ホワッツ禅

@komurahifumi

第1話




 あれから半年。

親父さん、2002年になったのに、人類はまだ地球上で暮らしているよ。ミネソタではガーネットが吼えているし、アイバーソンは、相変わらずフィラデルフィアのコートをかけ上がっている。彼らは、NBA界の禅マスターことフィル・ジャクソン率いる、LAレイカーズとの決戦を目指していたんだ。

 僕もホームスクールで、車いすの禅マスターと背の高い少年に、1対1をしてもらっている。僕はファイナルに出たいわけでも、チャンピオンになりたいわけでもない。ただ、知りたいことができたんだ。親父さんがいない僕って、いったい何者なんだろうかって。そして、「禅っていったい何」っていうことも…





 1


 僕がホームスクールで学んでいるからといって、教育熱心なアメリカ人家庭に引き取られ、ホームティーティングを受けてるわけじゃないよ。奥多摩の叔母さんと会ったことは覚えているよね。緊急入院して危ないという伯父さんの連絡で、大晦日に駆けつけてくれた叔母さんにも、僕のことを頼んでいたものね。

 結局、親父さんが一週間で死んでしまった後、僕は伯父さんちにも長居せず、国立大の受験もせず、推薦で行けた私立にも行かず、東京の西の果てのような山里の老人ホームに勤めている叔母さんのところで、居候させてもらってるんだ。

 物心ついた時からずっと二人だったのに、突然親父さんがいなくなったら、その途端、とにかく大学に行かなきゃという、曖昧でも全く正しいような気持ちが一気にぼやけて、前に進む足がどうしても出なかった。

 なかなか動こうとしない僕に叔母さんが、しばらくうちのホームで何かやっていたらと言ってくれたんだ。1年ぐらいなら浪人したことにしようと、伯父さんもオーケーしてくれた。それで僕はこの山里にある、ちょっと変わった老人ホームに来たんだ。

 ここは、都心からは1日掛かり。バス停からすぐのところに正面玄関のある普通の老人ホームと病院。それから僕が裏ホームと名付けた、中庭からなだらかに山に入る道に点在する、別荘村のような施設がある。

 叔母さんは、施設を経営するキリスト教系財団のマネージャーというか、ホテルの支配人のような仕事をしていて、裏ホームの入り口から少し引っ込んだところにある、古い一軒家に住んでいた。驚いたのは、使わせてもらった部屋の壁一面に、おふくろさんの本が並んでいたことだよ。

 亡くなったおふくろさんは、僕を産んだ時、大学院に入っていたんだよね。一年後輩の親父さんはアルバイトしながら、二人で僕の面倒を見るつもりだったのにおふくろさんが死んで、実家の近くに移りトラックドライバーを始めた。その時、宗教学の研究を始めていたおふくろさんの本やノートを、妹の叔母さんが全部引き取っていたなんて全く知らなかった。

 親父さんがおふくろさんに出会ったのも宗教学の授業だったと言ってたけど、僕はこの部屋で、初めておふくろさんという人に出会った気がして、片っ端から本を取り出しては読んでみた。書名も中身も取っつきにくいものが多くて、書いてあることの幾らも解るわけじゃなかったけど、読んでいると不思議に落ち着く気がしたし、時々は、おふくろさんと一緒に読んでいるような気持にもなった。

 叔母さんちにはもちろん福祉関係の本や資料もかなりあったので、おふくろさんの本を読むのに疲れると、そっちの本も読んでみた。文体も構成も全く違って気分転換になり、意外に面白く読めた。  

 本を読む合間には、その辺りの山道や畑を行き当たりばったり散歩することにした。そんな時、誰かを見舞いに来たようなシスターとか、付き添いの人と散歩している表ホームの老人達と出会うことがよくあった。最初はドキッとしたりギョッとしたりしたけど、だんだん彼らとも挨拶ができるようになった。

 おふくろさんの本を読むうち、信仰を持つ人達もそんなに特別な人達ではないような気がしてきたし、叔母さんの本を読んでいるうちに、年をとるということも、そんなに怖いことでもないような気がしてきたんだと思う。


    2


 2月の初めまで、僕はそうやって本を読んでは散歩する毎日を過ごしていた。

 オープラスと博士に出会ったのは、東京といっても山の中のようなこの辺では、散歩するにも冷気が堪えるようになった頃だった。

 叔母さんの話では、しばらく誰も入居者がいなかった裏ホームに、アメリカから帰国してくる車いすの老人と、付添いとして17歳の日系人の少年が入ってくる。そこで僕に、裏ホームのための雑用をやってみないかということだった。足に障害のあるその老人は、アメリカの大学で宗教関係の講義をしていたが、9・11の後に色々あって帰国することになったのだそうだ。僕はやらしてもらうことにした。そろそろ体がなまってきそうだったし、車いすの老人と日系人の少年にも興味がわいた。そうして、裏ホームの一番手前の一軒が、僕の職場、ゲートハウスになった。

