‐The Fall in love‐
茶熊みさお
‐The Fall in love‐
恋に落ちた。
どうやら私は恋に落ちてしまったようだ。
どうも世間では恋をする季節というのは春だと相場が決まっているようだが、私はそんな相場から少しずれているようで、季節はずれなことに秋に恋をした。それもいわゆる世間一般的に一目惚れといわれるもので、この私にとっては初恋というものだった。
恋をした秋。
そう、出会ったのは神社の境内。
私こと
だからこうして、願掛けをするために近所の神社までお参りに来ている。……という口実により家を抜け出し、面倒臭い受験勉強をさぼりに来ていた。
鬱蒼と茂る木々の間にあるあまり目立たない苔生した長い石段を登りきると、石畳と玉砂利の敷き詰められた広い境内がある。この神社はちょっとした低い丘の上に建てられいるので、この時期は山の紅葉が綺麗に見える知る人ぞ知る隠れた名所となっている。
苔生した石の鳥居に背中を預け、暫し紅葉を堪能した。
それから少しして、吹く風が冷たくなって来た頃。
――ざりっ
と、玉砂利の擦れる音がした。
こんな時間に珍しい。誰か他の参拝客でも来たのかと、私は音のした方をゆっくりと振り向いた。
――瞬間、心奪われた。
振り向いたその先にいたのは白い小袖に緋袴を穿いた、黒髪を風に靡かせた一人の巫女さんだった。
風に舞う落ち葉と紅葉する木々と神社を背景に、その巫女さんは静かに境内の掃き掃除をしていた。
簡素な竹箒を持つ小さな白い手。落ち葉を掃く箒の動きにあわせて揺れ動く、檀紙で纏められた長い黒髪。そして、幼い顔立ちに軽く紅を注された小さな唇。それらは、まるでひとつの完成された絵画のように美しかった。
瞼をそっと閉じれば、瞳の奥に焼き付いたその麗しい姿が今も鮮明に浮かんでくる。
私は、その全てに心奪われてしまった。
◆ ◆
「えっと、それで……?」
「以上だ」
「…………」
「ああ、一番星を見上げた姿もとても美しかった……」
「ほお……、で?」
所変わって場所は教室の中。
連休明け初日だからだろうか、今もHRの真っただ中だというのにみんな落ち着きなくざわついている。教師も静かにさせることは半ば諦めているのか、注意する声もどこかやる気が抜けている。
そんな中、私も先生の話などは全面的に聞き流して、小声で隣の席にいる同じクラスメイトの倉沢……えっと、平沢だったかな? に連休中にあった、その素晴らしい出会いを意気揚々と報告していた。
だが平沢はその報告に何か不満があるようだ。
「で、とは何だ?」
「……いやいや、以上ってことはないだろ」
余程の騒ぎでもしない限り怒られはしないだろうが、念のためにこそこそと小声で会話をする。
「どうしてだ?」
「ほらさ、朴念仁のお前のことだから、気の利いた会話とかはなかったと思うけど。それでも何か挨拶したとか微笑んでくれたとかそういうのがさぁ、ないの?」
「いや、以上だ。……あ、違うな」
「おお、何かあるのか! だろだろっ、やっぱりお前が惚れるような何かそれっぽいことが――」
何を納得しているのか、何度も頷いて見せる倉沢。
「うむ、その後はずっとその巫女姿を網膜に焼きつける作業をしていた。思わず瞬きを忘れる程だったな」
――ガタッ
「ガン見してただけかよっ!」
一体今の言葉の何が不満なのか、人目を憚らずに椅子から急に立ち上がった倉沢に説教をされてしまった。
「……何を怒っている、平沢?」
「てめっ、このやろぉ……」
「……おーい、そこ。お前が俺の話を聞いていないことはよくわかったから、せめて今は静かにしていろ。……わかったら、あとでちょっとこっち来な」
と言ったところで、ようやく先生が反応した。
「げぇ……」
「おい寺沢、返事は?」
「先生、
「ああ、すまん。……で、返事は?」
「…………はい」
