第6話(風雪月花!2の5)

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 校庭の中央に佇む人影を、どっかん屋は呆然として見下ろしている。

 白い和服に長い黒髪。おたふくの仮面をつけていて素顔は分からないが、足元には薄っすらと雪がつもり、臨戦霊装をまとった精霊人なのは間違いない。ひんやりとした冷気が、ここまで漂ってくる。

「あ、みんな。来たね」

 中性的なその声には聞き覚えがあった。花丸が、その幼馴染みの名前を口にする。

「まさか……太郎右衛門か?」

 仮面を外し、彼女、いや彼はにっこりと微笑を投げかけた。

「そうだよ」

 開平橋太郎右衛門。光宙みつひろの友人であり、花丸の幼馴染み。科学部に所属する、氷の精霊人。

 先日、高レベルに分類されるレベル50に達したばかりの彼は今、特高レベルでなければまとえない臨戦霊装を身に、どっかん屋の前に立ち塞がっていた。

「決勝戦は、僕が相手をするよ」

 優美に微笑む太郎右衛門。その臨戦霊装は、雪女。


「どういう…こと……?」

 未来は困惑していた。

 校庭には監視カメラが取り付けてあり、職員室と保健室から確認ができる。本来は事故防止のためのものだが、職員室からモニターしていた未来は戸惑いの色を隠せなかった。

 彼は先日レベル50になったばかりだ。臨戦霊装を会得するのはいくらなんでも早すぎる。

「開平橋くん、頑張ったんだねえ」

 見物している他の教師が感心している。本来人では無理からぬ事ではあるが、本質をわかっていない。臨戦霊装は、たかだかレベル50では、いくら頑張ったって会得はできない。風鈴でさえ、あれほど苦労しているというのに。

