25
ローテーブルの上には、ちょっと潰れたビールの空き缶が二本、ほぼ空になりかけたウィスキーのボトルと、グラスが三つ。うち、二つの主は、今、寝室で、大の字で寝ているあのふたりだろう。中央には食べかけの手料理が。どれも、洋酒の当てには最適なやつだ。
私が戻る前に何があったのか。今ここで、何が起きているのか。そして、このできごとの意味は何なのか。この有様を見ただけでも容易に想像できるのが腹立たしい。
「……ちょっと、お母さん!」
「いいから、あんたは黙ってらっしゃい。修造さん、ごめんなさいねぇ、お待たせしちゃって。この子が波瑠、うちの長女なの。波瑠、こちらは、お父さんのお友だちの息子さんで、
なにがホホホだ。ふざけるな。
「……いえいえ、お義母かあさん、どうぞお気遣いなく」
お坊ちゃんが私を見据えたまま、どうも、と頷いた。
母がにこやかに、さも楽しそうに、ひとりで喋っている。お坊ちゃんは母の言葉に時折口角だけを少し上げる。きっと、笑っているつもりなのだろう。
母の言葉が私の頭に入ってくる余地は無い。なぜなら、怒りで爆発寸前だからだ。
状況説明は一切なかった。危篤……とまでは、確かに言われていない。どこが悪いとも言われていない。父が倒れた、ただそれだけ。言われたのは、目で捉えた現象だけだ。
確かに、父は倒れていた。酔い潰れただけだが。しかし、人の、しかも父親の生死に関わる嘘は、軽い冗談だったでは済まされない。
父が倒れた、その一言で、私がどれだけ驚愕し心配するか。騙されたと知った時、安堵とともにどれだけ傷つくか、わかっているのだろうか。まさかこの人がこんな嘘をつく人だなんて今の今ままで考えたこともなかった。
いや……あったな。この人は昔からそういう人だった。
子供の頃、この人の冗談とも嘘ともつかない悪ふざけに幾たび傷つけられ泣かされたか、数え上げたらキリが無い。ちょっと思い出すだけでもたくさんある。
あれは幾つのときだったか、お使いから意気揚々と帰ってきたら、この子は誰だどこの子だ家へ帰れと、私が泣くまで知らんふりを通された。あのときの、自分の家が母が突然自分のものではなくなったあの衝撃は、今でも忘れられない。
コーヒーゼリーと偽って醤油ゼリーを食べさせられたこともあった。この人にとってあれは可愛い悪戯程度のことなのだろうが、疑うことを知らない子供にはやはり衝撃だ。口に入れたときのあの違和感、気持ちの悪さ。あれ以来一度も、私はコーヒーゼリーを口にしていない。
そういえば、あのゼリーにはご丁寧に美しく絞り出した塩味の生クリームと、真っ赤なチェリーまで添えられていたっけ。
「……! ちょっと波瑠! なにぼーっとしてるのよ? ほら、あんたもちゃんとお話ししなきゃ駄目じゃないの」
「お話しって……」
「なんでもいいから。お母さん、ちょっとお父さんの様子見てくるから、ちゃんとお相手するのよ? わかった?」
「お母さん! ちょっと待って……」
母は私を無視し、ちょっと失礼しますねと、ありったけの愛想笑いをお坊ちゃんに向けながら、後ずさるように居間から出て行った。
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