二つの理由

「ねぇ、メル? 何故グリンは、あれほど怒っていたのかしら?」


 エルビンが怒涛の様に押しかけて来て、嵐のように去っていったその夜。

 閉店後の片づけをしながら、シャルがその疑問を私に持ちかけてきました。


「……グリンはね……エルビンの身を案じて、あんな言い方をしたのよ……」


 だけど私が今応えられる事はそれだけでした。

 それ以前に、今は後片付けで忙しいんだから、シャルも余計な事を考えてないで手を動かして欲しいものだわ。


「……うーん……良く分からないですわねー……」


 でも私の内容を省略した返答では、やっぱりシャルにも伝わらなかった様です。


「メル、シャル、お疲れ様―。一段落ついたら食事にしよう」


 エルビン達との騒動で見せた姿なんて感じさせない表情で、厨房から顔を出したグリンがそう声を掛けてきました。


「うんっ、分かったっ! シャル、早く終わらせるわよっ!」


 彼女の追及を躱す良いタイミングに、私は殊の外明るく大きな声でそう答えました。





 本日のディナーは、午後の営業でも振る舞われた「野兎のグリル」と「フルーツサラダ」です。

 丸焼きにした野兎のグリルを薄く小さく切り分けて食べ易くした物と、この時期周辺の農家で採れる果物の様な甘みのある野菜を、グリン特製ドレッシングで和えたサラダでした。

 新鮮な野菜は自然で優しい甘みを持っていて、少し塩味の強いドレッシングがとっても合っています! 

 グリルの方も焼き加減が絶妙で、小さく切り分けられているにも拘らず、お肉の旨味がハッキリと分かります! 

 それに、スパイシーな香辛料がより食欲をそそらせるのです! 

 私とシャルは、さっきまでの話も忘れてグリンの料理を堪能しました!


 でもシャルの疑問は、食事を終えても治まるとはいかなかった様です。

 全員の食事が終わった事を見計らって、彼女が口を開きました。


「……ねぇ、グリン? 何故先程はあの子達にあの様な突き話す云い方をしたの? 代金も支払うと言っているのだから、作ってあげれば良いのではないの?」


 シャルはグリンに質問の矛先を変えました。

 ただそれは、純粋に分からないと言う思いから来ているのでしょう。


 彼女は長い間、外の人間と接する事が無く、アイネさんと二人っきりで暮らして来ました。

 だから、他人が示す心の機微を読む事も不得手なのでしょう。

 それに何よりも、決定的に知らない事があります。

 それは、この50年で人間の新たな能力として発現した、「タレンド」と言う能力についてです。


「……ふー……良いわ、私があんたに説明してあげる」


 困り顔のグリンに視線で助けを求められて、私がシャルへの説明役を買って出ました。

 珍しく減らず口を溢す事も無く、シャルは私の方へと向き直りました。


「……まずは人間が持つようになった、『タレンド』について説明するわね」


「……それが、エルビンの申し出を断った事と関係があると……?」


 彼女が口にしていた疑問の答えと違う説明をされると言われれば、シャルがそう訝しむのは当然です。私は頷いて肯定しました。


「……50年前……『ラビリンス』の出現と共に発現したと言う『タレンド』と言う能力によって、私達人間の生活も一変したわ……。ラビリンスから出現する『モンスター』に、たった一人でも太刀打ち出来る様になったし、武器や防具、それに食事なんかも大きく様変わりしたわ……。ラビリンスからは、それまで見た事も無い鉱物や植物が手に入る様になったし、倒した怪物の牙や爪、毛皮や肉は新しい装備品や道具、食事の材料となったの……」


「それは見ていれば分かります。メルの信じられない程素早く動く技や、グリンが作った『ドライミート』に『迅速飴』、『エストーリャ』や『マシュガノフ』がそうですね?」


 シャルが自分の見解を口にしました。


「……でも、その『タレンド』をより効率よく発揮させるには、その使用者自身の能力を高める必要があるの。元の人間が強くなれば、発現させたタレンドもより強力になる道理ね」


 私は、シャルの言葉に取り合わず話を進めました。

 シャルは怪訝な表情を浮かべましたが、今は聞く事を優先したのかそれ以上の言葉は挟みません。


「強くなると言っても、ただ単に体を鍛える事が必要と言う訳でも無いわ。素早さを重視するなら俊敏性を高める訓練やトレーニング、装備を軽量化させると言うのも一つの方法よ。そして、目の前の怪物に併せて戦い方を考えると言う理解力も必要になるわ」


「……分かったわっ! つまりエルビン達には、元々の基礎訓練やトレーニングは勿論、自分達のトレンドに合わせた戦い方や、怪物の特性を見る眼が養われていないと言う事なのですねっ!?」


 シャルが跳ねる様にそう言い、私とグリンは殆ど同時に彼女へと頷いていました。


 あのラビリンスでエルビン達が相手にしていた「モールラビット」も、戦い方次第では例え経験が乏しい駆け出し冒険者であっても善戦する可能性はあります。

 ただそれはかなり稀な例であり、やはり戦闘経験は場数を踏まないと身に付かないものなのです。


「エルビンはその事を、それを無視して強さだけを求めていたわ。だからグリンはエルビンの申し出を断ったの。これが理由の一つ」


 私は立てた人差指を、シャルの方へと向けてそう言いました。


「……一つ……? まだ他にも理由があると言うのですか?」


 シャルの疑問に、今度はグリンが頷いて話を続けました。


「そしてこれは僕の大きなミスだったんだけど……。そんな彼に、僕は『ドライミート』を渡してしまった……。あれは一時的に食した者の能力……特に力や戦闘力を向上させる食事なんだ……。彼……エルビンはそれで強くなったと言っていたけれど、それは本当に強くなったと言う事じゃないんだ……」


「でもエルビンは、あのラビリンスでモールラットを倒せたと言っていましたわ? それは、強さではないのですか?」


 グリンの話に、シャルは更に質問を被せてきました。

 でも彼は首を横に振って、彼女の問いかけに否定で答えました。


「一時的に強くなっただけで、それは本当に“強さ”と言う物を手に入れた訳じゃないんだよ、シャル……。そして食事の効果は決して長くない。それこそ戦いが長引けば、その途中で効果は切れてしまう……。これがどういう事か分かるよね?」


 理解の優れているシャルは、ユックリと頷いて答えました。


 食事を摂った事で、漸く怪物を倒せるだけの力を手に入れたと言う事は、効果が切れた時、そのパーティは怪物に勝てないと言う事なのです。

 そしてそれは、ラビリンスのレベルが上がれば上がる程、危険な賭けに等しい行為となってしまうのです。


「グリンの作る食事は、その効力も効果時間も余所で出回っている物と比べて格段に高いわ……。それは間違いのない事なんだけど、今は偶然の産物と言う事で通しているの。もし間違いなく効果の優れた物を作る事が出来るなんて知られれば、軍は彼の身柄を拘束して食事作りを強要するかもしれないわ……」


 必ずそうなるとは言い切れませんが、やはり高い確率でそうなるでしょう。

 そしてそれは、シャルも理解する所だった様です。


「……でも何故グリンだけ、その様に優れた食事を作る事が出来るのでしょう? 彼は何か特別なのですか?」


 そこでシャルにしてみれば当然の疑問を口にしました。まだ彼女はグリンの秘密を知らないんだから仕方ない事です。

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