第22話 波間

 帰宅すると、いつも通りの夕食・片付け、弟達の騒がし、「おやすみ」と母さんと交わす。でも、いつもは気にならない秒針が、今夜はやけに響き渡る。いや、響くなんてもんじゃない。巨人の足音の如く、わたしに迫ってくるのだった。

 怖い先輩に呼び出しをくらってしまうって、こんな感じなのだろうか。もう嫌だ。あーるのなすがままになっている自分に、うんざりする。うんざりを背負って部屋に戻ると、

「わかりやすいにもほどがあるぞ」

 と笑いを含んでテンが言う。ゆるっと座るソックモンキーを睨む。こんな滑稽な姿、と思うと、またうんざりが重さを増す。時計を見ると十九時を過ぎていた。

(ていうか、何時に行けばいいのよっ!!)

 時間も言わず会う約束を取り付けたあーるに、段々腹が立ってきた。


 あーるより早く行って待つ、だなんて絶対にヤダ!むしろあーるが、一時間くらいは待てばいいんだ!そう思い始めたら、準備をするのが途端に面倒になった。布団にごろっと横になり、天井を向く。板と板の継ぎ目が、ちょっとズレている箇所に目を向ける。古い家だから仕方ない。築三十年くらいらしいし。

「天気予報観たのか?」

 テンに言われて、はっと起き上る。あーるとの約束ばかり気にして、夕食前に確認し忘れていた。母さん達は寝てるから聞けないし、弟達が知っているとは思えない。仕方ない、電話で聞くために固定電話のある台所に行くか。ゆらっと立ち上がり、部屋を出ようとすると、

「夜中から雨だぞ。三十%。ところにより雷雨。明日から三日間雨か曇り」

 ゆるソックモンキーのテンが教えてくれた。

「ありがと。ていうかどうやって天気予報聞いてるの?」

 ゆるソックモンキーに近づいた。そんなはずないだろうに、斜に構えてテンは言った。

「魔法かなっ」

「なっ、ちょっとカッコつけて言うのやめなさいよ。でもありがと。大丈夫だろうけど、薪を三把入れてくる」


 わたしは土間へ行き、適当なスリッパをはいて外に出た。見上げた空には、星がはっきりと見える。晴れている。あまり降りそうもないとは思いつつ、心配性の長女は、薪を土間に入れて安心する。土間の時計を見ると二十時になろうとしていた。土間の時計は何故か五分遅れている。お父さんもお母さんもそれでいいらしい。ということは、

「二十時過ぎてるのか」

 土間から家に入らず、出て行き右の方へ歩き、外から玄関に入った。スリッパとスニーカーを履きかえて、玄関を出る。もう一度空を見上げる。星空は明るい。その明るさを吸い込むと、気持ちが楽になった。

「よし、行くか」

 何時だかわからない約束を果たしに、一歩を踏み出す。けものみちに入り、海岸へ向かう。ほんの少しずつだけれど、自分の足音が、波の音に変わっていく静かな夜。

 そんな夜の海岸に、あーるはポケットに手を入れて立っていた。


「遅い」

 あーるは真剣を刺すように、言い放った。そんな事されたって、今夜のわたしは臆さずに居ようと決めた。

「何時か言われなかったし」

 わたしは、目線を海岸の水面に向ける。わたし達が話をしなければ、ここは波の音がするのみだった。波の音に何もかもを委ねたかった。

「で、何なの?受験生なんだからお互いやることあるでしょ」

 コンクリートにべたっと座って、水面を見たままあーるに問いかけた。

「特に何にもないんだったら、わたし帰るよ。おばか受験生だからね」

 問いかけておいて、あーるには何も言ってほしくなかった。隙間を埋めるように、立て続けに話をした。わたしは困ると、とたんにしゃべり倒す性格だって事を、高校生になって自覚した。


 ここでは、波の音が秒針のように規則正しい。音を連ねても黙ったままのあーる。どこを見ているのか、自分が水面を見ていては確認しようもない。この状態で何分も待てるはずもなく、

「まっ、ここに来るとなんか落ち着くよね。受験の息抜きってとこかな」

 わたしは立ち上がった。

「よしっ、帰って勉強するか。あーるもそうしな」

 あーるの背中を、ぽんとたたいて『元気なはじめ』を演じきったと思った。波の音に合わせて、体を帰宅方向へ向けたその時、


「逃げないでよ」


 それは、最も言われそうなセリフTOP3だった。予想してても心臓に悪い。体が硬直する。臆さず居ようって決めてた、数分前の自分はいない。それでもこの場を何もなかったかのようにしたい。焦らないで、平和に答えるんだと自分に言い聞かせる。

「なにーそれー、ははっ、逃げるとかじゃないよー。どっちかって言ったら家に帰ったら勉強あるんだし、ここにいる方が逃げっていうか、帰るのは立ち向かう的な?」

 馬鹿は長くしゃべるもんじゃないとつくづく思いながら、元気と笑顔を作る。また波の音が聞こえる。


「はーちゃん、どんどん進まないでよ」


 それは波の音より少しだけ大きく、わたしの耳に届いた。意味の解らない事を言われてしまって、わたしはようやくあーるの方を向いた。あーるは足元を見ている。ポケットに入れていたはずの両手は、ぎゅっと握られていた。わたしはあーるの横顔に話しかける。