 博士に最初に会ったのは、表の事務所から事務用品をもらってゲートハウスに帰ってきた時だった。南向きのリビングの隅に置いた机に荷物を載せてから、僕は何か変化しているような気がして部屋を見回した。中央のソファーに、じっと動かない老人がいるのに気が付いた。

 小柄だがちょっと太めの老人は、座禅のような姿勢をゆっくり緩めてこちらを向いた。あわてて傍に近づき挨拶すると、博士は間近になった僕の顔を見ながらおっしゃった。

「そうか、君が彰君か」

 博士の目に、涙が浮かんでくるのが見えた。すると僕も、何故か突然悲しくなって涙があふれてきた。博士は叔母から僕のことを聞いていたんだろうか、僕は何故泣いているんだろう…

 そんなことが頭の中をぐるぐる回ってから、ようやくもう一度頭を下げて机に戻った時、背の高い少年が片手に新聞を持って入ってきた。

 少年は博士に新聞を渡しながら英語で何か言った後、僕の方に近づいて手を差し出した。

「ジョセフ・大木・宮下です。ジョーでもオープラスでも。」

 そういいながら少年は、机の横に僕が転がしておいたバスケットのボールを指さして、

 「やる?」と言ってにっこりした。

 ボールを持った彼の後を追って庭に出た。庭先の木をゴールポストに見立て、30分ほど1対1をした。身長の差だけでなく、五年も部活でやっていた僕より、彼の方が間違いなく上手かった。

 M・Jにミドルネームの大木をプラスで、「オープラス」とみんなに呼ばれていたと聞いて、納得だった。それでも、フリーのシュートだけは僕の方がうまかったので、オープラスは僕の名前を音読みして、「ショー」と呼ぶようになった。NBAのベテランシューターと同じ名前は余りうれしくなかったし、彼は博士の前でも、一歳年上の僕を「彰君」と君付けだ。

 ただし、先生は横の髪がもじゃもじゃしているし、お名前もお茶の水の隣の神田だから「ハカセ」だよねと彼が言うのは、僕も気に入っている。オープラスの家には、お父さんが買った『鉄腕アトム』が全巻揃ってるんだそうだ。


 3


 庭の広いゲートハウスは日当たりがよく、博士は車椅子での散歩を兼ね、毎日お茶の時間をここで過ごすことになった。博士が新聞を読んでいる間、手が空いてれば、僕らは寒くても庭に出た。

 オープラスが博士とどうして出会ったのかは、すぐに聞けた。

「僕の両親が教えている大学に博士が来ていたんだ。物理学を教えている父は普段から仏教に関心を持っていたし、社会学者の母は、車椅子生活の博士が、奥さんが亡くなってすぐ単身でアメリカに渡ってきたことに興味を持ったらしい。食事に招いたんだ。」

「そうだったんだ。お子さんはいなかったのかな。」

 「息子さんがいたけど、大学に入る前に亡くなられたみたい。それで奥さんも亡くなった時、オファーの来ていたアメリカ行きの話を決めて、自宅も処分されたんだって。」

「そうか…じゃ9・11で講座が亡くなったのはショックだね。」

「僕もショックだったんだよ。僕も友達をなくしたんだ。正確に言えば、友達のお父さんが貿易センタービルにいて亡くなったんだけど、彼はアラブ系だったので、そのままレバノンに帰ってしまったんだ。」

「その彼はどうなったの?」

「わからないよ、どうしてるのか。色々悪いことを想像してつらくなっていた。そんな時、博士が家にやってきたんだ。食事の後で、母と博士は、日本の仏教と戦争との関わりについての話をしていた。」

「緊張するね…」

「少しドキドキしながら、思い切って博士に聞いたんだ。」

 僕もドキドキして、続きを待った。

「先生、なぜ人を殺してはいけないんでしょうか?そう、聞いたんだ。正しいことのためなら、神のためなら、人を殺すことも許されるんでしょうか?いけないというなら、どうしていけないと言えるのか。それが分からないと、これから何をどう考えたらいいのかも分からない。そんな気持ちだったから。父も母も一瞬固まったような感じだったけど、博士は静かに僕を見て、それからこう答えてくれたんだ。」