そしてHRの最中、教室の注目を集めたクラスメイト、左沢は先生に説教されることになってしまった。
……そうか、こいつの名前は左沢だったのか。
◆ ◆
「……じゃあ何か? お前はその一目惚れした巫女さんの綺麗な姿にぼうっと見蕩れて、すっかり暗くなるまで突っ立っていただけってことなのか?」
「まあ、そうなるな」
左沢は呆れた顔にため息交じりでそんなことを言う。
HRの後は左沢が先生にくどくどと説教をされており、話のできる状況ではなかったので、あの話の続きは時が進んで二限目の終わりとあいなった。
ちなみに二限目とは言っても、この時期はすでに通常授業が大体終了しているので、こうして今しているのは試験対策用の特別編成授業だ。
「はぁ、なんというか。恋愛沙汰に慣れてないにしても、……これはあまりにも酷いんじゃないか?」
「そうなのか?」
「幼稚園児でももっとましな恋愛してるよ」
「むぅ……、そこまで酷いか」
「ああ、酷過ぎる」
さすがに幼稚園児より酷いと言われるとショックだ。
「しかしその様子じゃ、その一目惚れの可愛い巫女さんがどこの誰なのかも知らないな?」
「ああ、知らないな」
「だから、そんなことを胸を張って言うなよ。……とは言え、さすがに会ったのがどこの神社だったのかくらいはわかってるんだろうな?」
「ああ、それはわかっている。確か|厳木(きゅうらぎ)神社だ」
何度も行ったことのある神社だ、間違える訳がない。
「ああ、あそこの神社か。……ん、厳木神社だって? ああ、それならちょうどいい奴がいるな」
「ちょうどいい奴?」
「そう、そこの神社に詳しい奴。……おーい、厳木ぃ」
そう言って左沢が席から手を振ると、教室の端で静かに本を読んでいた男子が本から顔を上げた。そして本を机の中へしまうと、こちらまでやって来た。
「なにか用、白沢さん?」
「白沢じゃない、左沢だ」
「おっと、そうだったな。ごめん」
どうやらこの左沢の名前をよく覚えていなかったのは、私だけではなかったようだ。
「まったく、覚えとけよ……。そんでこいつ、厳木
「あー、ども。厳木です……って、こうやって自己紹介するもなんだか今更って感じなんだけど?」
「それはまあ、化野だから仕方ない」
「おいおい、そんなこと言われてるけどいいの?」
「…………」
そう言ってどことなく曖昧に笑う厳木は何というか、全体的に印象の薄い奴だった。
梳かされていないぼさぼさの長髪に、大きな丸眼鏡。顔は整っているようだが、顔に垂れ下がっている髪の毛のせいでよく見えなくなっている。
しかし、なんだろうか……。
「……えっと、どうかしたかな?」
「……どこかで見た気がするな」
「はぁ? そりゃそうだろ、クラスメイトなんだから」
「そうか……」
まあ、もうじき卒業だと言うに結局クラスメイトの顔は半分も覚えられていないからな、そんな奇妙な感覚があっても仕方がないか。
「それで、何か僕に訊きたいことでもあるの?」
「おお、そうだった。……えっとな。簡単に言うとこの化野が、お前さんとこの神社にいる巫女さんについてちょっと詳しい話を聞きたいんだってよ」
「む、……まあ、そうだな」
「……ふーん、あの化野がねぇ」
「……何だ?」
「いやぁ、巫女属性があるとは意外だと思ってね」
「巫女属性?」
何だそれは、聞き慣れない単語だな。
「あー、厳木……。からかおうとしているんだろうが、この朴念仁にそういう茶化しは意味がないぞ」
「……だと思ったけど、一応な」
そう言って二人は何故か大きな溜息を吐いた。
「? 二人が何のことを言っているのか分からないが、早く詳しい話を聞かせてもらいたい」
「あー、わかったわかった。……しかし、といってもな。うちの神社に巫女なんていないんだよ」
「巫女が……、いない?」
「おいおい、なんだそれは。じゃあ、こいつが見たのはただの幻覚だったってことか、それともたまたま現れた野生のコスプレイヤーだったってことか?」
