幽霊とバスに乗った

 霊園のふもとのバス停まで来たとき、俺たちより先にバスを待っている人たちを見つけた。「うふふ」と笑う和服姿の女性と、「えひひ」と笑う金髪の少女である。……ああ、うん。


「桜利くん、桜利くんっ」

「わ、分かってる、分かってるっ」


 小声で夕陽が言う。肩越しに少しだけちらと振り返る。顔がこわばっている。言いたいことは分かる。夕陽の言いたいことはすごくよく分かる。「桜利くんってば」袖を引っ張らないで。分かってるから。


「んー? あの二人組……」


 陽香もどうやら勘付いたようである。無言で、俺と夕陽の方を見た。顔がこわばっている。俺たちは二人して頷いた。そうだよ、陽香の考える通りの人物だよ、と。「どうしたの?」尾瀬だけが頭に疑問符を浮かべている。


「ここにくるバスはいったい何処へ向かうことになるのかしら。もしかして、あの世? あの世なのかなぁ、桜利くん。ねえ」


 すぐ背後に控える夕陽が、微かに震える声でぼそりとそう言った。あまり俺を怖がらせないでほしい。


「まー大丈夫でしょ。危害なんてないはずだし」


 そう言うと陽香は、バス停で恐らくバスを待っているだろう和服の女性と金髪少女が座るベンチまでずんずん歩み始めた。あなた達も来なさい、と俺たちに視線を送ってくる。尾瀬は陽香についていっている。和服女性と金髪少女のオカルトを尾瀬は知らないらしい。

 無言で背後にいる夕陽を見ると、彼女もまた無言で俺を見ている。


「……行くか」

「……ええ」


 すると、


「あー、あのときのラブラブのおねーちゃんとおにーちゃんだ!」


 見つかってしまった。


「レナちゃん? ああ、あら、あら。あなた達はあのときに見つめ合っていた……」


 和服姿の女性のほうにも見つかった。


「はあ? どういうときのことよそれ」

「そ、そんなことあったの?」


 陽香と尾瀬にそう言われた。「ははは」ととりあえずは笑って流そうとした。「いつのこと?」流せなかった。


「お前が病気で休んだ日のことだよ。それにラブラブというのは誤解だ。事情があった」

「へえ、誤解? 誤解なんだー。ならいいわ。誤解なんだもの。ねー、ユーヒ?」


 ふふん、と陽香が口端を吊り上げ、挑発するように夕陽を見た。夕陽は無表情に陽香を見つめ返し、キッと俺の方を睨んだ。言葉の選択を誤ってしまったようだ。どう言えば良かったんだ。


「……お、お久しぶりですね」


 まずは夕陽が気を取り直すように咳ばらいをひとつし、にこやかを振舞い挨拶をした。顔が少しこわばっている。「どうも」と俺も会釈をした。


「ふふー。きれいなおねーちゃん三人とかっこいいおにーちゃん、こんにちは」

「あら、あなた分かってるわねー、こんにちはー」


 陽香が笑みを浮かべてそう返し、尾瀬や夕陽に俺も「こんにちは」と挨拶を交わした。

 金色の綺麗な髪の少女。外国人か、それともハーフなのだろうか。人懐こい笑みを浮かべ、陽香と尾瀬を相手に楽しそうに会話している。


「ヒノカおねーちゃんっていうの?」

「そう。それでこっちがシズカおねーちゃん。お胸が一番大きいおねえちゃんよ」

「ちょ、ちょっと陽香ちゃん」


 なにを教えてんだ。


「おむね?」

「そう、おむね」


 金髪の少女がじぃっと尾瀬を見つめ、「いい?」とだけ聞いた。「え、うん」と尾瀬は困惑しながらも頷いた。すると、金髪の少女がぺたぺたと尾瀬の身体を触る。頬をつんつんしたり、ポケットの中に手を突っ込んだり、胸元を触り「おお……!?」と感動したり。


「あはは……」


 戸惑いながらも、相手が小さい少女だからか、尾瀬はされるがままにしていた。


「すごい、おっきい……」


 だろうな、とは思う。するといつの間にやら隣にいたのか、陽香が目を細めてジトっとしている視線を送ってきていた。言わんとすることは分かる。


「ヘンリー」


 はい。


「あの子が羨ましいって思ってたでしょ」

「思ってない」

「嘘を吐きなさいっての。目がそう言っていたわ」


 その後、バスがやってきて、俺たちと親子のような二人連れは一緒に乗り込んだ。陽香と尾瀬が並んで座り、そのすぐ後ろに俺と夕陽が座った。

 俺たち以外に乗客はおらず、きちんとまともな目的地に着くのだろうかという不毛な懸念があったものの、バスは無事に俺たちの目的地である朝陽ヶ丘通りのバス停へと着いて、みんなで降りた。親子のような二人連れは下車しなかった。