 オープラスも僕を静かに見て、続けた。

「それは、問うからだ。人を殺してもいいのか?いけないのか?人は問うからだ。だからいけないのだよって。そしたら、そうか!僕がどうしても問わずにいられなかった、そのことが答そのものかもしれないんだと、思えた。動物じゃないから、人は問わずにいられない。確かに動物は問わない。問わないから良くも悪くもない。でも、人間は違うんだ!」

 僕は、オープラスはなんて頭がいいんだろうと思った。

「それから博士のところに通って、仏教やイスラム教のことも教えていただくようになった。知りたいことがどんどん増えてきた。そうしているうちに、9・11で中断していた博士の講座がとうとう中止になり、博士はここの財団の援助で、日本で研究生活されることになったから、僕はしばらく休学して、博士の帰国についてきたんだ。」

「そうだったのか。それで君は、今は何が知りたいの?」

「もう色々!肝心なことは一つのような気がするのに、なんで仏教やキリスト教やイスラム教や、いろんな宗教があるんだろう?ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、なぜ分かれているんだろう?わからないことばかりだよ。」

 聞いてるうちに、おふくろさんの本の中の雲水の姿や、散歩で出会ったシスター達の姿が浮かんだ。

「違いがあることも、ないことも、理由が知りたいよね。」

「そうだよ!」

 オープラスはそう言ってちょっと悲しそうな顔をした。

「知りたいことばかりなのに、体は一つしかないし、時間はどんどん過ぎてゆくし…」

 一歳とはいえ年上の僕は、どう答えていいか分からなかった。僕は、ほんとに知りたいことがあるんだろうか?


 4


 やっと少し暖かくなってきた頃、いつものように郵便物を表事務所に取りに行き、その足で博士のところに届けに行くと、玄関に人がいた。黒い衣を着た若いお坊さんが、胸の辺りで手を組んでじっと立っていた。

 すぐにオープラスが出てきた。何か博士の伝言を伝えているようだった。若いお坊さんは深々と礼をすると、静かに出ていった。落着いた、でも力の籠った表情が一瞬だけ見えた。

「かっこいい!」

「かっこいい!」

 思わず二人で同じことを言ってしまった。

 オープラスの話では、9・11を受け、仏教各宗派が集まって一冊の本を出すことになり、その英訳版の、禅宗部分の翻訳を引き受けていただけるか、お願いに伺いたいというお使いだったらしい。

「博士は引き受けるの?」

「話を聞いてからだって。まだ決まったわけじゃないみたい。」

 それから一週間ほどたった。

 博士のところに約束の人が来る日。玄関先を注意していると、予定の時間を少し過ぎた頃、かなりのスピードで二人のお坊さんが通り過ぎた。急いで外に出てみた。後ろに黒い衣の僧、前に薄色の衣の僧。二人とも、恐ろしく早足だった。

 翌日オープラスに聞くと、博士のお返事は、教団で作る新しい原稿の英訳なら、教団の若い方の方が相応しいだろう。過去の禅の書物から編集されることになるなら、比喩も採り入れた英訳を考えてみたいということだったそうだ。

「お願いに来た人は、どう言ってたの?」

「教団で検討してみると言って帰ったけど、ちょっと困ってたような感じだったよ。」

「ふ~ん、どうなるのかな。」

「うまくいかないかもね。僕も、今の偉いお坊さんの話を読ませられてもどうかなと思うよ。世界中の迷っている人達、若者達に届きそうにないんじゃない?」

「そうかもしれないね。」

 そうは言ったけど、あのお使いの若い雲水さんも、見た目のイメージと違うすごい早足の二人のお坊さんも、やっぱりかっこよかったと僕が言うと、

「昨日、バス会社が午前中ストしてて遅れてたんだって。ストライキなどというものは感心しませんな、なんて話されてて、博士も苦笑されてた。ストライキにはお坊さんも勝てないよね。ちょっと迎えに外に出てたけど、確かにあの姿であのスピードはびっくり。鍛えてるなって感じするよね。」

 その夜、ボーとしたまま、修行で鍛えられるって、やっぱりすごいことかもしれないなと考えていた時、親父さんがしてくれた話をふっと思い出した。珍しくしてくれた、おふくろさんと出会った時の話だ。

 親父さんが、宗教学の講義は面白いけど、俺はアーメンも南無阿弥陀仏も言えそうにないなといったら、おふくろさんが、私もそうだけど、座禅ならできるかなって言ってたと。

 何故思い出さなかったんだろう、今まで。何故気が付かなかったんだろう。座禅ならできるかもしれない!

