17
「ところで、藤本さん」
「はい? 何でしょう?」
「藤本さんは、法人化を考えたことはない?」
「えっ? 法人化……ですか?」
「うん。この間そういう話が出たものだから、機会があったら訊いてみようと思ってたんだ。時々、出るんだよ、この話。藤本さんのところ、法人化したらもっと仕事の幅が広がって成長できるだろうし、ウチとしても今以上に仕事を回しやすくなるから、どうなんだろうねって社長が」
なんだ、仕事の話か、と、少しがっかりした自分がいる。
それにしても法人化とは。確かに今までまったく考えたことがないわけではないし、いずれは考えなければいけないであろうことは理解しているつもりだ。
ただ、私たちはまだ独立して一年足らず。ようやく最近仕事と生活のペースがつかめ、落ち着いてきたところで、先のことを考える余裕はまだあるとは言えない。
法人化ともなれば、それに伴い三人それぞれの立場や責任の範囲をどうするか等々、考えなければならないこと、しなければならないことがたくさんある。
また、今のまま各自のペースで仕事を続けるわけにもいかなくなるだろう。それに、私は別としても所詮、女三人の城だ。弥生さんや晶ちゃんには、それぞれの生活がある。
今後、晶ちゃんにも、結婚、出産等、人生の重要イベントも起こり得るだろう。弥生さんだって同じ。この先、いつまで三人で仕事を続けられるかどうかすらわからない不安定さがあることは否定できない。
しかし、いくら今まで山内さんと社長さんに懇意にしてもらっているとはいえ、一言で言えば先のことはまだどうなるかわかりませんと言っているのと同じこの現状と考えを、そのまま正直に取引先である彼に話すわけにはいかないだろう。ここはやはりお茶を濁すしかない。
「私たちは独立したばかりですし、そこまではまだ……」
「そろそろ一年か……。やっぱりそうだよね。独立前は色々あったし、やっと落ち着いてきたってところだもんねぇ。僕もそうは言ってるんだけど、ウチの社長がねぇ……」
「……はい」
「ああ、ごめん。そんな……難しい顔して考え込まないでよ。別に、今日、この話しするために食事に誘ったわけじゃないんだから」
「あ、はい、いえ……」
「あはは。駄目だね。プライベートのときくらい仕事から離れないと。やっと藤本さんを食事に誘えたっていうのに……」
「あはは。私もそうです。良くないとは思いつつ、常に頭の中仕事でいっぱいで、なんでも仕事に結びつけて考えちゃうし、結局プライベートなんて有って無いような……」
「そうなんだよね。これじゃ駄目だってわかってはいるんだけど、ついね。でも、時々、ものすごく嫌気がさして、叫びたくなるときがあるよ」
「え? 叫ぶんですか?」
「いや、実際には叫ばないよ? そんなことしたらヤバイ人になっちゃうでしょう? だから、そういうときは、突発的に旅に出るわけ。ある種の現実逃避だね」
「あーわかります。現実逃避。私も、旅には出ませんけど、ケーキバイキング行って全種類制覇したり、衝動買いしまくったりしちゃいます」
「あはは。ケーキバイキングに衝動買いか。藤本さんは、やっぱり女の子なんだね」
「こう見えても一応性別は女なんで。あ、でも、お酒もありですよ。もうやってられなくて潰れるまで飲むこともあります」
「それ自棄酒? ごめん……ウチが無理させてるからだよね」
「いいえ、そんな違います! そういうわけじゃなくて……」
「いいよ、大丈夫。ちゃんと自覚してるから。じゃあ、今度はいつも無理させちゃってるお詫びがてら、自棄酒のお相手もさせていただこうかな」
「そんな……」
「冗談。飲みに行こうって誘ってるだけだよ。 藤本さんとはもう長い付き合いだけど、ずっと仕事だけだったからね。機会があればこうやって個人的に……友だちになりたいと思ってたんだけど、駄目かな?」
「…………」
目尻を少し下げて悪戯っぽい顔で笑う彼に、私は返事をするのも忘れ見とれてしまった。
それから私たちは、とりとめのないお喋りをした。尤も、私は専ら聞き役だったが。
山内さんは、去年の夏に行った旅の写真を見せてくれた。山頂に位置するホテルから湖を見下ろす美しい景色。海に広がる幻想的な雲海。青く澄んだ空、ブルーがかった緑。小さな携帯の画面で見るのではなく、本物の自然の中に立ち深呼吸したら、さぞ、気持ち良いだろう。私もいつか行ってみたい。
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