09
玄関の開く音がした気がしてモニタから顔を上げると、いつの間に出かけて帰ってきたのか、特大の買い物袋をぶら下げた俊輔がリビングに入ってきた。流し台にどさっと買い物袋を置いて、中から何やら取り出している。
「昼飯買ってきてやったぞ」
「んー、あともうちょっと。先食べてて」
残りの作業を片付けファイルを保存してどっこいしょと立ち上がり、座りっぱなしで固まった腰を伸ばした。
「まるでババアだな」
クッションを座布団がわりに座り込む俊輔が、私を見上げて呆れた顔をしている。ローテーブルには弁当が二つとペットボトルのお茶。食べずに待っていたのか。不機嫌そうなその顔は、お預けをくらった犬みたいだ。
「先に食べてればいいのに」
「うるせえ。早くしろ」
クッションに座り、弁当の蓋を開けながら、美咲ちゃん仕込みの家事能力はこの程度かとフフンと鼻で笑うと、私の考えたことを察したのか俊輔が口を尖らせて文句を言う。
「……料理だけは苦手なんだよ」
「だーれもなんにも言ってないでしょう?」
「おまえの考えてることなんて、すぐわかるんだよ」
「えー、本当に? じゃあ、私が今、何を考えてるか、当ててみて」
にっこり笑い、いただきますと挨拶をして割り箸をパチンと割り、弁当のご飯と野菜炒めを交互に口にしながら、答えを待った。
沈黙が長い。長過ぎる。
黙々と箸を進め弁当の残りも半分ほどとなり、何を話していたかもすっかり忘れた頃、俊輔がおもむろに口を開いた。
「こうしてると、まるで新婚みたいだな」
「ぶっ!」
「ちょ……なにやってんだよ!」
俊輔が大慌てでティッシュボックスからティッシュを数枚抜き取って私に差し出し、別のティッシュでテーブルを拭いている。私は、ティッシュで口元を押さえ、ゴホゴホとむせ返りながら涙目で奴を睨みつけた。
「ゴホッ……あんたがゴホゴホ……いきなり変なこと言うからでしょう?……ゴホッ」
カチッと音を立てて蓋を開けてくれたペットボトルのお茶を、俊輔の手から引っ手繰りゴクゴクと喉に流し込む。
「変なことってなんだよ? 俺はただ、おまえが今考えてることを当ててみろって言うから……」
「もういいよ。今は、くだらない話してる暇無いの。さっさとご飯食べて仕事仕事。あんたも美咲ちゃん仕込みの家事してくれるんでしょう? 『家事』終わったら邪魔だからさっさと帰ってねー」
私の冷たい物言いに傷ついたのか、しゅんとして上目遣いに私を見ている姿に笑いが込み上げてくる。こいつ、本当に犬みたいだ。
くだらない、なにが『新婚』だ。こいつと結婚なんて逆立ちしたってありえない、まったくの想像外だとあらためて思いながら、残りの弁当を片付けた。
::
夜、一区切りついたところで、周囲を見回すと人の気配が無い。俊輔はどうしたのだろう。トイレに立ったついでに見た玄関の三和土にはあいつの靴はなかった。
「本当に帰ったんだ……」
もうひと頑張りするためにドリンク剤を飲もうとキッチンへ行くと、冷蔵庫にメモが貼り付けてあった。そこには相変わらず読み難い汚い字で、ご飯は釜の中、鍋のカレーを温めろ、冷蔵庫にはサラダがあるから忘れずに食えと書かれていた。
冷蔵庫を開けると、食材が増えていた。真ん中の段にはラップに包まれたサラダボウルが。ちぎったレタスだけではなく、櫛形に切られたトマトと微妙な厚さにスライスされたきゅうりがトッピングされている。あいつもなかなかやるではないかとちょっと感心しつつ、ドリンク剤を取り出した。
鍋にカレーがあると書いているわりには匂いがしないなと不思議に思いながら、蓋を開けると、水を張ったその中にはレトルトカレーの袋。まあこんなものだよねと、笑ってしまった。
しかし、それでもあいつなりに頑張って家事をしてくれたのは確か。私ひとりだったら食事なんて、毎食冷凍うどんか食べ忘れるかのどちらかだ。
見回すと、散らばっていたクッションは綺麗に並べられ、資料も収まる場所に収まり、床には掃除機までかけてある。この仕事場が、ここまで片付いているのを見たのはいつの日だっただろうか。
俊輔が自分の休みをふいにして頑張ってくれたのに、邪魔だなんて言ってちょっと悪かったかな、と、一瞬、仏心が出そうになった。だがしかし、相手は所詮、俊輔だ。別に心が痛むほどでもない。
「さて、もうひと頑張りするかぁ」
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