霊園に行こうとしていた
「何処か行くの?」
いそいそと上着に袖を通していると、ソファーに座っている陽香に尋ねられた。
「霊園に行ってくる」
「なんで?」
間髪入れずに問いが重ねられる。
「犯人捜しだ」
「今は入れないでしょ。警察の方々が通せんぼしてるわ。それに証拠を探そうったって、プロである警察官がシラミ潰しに探しているだろうし、彼らの見逃しをしろーとのオーリが発見できるの?」
「それは……確かに、そうだろうけどさ」
陽香の言葉はもっともだ。正論だ。正しすぎる。けど、俺は
「いてもたってもいられないってところなんでしょ」
言い淀んでいると、陽香が愛おしむように笑んで、そう言う。その通りだった。
「オーリ、今のあなたは自分が冷静じゃないってことを、まず自覚して。頭に血が上っているのよ。無理もないことだけど。けど冷静な判断ができない中で行動するのは、危険すぎるの。……ね?」
まるで幼子を諭すかのような陽香の言葉。
血が上っている。確かに、そうだ。無理もないこと。確かにそうだ。クラスメイトが殺され、殺されて、あんな挑発まがいのことをされ、犯人に認識されていて……感情がごった煮だった。見知った人間を殺された怒りと、知り合いを失った悲しみと、犯人に確かに認識されているのだという、恐怖との……
「分かった?」
「ああ。わるい、気が急いてた」
「いいのよ。怖い気持ちだってじゅーぶん分かるもの」
ふふ、と彼女は笑い、笑みを形作ったまま、
ヂ「 、」ヂヂ「あなたを殺させはしない」
そう、言った。ノイズとノイズの不自然な間には、何の音も挟み込まれていなかった。慣れたものだ。この妙なノイズにも、慣れてしまっている。あるいは、気にしなくなるほどに心が削れてしまったか、だ。
「……だからって、お前が死ぬのは無しだからな。俺がそれを望まない」
「ふーん、心配してくれるんだ?」
「当たり前だろう。人が死ぬのは……つらいことなんだ」
「ねえ、オーリ?」
「うん?」
「抱き着いてもいい?」
「なんでいきなり」
「喜びが急浮上しちゃったの。そんな真剣な表情で私の心配をしてくれるだなんて、喜ばしいにもほどがあったから。さっきの決意だってとってもかっこよかった。私ってほんとのほんとにあなたのこと好きなんだって再自覚したわ。ね、いいでしょ? 飛び掛かろうと思ったけど自制して、いちおう聞いたの。良い子でしょ、私。だからいいわよね? ね?」
言いながら、陽香はすでにソファーから立ち上がり、じりじりと俺との距離を詰めてくる。顔は上気し、鼻息は荒い。今まで黙って座っていた舞が、「ほわぁぁ、大人の階段……!」と頬を染めながら俺たちを見ている。大人の階段ってなんだよ。
「いや、陽香、ちょ、ちょっと待────」
ピンポーン。
再び、鳴るインターフォン。
陽香の抱擁を受け容れるべきかどうするべきかと悩む俺にとって、その音は逃げ道だった。
「お、お客さんだから、ちょっと待っててほしい」
そう言い、彼女の返事を聞く前に玄関へと向かう。
靴に履き替え、扉を開けようと手を伸ばし、一瞬の躊躇。さきほどのハンカチが頭をよぎる。意を決し開けると、そこには────
「こんにちは、桜利くん」
黄昏のような眼差しで……けれども光の加減のせいか、蒼白な顔色で無理に微笑んでいるような、一乃下夕陽の姿があった。傘を片手の彼女の向こうから、ゴロゴロと雷の音が聞こえた。
「夕陽……」
どうして、と俺が口を開く前に、背後から感情の昂った声で、「どろぼー猫!」と聞こえてきた。陽香だった。途端に夕陽の表情が不愉快に歪んだ。
「……出会いがしらに人を泥棒猫呼ばわりするなんて。なんてモラル溢れる人なのかしら、未知戸さんは」
「ユーヒ、今回のあなたは本当にタイミングが悪い。間が悪いなんてものじゃないわ……! せっかく、よーやく! オーリと次のステップに進めるかと思ったのに!」
