その3(6)

 外は日が落ち、薄暗くなっていた。

 カミルは、さすがに服は来たものの、何もする気が起きずに、ただベッドに座っていた。怖くて部屋から出ることができない。

 カミルは立ち上がると、洞窟の祭壇に瞬間移動した。祭壇の上のろうそくに火を灯し、敷物の上に跪く。そして、祭壇に向かって両手を組んで目を閉じた。

《神様、俺、これからどうすればいいんでしょうか?》

 レイナスとは、これまで通りの関係ではいられないだろう。レイナスが自分を好きだというのは、明らかに恋愛対象としてだ。カミルはこれまで、レイナスが自分をそんな風に思っているなど、考えもしなかった。突然の事に混乱し、レイナスを置いてきてしまったが、あの後どうしただろうか? 気にはなるものの、レイナスに会うのは正直怖い。カミルの口からため息がもれた。

 カミルはしばらくの間、祭壇の前で跪いたまま、瞑想を続けていた。

 すると、突然、洞窟の空気が変わったのを感じて顔を上げた。空間が歪むような、表現しがたい不思議な感覚だ。しかし、カミルはこの感覚を以前にも経験している。

 カミルは、恐る恐る振り返った。

 洞窟の入り口、正確には、入り口だった場所の前に、レイナスが立っていた。

 カミルの心臓が早鐘のように脈打つ。

 レイナスはゆっくりとカミルの方に近づいてきた。

「今日はごめん。びっくりしたでしょ?」

 レイナスがカミルに言った。

「ああ、うん……」

 カミルはうなずいた。

 いつものレイナスだ、と思いたかったが、どうして自分をここに閉じ込めているのか、それがカミルの心を不安にした。自然と、体がレイナスから逃げてしまう。

「僕は、ずっと悩んでいたんだ。どうして僕は、カミルにこんな感情を抱いてしまってるんだろうって。覚えてる? 二年ぐらい前かな、流れ星がたくさん見えた夜があったの」

「覚えてるよ」

 カミルは、なるべく平静を装って答えた。先ほどから、瞬間移動を試みているのだが、全く効かなくなっている。カミルの鼓動は増々早くなっていった。

 二年前。流星がたくさん見えた夜があった。カミルとレイナスは、寝室の窓際に座って流星を見ていた。

「しばらくしたら、カミル眠っちゃって。僕にもたれかかってきたんだ」

いつの間にか眠ってしまったことは覚えている。気が付いたら翌日の朝で、ベッドで目を覚ました。

「あの時のカミルは本当に無防備で……。その時初めて、僕の心に邪な感情が芽生えた」

「え?」

「僕は、ほとんど無意識に、カミルにキスしてた」

「…………!」

 カミルは言葉を失った。そんなことがあったなど、全く思いもよらなかった。

「どうして自分がそんなことをしたのか、初めは分からなかった。だけど、段々理解したんだ。僕はカミルのことが好きなんだって。その日から、僕は寝ているカミルに何度もキスをした」

 昨日が初めてではなかったということも、レイナスが日常的に自分にキスをしていたということもショックだった。

「僕は、悩んでいた。カミルに抱いている感情は、聖職者にはあるまじきものだと思っていたから。でも……」

 レイナスは、カミルの目の前にしゃがみこんだ。

「僕はもう、聖職者でも何でもないから、いいよね?」

 レイナスはそう言って、カミルの両肩を掴むと、カミルを敷物の上に押し倒した。カミルは茫然とレイナスを見上げた。レイナスが自分を見下ろす目の鋭さに、カミルは思わず体を強張らせた。

 レイナスは、カミルに顔を近づけると、キスをした。始めは、昼間と同じように吸い付くように、そして、徐々に唇同士が濡れてくると、レイナスの舌がカミルの口の中に入ってきた。その舌が、カミルの舌に絡んでくる。初めての感触にカミルはとまどったが、不思議と嫌な感じではなかった。むしろ、唇と舌が痺れて、どんどん心地よくなっていくような、不思議な感覚に見舞われた。

 キスをし続ける二人の息が、徐々にあがっていく。カミルがすっかり脱力していると、レイナスの手が、カミルの祭服のボタンをはずしはじめた。それで、カミルはやっと我に返った。

「ん! んんっ!」

 口を塞がれているから、言葉が出ない。カミルは両手でレイナスの体を押し返そうとした。しかし、レイナスは、さらにキスを深めながらカミルの体を両腕で抱きしめ、離れまいとしてくる。カミルは、何とかレイナスの下から抜け出そうともがき始めた。まずは、キスを止めさせようと首を振った。すると、やっとレイナスの唇がカミルの唇から離れた。