「いや、幻覚なはずがない」
この目でしっかりと目に焼き付くまで見ている。
彼女は確かにあの時存在していた。あの時見た彼女は決してただの幻覚なんかではない。
「まあ、そういう結論でもいいけど、ちょっと違うね。……正確に言うと、うちの神社には正規の巫女がいないってこと。今いるのは近所のバイトだけだよ」
「ふーん、なんだ。ちゃんといるんじゃん、巫女さん」
「ああ、そうだ。変な心配をさせるな」
そう私たちが言うと、厳木は怪訝そうな顔をした。
「……あれ、化野はうちの神社の巫女について訊いてるってことなんじゃなかったの?」
「そうだが?」
「だから正確には化野は、この前の三連休にお前の神社にいた巫女さんの中身に興味があるの。その巫女さんが正式採用かどうかは別にどうでもいいんだよ」
「……中身って言うと、なんか卑猥だな」
そう言うと厳木は、残念そうに肩を落とした。
「ちぇ、なんだ。折角だからうちの神社のことを色々と語ってやろうかと思ったのに。そんなことかよ」
「すまんな、それはまた次の機会にってことで」
「いいよ、どうせ次の機会なんてないんだろ。……まあいいや。じゃあ、今うちに来てるバイトについて分かる範囲で教えてやるよ。ったく、仕方ない」
「おお、本当か。出来るだけ詳しく頼む」
「しかし、詳しくとは言ってもな……。神社のバイトについてはうちの親父が全部やってるから、あまり教えてもらってないんだよな。一応、個人情報だし」
「まあ、そりゃそうだな」
「確かにそうだが……」
だがそれはそれ、これはこれというやつだ。あの巫女へ繋がる手掛かりは何としても知っておきたい。
そう悩んでいると、厳木が何か思い出したようだ。
「あー、でも。……そう言えばこの前の三連休に短期でバイトしてたのは、確か僕と同じクラスの子だって親父が言ってたような気がするな……」
「……何だって?」
「おお、っていうことは。厳木神社でバイトをしていたこのクラスの誰かが、化野の初恋人ってことか!」
「そういうことになるんだろうね。……って、僕はその話はよく聞いてないんだけど、どういうこと?」
厳木は話について来れていないようだ。
「だから、その巫女さんが一目惚れの初恋の人なんよ」
「へぇ、やっぱり化野は巫女萌えだったんじゃん」
「巫女萌え?」
「……まあ、さすがに今回は残念だが否定できないな。その一目惚れの相手が同じクラスにいるっていうのに、巫女服着ていないと見分けがつかないんだから」
「むぅ……」
その巫女萌えとは何なのかよく分からないが、見分けがついていない以上、確かに言い返せないな。
「巫女服って言うな。ただのアルバイトとはいえ、着てもらってるのはれっきとした巫女装束なんだぞ。そこらにあるコスプレの衣装なんかと一緒にするな」
「おっと、すまん。巫女装束な、巫女装束。……えっとそれで、その巫女さんに何か分かり易い特徴はなかったのか? 髪形とか他にも」
わかりやすい特徴か、そうだな……。
「うむ、箒と一緒に動く長い黒髪が印象的だったな」
「……あー、はいはい。長い黒髪ねぇ」
何か言い方が気になるが、その印象は伝わったようだ。
「……このクラスの中でその印象的な特徴が当てはまるのは、どうやらあの二人みたいだな」
そう言って指差す左沢の先にいる二人の女子生徒に、私は目を向けた。
「ほお、
「…………」
そこにいたのは長い黒髪のお嬢様然とした女子生徒と、その髪と同じくらい長い黒髪を、頭の両サイドで二つに纏めた活発そうな顔をした女子生徒だった。
「……誰だ?」
「……はぁ、何言ってんだ?」
「おい嘘だろ、化野。あそこにいる二人はこの学校生徒のアイドル、石和
どういうことなのか、厳木が急に熱弁し出した。
「まあ、知ってはいるがな」
