二人目が死んだ
多目的ホール内は講堂のようになっており、段々になった席は全てホール中央の教壇と黒板を向いている。俺たちはそこに好きなように座り、適当に雑談を交わしながら先生が来るのを待っていた。チャイムが鳴ってそう経たずに、睦月先生は現われた。
「あー……おはよう、みんな」
ただでさえくたびれている先生は、さらにくたびれたように見えた。先生はホール内を見渡すと、
「休みは……誰もいないな」
その言葉に、誰かが「あれ、でも桜子が……」と小さく呟いたのが聞こえた。数え忘れたりとかではないだろう。それでも休みはいないといった。一人足りないのに、休みではないと言ったのだ。ということは登校はしている。あるいは、学校内にもう既にいる。ああ……まさか。
「まずはみんな、理由を聞きたいのだと思う。なぜ、一年C組の教室が使えないのか、ということの理由をな」
そう言うと先生は目をこすり、一呼吸置いた。言いたくないことをどうにか言おうとしている人間の所作だった。
「一年C組の教室内で、人が死んでいた」
やっぱり、だ。
「それも……みんなの知っている人間だ。きみたちのクラスメイトなんだよ……」
すっかり憔悴しきったように、睦月先生は言う。死んでいたのはクラスメイト。その事実までを言っていいものかは、俺には分からない。ただ先生の様子から、言わずに黙っておくことはできなかったのだろう。
「だ、誰なんですか!?」
そう席を立ったのは、久山だ。図書委員の。彼も、薄々は勘付いているのだろう。いや彼だけじゃない、このクラス内のみんな、分かりかけている。
死んだのは、誰かが。
「……園田。園田、桜子だ」
どよめき。ざわめき。
顔を見合わせ、驚いて、誰もが勘付いていながら実際にその事実を前にするとまず絶句した。そしてそれぞれがそれぞれの友人と、瞳を見合わせる。軽く顔がにやけかけているものもいた。面白いからじゃない、信じられなさすぎて、自然と顔が緩んだのだ。そんな馬鹿なことがあるものか、と云った風に。
「そ、そんな、サクラが……」
園田の親友であるクラスメイトが、まず泣き始めた。彼女は事態の理解が早い。驚きと衝撃から、いちはやく悲しみに切り替えた。そしてそれにつられるように、他の女子生徒が泣く。男子生徒はまだざわざわと、信じられないと辺りを見回す。睦月先生はひた黙る。
「……園田、さん」
夕陽が言う。彼女は俺の隣に座っている。
「一昨日、会ったわね……」
「ああ……」
そして俺たちはお互いに黙った。
数分、あるいは十数分だろうか。
それぐらい経った時、不意に睦月先生が口を開いた。
「きみたちにはカウンセリングを受けてもらうことになった。一日にいっぺんに、じゃない。日程は僕のほうから各々に知らせる。それと、今日の授業はなし、だ。君たちは今から帰宅、他のクラスの生徒たちは半日授業の後に帰宅。期末テストも延期になるという話が上がっている。たぶん、決定するだろう。親御さんへ迎えに来てもらうように連絡をしなさい。そして帰るときは必ず僕に言うこと。誰も迎えに来れないようなら、僕が車で送る。必ずだ、必ず一人や自分たち生徒だけで帰ろうとは思わないこと。いいな?」
睦月先生の言葉に、俺たちは静かに頷いた。
静かな教室内、すすり泣きの声だけが響いていた。
◇
「桜利くんって、ああいう場所で涙は出ないのね」
「そういえばそうだな。冷たいんだろう、俺は……」
「別に責めているわけじゃないの。私も同じだから」
ホール内からは、どんどんクラスメイトがいなくなっていく。「さよなら」「さようなら」「また明日」「また」と挨拶が次々と交わされて、みんなが保護者とともに帰っていく。
「そ、それじゃあね、久之木くん。一乃下さん」
美月さんは心配そうな表情を浮かべ、俺たちへ別れの挨拶を送る。
「うん。また明日」
「さようなら、美月さん」
「二人とも、お迎えは大丈夫? だ、誰も来ないみたいなら、アタシがお母さんに言っていっしょにっ……」
「ううん、平気だ。ありがとう美月さん」
「その心遣いだけありがたく頂くわ」
「そ、そうなんだ……」
美月さんはやはり不安そうに、彼女の母親といっしょに帰って行った。
「オーちゃん、帰りだいじょぶなん? イチノカさんもな」
今度はレモンが、そう言ってきた。彼自慢のモヒカンが心なしかしんなりしている。
「平気だよ。ありがとな」
「私も大丈夫。ごめんね、三択くん」
「おう……で、でもさ、二人ともしっかり家に帰れよ。寄り道なんかすんじゃねえぞ」
「もちろんだ」
「ふふ」
こちらの身を案じるレモンに笑いかけ、「それじゃあな。また明日会おうぜ」と我が幼馴染であり親友の三択檬檸は帰って行った。夕陽がくすりと、俺に言う。
「良い友人ね」
「ほんとうにな」
見た目がモヒカンでも、中身は変わらない。ずっとあの男は、友達思いの優しいヤツだ。
そして、ホール内には俺たち二人だけになった。
みんな、保護者の迎えに与れたらしく、睦月先生が送らないといけない生徒はいないようだ。
「久之木に、一乃下。君たちはどうする?」
「えっと、知人が迎えに……」
「それは久之木の母親か父親の血縁なのか? 祖父だったり祖母だったりなのか?」
「それは……」
「なら、ダメだ。今日ばかりは、君たち生徒だけで帰らせるわけにはいかない。僕が送ろう」
二度目の嘘は通じなかった。
ダメみたいね、と夕陽が視線で俺に笑いかける。
「私もお願いします、睦月先生」
そして俺たちは学校の駐車場まで歩き、そこに駐車してある睦月先生の乗用車に乗り込んだ。俺も夕陽も、後部座席に座った。
