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 ナイフを入れるとトロリと溢れだす卵黄。濃厚なバターの風味と仄かに香るレモンが爽やかなオランデーズソース。色とりどりのフルーツに、香り高いコーヒー。やはり高級ホテルの朝食は一味も二味も違う。


 ひと口頬張るたび幸せを感じるであろう目の前のご馳走に集中したいところだが、テーブルの上で存在感を放つ携帯がそれを許してくれない。


「それで? この『お坊ちゃん』って、誰なんだよ?」


 優雅にコーヒーを啜っていた俊輔がカップを置き、携帯の画面を指の先で突きながら低い声で尋ねる。優しげに微笑んではいるのだが、その目はまったく笑っていない。


 ゆっくりと味わっていたかった口中のエッグベネディクトを、惜しみながらパイナップルジュースで胃の中へ流し込んだ。


「……見合い相手」

「はぁ? 見合い? なんだよそれ? おまえ、見合いなんかしたのかよ?」


 俊輔の声が優雅な朝のひとときを楽しむ宿泊客でいっぱいの店内に響き渡った。


「ちょっと! 声デカイっ!」


 焦って周囲を見渡した。今の声で、絶対にこちらを意識し様子を伺っているであろう他テーブルの客やウエイターは、皆、素知らぬ顔をしている。さすが、高級ホテル。客も従業員も大人の対応だ。


「なんで見合いなんてしてんだよ? おかしいだろ? だいたいおまえが見合いって……」


 上体を少し前に乗りだしてコソコソと小声で話す俊輔の顔は、明らかに不機嫌。


 波乱のデートではあったが、まあ、それなりに楽しかった。だがまさか、最後の最後にこんなオチが付くとは。まったく、あの母のおかげでいい迷惑だ。


「お母さんにしてやられたに決まってるでしょ。あのオバサンに、お父さんが倒れたって騙されてさ、慌てて駆けつけたらそういうことだったわけ」

「ふーん……」

「なによその反応? 私が嘘言ってるとでも思ってるの?」

「いや、そうじゃなくてさ、おまえん家のおばさん、すげーなって……」


 そのとき、俊輔の目の前に置いてある携帯がビービーと音を立てて震えた。すかさずそれを手に取った俊輔の顔色が変わる。


「おい。また来たぞ」

「なに? 何が来たの?」


 画面に見入っている俊輔の目つきがキツくなり、眉間に皺が寄る。何か、さらにマズイものが来たようだ。


「コイツ……俺様の女に手ぇ出すとは、いい度胸してんじゃねぇか」

「ねえ、なんなのよ? 私にも見せてよ」

「いいからちょっと待て」


 俊輔は手の中の携帯を見つめたまま、空いたもう片方の手をあげて私を制すと、ふんっと鼻で笑いそれを操作し始めた。


 慌てて手を伸ばしたが、さっと体を捻り避けられてしまい携帯を取り返せない。目の前で親指が素早く画面を滑っている。何かを打ち込んでいるようだ。


「俊輔っ!」

「これでよし」


 椅子から半分立ち上がって上体を伸ばし、やっとの思いで携帯をひったくり画面を見て絶句した。



--突然ですが、夕方からの時間を空けることができました。今日はデートをしましょう。待ち合わせ場所と時間は、あなたに合わせますので指定してください。尚、その後の予定は僕に任せてください。絶対に後悔はさせません。それから、これは蛇足ですが、母も僕も進歩的な考え方を持っているので、婚前交渉には前向きです。結婚前にふたりの愛を確かめ合うことも大切なことだと僕は考えています。波瑠さんも同じ思いでしょう。あなたの喜ぶ顔が目に浮かびます。では、後ほど。



「ちょっ……これ?」


 俊輔が書いた返信メール……これはいくらなんでもあまりだろう。



--駅前の喫茶店『MOKA』で時間は午後六時で良いですかぁ? あなたに会えるなんて嬉しい! 私、とっても会いたかったの。楽しみにしてるわね(はぁと)



「お・ま・えぇ、なんてことを……」


 お坊ちゃんの前に、コイツを片付けてやりたい。


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