「レイ! やめろよ!」

 カミルが叫ぶと、レイナスが顔を上げた。カミルを見下ろす目は、獲物を狙う獣のような目だった。カミルは、その目に一瞬ひるみそうになったが、

「レイ、やめてくれ」

と、もう一度言った。なぜかよく分からないが、自然と涙が零れ落ちた。すると、レイナスの目から熱がすっと引いたような気がした。

「そんなに嫌?」

 レイナスが悲しそうな、せつなそうな表情を浮かべたから、カミルは胸が痛んだ。決して、レイナスを拒絶したいわけではない。

「違うんだ……。だって、俺、よく分からないから……」

 カミルが言うと、レイナスがゆっくりとカミルから体を起こした。

「そうだよね。ごめん」

 レイナスはカミルの前に座り、視線を落とした。カミルも体を起こすと、レイナスの手を握った。

「俺もレイのことは好きだけど、それはレイが俺を思ってくれているのとは多分違くて……。だから気持ちが追い付かないんだ」

 カミルが正直に自分の気持ちを吐露すると、レイナスはうなずいた。

「分かってる……」

 次の瞬間、洞窟を覆っていた結界が消え、出入口の穴が現れた。

「レイ……」

「…………」

 レイナスは力なく立ち上がると、そのまま洞窟を出て行ってしまった。カミルは、胸が締め付けられるような思いで、その後姿を見送った。

 カミルは、レイナスから少し遅れて家に戻った。瞬間移動すればいいものを、ぼんやりと歩きながら、普通にドアから居間に入った。

 居間にはサラディンがいた。カミルは昼間のことを思い出して思わず赤面した。

「カミル、大丈夫か?」

 サラディンが訊いてきた。

「昼間は、変なとこ見せてごめん」

「別に、何とも思っていない」

 サラディンは淡々とした表情で答えた。おそらく、大したことじゃないという態度を取ることで、カミルの心を軽くしようとしてくれている。そういうところもサラディンの優しさだとカミルは思った。

「あ、そういえば俺、洗濯物置いてきちゃった……」

 カミルが大変な事を思い出して言うと、サラディンが、

「大丈夫だ。もう取って来てある」

と言った。

 洗濯物を取ってきたということは、サラディンはあの後、川に行ったということだ。サラディンはレイナスと話したのだと思った。一体、どこからどこまで聞いているのだろう? そもそも、サラディンは以前から、レイナスの自分への気持ちを知っていたのではないかと思った。

「サラディン、レイと話した?」

 カミルが尋ねると、案の定、サラディンはうなずいた。

「レイ、何て言ってた?」

「おまえに気持ちを打ち明けたと」

 やっぱり、とカミルは思った。

「……もしかして、サラディンは、前からレイの気持ちを知ってた?」

「知っていた」

「そうだったんだ」

 カミルはため息をついた。それなら話は早い。

「俺、どうしていいか分からなくて」

 カミルが言うと「座れ」と、サラディンがカミルに座るよう促した。カミルはサラディンの正面の椅子に座った。

「どうしていいか分からないということは、嫌ではないということだな?」

「俺はずっとレイのことは好きだから。でも、その好きはレイのとは違うんだよ」

「今までそういう目でレイナス様を見た事がなかったのだから、それは当然だろう」

「うん……。だって、俺たち男同士だし、ずっと兄弟みたいに育ってきたんだし」

「では、これからは、レイナス様を恋愛対象という視点で見直してみてはどうだ?」

「え?」

「意識して見てみればいい。それで、恋愛感情が持てなければそれまでだし、持てるようなら、レイナス様に応えればいい」

「サラディン、すごいこと言うな」

 まさかサラディンが、恋愛の話をこんなに真正直にするとは思ってもみなかった。

「でもさ、恋愛感情って、どんな感情なんだろう? どう思ったら恋愛対象として好きってこと?」

カミルが首を傾げると、サラディンが答えた。

「その相手と一緒にいるだけでは足りなくて、身も心もその相手を自分だけのものにしたいと思う。そんな感情ではないか」

 サラディンが恥ずかしい台詞をさらりと言うので、カミルは頬を赤らめた。

「なんか、恥ずかしい事言うなあ」

「おまえが訊いてきたから答えただけだ。大体、カミルは今までそういう気持ちになったことはないのか?」

「ないな……。そういうサラディンは? なんか、すごく詳しそうだから、あるのか?」

 カミルは思わず身を乗り出した。

「あるといえばある」

 サラディンは、何とも言えない曖昧な返事をした。

「なんだよ、その言い方」

「別に、私の事は関係ないだろう。今はおまえの話をしている」

「それは、そうだけど……」

「それで、おまえはレイナス様にどこまでされた?」

「え? どこ、どこまでって?」

 カミルは動揺した。訊き返しはしたものの、サラディンが何を訊いているのかは、ちゃんと分かっている。

「キスか? それとも、それ以上か?」

 サラディンにはっきり訊かれて、カミルは顔から火が出そうだった。

「キスは、されたよ。でも、それだけだよ」

「されて、嫌だったか?」

「正直、びっくりはしたけど、嫌、ではなかったかな」

「それが嫌ではないどころか、自分からしたくなったら、分かりやすく恋愛感情だろう」

「そっか……」

 カミルは胸が高鳴った。自分からしたいとまで大それたことは思えないが、もう一度してもいいかもとは、既に思い始めていたからだ。

《こういう場合は、どっちなんだろう?》

 カミルは、頭が整理できずにいた。

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