第18話 レクドラムの戦い 5
闇の中をレフ達3人が移動していた。シエンヌを先頭に、その直ぐ後ろにレフとアニエスが付いていた。シエンヌが先頭に立っているのは、アドル領から動員された兵達の気配察知が彼女にしかできないからだった。戦場は広く、大勢の兵達が忙しく動き回っていて、情念が渦巻いている。その中で知っている気配といえ追うのは大変だった。シエンヌは半分勘で方向を決めていた。シエンヌはアドル兵の気配察知に専念し、3人の周囲の索敵・気配察知はレフが行っていた。レフとシエンヌは闇の中でも明かりなしで動ける。アニエスも単独では動けなかったが、レフが側に居ればついて行くことは可能だった。巧みに暗がりを拾い、帝国兵のみならず王国兵との遭遇を避けながら3人はできるだけのスピードでシエンヌの示す方向に動いていた。濃い闇の中で3人に気づくことができるほどの察知能力を持った魔法士は、帝国にも王国にもほとんどいなかった。
戦いは既に帝国が勝ち戦の収穫――敵の損害の最大化――を図る段階に入っていた。いったん背を向けた敵はもはや戦うべき相手ではなく、狩るべき獲物に過ぎなかった。帝国兵は明かりを持ち、隊列を組んで王国兵を狩っていた。王国兵は闇雲に、少しでも敵から離れようと右往左往していた。帝国兵に出会えば逃げようとするだけで、まともに抵抗する王国兵は少なかった。
たくさんの死体が転がっていた。その多くが王国兵だった。士官の鎧をまとった王国兵の死体の中には首のないものもあった。あちらこちらで悲鳴と怒号、金属が激しくぶつかり合う音がしていた。その中でできるだけ人の居ないところを選んで進んでいくため、レフ達3人はなかなかアドル領兵との距離を縮めることができなかった。
――こっちだわ――
シエンヌがはっきりとアドル領兵の気配を確認したのはもう夜明けに近い頃だった。シエンヌの足が速くなった。
シエンヌが足を緩めたのは、緩やかな起伏が続く草原の、小高くなった丘の上だった。そこから見下ろした100ファルほど先に10人ほどの帝国兵がいるのが見えた。足を止めてよく見ると8人の帝国兵が輪を作って包囲している中で3人の帝国兵が1人の王国兵と戦っていた。戦闘と言うよりむしろ帝国兵が王国兵を嬲っているように見えた。王国兵は多数の浅い傷を刻まれて、血だらけだった。それでも気丈に剣を振るっていた。包囲の輪の外に5人の王国兵の装備をした兵達が倒れていた。
シエンヌが、
「ひっ!」
と口の中で小さな悲鳴を上げた。そして直ぐに背負っていた背嚢を乱暴に投げ出すと、剣を抜いて丘を駆け下り始めた。レフに行動の確認もしない性急さだった。レフとアニエスも互いに顔を見合わせて、背嚢を下ろすとシエンヌの後から走り始めた。
輪を作って包囲している帝国兵達は、輪の中で行われている戦いに気をとられてシエンヌの接近に気がつかなかった。シエンヌは利き腕の左手に剣、右手に短剣を持って松明を持っている帝国兵の後ろからぶつかっていった。背中に力一杯短剣を突き立て、悲鳴を上げる帝国兵を突き飛ばすと包囲の輪にできた隙間を抜けて、中で戦っている帝国兵に襲いかかった。1人に減った王国兵をいたぶるのに夢中だった帝国兵はシエンヌの襲撃に気づかなかった。後ろからシエンヌが兜と鎧の間で帝国兵の首を薙いだ。首を半分切断されて帝国兵は悲鳴を上げて倒れた。その悲鳴で王国兵と戦っていた3人の内、残った2人がシエンヌに気づいた。慌ててシエンヌに対して剣を構えようとした帝国兵の懐に飛び込みその胸に剣を突き通した。仰向けに倒れる帝国兵から剣を抜いて、シエンヌは残る1人に対した。残る1人は士官だった。戦っている相手の王国兵が士官だったから、自分が止めを刺すつもりで他の2人と王国兵の戦いを少し身を引いてみていたのだ。
帝国士官は手に持っていた槍をシエンヌに対して構えた。
包囲の輪を作っていた帝国兵がシエンヌに対する戦いに加わろうとしたとき、その背後から投擲用のナイフが襲った。レフが2回に分けて投げた4本の投擲用ナイフは的確に4人の帝国兵を倒した。慌てて振り返った生き残りの帝国兵にレフとアニエスが襲いかかった。
シエンヌは槍を構えた帝国士官と対していた。大きな男だった。1ファル近い身長がある。怒っているのだろう、兜の下の顔を真っ赤にし、槍先がブルブルと震えていた。
「きっ、貴様!雑兵の分際で手向かうか!」
シエンヌは王国兵の防具も着けてなかった。正規の王国兵でないことは一目で分かった。
シエンヌは黙ったまま剣を構えた。帝国士官はシエンヌの構えを見て、顔を引き締め、槍を構え直した。槍先の震えが止まっている。
帝国士官が気合いとともに大きく足を踏み出して鋭く槍を突き出してきた。それをシエンヌは剣で弾いて対面左へ跳んだ。大きく弾かれた槍を手元に引き戻そうとする動きに合わせてシエンヌは帝国士官との距離を詰めた。男の理解を超えた迅さだった。
見上げるような位置に驚愕に目を見開いた男の顔があった。シエンヌはその顎の下めがけて剣を突き上げた。骨を断つ手応えがあって、剣先が男の首を貫通した。
「ぐぼっ!」
くぐもった悲鳴をあげて首を貫かれた大男がゆっくりと後ろに倒れていった。倒れていく男から剣が抜けたとき、生暖かいものがシエンヌに掛かった。返り血だった。首の動脈を切断されて大量の血を噴き出させながら、男はビクビクと全身を痙攣させて、息絶えた。
「兄様……」
3人の帝国兵を倒したシエンヌが振り返ったとき、最後まで戦っていた王国兵は精も根も尽き果てたように仰向けに倒れていた。断続的に苦しそうな息をしている。シエンヌは恐る恐る倒れた王国兵に近づいてその側に膝をついた。剣を握る力もなくしたその右手をそっと自分の手を添えた。
「兄様……」
シエンヌに呼びかけられて王国兵が目を開けた。シエンヌを認めて、は―っ、は―っという苦しそうな息が一瞬止まった。唇を震わせながら口を開いた。
「シ……、シエンヌ!」
「兄様」
シエンヌが兄様と呼ぶ王国兵に取りすがったとき、残りの帝国兵を片付けたレフとアニエスが近づいてきた。シエンヌの様子に気づいて一歩下がったところで立ち止まった。
「シ、シエンヌ。……い、生きて……、いたのか?」
「……はい……」
「良かった……、生きててくれて……良かった……」
シエンヌに握られた右手をシエンヌの方へ伸ばした。その手でシエンヌの頬に触った。細かく震えて力のない手だった。その手を、あらためてシエンヌが大事そうに両手で抱えた。シエンヌの頬に幾つも涙の筋がついた。
「よ、……良か、……った。……し、あ、……わ」
シエンヌの兄は微笑もうとした。弱々しい、そして優しい微笑みだった。目尻から一筋涙が落ちていった。それは彼が最後に出来る精一杯の動きだった。
シエンヌの頬を触っていた手から力が抜けた。パタンと手が落ちた。微笑みを浮かべたままの顔はもう息をしていなかった。
「兄様!」
シエンヌが血まみれの兄の体に取りすがって泣き始めた。
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