クラスメイトだということは覚えている。
「うんうん、さすがに朴念仁な化野でも我らがアイドル二人のことはちゃんと知っていたか」
「……いや、念のために言っておくけど、化野は学校のアイドルだから知ってたってわけじゃないぞ?」
「うん、それってどういうことだ?」
「えっと、それはな――」
「おい、佳奈。ちょといいか?」
「んー? なに、幸ちゃん」
そう、いつものように声を掛けると、石和と何か話をしていた佳奈がこちらに気付いてやって来た。
「……まあ、こういうことだ」
「…………」
厳木が何か言いたそうに口をパクパクとさせている。
「どうした、厳木。そんな唖然とした顔をして」
「いや、どうしたじゃないだろ。どうして朴念仁の化野なんかが、鳥栖さんと妙に親しげなんだよ!」
「何故かと訊かれても、そりゃあ……」
「幸ちゃんと私は幼馴染だよ?」
「なんっ……!」
驚かれても困るが、佳奈とは昔からの幼馴染だ。
今はそれほど一緒にいることはなくなったが、小さな頃は一緒に厳木神社の広い境内まで遊びに行ったものだ。
「羨ましい、羨ましすぎるぞ、この朴念仁!」
「…………どうしたんだ?」
「あー、面倒だから全力で無視しちゃっていいよ。こういう発作的なのは、ほっときゃそのうち静かになるし」
「まあいいが……」
髪を振り乱し悶えている厳木のことが少し気になるが、まずは二人から話を訊くことにしよう。
「佳奈、あの石和……っていう子を呼んでくれ。二人に少し訊きたいことがあるんだ」
「うん? まあ、いいよ」
そう言うと佳奈は、石和さんを呼びに戻って行った。
「……おい、化野」
「何だ?」
声を小さくして左沢が尋ねてきた。
「さすがのお前でも、さすがに幼馴染の顔を見違えたりすることはないだろ。……っていうことはつまり、お前の言う初恋の巫女さんっていうのはたぶん――」
「……まだそうだと決まったわけじゃない」
しかし、そうではないと決まった訳でもないが。
「そりゃ、そうだけど……」
「うおぉ……、なんでこんな唐変木がぁ……」
「…………」
厳木は相変わらず悶えているようだ。
◆ ◆
「おーい、連れてきたよ」
「……ああ、すまんな」
佳奈に連れられやって来た石和さんは、普段会話したことのない私に呼ばれたからか、少しばかり怪訝そうな表情をしていた。
「えっと確か、化野さん、……でしたかしら。鳥栖さんに呼ばれて付いてきましたが。それは私に何か用があるということで良かったかしら?」
「ああ、少しな」
「えっと、それで私たちに訊きたいことって何かな?」
「それなんだが、何と言えばいいか……」
「私たちに訊きたいことがあるんですの?」
「ああ、そうなんだ。それで……」
「それで、何?」
「先ず何から言えばいいか……」
「では、話す内容をまず教えて下さいませんか?」
「そうだな、えっと……」
こちらが話そうとするたびに質問をされる。困った、こういった時に上手く説明が出来ん。
「…………ああもう、まどろっこしい。このままお前に質問を任せてたら、すぐ次の授業が始まっちまうだろ。俺が代わりに二人に訊きたい用件を言ってやるよ!」
「あ、ああ。すまん、頼む」
左沢から助け船が来たので、後は任せることにする。
普段人と長く話をするような機会があまりないので、こういうことはどうにも苦手だ。
「化野はこの前の三連休に出会った、一目惚れで初恋の人を探しているんだ」
「へ、へぇ……。幸ちゃんの初恋ねぇ」
「あら、一目惚れですか。ロマンチックですのね」
「ああ、朴念仁のこいつにしてはかなり意外だがな」
「意外なのか……?」
「鉄面皮のお前が誰かに恋をするってことが、まず意外なんだよ。しかもそれが一目惚れなんていったら、豚が飛行機に乗って空を飛ぶくらいの驚きだよ」
「豚は空を飛ばないだろ」
「それぐらい意外ってことだよ」
「…………」
