思うだけで、無性にワクワクしてきた。

 参加校三十六校の入場が無事に終わり、各種セレモニーに移る。国歌斉唱、各種来賓の挨拶、選手宣誓の後、大会の開会が宣言された。

(……いよいよ、始まるんだな)

 事前の公式練習の時もどこかふわふわと体が浮いているような感覚だったが、開会式に参加したことでようやく地に足がついたような気がする。これから始まるんだと気合が入ると共に、意識の外にあった現実が思い起こされてきた。

(あの東雲と、対戦するのか)

 昨年夏の優勝した時のメンバーも今回の大会でも名を連ねており、控えの層も厚い。相撲で例えるならば、大阪東雲が横綱で泉野高は前頭、いや十両か。実力差は一目瞭然、鎧袖一触で吹き飛ばされるのは明らかだ。コールドが無いので、どれだけ点差が開いても九回まで続く。嬲り殺しに遭う可能性も十二分に考えられる。

(……止めだ。始まってもいないのに負けることを考えてどうするんだ)

 想像が悪い方向へ傾いていたので、一旦リセットする。悪いイメージは無意識の内に肉体へ波及して、想像が現実のものになることも多々ある。邪念を振り払おうと、空へ目を向けた。

 淡い水色の海に、純白の雲が幾つか浮かんでいる。陽の光も柔らかく、とても心地いい。三日後の試合も、こんな気持ちのいい中でやりたいな、とぼんやり思った。

 そうこうしている間に、開会式が終わった。いよいよ、熱戦の火蓋が切って落とされようとしていた―――


 開会式に参加した泉野高ナインは、午後から宿舎の近くにあるグラウンドで練習を行った。ウォーミングアップを終えたら、実戦形式の守備練習に入る。投手が投げた球を打者が打ち、野手が打球を処理する。野手も投手も入れ替わりで行い、試合勘を取り戻すのが狙いだ。

 岡野も新藤とバッテリーを組み、テンポ良く投げ込んでいく。変化球も交えながら、バッターを次々と打ち取る。

 一時間程続けると部員達は皆揃って額に汗を浮かべていた。そのタイミングで休憩に入った。

「なぁ、新藤」

「んー?」

「東雲を想定した練習だと思うけど、こんなんで大丈夫なん?」

 岡野は素朴に抱いた疑問をぶつけた。

 東雲のエースは最速一五五キロの豪速球と落差の大きいフォークで三振の山を量産していく本格派。対する岡野は、最速一三〇キロ台のストレートと八〇キロ台のスローカーブの緩急を軸に打たせて取る技巧派。根本的にタイプが全く異なるのだ。

 また、大阪東雲の打者と比べて泉野高の打者のレベルも格段に劣るので、今抑えられても何ら意味が無いのではないか。

 すると新藤は事も無げに返す。

「平気、平気。生きた打球を捌くのが今日は目的だから」

 ノックなど通常の守備練習ではノッカーが打った打球を捌くことになるが、どうしても打者が打ち返した打球とは性質が違ってくる。どんなにハードな守備練習を行うよりも、実践形式の守備練習の方が感覚を取り戻すには適していると言うのだ。

「そういうものなん?」

「そういうものや」

 新藤からそう言われると、何だかそんな気がしてきた。リトルリーグ・中学軟式と野球エリートの道を進んできた新藤の言葉には重みがあった。野球未経験者で引率と見守りがメインの監督とは訳が違う。

 その才能を求めて県内の強豪校だけでなく県外の名門校からも幾つかオファーがあったとされ、実際ドラフトで指名されても不思議でない程の逸材だった。さらに品行方正、学業優秀、イケメンと非の打ち所がない。全くもって羨ましい。

 本人もプロ野球選手になる夢を叶えるべく野球の強い高校へ進学したかったが、両親の強い反対を受けて泉野高を選んだ経緯がある。それでも長年の夢を諦めきれず、高校でも野球部に入って野球を続けてきた。

 大黒柱としてチームを引っ張るだけでなく、練習メニューの作成やチームメイトへの指導などプレー以外の面からも支えてきた。このチームは文字通り“新藤のチーム”なのだ。新藤が抜けた途端、魔法が解けるように元の万年一回戦負けの泡沫チームへ転落する。

「それより“あのボール”、良かったよ」

 新藤が口にした“あのボール”とは、北信越予選に敗退した後から取り組んでいる球種のことだ。本来ならば夏の大会を想定して取り組んできた秘密兵器だったが、二十一世紀枠でセンバツ出場が実現したことで、急遽予定を前倒しして精度を高めてきた。

 今日岡野が投げてみた感覚は、自分が想像していた以上の出来だった。受けていた新藤も同じように感じていたのであれば、自分の感覚が間違っていなかったことになる。

「じゃあ……」

「あぁ。東雲戦でも使えそうだ」

 司令塔である新藤から太鼓判を押された。即ち、合格ラインに達した証だ。完成した喜びよりも間に合って良かった安堵の方が大きかった。

 これで、多少は対抗出来る。岡野は新たに手に入れた武器に、少しだけ希望を見たような気がした。

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