 まさか、光宙みつひろの仕業か? だが、そんな神通力は聞いたことが無い。

 レベルを上げるだけなら、留美音が自らを15レベル、光宙みつひろはだいだらぼっち戦のときにどっかん屋を1~2レベル上げている。

 だが、他者を20レベル以上、それも臨戦霊装を引き出すなど考えられない。

 これが本当なら光宙みつひろは、超高レベルを持ってしても計り知れない実力者ということになる。

 国連未承認の、十三人目の超高レベル精霊人ということに。


 校舎から校庭へ降りる階段の最上段から、桃子はどっかん屋対科学部の決勝戦を見下ろしている。

 ここはちょうど、監視カメラからは死角になっているので、職員室から発見される心配はない。

 臨戦霊装を会得した太郎右衛門よりも、桃子の興味は光宙みつひろの力にあった。

 髪から道具を作る神通力。他者のレベルを強制的に、それも大幅に引き上げ、あまつさえ臨戦霊装まで引き出す神通力。

 超高レベルでも、ここまでの実力者は見たことがない。彼は一体何者なのだろうか。

 かぶりを振り、桃子は余計な考えを捨てた。彼は、大切な友人だ。

 それでも部室での彼の術式は、まだ目に焼き付いている。


「まずはここへ、腰を落として片膝をつけるんだ」

「……こう?」

「そうそう。次は両手を握って胸の前へ、祈るように」

 言われるままに体勢を整える太郎右衛門の頭の上に、光宙みつひろは手を置いた。

「あの……なんかさ、王様としもべみたいじゃない?」

「はっはっは、そんなことはないぞ」

 微妙に不満を述べる太郎右衛門に、光宙みつひろは乾いた笑い。

「まあこれが一番集中しやすいんで、悪いな。次はイメージだ。そうだな……スキーをしたことはあるか?」

「あるよ」

「じゃあ、歩いているときと滑っているときの感覚を交互にイメージして、その違いを把握しておくんだ」

「うん」

「よし、いくぞ……!」

 スキーのときの、体重をやや前において滑っていく感覚。膝から下は固めたまま体重移動で左右に曲がる感覚。スキー板を脱いで地面へ降り、足首が自由になったときの感覚。

 以前にスキーへ行ったときのことを思い出しながら、太郎右衛門の感覚は部室から切り離されていく。

 ふと、光宙みつひろの質問が耳に入った。

「ところで、雪女は知ってるよな。どんな姿だ?」

「えーと、長い黒髪と白い和服で、ほっそりと儚げな美人で……」

 夜のスキー場に現れた美しい雪女を脳裏に浮かべた時、

「お日様の守り……出血大サービス!」

 術名なのかよくわからない言葉とともに、太郎右衛門は空高くへ放り投げられるような感覚を受け、意識が遠くなった。


         *


「なによ、太郎右衛門くんばかりひいきしちゃって!」

 憤慨する風鈴に、太郎右衛門はまあまあとなだめる仕草。

「みっくんも、風鈴はこんなやりかたで会得しても喜ばないから、って」

「……まあ、そりゃそうだけど」

 論点はそんなことではない。光宙みつひろの特異さには、やはり特高レベル程度では気づけないか。遠巻きから見物している桃子は内心気をもんでいた。

「だが太郎右衛門、覚醒したばかりで我々四人を相手にするつもりか?」

 花丸の気遣いに、しかし太郎右衛門は凛と表情を引き締めて言った。

「みっくんに作戦を授かったから。善戦を約束するよ」

 太郎右衛門は構えを取る。格闘の構えではなく、何か長い棒状のものを持つような構えだ。

「氷の薙刀!」

 手の中に現れるは、名前の通りの透き通った薙刀。

「精霊棍もか」

 感嘆の中に緊張を織り交ぜ、花丸が呻く。

 精霊棍は未来から伝授された”金の棍”をベースに各々が改良した神通力による武器の総称である。風鈴は銀の棍、花丸は竹刀、留美音は月の弓といった術が使える。

 薙刀を構え、太郎右衛門は颯爽と名乗りを上げる。

「雪見大福! 科学部、開平橋……」

 そしてどっかん屋は一斉に吹き出した。

「ってみっくん、なんて四字熟語を言わせるのさ!」

 どっかん屋各メンバーが出撃のときになんとなく使っていた四字熟語を言いたかったようだが、光宙みつひろにネタを吹き込まれたか。

 ええい、自分で考え直すよ、と腕を組んで考え出し。てゆうか戦闘開始していないのだろうか。

氷姿雪魄ひょうしせっぱく! 科学部、開平橋太郎右衛門。本気で行きます!」

 今度は噛まずに言えたようだ。どっかん屋からの緊張感のない拍手に、頭をかく。

「決着は、どちらかの降参か戦闘不能を持ってのみとする。いいな?」

「うん。じゃ、始めるよ」

 花丸の勝負の確認にうなずき、太郎右衛門は改めて構えを取った。

 どっかん屋が散開するよりも早く、太郎右衛門は薙刀を突き出す。

「地吹雪!」

 ずどんっ、と白い衝撃波が走り、メンバーは防御もままならず吹き飛ばされる。

「なんと……」

 地面を滑り、なんとか上体を起こすも、花丸は驚愕を隠せなかった。臨戦霊装をまとっていながらも、一瞬息が止まるほどの衝撃だった。レベルだけなら上の風鈴も同様のようだ。曇天で臨戦霊装をまとえない留美音や美優羽は多少ながらダメージを受けたようで、顔を歪めている。


 距離をおいて戦う太郎右衛門は、光宙みつひろから受けた作戦を反復していた。

「エモン、お前は近接戦闘に慣れていない。だから、ノックバックさせる術を多用して近寄らせないようにして戦うんだ」

 見違えた自分の臨戦霊装をまじまじと見つめる太郎右衛門に、光宙みつひろは桃子に肩を借りて説明をしている。しゃべるのもつらそうな様相だ。

「わかったから、みっくんは保健室で休んでて。僕一人でも、なんとか戦うから」

「ああ、頼む」

「開平橋君、そこの棚にオートミールの材料があるから、用意しておいて。あとで取りに来るから」

 桃子に連れられて部室から出かける光宙みつひろが、もうひとつ、と補足のために振り返った。

「勝つことが決勝戦の目的じゃない。風鈴を怒らせて臨戦霊装を引き出すのが目的なんだ。本当なら俺がやるべきなんだが、この有様だからな、なんとか頼む」

 太郎右衛門の頬に手を触れ、彼は何かの神通力を展開した。

「ある程度戦闘を長引かせてどっかん屋が焦ってきたら、メッセージを出す。それを読み上げてくれ」

 ここでは語りきれなかった作戦が、太郎右衛門の視界に浮かび上がって見えるようになっていた。

(まかせて、みっくん。ここまで入念に準備したんだ。きっとうまくいくさ)

