第5話(風雪月花!1の5)
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第一高校の前には最近開通した国道が走っており、その先は圏央道につながっている。
国道を渡った先は長い下り坂になっていて、田園風景が広がっている。
下った先の交差点を左に行けば男子寮が、右折すれば女子寮がある。それぞれ複数のアパートに分けられている。
そのうちの一室に、未来・風鈴姉妹は暮らしていた。1LDKと少し豪華なのは姉が教師だからだろうか。
一部屋には二段ベッドがあり、上段が風鈴、下段が未来。風鈴の机が置かれているが、当人は今はベッドの上で寝そべってスマホをいじっている。
リビングの端、壁を挟んで風鈴の机の反対側に未来の机がある。テストの採点か何かだろう、姉は書類の整理をしている様子だった。
「ねえ、お姉ちゃん」
リビングとを隔てる引き戸は開いているので、壁越しに姉に声をかける。
「なに?」
「強い精霊人って、これ以上必要なのかな」
スマホから視線は外さない。しばしの逡巡ののち、姉の声が耳に入ってきた。
「難しい問題ね……。私達も、紫藤先生…幕僚長も確たる答えを出せずにいるわ」
8年前、強大なもののけたちが引き起こし、世界が混乱に陥った大騒動。風鈴はまだ幼く詳細を知ることはなかったが、もののけたちが沈黙してからも、姉やその友人たちは世界を東奔西走していたと聞く。
だが、人類に仇なすもののけはもういないはずだ。自分たちが強くなることは、本来人からかけ離れていくことにほかならない。今日の特訓のとき、ふとそんなことを思った。
「大卒資格と似たようなものだと思うと良いわ。将来の選択肢は、多い方がいい」
風鈴は適当に相槌を打つことしかできなかった。
「ごめんなさいね、これくらいのことしか言えなくて。さ、あなたはそろそろ寝なさい。私もこれを片付けたら寝るから」
「うん」
寝室の明かりが消え、しばし。黙々と書類を片付けながら、未来は恩師の言葉を思い返していた。
「私たちは、エンディング後の世界を生きている……。私たちはあの子達の道しるべとならなければいけない。……先達として」
坂の下の交差点の左右に寮があるが、直進した先には綾瀬川家の広い家宅がある。元はこの地域の地主で、戦後に起こした事業が成功し、現在はグループ企業のオーナーである。
花丸は社長令嬢であり、現役を退いた前会長の孫娘である。
「お祖父様」
クラシックカーが趣味の祖父は、ガレージ兼の離れ家によく引きこもっている。案の定、祖父は天下の大泥棒が乗っていそうなデザインの車を整備しているところだった。恰幅の良い身体にツナギを着込んで、本格的である。
「花丸か。どうした?」
ボンネットに首を突っ込んだままの祖父に、花丸は溜息をひとつ。
「晩御飯が冷めてしまうと、お母様がカンカンですよ?」
「おお、もうそんな時間か。すぐに行くと伝えておいてくれ」
「はい」
と言いつつ、花丸はガレージの隅に置いてある自転車に気づいた。
パステルカラーの、古びた幼児向けの自転車。
「それか? お前に初めて買ってやった自転車だ。覚えとらんか?」
「なんとなく覚えてます。補助輪がついてませんでしたっけ?」
「ほとんど練習せずに乗れるようになってしまったから、外してしまったな。教えがいがなかったぞ?」
祖父は油で汚れた顔から、白い歯を見せる。
ふと、昼間の特訓のときのあすなろの言葉を思い出す。
「臨戦霊装は、自転車の感覚と似てるっすよ? 乗れない人って、足が地面についている感覚から抜けられないのが原因じゃないっすかね。スキーや一輪車も覚えれば、ああこんな感じか、って思うっすよね」
「自転車か……」
臨戦霊装の感覚とはいかなるものなのか。闇雲に特訓しても効果は薄いのではないかと、花丸は思い始めていた。