一目惚れをすることが意外だとは、私はどういう風に見られていたのだろう。
「そ、それで、幸ちゃんの初恋の人って誰なの?」
「それがよく分からんから訊いているんだ」
「……それはどういうことかしら?」
「えっと、ようするにな。今のところ集まっている情報から色々と推察すると、こいつの初恋の人は二人のうちのどちらかじゃないか、……ってことなんだよ」
「……へ?」
「……あら」
そう言われ、ポカンと呆ける二人。
だが、それを無視して左沢は問い掛けを続けた。
「で、それを踏まえて二人に訊きたいんだ。……二人はこの三連休に、厳木神社でバイトをしてないかい?」
「…………」
「…………」
二人は口を噤んだ。
それは答えないだろう。
この学校は校則でバイト禁止ということになっている。この校則を守っている生徒は、はっきり言って少ない。だから学校に隠れてバイトをしていたところで、注意はされるだろうがそこまで深刻な問題ではない。
……だが、それもこの時期だけは違う。
今は受験シーズンの真っただ中。
校則違反は推薦で受ける生徒には避けたいものだ。
――コーン、コーンッ……
授業開始の鐘が鳴ってしまった。
「……今すぐに答えなくてもいい」
「そりゃ、そうだよね。……今は大学受験の大切な時期なんだし、仕方ないよ。こちらはただの興味本位だし。だから二人とも無理に答えなくてもいいよ」
「…………」
「…………」
「よし、早く席に着け。今から英語の模擬試験やるぞ。……おい、どうした浦木。席に着け」
「……厳木です」
「そうか。厳木、床に寝ていないで自分の席に着け」
「……はい」
そして、英語の模試が始まった。
◆ ◆
「なあ、二人は答えてくれると思うか?」
「……どうだろうな」
シートの回答欄を適当に埋め、左沢と話をしていた。
模試は上の空で適当にやったが、正答数はまあまあというところだった。左沢も同じような感じらしい。
「……なんだよ、二人共模試の結果は良かったのか?」
「そう言うお前は悪かったみたいだな」
「ああそうだよ、悪かったな。……この三連休は祭事の手伝いで忙しくて、ろくに勉強はしてなかったんだよ。……なかったところで勉強はしなかっただろうけどな」
「祭事?」
「ああ、言ってなかったか。この三連休にうちの神社でちょっとした祭事が行われてたんだよ。だから、親父も臨時で何人かバイトを雇ったんだとさ」
「……なるほどね。それじゃあ化野が見たっていうのは、その時ってことになるか」
「…………」
佳奈と石和さん。
瞳に焼き付いた姿を何度も見直して、ようやく朧気に二人の姿が、あの日私が見た巫女の姿と重なってきた。
静かに竹箒を掃く後姿。振り返ったその顔は……。
「幸ちゃん……」
佳奈の呼ぶ声がした。
振り向くとそこには、予想通り佳奈と石和さんがいた。
「三連休に厳木神社でバイトしてたのは、……私なの」
「……そう、か」
この答えも、私の予想した通りだったのかもしれない。
「じゃあ、石和さんはどうして黙っていたの?」
「前に鳥栖さんから、厳木神社でバイトをすると聞いていましたから。……それに、先程の場面でそのことを私から告白するべきではないでしょう?」
「……そうだな」
「それで、鳥栖さんはどうなんだ? こっちはもう既に化野の初恋の人を探してるって、言ってあるけど。……それについて何か言うことがあるんじゃない?」
「…………」
左沢がそう言うと、佳奈は赤くなって俯いてしまった。
今日の授業はすでに終わっている。決して静かだとは言えないが、このくらいの騒がしさの方が答えを聞くのにおあつらえな状況なのかもしれない。
「幸ちゃん、わた……」
「……なんだ?」
「わ、私もっ!」
勢いよく再び顔を上げると、大きな声でそう言った。
教室の視線がこちらに集まったような気がする。だが、そんなことなど全く気にはならなかった。