 この有様と言いながらもなお風鈴の心配をする光宙みつひろに、太郎右衛門は二人の間の絆の深さを痛感していた。


 太郎右衛門の動きはたいへんぎこちなかった。臨戦霊装を会得しながらも、戦闘は素人だということが見て取れる。

 だが、どっかん屋は近づくことすらままならなかった。

 ふた手に分かれて後ろから回り込んでも、見えているかのように避けられてしまう。

 ……というか、彼の視線は微妙に焦点があっていないような気がする。

 四字熟語の時、彼が光宙みつひろの名を挙げたことを花丸は思い出した。

「太郎右衛門よ、お前はさっきから何を見て戦っているのだ?」

 え? と彼はこちらに焦点を合わせ、

「みんなにはナビついてないの?」

「なんじゃそりゃああぁぁ!?」

 どっかん屋4人全員、見事に叫びが重なった。

「ないの? 臨戦霊装ってこういうものだとばかり」

光宙みつひろのやつー、どんだけ太郎右衛門くんを優遇してんのよ! ホモじゃない!?」

「その説には大変興味がある」

 乗ってくる留美音をピシャリと下がらせ、風鈴は対応策を考える。

「地吹雪は前面だけ、動き自体は素人なんだから、一人が受けに回って他三人は左右後ろから取り押さえる。この作戦で行くわよ」

 うなずき合い、太郎右衛門を取り囲む四人だが、この間に彼も新たな指示を受けたようだった。

「え? これが霊装特性? 言わなきゃ発動しないの? うわぁ…」

 まさに渋々といった様相で、太郎右衛門は深い溜め息をついた。

「寝るな! 寝たら死ぬぞ!」

「んぎ!?」

 視界がホワイトアウトし、強烈な睡魔がどっかん屋を襲う。膝が崩れ、力が入らない。

「あ、死なないからね、念のため」

 補足が耳に入るが、突っ込みを入れている余裕はない。散開したのが逆に災いした。”玉露”で回復させるにも、周囲がホワイトアウトしたせいで手間取ることになる。

 景色が戻り、どっかん屋一同が回復するまで彼が次の行動に出なかったのは、何か意図があってのことなのだろうか。息が上がり始めたどっかん屋を前に、太郎右衛門は涼しい顔をしている。

