お嬢様とお姉様

 春華は自宅の玄関に入りドアを閉めながら家の中に向かって声をかけた。

「ただいま帰りました」


 その声が聞こえたのか廊下の奥の方からパタパタとスリッパの軽快な音を立てて妙齢の美女が足早に歩き寄ってきた。膝丈のピンクのスカート。ボートネックの白のインナーに薄い緑のカーディガンを羽織っている。


 春華は背筋を伸ばして腰を折り挨拶をし直す。

「お姉様、ただいま帰りました」

「お帰り、春ちゃん遅かったわね。

 今日はマナー教室だったかしら」

 軽く眉をひそめる。マナー教室には嫌な思い出があるらしい。


 その後ろから、白いエプロンに黒のツーピースで膝下スカート、シニヨンをキャップのホワイトブリムで止めた、上品な雰囲気を漂わせる三十代前半くらいの女性がゆっくりを歩いてきて春華に声をかける。

「お帰りなさいませ、春華お嬢様」


 軽く視線を下げて挨拶してくる。

「お姉様が私より早い時間に帰宅しているのは久しぶりですね。

 今日はフルート教室です」

 春華は姉から家政婦メイドに視線を移して、手に持ったフルートのケースとかばんを手渡す。


 靴を脱ぎながら声をかけた。

「もう、由美子さんてば、他人行儀なんだもの。

 ここには三人しかいないのに」

 春華は、お嬢様と呼ばれると落ち着かない気持ちになる。


 由美子さんと呼ばれた家政婦は穏やかな笑みを浮かべたまま返事を返す。

「いえ、使用人として一線は引かせていただいてます。

 お食事はすぐされます?

 それとも後にされますか」

「先にシャワーをいただきます」

 フルートのケースと鞄を受け取り自分の部屋に向かう。


「春ちゃんは変な子よね。普通楽器を習うとしたらピアノでしょ」

 姉は首を振りながら前を向いたまま後ろに居る妹に楽しげな声で話しかけつつ、奥のリビングに向かった。

「もうお姉様。

 何度もいってるのに、春華はフルートの響きが好きなんです」


「由美子さん、私に紅茶のおかわりをお願いね」

たまわりました。夏織かおりお嬢様」

 家政婦はリビングのドアを開けて夏織を先に通し、自分は後ろを向いて丁寧にドアを閉めて続きのキッチンに向かう。

 春華は廊下の途中の自分の部屋に入り、鞄とフルートのケースを机の上に置いて制服から部屋着に着替え始めた。


 ここは、春華が同居している姉の高級マンションだ。家政婦も同居しているものの、三人には十分広い5LDKある。姉の夏織は、占いを生業なりわとしており、その美貌と的中率で一部では有名である。最近はマスコミにも取り上げられ忙しい日が続いていた。


 元は姉が一人で暮らしていたが——セキュリティを求めた結果丁度良い物件がなく、広すぎる部屋に暮らしていた——、親と折り合いの悪くなった春華が魔法学園高校に進学したのを機に家を出て姉と同居するようになったのだった。折り合いが悪いとはいえ両親は心配して、藤鞍家で十年以上奉公していた年齢の近い由美子を家政婦メイドとしてつけてきたのだった。

 というわけもあり小学生低学年の頃から身近にいる由美子のことを春華は家族のように信頼してた。


 キッチンテーブルで食後のお茶を飲んでる春華に向かって、リビングのソファーに腰掛けていた夏織が声をかけてきた。

「こうして春ちゃんとゆっくりと顔をあわせるのは久しぶりね」


 ふふっと微笑みながら続ける。

「いっしょに暮らしているとは言えないわ」

 春華は湯飲みをもってリビングスペースに移動する。

「お姉様は忙しいから。

 夜はいつも遅くに帰宅されてるけどちゃんとお休みになってます?」

 夏織は、にっこり笑って視線を食器を片付けて洗い物をしている由美子に向ける。

「大丈夫、由美子さんが不健康なことさせてくれないから」

 春華は納得顏でうなずく。

「それはそうでした。由美子さん、そういうところ厳しいものね」


「ところで学校はそろそろ春休みだわよね。

 なにか面白いことは?

 友達とどっか行ったりしないの」

 久しぶりに妹の顔をみて機嫌が良いのか次々に質問する。

「はい、授業は明日で終わりです。

 一年あっという間でした」

 ニコッと微笑む。

「二年の魔法実習から自分用トリガーを用意することになっているので、週末に友達とコレクシオに行ってみようかと思ってるの」

 質問に答えるため友人と出かけることを伝える。


「あら、あそこ?