「あのぉ、あーるぅ?何言ってんのかよくわからないんですけど、、、」

 予想できない言葉の方が、星の数ほどあるんだから仕方ない。あーるの答えを待つ間も波の音がする。


 ふと、あーるの髪の毛が目に留まる。伸びてくるんとした艶やかな毛先。星の明るさに照らされ緑色が透けているようだった。その毛先にわたしの右手は、引き寄せられる。これまた切っちゃうのかな、なんて考えながら人差し指に絡ませる。

 とたんに、あーるがこっちを向いた。びっくりしたけれど、もっとびっくりしたのはあーるが、

「泣いてんの?」

 わたしはもうこんなに目を丸くしたことはないってくらいに、目を見開いた。あーるが泣いてる。信じられない。いつから?泣くのは予想の範疇を越えてる。それは多分何十秒もなかった時間だった。あーるはどんっとコンクリートに体をうずめた。自然と、わたしは膝をつき、あーるの両肩に手を置いた。しばらくして、あーるはうつむいたまま話しはじめた。


「はーちゃん、おれさカッコイイとこばっかり見せたいんだよ。けどさ、全然うまくいかない。はーちゃんが年上って思い知らされたのが、中学三年生の時。学校にはいないし、会ってもおれの知らない世界で生きてるんだ。ようやく高校追いついたのに、おれの事遠ざけるし。中学の時みたいに過ごせるつもりだったのに、いつも邪魔が入る。はーちゃんはおれだけ見てくれてるって思ってたんだ。だけど違った。だからカッコ悪くてもはーちゃんの傍に居たかった。そのうちまた中学の時みたいにしてくれるって。飛び級の事、言われた時はすっげー舞い上がったんだ。これで、はーちゃんと同級だって。クラスも同じ。言う事無しって。でも、はーちゃんは何か違うんだよ。何でだよ。……別の奴の事なんか気にするなよ」


 波の音が一つ聞こえた。そしてその後はあーるの嗚咽が重なった。言いたい事はたくさんある。言いたくない事もたくさんある。けれども目の前で思いをぶちまけたあーるに対して、自分の思いを隠す事は許されないと思った。波の音を一つ、また一つ聞いた後、わたしは決心した。


「あーる、わたしさ、中学卒業する時にね、失恋しちゃったって、ひとりで泣いたんだ。大好きな人と離ればなれになるって。その人と付き合ってたわけじゃないのに、失恋って変だよね。で、高校生になって気になる人ができた。一つ年上の先輩。いつも気になって、その人の事を目で追いかけてた。それだけで良かったんだ。毎日ドキドキして楽しかった。そんな感じで過ごしてたら、同級生からいきなり付き合ってって言われちゃって。そういうの今までの人生で無かったからさ、うやむやにしてたの。そうしたら困った事になっちゃって、その時に友達が助けてくれたんだ。その場をしのぐ為に、嘘でもいいから付き合おうって。友達って思ってた人とさ、嘘で付き合うなんて信じられないよね。受験は気になってた先輩の大学行こうって思って決めた。そんな理由馬鹿だよね。。。これがあーるの知らないわたしだよ」


 波の音が一つ聞こえた。次にわたしの目から涙が一粒落ちた。そしてもう一粒落ちた。その後は数えきれなくなった。何一つはっきりせず、臆病だったこれまでの人生。今日、初めて告白をした。あーるに、そして自分に。その事が誇らしく思えた。誇らしい涙だった。その涙をぬぐおうとした両手を、あーるが止めた。あーるは顔を近づけてきた。わたしのおでことあーるのおでこが、繋がる。ふいにわたし達はまばゆい光に包まれた。港から漁船のエンジン音が聞こえる。その間、ぬくもりのあるおでこは繋がったまま、静けさを待った。


「言わないとわかんない事ってあるんだな」

 星明りにぽつりとあーるが呟く。


「臆病で逃げてたから、迷惑かけちゃった」

 一等星くらいの大きさの涙が、再びわたしの目から落ちた。


 波の音が聞こえる。

 時間が許す限り、何度も波の音と生きる。

 わたしは小さな生き物。そうであったとしても、波の音と共に、誇りのある自分と生きていきたい。


「あーる、わたしはこれから少しだけ本音を言える人間になろうと思う。自信ないけどね」

 すっとおでこを離したあーるは、まだ涙ぐんでいるようにも見えた。わたしの腕を離して、両掌でわたしの頭を包み込んだ。目線回避不可能状態。


「ひとつだけ確認したい」

 あーるの言葉は、波と共に寄せてきた。


「何?」

 涙交じりの言葉を、引く波に乗せる。


「中学の時の好きな奴って誰?」


「は?」

 なんだろ。この感情。さっきまでと全然違うんですけど。

 こいつは、こいつは、こいつは、こいつは、、、、、、。


「あーるの馬鹿っ!!大馬鹿!!もう知らないっ!!二度と近づかないで!!」

 あーるの胸を、両手でどんと押して離れた。さっきの涙が沸騰して、顔中から湯気が出てくる。心臓が荒れ狂う。あーるは不思議そうにこっちを見ている。わたしは肩で息をしながら、家の方角に向かって走った。


「あ、はーちゃん、、、」

 あーるの言葉を残して、家へ急いだ。


 つづく。







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