窓を開け、留美音は外を見上げる。太い三日月というか、半月少し手前の月が、南中を過ぎて下りつつあるところだ。街あかりや街灯による光害もささやかれる昨今だが、月はこんな夜空でも頼もしく輝いている。
半月前後のこの頃は、空中クレヨンで外見年齢を上書きしなくても済むので、留美音には都合の良い時期である。
「顧問ネキにしごかれて草、と」
ルームメイトの美優羽は、スマホを神速でシャッシャとどこかのSNSへ書き込みをしている様子だ。
しかしパソコンだけでなくスマホもこの超速度の使いこなしとは、彼女は一体何者なのだろうか。いや普通にマニアなだけなのだろうけど。
「科学部のほうが良かったんじゃない?」
「電脳班はすごく迷ったわねー」
「なぜどっかん屋に?」
「決まってるじゃない。風リンがいるからよ!」
そういやそうだった。美優羽は命の恩人である風鈴(のお尻)を追ってこの学園へ入学したのだったっけ。百合はどうなのだろうとも思うが。
「パソコン借りるね」
「いいけどユーザー切り替えしてよね」
パソコン爆発事件のトラウマか、美優羽はセキュリティに関してうるさくなった。
一度ログアウトして入り直し、さて。
今日の特訓を振り返り、臨戦霊装について何かネットに情報はあるだろうかと検索サイトへ。
気がつくと、ウインドウが物凄い勢いで増殖しまくって操作不能に陥っていた。
なぜだろう。手が勝手に検索窓へ入力したボーイズラブ関係だろうか。
「美優羽、困った」
「どったの?」
「何もしてないのにパソコンが壊れた」
「んなわきゃねえでしょうがどのサイトへ行ってどのファイルを開いたのか白状しなさいやおらおらおら!」
美優羽にオラついて責め立てられる留美音であった。
ひばちとあすなろは、テレビの前で死亡していた。
いや本当に死んだわけではないが、テレビの前で突っ伏して涙していた。
テレビからは、「いったああぁーーー! サーヨーナーラー!」と実況アナの叫び声が何度も何度も繰り返されている。
「5位……王者のチームが、紳士のチームが5位……」
「それも、たまたま最下位がぶっちぎってるからってだけの、例年なら最下位でもおかしくない負けっぷりっすよ……なんなんすか13連敗って……」
「言うな……」
突っ伏したまま、ひばちとあすなろの涙の会話が続く。テレビは鬱陶しいのでさすがに消した。
相撲ファンであり野球ファンでもあるこの二人はよく一緒に観戦しているのだが、なにがこのチームを5位にまで落ちぶれさせたのか。いや最下位チームは一昨年リーグ優勝しているからあっちも気の毒ではあるが、王者のチームのファンとしては気にしている余裕はない。
「ええい、胸糞悪い! 今夜は飲むよ!」
「コーラっすけどねー」
悔し晩酌になだれこむひばちとあすなろであった。
「にゃー! にゃー!」
「きゃー! きゃー!」
「ひえー! ひえー!」
上江と山吹が暮らす部屋は、今夜は騒がしかった。
「うるせえぞ!」とか隣の部屋が壁ドンしていて、このままでは大家が飛び込んでくること必至である。
台所に、イニシャルGの例のアレが出没したのである。しかも、茶Gではなく、黒くてでかくて平べったい、黒Gの方である。アレがものすごい勢いでシャカシャカ走り回ってた日には、気の弱いものなら失神してしまうだろう。
「リ、リーダー、なんとかしてください~! 私、ゴッちゃんは駄目なんですー!」
「あたしだって苦手よ! けど、みっくん、みっくんならきっと!」
「女子寮は男子禁制ですー!」
「じゃ、じゃあスコーピオ様に……」
「超高レベル精霊人がこんなことで来てくれるわけないですー!」
蟲の超高レベル精霊人スコーピオはアメリカと条約を結んでいて、虫害対策に協力もしているそうだが、ここは日本であり一個人である。
「にゃー!」
そこへ颯爽とコロボックリが登場した。猫のように伏せてお尻をフリフリ、飛びかかる態勢万全である。
「あ、ルルちゃん! もうあなただけが頼りよ!」
「ルルちゃんさん、お願いしますー!」
上江についているメスのコロボックリはルルカルと名付けられ可愛がられていた。
「ふぎー!」
可愛さに頼もしさが加わり、ルルカルがGに飛びかかる。
どばきいっ! と鈍い音とともに、床に穴が空いた。
「にゃー! にゃー!」
「きゃー! きゃー!」
「ひえー! ひえー!」
逃げるG、追い回すルルカル、そして部屋の端で頭を抱える上江と山吹。
「何をやってるんですかってぎゃああぁぁ!」
大家が扉を開けて飛び込んでくるのと、Gがバサバサと扉の外へ向かって飛んで行くのは同時のことであった。Gが顔面に飛び込んできたら、もう失神するしかあるまい。
後日、大家にこっぴどく叱られ、壊れた床は山吹の神通力”壁塗り”で修復されたとのことである。合唱。
*
太郎右衛門も科学部なのだが今日はどっかん屋の特訓に付き合っていた関係で部活には来なかった。
文化祭に向けての活動草案がUSBメモリに保存されてるので、それを取りに来たのだ。
「……と、これだな」
用務員に事情を話して校舎へ入れてもらい、非常灯のみが輝く廊下を進む。
光の精霊人である
校舎側の部室へ入ると、目的のものはすぐに見つかった。机の上に無造作に置かれている、お寿司型のUSBメモリ。変なデザインが流行っているのだろうか。それをポケットへ突っ込み、校舎から出たところで何かの気配に気づいた。
国道を走る車はまばらである。遠くにはインターチェンジが見える。月は、下りつつある。
第一高校の上空に、彼女は佇んでいた。足場もなく空中に佇んでいることから、高位の精霊人であることがわかる。
白く長いスリットスカート、金属製の胸当てと羽根付き帽子、そして腰に挿した剣。
欧風の女性戦士然とした姿は凛々しくも、白い仮面に覆われて素顔は判別できなかった。
彼女はただ空中に佇み、景色を眺めていた。何かに思いを馳せているのかもしれないが、仮面に隠れて顔色は伺えない。
そんな彼女の前に、もう一つの人影が現れた。途端、彼女に緊迫が走る。
「ワルキューレ……ここで張っていれば、いつか現れると思っていた」
こちらも精霊人だろう、狩衣と呼ばれる平安衣装に身を包んだ男性が、彼女の前を遮るかのように立ちはだかった。
かつぎという半透明の布をかぶり、こちらも素顔は窺い知れない。布越しに狐の面らしきものも見え、徹底している。
「牛若丸カ……ワタシヲ捕ラエニ来タカ?」
牛若丸とワルキューレは旧知の間柄にあるが、コードネームで呼び合うだけでなく、声色まで変えているあたり、二人の間に刻まれた深い溝を物語っていた。
「今の俺にそんな力はない。全盛期だったとしても、お前を力づくで止めることはできまい」
ワルキューレは内心舌を打った。たしかに彼は全盛期の力を失ったが、幾つかの条件を満たせば今でも制限時間付きながら取り戻せることを知っている。
そうすれば、この退屈も少しは紛れるというのに。
「それに、国連が対応にあぐねている。公式の立場では、俺はまだ動けん」
「フン……国連ノ犬メ。セッカクノ夜景ガ台無シダ」
立ち去ろうと背を向けるワルキューレに、声がかかる。
「待て、お前に伝えたい事がある」
「えんでぃんぐ後ノ世界ノコトカ? ソンナ話ハ聞キ飽キタ」
「そうじゃない。俺は……」
「知ラン!」
ワルキューレは一喝して、牛若丸を黙らせた。侮蔑の眼差しで彼を見下ろし、
「ワタシノ冒険ヲ、オ前ナンカニ邪魔ナドサセナイ」
夜空に溶け込むように、ワルキューレの姿が消える。残されるは、悔悟の念に暮れる牛若丸のみ。
「あいつ……やはり、俺が言ったことを今も気にしているか……」
本来人には気づかれない上空の出来事だし、夜の学校に人がいるとは彼らも思っていなかったろう。
だから
それでも、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「なんか、またきな臭くなってきやがったな」
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