 良いわね。しばらく行ってないなぁ。

 あそこなら良い品が手に入るしね」

 微笑みつつ返事をするが途中で思い出したことがあるのか夏織は目を伏せる。

「コレクシオかぁ、春ちゃんのトリガーを引き取ってもらって以来行ってないなぁ」


 言葉を切ってしばらく黙ってから、当時のことを思い出すように真顔になり言葉を続ける。気持ちがきびしくなっているのか無意識に春華を名前で呼ぶ。


「お父様、あの時大変だったわ。お父様がじゃなくて、春華あなたがだけど。

 私は本当、ほとんど魔法は使えなかったけど、春華はすごかったわ。小学六年生であそこまで出来る子はほとんどいなかったもの、姉の私も誇らしかった。

 お父様は、藤鞍家代々で最も強力な魔法使いになると、方々に自慢していたものね。

 それがあの事故でしょ、春華をいろんなとこに連れて行ったり、あまつさえ国外の魔法使いにまで見せに行ったり。

 見栄っ張りのお父様は面子にこだわって、暴力こそふるう人じゃなかったけど、春華に辛くあたってかわいそうだったわ」


 春華はかぶりを振って答える。

「仕方ないわ。本当にお父様は失望されて、たくさんお金も使われてたし。

 望みに添えなかったのは確かです」

 夏織は顔を上げ宙を睨むような表情をしてから春華に向き直る。そのとき由美子が目の前のテーブルに二人分の紅茶をそっと置いたので、由美子に感謝の笑みを返して言葉を続けた。


「なにを言うの。

 それはそれ、春華に辛く当たる理由にはならないわ。

 気が進まない春華に魔法学園高校への進学をほぼ強制していたお父様があまりに無体むたいなので、高校進学の時にいっしょに暮らさないかと声をかけたのよ」

「それは、お姉様、とても感謝しています」

 春華は真っ直ぐに夏織を見つめ真剣な顔で感謝を表わす。


「あの時は迷ってましたけど、結果的に魔法学園高校へ進学して良かったです。

 それはお父様に感謝しています。

 魔法が(ほとんど)使えないないわたしにも親しくしてくださる友人ができましたもの」

辛気しんき臭い話をするつもりじゃなかったのに、ごめんね。

 でも、それは本当に良かったわ」


 夏織はため息をひとつついて話題を変える。笑顔に戻るが目によこしまな色が浮かび、それに気がついた春華はいやーな予感がした。


「そ・れ・は・そ・う・と、春ちゃん浮いた話はないの?」

 にやにやとオヤジっぽい目つきをする。

「もう!

 そんなのありません。

 お姉様、淑女はそんなこと聞かないです」

 そう言い紅茶をひと口飲んで否定する。


「うふふ、淑女も頭の中身はいっしょよ。

 それはそうと、由美子さんに聞いた感じだと、魔法実習のグループの子はなかなか良さそうね。あの事故の原因の子もなんでかいっしょらしいけど、その子は問題外の外ね」

 春華はちらっと由美子に非難の視線を投げたあと、あわてて友人を弁護する。

「あの事故は矢野くんの責任じゃないわ。

 彼も巻き込まれたのよ。それに神河くんはそんなこと考える人じゃないわ。

 大体、私たちまだ高校一年よ、他にもっと考えなきゃならないことだらけよ!」

「あーら、弁護するのね」


 声を一旦切り、楽しそうな笑顔をしている。

「なーに言ってんよ。

 もう高校年生よ。私が高二のときは……、

 あっとこれは内緒」

 演技っぽく口をふさぐ仕草で話題を変える。


「ほんと春ちゃんはお子様だわね。おねえさまは心配だわー

 そうだ、久しぶりだし占ってあげるわ」


 それを聞いて春華はたじろぐが表情に出せない。笑顔が顔に張り付く。

 小さい頃から何度占いでいじられてきたか。なまじっか当たるだけに始末が悪い。

 心の中で大声で断る以上のことはできなかった。


「ちょっと待ってね」

 特上の笑顔を浮かべ立ち上がり、ウキウキと飛ぶように自室に占いの道具を取りに行く。

「あー、おねーさま」

 夏織の姿が見えなくなってから小さな声で春華は絶望の声を上げた。その時、離れてその様子を見ていた由美子が横を向いて、こらえきれず思わずプッと笑ってしまったのは内緒だ。


 占いの結果で夏織は春華を散々いじって楽しんでいた。英雄がどうとか王子様がどうとか、そんな春華が姉に占われたくないネタで散々からかわれたのだった。そういう意味では悪い結果ではなかったのだろう。多忙のため姉妹の時間が取れない夏織にとって、久しぶりの姉妹水入らずで過ごす時間は満足のいくものであったが、春華にとってそうであったかは微妙ではあった。


 ただ、夏織は占いの結果のひとつには触れなかった。それは嵐を予感させ周りに犠牲を強いる困難とみえた。ただ、様々な人々を占ってきた夏織にとって、困難は決して悪いこととは限らないこと、困難によっては予備知識がないほうが得るものが多いことがあるとわかっていた。


 夏織には予感があったのかあえて伝えなかったのだった。

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