一章 雨白島 7話

一章 雨白島 7話






 島の東にある住宅街の一角にティーノの家はあった。ティーノは処置を終えたあと家に運び込まれたようで自室のベッドで眠っているそうだ。久遠がティーノ宅のドアを叩く。


「はいはい、ちょっとお待ちを!」


 家の中から声が聞こえ、しばらくするとドアが開いた。出迎えてくれたのはティーノの兄、ティーダだった。ティーノよりもくすんだ印象を受ける金髪と、これまたティーノとは少し色の違う碧眼。仕事着かと見られるツナギは所々オイルが付いていて黒く汚れていた。目線は美奈より少し上にある。


「こんばんは、ティーダ。昼間はティーノに怪我をさせてしまって申し訳ない。……今は、落ち着いた?」


「久遠か。確に肝を冷やしたけど、もういいよ。アリアもすぐ駆けつけてくれたし、ティーノ自身も無茶をしたんだろう。久遠だけのせいじゃない。応援も呼んでくれたんだ、俺からも礼を言う」


「うん、でも……怪我をさせたのには代わりがないから」


 久遠が挨拶と昼間の謝罪をしている間、美奈は口を挟むこともできずその様子を見守っていた。ふと家の中が視界に入ると2階へ続く階段に白衣の女性が登っていくのが見えた。黒く長い髪を頭頂部に近いところで結っており、切れ長で涼やかな目元は細められてどこか厳しい印象を与えた。


 久遠がティーダと話終えると久遠もまたその女性を視界に捉えた。


「シャトル! ティーノは!?」


 久遠がシャトルと呼んだ女性は久遠の存在に気づくと大きくため息を着いた。手に持っている桶からは湯気がたっている。どうやらお湯を汲みに降りてきたらしい。


「切れていた所は縫ったが、少し血が流れすぎていたからね、しばらく安静だよ。今は術後処置中だから、詳細聞きたかったら今度診療所においで」


 シャトルはそれだけ言いおくと2階へ姿を消した。シャトルの言葉を聞くと久遠も美奈も胸を撫で下ろした。美奈はティーダと向き合うと口を開いた。


「あ、あの、ティーノくん、私を助けて怪我をして……雨白島に来たばかりなのに、こんなご迷惑をかけて、本当にごめんなさい!」


 深く頭を下げた美奈の謝罪にティーダは目を見開いて驚いた。ゆっくりと伏し目がちになると慎重に言葉を選んで声にする。


「……弟とは、ティーノとは話しましたか?」


「あ、はい。船を降りて初めて話したのがティーノくんで、中央広場まで案内してくれました。その道すがら雨白島のことも色々教えてくれて、本当に助かりました。……だから、早く元気になってほしいです」


 美奈はそこまで話すと悲しそうに目を細めた。その様子を見るとやや不振そうだったティーダの目も優しいものに変わった。


「ティーノはああ見えて頑丈ですから、しばらく休めば元気になりますよ。そうしたら、あの子と遊んであげてください」


 ティーダの言葉に美奈が顔を上げるとティーダはにこりと笑った。美奈は何も言えなくなり、大きく頷いて見せた。そのタイミングを見計らって久遠は骨付鳥が4本入った袋を掲げだ。ティーダはそれに気づくと首を傾げる。


「これは?」


「骨付鳥。食べれそうならティーノにも食べさせてやってよ」


「たべれそうならな。……4本ってことは、アリアとシャトルの分もあるのか」


「そう。後は、これも」


 久遠はそう言うと鞄から銀貨が詰まった袋を取り出した。ティーダはそれを受け取ると怪訝そうな表情を久遠に向ける。


「……これは?」


「治療費と、迷惑かけた慰謝料」


「多くないか?」


「アフターケア分も必要かと思って」


 ティーダは悩んだがその銀貨を受け取ることにした。今ここで返そうとしたところで久遠が受け取らないことは想像するに難しいことではなかった。


「それじゃあ、師匠の所に行くから。また様子を見に来るね」


「はいよ。お嬢さんも、えーっと?」


「あ、はい、浪川美奈です」


「うん、美奈さんも気をつけて」


「はい、ありがとうございます」


 美奈がぺこりと頭を下げると久遠は歩き始めた。その後を美奈も追って歩く。来た道とは逆方向、西へ向かって真っ直ぐ歩いた。中央広場を抜けて更に西側の町へ入ると今度は道が左右に別れる。久遠は迷わず右に曲がり、今度は道なりに左へ曲がる。美奈もそれについて歩く。しばらくすると小さな広場の様な所に出た。広場の中央にはモニュメントの様なものが置いてあり、小さな花束もそばにある。


「ここは……?」


「拝礼の地ですよ。病も怪我も治したと言われる白い雨の話に関わる場所だと聞いてます。詳しいことはティーノとか、昔から島に住んでいる人に聞いてください」


「あれ、久遠さんは島の方じゃないんですか?」


「いえ、美奈さんと同じで、訳あって本土から移住してきた身なんですよ」


「訳……?」


 久遠はそれ以上は答えずにモニュメントの左側を通り過ぎる。広場の奥は白い大きな壁があり、その手前で久遠は立ち止まった。


「さあ、もう着きますよ」


「え、そこ……壁ですよね?」


 目の前にあるのは確に白い壁で、先程までのように道があるとは思えなかった。とりあえずと美奈は久遠の側まで行くと白い壁をまじまじと見る。しかし何度見てもそこは行き止まりだった。


「有能な魔獣は稀に、自分の住処を巧妙に隠す者がいます。そして魔獣を従える一部の魔導師は、その力を利用して己の居所を隠すんです。……うちの師匠みたいにね」


 久遠は美奈の手を握ると躊躇いなく壁に向かって早足で歩く。それを見て慌てた美奈は目をつぶるが、いつまで経っても思っていた衝撃が来ない。恐る恐る目を開けると目の前は青々とした森が広がっている。信じられない光景に美奈が唖然としていると久遠は小さくため息をついた。


「まあそれも、入口を見つけたらこうして入れるんですよ。……さて、ようやく見えましたよ」


 久遠は少し先を指差す。美奈が指の先を見ると、そこにはツタに覆われた、しかし立派なウッドハウスが立っていた。
















「……遅い」


 ミカルはタバコの煙を吐き出しながら呟く。手にあるパイプの葉は間もなく尽きそうだった。パイプは興が冷めたのか、吸い終えた葉をおざなりに捨てると足元にある水煙草に手を伸ばした。慣れた手つきで吸い始めるとすぐに部屋は煙が充満する。すると待ってましたとでも言うように、煙の合間からコブラが1匹現れる。全長は3メートルほどあり、普通のコブラより明らかに大きく体も太い。背中の鱗には美しく輝く物もあり、それらが重なり合って不思議な模様を浮かべていた。


「ベリーチェ、久遠が入ってきたら締め上げろ」


 ベリーチェと呼ばれたコブラはシューシューと鳴きながら長い舌を覗かせていた。


 ミカルはもう1度煙を吸い込み、吐き出した。

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