 そして尾瀬が「このあと寄るところがあるから」と先に別れた。


「じゃあね、またー」

「ああ、またな」


 去り際、俺たちは尾瀬とそう挨拶を交わす。


「あ、そういえばハンカチ……洗濯してからでいい?」


 ポケットから俺のハンカチを取り出し、尾瀬は言う。さっき幽霊騒ぎのときに彼女の涙を拭いた後、渡していたものだった。


「え、あうん。ならお願いする」

「えへへ、りょーかいです。それならね、また────会おうね」


 最後、意味ありげに尾瀬がそう言った──ように思えた。

 そのすぐ後に、陽香もまた「ちょっと買い物したいから先帰ってて」と別れた。


「……二人ともさっさといなくなっちゃったわね」

「ああ、だな。大丈夫だろうか」

「ええ……それで私たちはどうしましょう。まだお昼ぐらいだけど、帰る?」

「そうだな、帰るか」


 そう答えると、夕陽がむ、とした表情となった。


「まだ、お昼ぐらい」

「うん……」

「お日様が空からこの街を照らしているわ。夜にはまだ早いもの」

「どこかで、お昼でも食べるか」


 夕陽は「ふふん」とした顔になった。それでいいの、といったような表情だ。今日の午後から予定があるわけでもなし、このままなにか適当に食べるのもまた良いものなのだろう。

 

 二人して通りを歩いていると、道の向こうから銃を構えた男をモサッフワッとしたような感じの巨大なぬいぐるみを抱えた見覚えのあるモヒカンが見えた。まさか、と思った。


「おお……? あれ、オーちゃんじゃんか。それに一乃下さんも」


 そのまさかだった。

 

「レモン、お前、それ……」

「ああこれ。ついさっきゲーセンで取ったんだ。でけえよなこれ。やべえわ」


 レモンの両手で抱えるほどの大きさのぬいぐるみだ。でかい。銃口を俺に向けているそのぬいぐるみの表情は、やはり暑そうである。でかい。太陽の日差しに、目を細めている。なんかほんとでかい。


「すごいわ。三択くんがとったの?」

「そう。そうなのよな。俺もまさか取れるとは思わなかったんだけどさ、取れちまったんだわ。どうしよこれ。どこに飾ろうか悩むわな……」


 レモンの太陽の精に対する熱意は、ひょっとすると俺の考えている以上なのかもしれない。ほんとにいったい、なにがこのモヒカンの興味を惹いたのだろう。そういえば睦月……霜月先生も、太陽の精のコレクターだったな……いったい、このやるせない人形にどんな魔力が……分からない。


「おや、いつぞやの少年ではないか」


 そんなことを考えていると、聞き覚えのあるバリトンが聞こえた。

 見るとこれもやはり、見覚えのあるダンディズムがいた。


「稲達さん」


「やあ」とダンディズム──稲達孤道が片手を挙げる。夕陽が俺の服をそっと引っ張り、「誰?」と小声で聞いてきた。レモンもまた、「どちらさん?」と巨大なぬいぐるみの向こうから俺にそっと聞いた。「探偵さんだよ」と答えると、夕陽はうさんくさそうな顔をした。レモンに関してはぬいぐるみが間にあるから表情が見えない。この二人と稲達さんは、面識はないようだ。


「ここで会うのも奇遇……ではないかもしれないね。私の事務所が、この朝陽ヶ丘通り、つまりはすぐ近くにあるものだからね」

「そうなんですか」

「うむ。雑居ビルの二階さ。一階には古本屋が入っていてね、まあ暇なときにでも来てみてはどうだろうか。今の君は、どうもお忙しそうだ」


 ははは、と稲達さんは笑う。隣、というか斜め後ろに控えている夕陽と大きなぬいぐるみを抱えるレモンを見ていることから、遊んでいる途中とでも思われているのだろう。実際、そうか。


「これから何処かに行くんですか」

「うむ。少し私用があってね、出かけるところだ。私に相談ごとがあったのなら、申し訳ないが後日にしてくれたまえよ」

「大丈夫です。今のところはありません」

「そうかね。それはそれで寂しいものだが……まあ、あまり引き留めるのも良くないかな。それでは、若人たち。青春は限りあるものだ。存分に謳歌したまえ」


 威風堂々といった振る舞いで、稲達さんは姿勢よく去って行った。


「探偵って……」

「俺もよく分からない人だよ」


 怪訝そうに言う夕陽へ、俺は本心のままを述べた。「なんかかっけえ……渋みのあるダンディズム、男の憧れというやつか……」レモンはダンディズムの醸し出すカッコよさに浸っていた。分かる。


「じゃあなぁオーちゃんに一乃下さん。俺にはこのぬいぐるみを家まで持ち帰るっていう重大なクエストがあるんだわー」


 と、レモンはそのまま、ぬいぐるみを抱えて去って行った。

 巨大なぬいぐるみを抱えたモヒカンって中々みられる光景じゃないなぁ、と去りゆくレモンの後姿を眺めつつそんなことを思った。

 その後は夕陽と適当なところで昼食を摂り、


「空、曇ってきたわね」

「降ってきそうだな」

「さっきまで晴れてたのに……」

 

 そんな会話を交わしつつ、二人で帰宅の途についた。

 途中で夕陽とは別れ、後半は俺一人の帰宅である。一人の帰宅で大丈夫だろうかと思ったが、夕陽は「平気」とだけ言ったため、その言葉を信じることにした。

 そして日は暮れ、雨粒の音が夜明けを連れてきた。



 今、言っておこうと思う。

 俺は夕陽と別れた後にまっすぐ帰宅し、その後は次の日の朝まで家を出ていない。

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