ホーラウンド酒店は本日も平常運転

「御馳走様ー! 今日も美味かったよ!」


「有難う御座いましたーっ!」


「メルちゃん、今日も元気だねー。その顔を見たら力が湧いて来るよ」


「うふふっ! 有難う御座いまーすっ!」


 お昼時、最後のお客さんが出て行ったのを確認して、このお店「ホーラウンド酒店」の看板を「営業中」から「準備中」へと掛けかえれば、午前中の仕事は一先ず終わりなのです。


「酒店」とあるので当然ここは酒場で、夜からの営業が主だと思う人も少なくないけど、ここでは昼間にも営業してランチサービスを提供しているのです。

 そして、それが殊の外大人気となっていて、このネルサの街の名物ともなっているのでした。


「メル、お客さんはもう捌けたー?」


 カウンターの奥、厨房の中から出て来たこの店のオーナーが、テーブルの上を片付けていた私に声を掛けて来ました。


「うんっ! さっきのお客さんで最後だよーっ!」


 食器を持ったままの私はクルッとその場で回転して、声のした方へと向き直ってそう答えました。

 でもその拍子に、妙に裾が短いデザインとなってるメイド服のスカートがフワッと翻ったのでした!


「わわっ! ……きゃあっ!」


 ―――ガッシャーンッ! ……ガラガラ……。


 慌てて両手でスカートの裾を抑えようとした私は、持っていた食器を全部床へと落としてしまったのでした……。


「……何やってんだよ……メル……」


 そんな私を見て、この店の主人であり私の幼馴染でもある「グリエルド=ホーラウンド」、通称グリンは呆れた声でそう言いました。

 幸い持っていた食器は全て木製の物で、床にもこの店にも被害を与える事はなかったんだけどね……。


「グ……グリンがいきなり声を掛けるからでしょっ! バカーッ!」


「えっ!? ぼ……僕のせいっ!?」


 私の剣幕に、グリンはたじろいで私にそう問い返しました。

 そんな事を聞くまでも無く、どう考えても今のは私のうっかりミスなんだけど、押しに弱いグリンはすぐに白旗を上げて守勢になるのです。


「え……と……い……今のは私のせいでもあるんだけど……」


 そんな性格から、いつも損な役回りばかりして来た彼を知っているだけに、それ以上追い込む事は私には出来ません。

 それに実際、さっきのは私がウッカリしていたのに間違いはないんだから……。

 この店のコスチュームが丈の短いメイド服なのは昨日今日知った訳じゃなかったんだしね……。


「じゃあ、もう良いや。それよりもそこが片付いたら僕達も昼食にしよう」


 理不尽に責められた事などすでに忘れて、グリンは私にそう声を掛けました。


「うんっ! すぐに片付けるからねっ!」


 私も気分を切り替えてグリンにそう答えて、散らかしてしまった床の食器をすぐに拾い集めようとしました。


 ―――その場にしゃがみこんで!


「ちょっ! メルッ! スカートッ!」


 でも無防備にしゃがみ込んだだけだと、丈の短いスカートの中がグリンからバッチリと見えてしまっていたのでした!

 グリンは赤くなった顔を手で隠して、指の隙間から私を見ながらそう注意しました。


「キャ……キャ―――ッ!」


「ちょ、ま、メルっ! 待ったー……へぶっ!」


 私は思わず持っていた木製のジョッキを投げつけてしまい、それは狙い違わずグリンの顔面に命中したのでした!





「グリンー……ほんっとーにゴメルンねー……?」


 目の前のテーブルには、昼食にしては豪華な食事が並べられています。

 その食事を挟んで向かいに座ったグリンに、私はさっきから平謝りをしていました。

 咄嗟とは言え、思わず投げつけたジョッキが彼の顔面に命中して、彼はさっきまで鼻血を出して目を回していたんですから……。


「もういいよ。僕も悪かったしね」


 そんな私に、グリンは優しく微笑んで許してくれました。

 元々気が弱い彼は、そのまま優しく争い事を好まない性格をしていて、少なくない私の我が儘や理不尽もこうして許してくれるんです。


「……うん……ありがと……」


 でも流石に今回は、彼の顔に出来た傷を見る度に罪悪感が湧いてきます。


「ほらほら、それよりも料理が冷めちゃうよ? 午後からも確り働いてもらうんだから、早く食べちゃおうよ」


 気を落とす私を元気づける様に、彼は殊の外明るく振る舞って料理に手を付けました。

 私もそれに釣られる様に、目の前にあるサラダを取り分けて口に運びました。


 ―――美味しいっ!


 いつもの事ながら、グリンの料理はとっても美味しいのです! 

 このサラダにしても旬の野菜をバランスよく盛り付け、そこに付け合わされているドレッシングが野菜本来の旨味を最大限に活かしていたのです!