 それでも、すぐに博士や叔母に相談する勇気は出なかった。オープラスに話すのも気恥ずかしかった。そのうち、大学に行くのを避けてるだけではないかという疑問さえ湧いてきた時、

「僕、決めたよ!」

 とオープラスが突然報告してきたのだ。

「やっぱり、イスラムを研究するよ。ムハンマドが創ったものは何なのか、調べてみるよ。宗教学じゃ納まらないかもしれないし、とにかくアラビア語をやらなきゃいけないから、秋から復学するんだ。」

 驚いて訊き返した。

「博士にはもう報告したの?」

「うん、賛成してくださったよ。叔母さんにも、僕の後の人のことを相談しなくちゃね。」

 そう言いながらオープラスは、君は?という感じで僕の方を見た。

 彼の後を僕が代わる?という意味かな、それとも、僕の方はこれからどうするの?ということだろうか…

「僕もそろそろ、次のことを決めなきゃね。そういえば、博士の英訳の話はどうなったの?」

 急いで話題を変えてみた。

「やっぱり教団の方の原稿でやることになったからと、連絡があった。でも博士は、禅の書物から抜粋したものを、ご自分で出すことにしたいとおっしゃってたよ。ジョー君や彰君たちのためにもって。」

「ちょっと残念のような気もするけど、博士の本の方も楽しみだね。」

 どっちつかずの答えを、僕はしてしまった。


 5


 オープラスの話を聞いた翌日、往復1時間はかかる郵便局まで彼が出かけた時、僕はようやく決心して博士のところを訪ねた。

 父が亡くなった時、そのまま大学を受験する気にどうしてもならず、ここに来て、先生とジョー君に出会ったこと。早くに亡くなった母が宗教学研究を志していて、禅に関心をもっていたこと。僕のようなものでも入門し、鍛えてもらうことができるでしょうか?そう、やっと話すことができた。

 博士は黙って聞いてくださった後、書斎用のキャスター付き椅子をすべらせると、スチールのファイリングケースから紙袋を取り出し、中から二枚の絵ハガキのようなものを出して見せてくれた。

「ご覧、これは仙厓禅師の絵だ。こっちの蛙の絵には、“座禅して人が仏になるならば“と書いてあるだろう。こっちの蕪の絵には、“かぶら菜と座禅坊主は座るを良しとす”と書いてある。しばらくこれを見て考えてごらん。」

 そう言って博士は、二枚の絵ハガキを渡してくれた。拍子抜けした感じで、ゲートハウスに戻った。

 座禅しても仏になれない?仏様になるわけはないよね。仏様になれなくてもいいけど、座禅しても悟れないってこと?それでこっちは、でも座禅はした方がいい。いや、よしとすというのは、するものだ、するべきってことかな?

 とにかくその夜、おふくろさんの本棚から仙厓禅師の本を懸命に捜し出した。

 面白い絵もいっぱいあったが、難しいものも多かった。二枚の絵の答は、わかりそうになかった。駄目だ。きっと、もっと広く深く、仏教の、宗教の、根本的なものから考えないと解らない。そう考えて諦め、おふくろさんの宗教学のノートから読み返すことにした。

 じっくり読んでいったノートの最後に、おふくろさんが指導を受けた先生の、論文リストが書かれてあった。その中に、「二重性」という文字を見つけた。

 二重性?

 二重性って、二面性とは違うのだろうか?そうか、二面性というと、何かがまずあって、その両面という感じだ。二重性とは違う。

 二重って、重なってること?重なってるって、単なる重なりか、分けられないってことか?重箱は単なる重なりで分けられるけど、完全な重なりといえるのなら二でなく一だ。まて、二重線を引くと言うと、平行している二つの線を考えるのが自然だけど、平行線も、

 座標軸を変えて見れば、重なって見える。平行して、かつ重なっている?

 一週間考えたが、それ以上分からなかった。

 博士に答えられたのは、二つの絵ハガキとも間違ってないという気がします。平行か重なりか、分かりません。でも、なぜそうなるのか、分かりたいと思います。ということだけだった。

 博士は、そうか、それでいいというようなお顔で聞いてくださった後で、

「一つだけ、付け加えておこう。禅と禅宗はイコールというわけではない。体ごと考える神学のようなものを禅とすれば、禅宗は宗教だ。一つの宗派だ。本来は、入門者を一人前の禅僧に育てようとする仏教の宗派だ。だから入門するということは、一つの選択だ。選択は、大学を出てからでも遅くはないだろう?」

