決意した
紙片の内容は、ワケの分からない手紙だった。
舞台の幕は上がっている。とっくの昔に上がっている。どこが始まりか分からない。誰も、分からない。意味が分からない。いや、分からないのがきっと正解だ。謎めいた言葉の羅列で煙に巻こうとしているだけだ。
それに、誰が殺した? だと。
まるで、この手紙の差出人がそうでないみたいな書き方だ。殺してませんよ、知りませんよ。誰が殺したんでしょうね、こわい、怖いですね……みたいな、言い方だ。知らなくてどうしてこんな手紙を、血濡れのハンカチを、俺のところに持ってこれるんだ。どうしてこうも、ふざけていられる。
「綺麗な文字ね。どこのどろぼー猫かしら」
すぐ隣で紙片を覗き込んでいた陽香が、そんな感想を漏らしながら包丁の先端でつつと文字をなぞる。
「あなたのできなかった告白の返事、ねえ……オーリ、憶えある?」
できなかった告白の返事。俺は告白なんてされたこと……いいや、あるにはある。あの、手紙だろうか。数か月前に貰った、誰かからの告白文。ラブレター。結局誰だったのか分からずじまいの……
「……ない」
「ふーん。ならこの手紙の差出人は、とんだ妄想家なのね。ありもしなかったことを、さもあったかのように思っている────狂人、よ。ま、そーでもなければ人なんて殺せないんだろーけどっ」
辛辣な陽香の評に、彼女の怒りを察した。怒るべき。そう、怒るべきなのだ。この手紙の差出人は、きっと尾瀬を殺した人間だ。こいつが、殺したんだ。尾瀬も、園田も、こいつが……それに、あの公園にいた、探し物をしていた男の人も……たぶん。
「捕まえてやりましょうよ、オーリ」
「……だな。捕まえてやろう」
きっと、こいつが犯人だ。そうに違いない。
「俺が必ず、この犯人の正体を暴く」
自らに言い聞かせるよう、雨打つ路上へ向けて言う。
そうだ。誰にでもない、俺は自分に命じた。決意した。
血に濡れたハンカチを家の前に置き去り、ワケの分からない内容の手紙を寄越してくれた。犯人以外の誰にできよう? できはしまい。できやしないのだ。
「オーリったら、いつになく熱いことを言うわね。なんかめずらしー」
からかうように、陽香がくすと笑った。「でも」とすぐに表情を改め、真剣な眼差しとなった。「あまり無茶はしないって、約束してね。二人も殺している相手なんだから」
心配するように不安げに、陽香はそう、言い切った。……言い切った。いや、いいや、これは違う。俺の考えすぎだ。あの質問だって、間が悪かっただけ。そもそも彼女にはそうする理由がないんだ。少なくとも俺には思い当たらない。「オーリ? 返事はー?」
「……分かってる。俺は死ぬ気はない。少なくとも犯人を見つけるまでは」
「そっか……ねえ、オーリ? ちょっとこっち向いて」
服の裾を軽く引っ張り、陽香が俺に言う。
「ん……?」
「ふふんっ」
陽香の顔は、なぜだかドヤァとしていた。口端が自慢げに吊り上がっていた。
「あなたの決意に……ショクハツ? だっけ? なんかそーいうのされてね、私もひとつの決意をしたの」
降りしきる雨は弱る兆しなく、強まり続けている。ざあざあと騒がしく聴覚を妨害する。そんな最中、陽香の決意が、俺の耳へと伝わりくる。
「あなたを必ず捕まえてみせるから」
そう言う彼女は、ふんす、と、なんとも意気揚々とした様子だった。
「そうか……ん?」
どう返答したものか逡巡していると、家の前に車が停止した。明らかに我が家の門の前に、停車した。白と黒の無彩の車体に赤色灯を乗っけた一台の車が。パトカーが。
「パトカーね」
「パトカーだな」
パトカーから出てきたのは、警察の制服を着た二人の男。
「突然ですまないね。君に少し、話を聞きたいんだが……久之木桜利くん……は、きみだな」
片方の、厳格そうな男が、警察手帳を見せながら俺へと言う。警察手帳って本当に見せるんだ、と場違いな感心が湧いた。そこに記載されている彼の名は、