 いや、少しばかり困っているようだった。

「ねえ…これ、そのまま読み上げなきゃ駄目なの? もうちょっとオブラートに包むっていうかさあ……わ、わかったよ」

 太郎右衛門はどっかん屋、いや風鈴に視線を向け、声をかける。

「えーと、風鈴」

「なによ」

「うわあ、ごめんなさい!」

 頭を抱えて逃げ出しそうな太郎右衛門に、風鈴は少々苛ついた様子。

「いいから、何か言うことがあるんでしょう? 怒らないから言いなさい!」

 怒らないからってのは怒るフラグだよなあと花丸は思ってみたりするがいちいち突っ込むようなことはせず。

 おずおずと、太郎右衛門はゆっくりと読み上げた。

「風鈴……8年前、海でもののけに襲われたときのことを憶えているな?」

「……それがなによ?」

 8年前、家族旅行で海へ行った時、風鈴と光宙みつひろはもののけに襲われた。その後、世界を震撼させることになる一連の騒動の、起点のひとつともされている。

 あれは何のもののけだったか……記憶を辿る風鈴の耳に届く次の言葉。

「あの巨大なもののけに腰を抜かしたお前は……漏らしたよな?」


「漏らしたよな?」

「漏らしたよな?」「漏らしたよな?」

「漏らしたよな?」「漏らしたよな?」「漏らしたよな?」


 ………………。


「ふぉおおおぉぉぉーーーーー!」

「大変、興奮して美優羽が漏らしそう」

「放っておけ」

 状況を妄想して失禁寸前の美優羽。介抱する留美音。いろいろと呆れて物も言えない花丸。

 伏し目がちに読み上げていた太郎右衛門が、ちらっと風鈴へ目を向ける。

 風鈴は、わなわなと打ち震えていた。

 ぷしゅうううぅぅぅ……、と、火を止めたケトルのように、爆発寸前で風鈴は落ち着きを取り戻す。代わりに浮かぶは、ぞっとするほどの暗黒微笑。

「えーと、これね、みっくんが言ったことだからね? 僕は代わりに読み上げただけだかね?」

「うん、知ってる」

 にっこりと笑顔を貼り付けたまま、太郎右衛門の肩に手をかけ、

「けど太郎右衛門くんも、ど・う・ざ・い(はぁと)」

「ひいいぃぃ!?」

 爆発にも似た神通力の流れが、風鈴から湧き上がる。

「浄化の…風えぇーーーーーっ!」

 だいだらぼっち戦のときの面影などまったくない爆風が、太郎右衛門を空高く吹き飛ばした。

「決ッ着ッッッ!」

 ずしゃあっと地面に叩きつけられる太郎右衛門に、いつの間にかエクスタシーから復活した美優羽が拳を突き上げて宣言した。


         *


「あちゃー、臨戦霊装覚醒には至らなかったか」

 と光宙みつひろは額を叩いた。ここまで、保健室からの観戦である。

 当初は光宙みつひろが自ら風鈴を挑発する予定で、この通りに行けば覚醒させられたという確信はあるのだが、やはり代弁では心底怒らせることはできなかったか。

「しゃあない、今回はおとなしく仕置を受けて、また作戦の練り直し……」

 ふと、モニターの隅に人影が映るのを、光宙みつひろは確認した。


 異変が起こりつつあった。


         *


 浄化の風は、戦意を削ぐ術である。だいだらぼっちもこの術により落ち着きを取り戻し、コロボックリへと戻った。

 そして、臨戦霊装は戦意によって生まれる。浄化の風がまともに決まれば、正常にまとっていることは叶わなくなる。つまり、これで試合続行不能になったはずだ。

「うう、ひどい…初めてだったのに……」

 乱れた黒髪に、はだけた和服から覗く白い肌。よよよ、と泣き崩れるような姿勢で呻く太郎右衛門は、やけに艶めかしかった。

「まさか、女体化まではしてないよな、こいつ?」

「それはそれで興味深い」

 初めてって実戦がでしょうが。突っ伏す雪女をつんつくしている花丸と美優羽は放っておくとして。

「さあ太郎右衛門くん、答えなさい。光宙みつひろはどこ? 人前で恥かかせて。とっちめてやるんだから!」

「ほ、保健室に……」

「保健室ね」

「あ、待って。みっくん、すごく消耗してるから、あまり手荒なことは……」

「……どうするかは見てから決めるわ。みんな、行くわよ」

 校舎へ視線を向けて。

 階段の上に一つの人影を、どっかん屋は見た。

 白くて長いスリットスカート。金属製の胸当てと羽根付き帽子。

 そして腰に挿した剣。

 白い仮面をかぶって素顔はわからないものの、欧風の女性戦士らしき姿がそこにあった。

「精霊人か? まだ科学部に隠し玉が?」

「いや…僕は知らないよ」

 なんとか起き上がった太郎右衛門は首を横へ振る。

 精霊人らしき女性からは、無言ながらも異様な雰囲気が感じられた。


 職員室から監視していた未来も、異変に気づいた。

 あの精霊人には見覚えがある。あまりにも馴染み深い、その姿。

「まさか……まさか彼女は……」


         *


 お前たちは、彼ガこのオ膳立てにドレ程の労力を費やシテきたか、ワカっていなイ。

 彼の期待に応エラれなかったバカリか……懲ラシメテヤルダト?

 ……身ノ程知ラズガ!


 一段、一段と、彼女はゆっくりと階段を降りていく。

 彼女の激怒が”字幕表示”となって、モニターを通しても伝わってくる。

 光宙みつひろの脳裏で今、二つの人物がフラッシュバックを起こし始めている。

「いいわね……。まさに、冒険真っ最中といった感じ……」

「ワタシノ冒険ヲ、オ前ナンカニ邪魔ナドサセナイ」

 去年までカリフォルニアに住んでいたという、帰国子女の東雲桃子。

 アメリカが条約を結ぶ三人の超高レベル精霊人のうちの一人、戦の超高レベル精霊人、ワルキューレ。

 光宙みつひろの頭の中で、突如としてこの二人がイコールで結ばれた。

 とっさに光宙みつひろは叫ぶ。ここからでは止められないとわかっていても。

「やめるんだ、桃ちゃん!」


         *


 ゆっくりと右手を持ち上げ、どっかん屋の一人を指差す。

 指先に、光が灯る。特高レベル程度では気づくことすらできないであろう、尋常でないほどの密度で霊子が収束されていく。

「彼ノ苦労ヲ、オ前タチモ少シハ味ワエ!」

 小石ほどの大きさまで収束された荷電粒子弾が、撃ち出される。

 そしてその弾丸は、美優羽の心臓を正確に貫いた。

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