 そう言って微笑まれた。

「はい、わかりました!」

 お礼を言って博士の書斎を出た時、僕はすっかり嬉しくなっていた。あんなに逡巡した大学に行くということさえ、楽しみのような気がしてきた。

 僕が緊張した顔で博士の書斎に入ったので、心配して待っていたオープラスにも素直に報告した。

「そうだったのか!心配したよ。でもよかった。じゃ、受験まで僕の後を頼めるね。」

 オープラスは、僕が後を引き継ぐのを当然のように言った。

「できるかなぁ、僕で。」

 勝手に決めるなんてとも思わず、そう言ってしまった。

「できるさ!ケアのことは叔母さんに訊けばいいし、博士の仕事は博士に訊いてやればいいじゃない。英語のことなら、アメリカの大学にいいサイトがあるよ。」

 オープラスのように何でも簡単にできないだろうなと思いつつ、何とかなるかなと言う気もした。どちらも僕には勉強になるのだしと、久しぶりのわくわくするような気分が、不安を小さくしていった。


  6


 気が付けば、東京の山里にも初夏の日差しが降り注いでいた。オープラスは帰国の準備を始め、僕は表ホームでの研修を済ませてから引継ぎ作業にとりかかった。

 僕がジョー君の仕事をしばらく引き継ぎたいと相談した時、叔母さんからは、大学受験はいいとして、博士のケアを引き継ぐことについては条件があると釘を刺されていた。

 条件は二つ。ケアの基本と車椅子の介助について、表ホームのスタッフからきちんと研修をうけること。気持ちと体は同じというわけではない。体の方が正直。少しでも介助に不安を感じることがあったら、すぐ相談すること。この二つを守れるようであればOKとのことだった。

 博士は、僕が申し出た時、

「叔母さんのおっしゃる通りだ。現実がいつも答えだ。叔母さんのOKが出ている間は、お願いするかな。しかし、何が起きるか分からないのも現実だ。忘れないうちに言っておこう。もし彰君が、大学を出てからやはり入門することになったら、その時は、お母さんだけでなく、お父さんにも感謝しなくてはいけないよ。」

 とおっしゃった。その夜、僕は再び泣いた。

 次から次へ、親父さんのことが思い出されて止まらなかった。親父さんが酔っぱらって頭に大怪我をした時、もう大丈夫だからと伯父さんに病院から家に帰され、小学生のように心細かった夜のこと。元気になったと思ったらトラックの事故で足を折り、退院して家で筋トレをする横で、録り貯めたNBAと『ER』のビデオを毎日一緒に観たこと。そういえば去年のNBAファイナルも、ちょうど勤務明けだった親父さんと一緒に初戦を観たんだった。今年は、日本中ワールドカップの話で持ち切りのようだけど、そろそろファイナルがはじまる頃だ。

 ファイナルが始まって1週間。引継ぎ作業しながら、去年のファイナルは親父さんと一緒に観たんだよとオープラスに話すと、

「じぁ、博士に時間をもらって、明日は一緒に第4戦を見よう!」

 オープラスはすぐに博士から許可をもらってきた。

 ゲートハウスにも、叔母さんが設置したTVがある。翌日は二人並んで、生中継のファイナル第4戦を観た。

 フィル・ジャクソン率いるLAレイカーズは、去年よりもさらに強かった。無敗のまま三連覇を達成。賑やかな放送の中で、また誰かが、フィル・ジャクソンと禅の関わりに触れた。選手達の集中力をどう引き出したか、そんな話をしている。

 ボールを持ったまま観戦していたオープラスが、立ちあがって叫んだ。

「禅は瞑想法じゃない!」

 僕もTVを消して立ち上がった。

 ドリブルしながら庭に出たオープラスが、こちらを向いた。

「禅!禅!禅!ホワッツ禅?」

 パスを受け取って、僕も叫んだ。

「禅は、疑問符だ!」

 オープラスも答えた。

「禅は、感嘆符だ!」

「疑問符だ!」

「感嘆符だ!」

 僕達はそう繰り返しながら、残り少ない時を過ごした。


(了)












 あれから半年。

 親父さん、2002年になったのに、人類はまだ地球上で暮らしているよ。ミネソタではガーネットが吼えているし、アイバーソンは、相変わらずフィラデルフィアのコートをかけ上がっている。彼らは、NBA界の禅マスターことフィル・ジャクソン率いる、LAレイカーズとの決戦を目指していたんだ。

 僕もホームスクールで、車いすの禅マスターと背の高い少年に、1対1をしてもらっている。僕はファイナルに出たいわけでも、チャンピオンになりたいわけでもない。ただ、知りたいことができたんだ。親父さんがいない僕って、いったい何者なんだろうかって。そして、「禅っていったい何」っていうことも…

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