「尾瀬静香さん……もう、ニュースで見たかもしれないが、殺された尾瀬静香さんが最後に会ったと思わしき人間がきみのようだ。被害者の母親が、そう言った。時間は取らせないよ。少し、話を聞かせてくれるだけでいい。きみが昨日何をしていたのか、をね」
口ぶりは穏やかだったが、彼らの視線には有無を言わせない強制があった。
「分かりました」
大人しく従う俺に、彼らは「パトカーの中で話を聞かせてもらう」とだけ言い、後部座席を開けた。
十六歳にして、初めてパトカーに乗ることとなった。
「あ、あの、私もっ」
陽香の言葉を片手で遮り、「家の中に入っててくれ」と彼女に伝えると、しぶしぶといった様子で踵を返した。警察官の方々も、陽香に対しての疑いは無いようだった。それもそうか。陽香と夕陽とは、偶然、霊園内で遭遇しただけなのだ。恐らく尾瀬が親に言った言葉は、同じクラスの俺と死んだ友人のお見舞いに行ってくる、という内容だったのだろう。夕陽と陽香が霊園内にいたのが事実だとしても、それを話してことをややこしくする必要はない。
「尾瀬静香さん、は、きみの知り合いだね?」「何時ごろ、別れたのかな?」「彼女におかしな様子はなかったかい?」「これから誰かと会うとかは言ってなかった?」「その日、きみは何をしていた?」「きみと彼女は、どんな仲だった?」「彼女は誰かに恨みを持たれるような人間だったかな?」「その日、きみたち以外に霊園内に誰かいたかい?」「きみの周りにおかしな人はいた?」
質問責めに「いいえ」や「知りません」「家にいました」などと無難に答え続けていると、「ありがとう。お時間を取らせました」と儀礼的な態度で礼を述べられ、俺は解放された。えらくあっさりとしたものだった。
助手席側の窓を開け、先ほどの茂皮さんが顔を覗かせる。眉を引き締め、真剣なまなざしで、彼は口を開いた。
「しばらくは出歩かない方がいい。犯人は、きみの姿も見ているかもしれない」
忠告だった。
そして茂皮さんはにこりと破顔すると、
「久之木くん、きみは確か……娘のクラスメイトだったね」
「あ、やっぱりそうだったんですか。なんだか聞き覚えのある名前だなあって」
「そう、私はきみのクラスメイトの茂皮正美の父親だ。娘からはきみと、きみの友だちの三択くんのことをしばしば聞くよ。仲良しコンビ、だとね」
「そうなんですか」
レモンの話を家族にしている茂皮さん。やはり、なるほどな、と合点がいった。どうやら我が幼馴染には春が近いようだ。
「尾瀬静香さんについては、娘の友人として来訪するのを見たことがあるから私も知っている。今回の件は……そうだな、一人の父親として、娘にかける言葉が分からなかった」
視線を伏せて、茂皮さんはやるせないと言った風に首を振る。それは警察官としての儀礼的な振舞いではない、一人の人間の、父親としての表情だった。そして彼は一度目をつぶると、また、今度は警察としての面差しとなり、言う。
「我々は犯人逮捕に尽力する。なにか思い出したり言い忘れたことがあったならば、どんな些細なことでもいい、すぐに教えてほしい」
「はい」
「それでは、ご協力ありがとう。きみの友だちにもよろしく言っておいてくれ。これは父親としての勘に過ぎないがね」
そう笑うと、茂皮さんを乗せたパトカーは走り去って行った。我が幼馴染は、いつかはあの厳しそうな、恐らくは刑事であろう方と対峙するときがくるのかもしれない。そのときは頑張ってほしいものだ。レモンに坊主へ戻すことを進めてみるか……茂皮さんのお父さん、モヒカンとか不真面目な髪形を嫌いそうだし。
パトカーを見送り玄関へ振り返ると、ドアを少し開けて陽香が覗いていた。
「お、オーリ……? 大丈夫だった? 爪とか剥がされなかった?」
不安げな彼女に、微笑ましさが湧いた。自然とこぼれ出る笑みを携え、「平気だよ」とだけ答えた。
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