「私も昔から幸ちゃんのことが好きだったのっ!」
「…………そうか」
佳奈の顔は先ほどよりも赤く染まっていた。
「ひゅー……」
「な、なな、な……」
「あらあら、両想いだったのですね」
「やったじゃん、化野。よかったな」
「何だよそれっ! 幼馴染が両想いでハッピーエンドだなんて、……僕はそんな展開認めないぞ、断固反対! そういうべたべたな展開が認められるのはな、ごくごく限られた二次元の世界だけなんだよ。こんなご都合主義の展開なんて絶対に認めないからなっ!」
冷やかす左沢と面白そうに笑う石和さん。あと地団太を踏んで何やら騒いでいる厳木を横目に見ながら、私は一歩踏み出して佳奈と向き合った。
「あの時見たのは佳奈だったのか。……すまん、あまりにも違っていたから気が付かなかった」
「いいよ、幸ちゃん。急ではあったけど、こうして私の気持ちをちゃんと伝えられたんだもん」
「……おうおう、見せ付けやがって羨ましい」
「ううっ、そんなぁ……。佳奈さぁん……」
「あらあら、青春ですわね」
あの時の姿が今、こうして目の前に蘇ってくる。
「佳奈」
「こ、幸ちゃん……」
思わず抱きしめてしまった。
あの時伝えられなかった言葉が、この胸の奥から湧き上がって口から止めどなく零れていく。もう後は思うがまま、伝えたい言葉が口から流れるまま溢れ出てくる。
「あの時見た佳奈の姿は、一枚の絵のようだった」
「うん、ありがとう……」
「紅葉の中に立つ姿はとても綺麗だった」
「うん……」
「思わず日が暮れるまで眺めてしまった」
「うん…………、うん?」
「……どうした?」
腕の中の佳奈が不思議そうに首を傾げた。
「日が暮れるまで?」
「ああ、一番星を見上げた姿もとても美しかった」
「私、日暮れ前にはバイト終わってたんだけど……」
「…………?」
どういうことだ?
何か話が噛み合っていないような気がするんだが。
「……おい、厳木。これはどういうことだ?」
「さあ?」
「さあ? ……じゃないだろうが、このスカポンタン。お前んとこの神社で鳥栖を雇ったんだろ、バイトの内容くらいちゃんと覚えてないのか?」
「バイトの内容って言ってもな……。いつもこの時期にバイトに来た人にやってもらってるのは、お札とお守りの販売とかだし。それも売り切れるか、参拝客がいなくなれば時間前でも仕事は終わりになるしな……」
「そうなのか?」
「う、うん。神社の禰宜の人に、今日は人が来ないからもう帰っていいって言われたの」
「ああ、この前の三連休もせっかくバイトを雇ったんだけどな。あまりにも参拝客が来なかったからバイトには早目に帰ってもらって、代わりに授与所で売り子をすることになったんだよ。その後境内の掃除もしたってのにバイト代はただの手伝いだからって全然出ないなんて、本当にただのくたびれ儲けだったよ……」
「そうか、大変だったな」
「ああ、全く……散々だったよ」
そう言って厳木はふらふらと歩き、机にへたり込んでしまった。何が原因か分からないが、どうも肉体的にというか、精神的に疲れているようだ。
「手詰まりか……」
さて、これからどうするか。
これで巫女さんへの手掛かりはなくなり、残念ながらまた振り出しに戻ってしまったという訳だ。
「…………」
ふと横を見ると、左沢が何か思案顔をしていた。
「……どうした?」
「……ああ、ちょっとな」
何か考えがまとまったのか、机で空気の抜けた風船のようにぐったりとしている厳木の方を向いた。
「…………おい、厳木」
「……なんだよ、村沢」
その呼び掛けに、厳木は机に顔を伏せたまま答える。
「左沢だ。……ちょっと訊きたいことがある」
「なんだよぉ、まだ何か聞くことがあるのかよぉ……」
「売り子をしてた時って、お前どんな格好してた?」
「…………」
厳木はぐったりとしたまま答えない。
「何を言っているんだ?」