「はあ? 次のステップって……なんのことだかよく分からないんだけど」
「いやらしいことに決まってるでしょ!」
人の家の玄関先で、しかも大声でそういうこと言わないでほしい。
「い、いやらしいって……」
陽香の発言に虚を突かれたのか、夕陽が言葉に詰まりつつ、視線を俺の方へ向ける。俺の困惑の表情になにかを察したのか、夕陽は「はあ」と息を吐くと、「どうせ、未知戸さんが暴走したんでしょうけど」と吐き捨てた。「暴走って……!」と何かを言おうとしている陽香を遮り、
「それよりも、」
と夕陽は気を取り直して言う。
「見た?」
見たか、という質問。
それはきっと、尾瀬のことを指している。
「見たよ。俺も、陽香だって……なあ?」
ぶすくれている陽香に言うと、「ええ。見たわ」と小さく返事が聞こえた。
「そのこともあるのだけど、私が来たのはそれに関連する……別の、理由」
見れば、夕陽はポケットを探り、二枚の紙切れ? のようなものを取り出した。白く光沢があり、それは……フィルム写真、だろうか。とはいえ裏返されており、どんな写真なのかは分からないが。
「私のアパートのポストに、これが入ってたの。誰かが入れたのでしょうけど……」
夕陽は裏返したままで、中々写真の内容を見せようとしない。
「どんなのが写ってるの? 裏返したままじゃ分からないじゃない」
陽香の言葉に、夕陽は「見て気分の良いものじゃない。正直なところ、あなた達に見せるのだって気が進まないぐらい」
気分の良いものではない写真。夕陽はそれを見た、のだろう。それを見てしまったために……さきほどの夕陽の蒼白は、見間違えではなかったのかもしれない。
「でも、ごめんなさい。持ってきてしまった。私一人だけがこの写真の中身を知っているのは、耐えられなかった……こわ、かったから……」
そのまま泣いてしまいそうなほどに、夕陽は落ち込んでいる。それほどのものが写っている。直近の、殺人事件が、脳裏をよぎった。まさか、と思った。
「それって……」
この予想がどうか、当たらないでくれ。
「い、いや、いいのよ、気にする必要なんてないわ。ねえオーリ、見ましょう。見ましょうよ、せっかくユーヒが持ってきたんだから」
陽香が気を使うほどに夕陽は憔悴している。
「ああ……だな。怖い思いは共有するべきだ。その方が、恐怖は薄らぐだろうから」
そして、項垂れる夕陽からフィルム写真を受け取り、表側を見て……「ひっ……!?」か細い悲鳴は、陽香のものだ。俺はというと、耐えた。なんとか耐えられた。予想はしていたから、歯を食いしばっていたから。
写真は、カラーだった。だからより一層鮮明に、写ってしまっていた。
なにが、か。赤いものだ。赤い液体に塗れたものだ。
「っ……!」
歯を噛み砕かんばかりに顎に力を入れる。でなければ腹の底から恐怖が、悲鳴がこみ上げてくる。どうしようもないほどの嘔吐感が駆け上ってくる。
二枚の写真。
それぞれ別の人間が、写っていた。
園田桜子と、尾瀬静香の二人だった。
首から下がなく、何処かの机の上に置かれてぼんやりとこちらを見つめる園田桜子と、
血塗れの胸部をさらけ出し、涙の筋を頬に引いて事切れている尾瀬静香の、
二人だった。
「う、おぁ……!」
耐え切れず、俺はうずくまり、脂汗を浮かべ、息を荒くし、それでも必死に歯を食いしばって、こみ上げてくるものをこらえ続けた。吐いてしまえば楽になるのだろうが、それでも必死に嘔吐感を押さえ続けた。
「と、トイレ借りるっ……!」
陽香がトイレへと駆けていく。
「ごめん、ね。桜利くんも、未知戸さんも、巻き込んでしまって……ごめんなさい……」
細く息絶えそうな夕陽の声が耳元で聞こえ、優しくさする彼女の手を背中に感じていた。
結局、俺は吐かなかった。
嘔吐するのを、耐え続けた。
悲鳴も、嘔吐も、こらえ続けた。
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