 3つの街道の中継地として、ここ「ネルサの街」は昔から交易が盛んだったのですが、ここ最近は特に多くの人々が訪れて一気に賑やかとなりました。

 それは私達、「第三世代」と呼ばれる若い冒険者が増えた事にも一因があるのでしょう。


 50年前に特殊能力である「タレンド」を持つ者が出現して、各地に出現した怪物モンスターと戦ったり地下迷宮ラビリンスを攻略したりしていた時代は、正しく“生きる為の戦い”を送る日々だったと聞いています。

 でもその人達が結婚して子を作り、更にその子供達が活躍する世代となった今では、新たなラビリンスが出現する事も無く小康状態が続いているのでした。

 未だ攻略されない15番目のラビリンスは、その出現場所から周囲の街や村に被害を与える事も殆ど無く、今も王国近衛騎士軍によって監視されています。

 そんなある意味「平和」な時が流れれば、悲惨な時代を知らない若い世代は冒険者となって各地の攻略済みラビリンスを巡り、強くなることを求めたり一攫千金に思いを馳せて渡り歩くのです。

 そんな人達が必ず一度は訪れる街、それがこのネルサの街なのでした。


 そしてそんな多くの人と物が溢れる街で、この「ホーラウンド酒店」が特に人気のあるのには訳があったのでした。

 何を隠そう、この店の主人であるグリンもまたタレンドキャリアーだったのです。

 と言っても、タレンドキャリアーが店を持っているというのは、今ではそう珍しい事ではありません。

 この街にもタレンドキャリアーが経営する飲食店は他にも3つ存在してるしね。

 どこも味は申し分ないんだけど、その中でもこの「ホーラウンド酒店」は別格として一目置かれてるのでした。


 元々グリンは両親の遺したこの店を継ぐつもりで、料理について毎日勉強していました。

 彼の才能も相まってか、料理の腕はみるみる上達していったんだけど、その腕前はタレンドの発動によって飛躍的に向上したのです。


『深い地下迷宮の中でも、美味しい物を食べてその人が笑顔になれば良いよね!』


 以前彼は、顕現した事を示す右腕に刻まれたトレンド名を見て、嬉しそうにそう言ってたっけ……。


 ―――だけど……そんな心優しい彼を、神様は戦いの世界へと誘ったのです。


「……っ!? メル……浮かんだ……新しいレシピが……浮かんだ……」


 スライスされた肉料理を頬張っていた私に、突然何かを思いついたグリンは中空を視点の合っていない瞳で見つめながらそう呟きました!


「……っ! 本当っ!?」


 彼のは、ある日突然齎されます! 

 私は即座にメモを用意して書き留める準備をしました。

 その拍子にテーブルの上に置いてあったパンを乗せた皿が床に落ちたけど、今はその事を気に掛けている場合じゃないんです!


 ―――彼には、彼と私しか知らない秘密があるのです……。


「……ああ……これは……。グラハムの葉に、エンジュタケ……ニランジュの実に……これは? なんだろう? 針ヤマネコの……銀髭……? メル、こんなの聞いた事あるかい?」


 私はグリンの呟いた食材を、洩らす事無く紙へと書き記しました。

 でも他の食材は兎も角、最後の材料だけは私も聞いた事がありませんでした。


「……ううん、初めて聞く材料ね……。でも『針ヤマネコ』って言えば、やっぱりあの針ヤマネコよね?」


 針ヤマネコと言えば、この世界で2番目に出現した……つまり“レベル2”のラビリンスに出現する、体毛がまるで針のように鋭いオオヤマネコの様な怪物だったはず。

 肉食獣らしい俊敏な動きと爪や牙による攻撃は強力だけど、その存在が確認されて多くの冒険者が討伐済みの怪物であり、それ程脅威とはならなかった筈です。


「出来上がるのは……飲み物……かな? 効果は……やっぱり分からないや」


 私の問いかけにグリンは答えず、引き続き彼にしか見えない「レシピ」に見入っています。

 私は最後まで彼の呟きを書き加えました。


 ―――彼は……グリンは、ある日突然、『特殊なレシピ』を思いつきます。


 その時彼の思いつく料理は、それまでに存在していなかった全く新しい物ばかりであり、その多くはラビリンスでしか手に入らない材料を使う物ばかりだったのです。


 そしてそれらの材料を用いて作られた食事には……とても特殊な効果が付与されているのでした。


 例えば攻撃力を向上させ、例えば強靭な肉体を与え、例えば俊敏な動きを可能にする……。

 それらの食事はラビリンスを冒険するタレンドキャリアーにとって、どれも有難い効力を齎すのでした。

 王国はそれを大いに喜び彼に特別待遇を与え、軍に所属する事を強要する事無く自由を保障したのでした。

 一度作る事が可能となった彼の食事は、その後誰が作っても同様の効果を発揮する事が出来ます。

 彼を拘束してその“発想”に枷を嵌めるよりも、普段通りの生活をさせてより多くのレシピを思いつかせる事にしたのです。

 そしてそんな彼の監視役となったのは私、メリファ―=チェキスでした。


 本来ならば冒険者となって世界各地を周るか、軍属として王都へと赴かなければならなかったんだけど、その役目を引き受ける代わりに彼の傍に居る事を許可されたのでした。

 彼の幼馴染でもあった私は、その任を喜んで引き受けました。

 そうする事で彼といつも一緒に居られるんだから……。

 彼の“閃き”は特異な技能と王国は認めてるし、私もそう報告していました。

 でも……本当は……。





「……ゴメン、メル……。また食材を取りに行かないといけないんだけど……」


 グリンに怪物と渡り合うだけの攻撃力はありません。

 一応武道の心得はあるんだけど、到底ラビリンスに出現するモンスター達と戦える程ではないのです。

 そしてそう言った時に先陣を切るのは、いつも私の役目だったのでした。


「分かってるって! 早速出かけるんでしょ?」


 でも私はそれでも嬉しかったのでした。

 どんな形でもグリンの役に立てるんだから、嬉しくない訳が無かったのです!


「うん。じゃあ食事を終えたら出かけようっ!」


 私が殊の外明るく答えたからなのか、グリンも明るい笑顔に戻ってそう答えました。

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