「……巫女装束を着ていたんじゃ、ないか?」
「…………っ!」
無反応だった厳木の体が、ぴくりと跳ねあがった。
「……ああ、そういうことですの」
「え、ちょっと、五葉ちゃんは何に納得しているの? どういうことなの、売り子の厳木くんがどうしたの?」
「つまり、どういうことなんだ?」
「…………」
だが変わらず厳木は黙ったままだ。
「ああ、つまりだな。化野の初恋の相手はここにいる、……厳木秋一だったってことだよ」
「ええ、そういうことよ」
「…………はぁ?」
「そうだったのか……」
気まずそうな顔でそっぽを向く厳木。
言われてみればその長い前髪の隙間から見える横顔は、あの時見た姿にぴったりと重なる。
「厳木に女装の趣味があったとはな……」
「……巫女の女装は趣味じゃねぇ、仕事だよ仕事」
観念したのか、厳木はため息交じりに体を起こした。
「うちの神社には正式な巫女はいないけど、巫女にしか出来ない神事ってものもあるんだよ。そんな時には仕方ないから僕が御髪を付けて、巫女装束を纏うんだよ」
「でも、やってたのは売り子と境内の掃除なんだろ?」
「僕の巫女姿がよく映えるからって、何かある度に親父が調子に乗っ着せるようになったんだよ。……こっちはいつも嫌だって言ってんのに、いい迷惑だよ」
「でも、とても似合ってらしたんでしょう?」
「そりゃ仕事だからな。気合を入れて役目はこなすさ」
「…………」
そうか、そうだったのか。
「お、おい、化野。そんな真剣な顔して近付いて来ないでくれよ。……なあ、お願いだから待ってくれないか? こういうのって、あまりその場の感情に身を任せて結論を急いじゃいけないと、思うんだよ?」
「厳木、……いや、秋一」
私は厳木の向かいに一歩踏み出した。
「……どうして今、言い直した? っていうかどうしてそんなに近づいて来るのかな。おい、止めてくれ!」
「あの時見た君の姿は、とても美しかった」
「お、おう。なんかありがとう」
「私の心は、君の姿の虜となってしまったようだ」
「待て待て待てっ! どうして僕の手を握るんだ!」
今度こそこの気持ちを伝えよう。
「……この気持ちは決して、嘘や偽りなんかじゃない。あの時、私は恋に落ちていたんだ、秋一」
「明らかにおかしいだろ、この展開っ!」
「わ、私……」
佳奈が何かを堪えるように小刻みに震えている。
そういえば佳奈には、申し訳ないことをしたな。
「佳奈……」
「ほら、鳥栖さんもこれじゃ可哀そうだってば。自分が告白した次の瞬間にその彼氏が別の男に告白するなんて、そんな悲惨な場面を見せられたら……」
「こんなシチュもいい!」
「…………はぁ?」
「私、分かったの。愛の形は一つじゃないって、違う形の愛もあるって! 私は二人のカップリングを応援することにするわ。二人とも、……存分に愛し合って!」
「鳥栖さんが壊れたぁ!」
「秋一、私たちの愛は壊れることはない。永遠だ」
「だから、そんなこと訊いてねぇ! ……おい、右沢。そんなところで見てないで助けてくれよ!」
左沢と石和さんはこれまでやり取りを、一歩下がったところで微笑ましげに見物していた。
「はて、右沢ってのは誰のことだ? ……まあ、なんだ。世間の目は厳しいかもしれないが二人とも、オランダにでも移住して末永く幸せになってくれ」
「ああ、そうする」
さて、戸籍の変更はどうやればいいんだろうか?
「ちょっと待てや、こらぁ!」
「……あらあら、意地悪ですのね。左沢さんは」
「だから、左沢だって……あれ、石和さん?」
「ふふふ、合ってますよね♪」
恋をする秋。
私は言葉の通り、秋に恋をしたようだ。
Fin
‐The Fall in love‐ 茶熊みさお @chakuma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます