第5話(風雪月花!1の3)
3
プールは体育館の地下にあり、天候や季節を問わずに使える。
プールの授業は季節に合わせて行われ、その時期はもう一週間ほど先。
一階には畳張りの道場があり、柔道や剣道の授業や部活動に使われる。二階が集会や室内運動に使われる、一般的な室内コートとなっている。
精霊人は公式大会に出られないという都合上、第一高校の運動部はみな弱小。
水泳部は存在せず、設備もなかば無駄なものとなってしまっている。放課後は一部の生徒が遊び半分で使う程度だが、今日はどっかん屋といきもの係の貸し切りである。
泳ぐわけではないので、どっかん屋の面々は制服のままプールサイドまで降りてきた。見るとプールの対岸に、いきもの係の四人がいた。
火の精霊人、
木の精霊人、
土の精霊人、
そして水の精霊人にしていきもの係リーダー、
「おーい! 風リーン!」
ぶんぶんと手を振るフレンドリーさといい、風鈴ではなく風リンと愛称で呼ぶさまといい、ひばちのこのあたり美優羽とまったく同じノリだが、風鈴は少しばかりの違和感を覚えた。
「あんたが普通に登場するなんて珍しいわね。いつもだったら死角から飛び蹴りかましてくるのに」
微妙に警戒しながら、風鈴は対岸まで回る。
ひばちは”
「え~、だってさぁ~」
だが風鈴の警戒などつゆ知らず、ひばちは恋する乙女のごとく身体をくねくねさせていた。
……キモい。風鈴の率直な感想である。
上目遣いに、ひばちは言った。
「だってさ、怪我させちゃ悪いじゃん?」
イラッ。
風鈴は思い出した。そうだ、こいつは雑魚だった。実力伯仲など過大評価のしすぎだった。
「あんたごときが随分言うようになったじゃないのぉ、あぁん? なにか根拠でもあんのかしらぁ?」
こめかみに青筋を立て、斜に構えて睨み上げる風鈴。いわゆる”メンチを切る”である。風紀委員どころかほとんどヤンキーである。
なお、ここまで山吹はオロオロと、あすなろはのほほんと、上江はニコニコと黙って事の成り行きを見守っている。
ひばちはまったく動ぜず、むしろさらにくねくね(キモい)させ、
「根拠ってほどじゃないけどさあ、ほらぁ、気づかない?」胸を張ってみせた。
「薄い胸ふんぞり返したって、大きくは見えないわよ?」
「おめえがむやみにでかすぎんだよっ!」
普段は使わないおっぱいネタで攻めてみたところ、ひばちは見事に素に戻って怒鳴り返してきた。ちょっとスッとする風鈴。
こほんと咳払いをし、ひばちはスカートのポケットから何かを取り出した。
「ほら、これだよこれ!」
”都島”と名字の掘られた、赤い名札である。
なによ名札がどうしたっていうの、と言いかけて思い出した。
上履きの色は学年を示し、赤は一年、青は二年、緑は三年。どっかん屋もいきもの係も全員一年生なので、上履きは赤のおそろいである。
その上履きと同じ赤色なので見逃すところだったが、名札の色は別の意味がある。
レベル30未満の
これは、精霊人は高レベルになるほど身体の頑強さや運動能力も向上するため、レベルの極端に違う者同士でトラブルがあったときに怪我をさせないようにという配慮から用意されたものである。
どっかん屋は全員黄色の名札で、それはいきもの係も同様のはずだった。
赤い名札を見るのは初めてだったので気づくのが遅れたが、思い出した。赤のレベルは──
「でゅわっ!」
どこかの光の巨人みたいな掛け声で、ひばちは名札を装着した。なお今の動作とこのあとの現象は無関係である。
まず、ひばちの身体から炎が吹き出した。ごく側にいた風鈴だが、不思議と熱はあまり感じない。瞬間的にはかなりまばゆい光を発し、思わず飛び退いた。
光は虹のように七色に輝き、最後に透明度の高い赤色で安定する。揺らめく炎とは対象的に、真紅のポニーテールは黒髪へと変わる。
首元には仮面が現れる。それは意思でも持っているかのように動き、彼女の顔にピッタリとはまる。
「これが! あたしの! 臨! 戦! 霊! 装!」
ばっ、ばばっ、ざんっ、しゃきーんっ! とか効果音でも入りそうなポーズを決め、しばし。
「あー、えーと……」
ひばちの変身シーンを呆然と見ていたどっかん屋一同、いまいち立ち直れないまま風鈴が口を開く。
「いちいち派手な振り付けだけど、何か元ネタでもあるの……?」
「ないけど注目するのはそこじゃないから! ほら、臨戦霊装だから!」
「では、なぜ仮面だけ夜店のやつなのかね?」
「夜店じゃないやい! 臨戦霊装の一部だい!」
風鈴、花丸と続く突っ込みに、律儀に答えるひばち。なお仮面は光の巨人。
「って臨戦霊装ってちょっと待った! なんであんたがいきなりそんなの会得してんのよ!?」
「やっと正気に戻ったかい」
仮面を外し、やれやれと、ひばちは肩をすくめた。
「臨戦霊装は”戦意”をきっかけに発動するわ。性格上、都島さんが一番会得が早かったわね」
プールサイドには、いつの間にか篠原未来教諭がいた。本日手にする本は「おはようからおやすみまで(僕の)暮らしを見つめる姉」。ヤンデレだろうか。
「そういうわけで、いきもの係のみんなが臨戦霊装を会得したから、これからお披露目式です」
聞き捨てならない単語を聞いた。
「……みんな?」
「ええ、みんなよ」
風鈴を始め、どっかん屋はレベル60台。先週あった精霊人に課せられている月次検診の結果はまだ受け取っていないが、大して変わっていないだろう。
「あたしたちはこの一ヶ月、篠原先生の特訓を受けてたんだよ」
「特訓というか、特別講習みたいなものだけどね。そのあたりはあとで話すわ」
いつの間にかプールサイドにいるのは未来とひばちだけで、あとの3人はどこかへ消えていた。
「乙女の着替えは見ちゃダメっすよー」
「着替えというか変身だけどねー」
「は、恥ずかしいですー」
更衣室から話し声が聞こえてくる。あちらへ行ったのか。
「て、てーい!」
なんか可愛い掛け声がした。ほどなく扉が開くが、出て来る気配はない。
「ほら、早く行くっすよ!」
「お、押さないでくださいぃ」
と上ずった声で出てきたのは、おそらくは山吹なのだろうが──
「きぐるみじゃん!」
「きぐるみじゃん!」
「かわいい」
「かわいい」
どっかん屋の評価はまっぷたつに割れた。
出てきたのは、角の生えた熊とも虎ともつかない、直立の獣。半開きの口からは山吹の顔が覗いていて、どこからどう見ても立派なきぐるみである。あと可愛い。
「それがあんたの臨戦霊装? もぐら?」
「は、はい。じゃなくてベヒーモスですぅ!」
ベヒーモスは旧約聖書に出てくる怪物だが、近年ではゲームでの印象のほうが強いだろう。彼女の臨戦霊装(?)も、原典とは関係なさそうなデザインだ。
「土系で強そうなのをイメージしろって篠原先生に言われて一生懸命考えたんですけど……」
うなだれる山吹。想像力が貧弱だったのだろうか。
「そうそう、あたしのはイフリートだよ。炎の女子高生でもいいよ!」
いらん情報がひばちから提供された。
イフリートも固まったイメージのない怪物だが、ひばちはそれを逆手に取って炎をそのまままとう形にしたのだろう。仮面が残念すぎるが。
「ガイア様みたいな格好良いのをイメージすればよかったです……」
「ガイアって、超高レベル精霊人の?」
「はい」
頷く山吹の顔には、憧憬の念が込められていた。
ガイアは日本が条約を結ぶ超高レベル精霊人で、臨戦霊装は白虎。2メートルを超える巨体に白虎をイメージした衣装で、女性ながら威圧感が凄いという。女戦士の代名詞とも言える存在だ。
「次は小生の番っすよー!」
元気良く響き渡る声に目を向けるどっかん屋だが、視界に入るその姿に理解が一瞬追いつかなかった。
「誰!?」
「誰!?」
「誰!?」
「誰!?」
なので、どっかん屋の評価は今度は満場一致した。
緑色のミニスカワンピース。未来教諭に負けずと劣らぬサラサラの長い金髪。背負うは木の弓。
目立つのは、先の尖った長い耳。長身で、満月時の留美音より背が高そうだ。顔立ちは細く美しい、絶世の美少女。
ファンタジー世界の大御所、森の妖精エルフである。
「ふっふーん、わかんないっすか? ではここで問題っす! 小生は一体誰でしょう!」
誰も何も一人称が小生で、語尾がッスの女生徒など一人しかいない。
「まさかとは思うが……あすなろか?」
「イエーッス! 姉御、大正解~! どうっすか? どうっすか?」
にっかり笑ったりくるくる回ったりとやけにテンションが高いが、このノリは確かに響あすなろである。
「しかし……そこまで変わるのは有りなのか? 完全に”変身”ではないか」
「臨戦霊装に決まりなんてないわよ。深層心理にある理想や憧れを反映するから」
花丸の疑問に、未来の解説が入る。
「じゃあ、小鹿さんのあのきぐるみも、理想?」
「……まあ、想像力にもよるから」
未来の補足にあうあう喘ぐ山吹。
「なので小生は仮面は無しっす。この顔を隠すのはもったいないっす!」
ニカッと、あすなろが白い歯を見せる。確かに見た目は完全に別人で、正体を隠す目的なら仮面は不要だろう。
「みんな! せっかくのプールなのに水着の美少女がいないのはおかしいと思わない? いやおかしい!」
わけの分からない反語表現で登場したのは、いきもの係リーダー、開平橋上江。
地下のプールなので高飛び込み用の台はなく、普通の飛び込み台である。その飛び込み台の上に、上江が水着姿で立っていた。
はっきり言って何の変哲もない、極めて地味でオーソドックスなデザインの紺色のスクール水着である。まあ上江は美少女といえば美少女なので、何を着ても映えるが。
「それがあんたの臨戦霊装?」
「ちゃうから! これはただのスク水だから!」
もう何が普通の衣装で何が臨戦霊装なのかあやふやである。神通力の流れを感じ取ればわかることではあるが。
「そういうわけで、とう!」
ざっぱーん、と上江はプールへ飛び込んだ。
…………。
…………。
…………。
浮いてこない。
「そういや彼女、泳げるの?」
「いや、泳げたはずだが。水の精霊人がカナヅチなんて笑い話にもならんし」
風鈴と花丸がひそひそ話をしていると、プールの底から光が溢れた。続いて無数のあぶくが湧いてきたかと思うと、ざばあっと水柱が立つ。
「かっぱっぱー!」
奇声を上げ、変貌を遂げた少女が飛び上がり、水面に立つ。
再び沈んだりせず、水面に立った。
「さあこれがあたしの臨戦霊装よ! 感想は十万文字以上!」
一冊分も書けるかいという突っ込みはよそに、水面に立つのは上江の面影を残す少女。
水色のワンピース水着に甲羅模様のリュックと、衣装はなかなか愛らしい。
問題は、黄色いくちばしと頭の──
「ハゲ?」
「ハゲじゃないから! お皿だから!」
ぼそりとした突っ込みに、彼女は過剰なまでに反論した。
「ほら、取れるでしょ?」
仮面代わりであろうくちばしとお皿を取ると、そこには確かに上江の可愛い顔があった。いや少しばかり細面になったか? 双子の弟、太郎右衛門と並べばわかるかもしれない。
「河童ってどうにも可愛い子がいないから、イメージするのに苦労したわ。篠原先生の助言がなければ、典型的な女河童になってたかもしれないと思うと、冷や汗が出るわ」
しみじみと上江は語る。どうやら河童をイメージした臨戦霊装のようだが、衣装にその印象が薄いぶん、仮面に偏ったのだろうか。
「臨戦霊装だと泳ぐのめっちゃ速いのよ。ほらほら!」
水しぶきを上げながらモーターボードのような勢いで、大して広くないプールをグルグルと上江は泳ぐ。手足の動きとスピードがまったく釣り合っておらず、神通力を使っているのは間違いなさそうだ。
「さて、みんなにはもうひとり紹介しておきたいんだけど」
未来の合図に合わせ、学ラン姿の生徒がプールサイドにやってきた。風鈴と花丸には馴染み深く、留美音と美優羽も顔は知っている男子生徒。
「え、太郎右衛門君? まさかあなたも特高レベルに?」
「いや、僕はまだまだ」
パタパタと手を振る太郎右衛門に、風鈴は息をつく。彼にまで出し抜かれたのかと焦ったのだ。
「名札が黄色になっているな」
冷静な、花丸の指摘。
「あ、本当だ。じゃあレベル50台に?」
「うん。それで、神通力を披露しろと先生に言われて」
ひたひたと、彼はプールの縁まで向かう。
「開平橋って何の精霊人だっけ?」
「氷だぞ」
「そうなると披露する神通力は……」
「プールでわかりやすい神通力を披露するとなるとさ」
なんか井戸端会議のおばちゃんかのように、ざわざわと語り合うどっかん屋一同。ちらちらと太郎右衛門とプール内に目線を送る。
「凍結!」
太郎右衛門は水面に手を置き、名前そのまんまの神通力を展開。みるみる水面が凍りつき、
「ぅきょおおぉぉ!?」
いまだ元気よく泳ぎ回っていた上江ごと凍りつかせるのだった。合唱。
*
「神通力を使うときはちゃんと左右を確認しなさいってお姉ちゃん言ったじゃん!?「いや言ってないけど「なんですってえ!?「いや悪かったって姉さん「凍ったら動けないじゃん!? 寒いじゃん!? 危ないじゃん!?「レベル50に特高レベルは倒せないから「なんですってえ!?「いや悪かったって姉さん「だいたいあんたは「…「…「…
なんか延々と姉弟の言い合いが繰り広げられているが、それはさておき。
「風鈴、これを」
「なに?」
未来から手渡されたのは、”篠原”と彫られた赤い名札。にこりと、姉が笑みを見せる。
「この前の検診の結果が出たわ。おめでとう、あなたも特高レベルよ」
「え? え?」
「ほお。我々の中では初だな」
「風リンすっごーい! 特高レベルのフレンズだね!」
「おめ」
メンバーたちからそれぞれの祝福が送られるが、風鈴はまったく実感が持てない。
「だって、あたしまだ臨戦霊装……」
「そ。だからここからが今日の本題よ」
姉の笑みは、少しばかり怖いものがあった。
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