「あ、これ。太陽の精ですか」
後部座席の隅に転がっているぬいぐるみを見、夕陽が言った。
「ああ、それか。妻と息子がUFOキャッチャーでとったみたいでね、自分たちでとっておいて、可愛くないから要らない、って僕に押し付けてきたんだよ。だから仕方なしに、車の中に置いているというわけだ」
そのぬいぐるみは、銃を構えた男をモデルにしている。レモンがコレクションしている太陽の精の人形をふわっとさせて少し大きくしたものだった。というかぬいぐるみタイプもあったんだ。もしかして意外と需要あったり……分からない。カルト的な人気でもあるのかもしれない。
「僕は意外と気に入ってるんだけどなぁ、そのぬいぐるみ。少し親近感が湧くのもあるがね」
睦月先生の琴線にも触れてしまっている。それに親近感ときたか。なにか魔力でもあるのかこれ。
「そうなんですか……」
夕陽の無難な相槌のあと、睦月先生は「はははっ。まあ、需要はなさそうだとは僕も思うよ」と笑い、エンジンをかけ、車を発進させた。
まず夕陽が家まで送ってもらった。途中、先生は軽く冗談を言ったりするなど、できるかぎり明るく振舞おうとしていた。
夕陽をアパートの前で下ろしたあと、今度は俺の家へと、先生は車を出発させた。
「……なあ、久之木」
ハンドルを握る先生が、前方を見据えつつ助手席に座る俺に言う。
「はい」
「園田とは、仲が良かったのか」
「園田……いえ、あんまり喋ったりとかはなかったと思います」
「そうか……なら、きみの公平な考えで良いから聞かせてほしい。あの子は、誰かに恨まれたりするような子には見えたか」
「……」
園田桜子。明るいクラスメイト。ものをはっきりと言う、という部分もあるように思えた。
「いえ、恨みを買ったりは……まあするかもしれませんが、それは少し嫌われたりとか、そういうのだけじゃないでしょうか。あくまで何の事件にも発展しないぐらいの」
睦月先生の質問は、あるひとつの仮定にたどり着く。
すなわち、
「久之木には、言ってしまおうかな。聞きたくなかったら、聞きたくないと言ってくれな」
「ここまで聞いておいてそれはできませんよ」
「はははっ、確かにな。わるいわるい」
園田が、
「園田桜子はな、殺されたんだ。恐らくは首を絞められて」
殺された、という。今や事実となった仮定を。
「土曜日に帰宅せず、日曜日になっても帰宅せずで、家族が心配していたらしいんだな、これが。僕も今朝知ったことだが。どうにも、友だちの家か、それか彼氏かなにかがいて、そこにいるんじゃないかって楽観してたらしい。日頃から家に帰ったりせずに友だちとカラオケに行ったり遊びに行ってたりしていたようだ。それを踏まえたとしても、今は通り魔が出ているんだ、即刻警察に届けるべきだったと僕は思うがな。少し、あの子の親御さんは放任しすぎるところがあった……いや、久之木に言うべきことじゃないな、悪い。そして日曜日の夜になっても帰らない。これはいよいよおかしいぞ、となって警察に行って……そして今朝、だ。教室の鍵を開けて回っていた教員が、教室の中で倒れている園田……と思わしき生徒を発見した」
「今朝、ですか……その、宿直の先生は」
高校には宿直の先生がいる。
その人が見回る際に園田を発見しなかったのだろうか。思わしき生徒という単語も気にかかる。
「ははは……鋭いところを突くなぁ、久之木は。そうだ、いたよ。こればっかりは完全に不手際だ、その先生の、そして僕たち学校側のな。見回ることをサボったのか、それとも単純に見落としたのか……本人はきちんと見回ったと、言っているんだがな。まあ実際見回ったんだろう、園田の遺体は、ちょうど入り口から死角になっていた、隅のほうだったんだ。ただ、教室の鍵が閉まっているかを確認して、入り口から少し見ただけだったんじゃないかと、僕は思うんだ」
「そ、そうなんですか……」
「他に何か、あるか?」
車は信号に止まっている。
「園田の遺体は、その、首を絞められただけだったんですか。それに恐らくって」
「だけ、とは……あぁ、そういうことか。それだけだよ。それ以外はなにもなかった。暴行の形跡も、なにもな。だから殺した人物はそういう目的だったわけじゃない、殺すために、殺したんだ。それかまあ、なにか見られたくないところでも見られたのか、だな。いわゆる口封じってやつだ。恐らくというのは……警察の方が、そう言ったんだ」
「そうでしたか……」
「直接の死因は首を絞められたことによる呼吸困難だが、暴れた形跡が、爪に犯人の肉や皮膚が食い込んだりはしていなかったそうだ。だから、暴れてはいない。恐らくは頭部を殴られて気絶させられたのではないか、とのことだ」
また、恐らく、という単語が出た。
「それだけ、ですか」
「……? それだけというのは……ああいや、そうか。久之木、きみは教室の中を見たんだったな」
「血が飛び散っていました。それに恐らく頭部を殴られてと先生は言ってて、その前に園田と思わしき生徒とも言ってます。それじゃあまるで」
まるで────首から上が、
「斬られていた。園田の首から上は無かったんだ」
首の無い、園田桜子というクラスメイト。
だから、恐らくと状況から推測するしかなかった。思わしき、というのもまた、
「近くに鞄が落ちていた。その中に、園田の私物と、生徒手帳が入っていた。検死もされることだろうから、本人かどうかの確認も取られるだろう」
睦月先生はぐ、と歯噛みし、悔しそうに、つらそうに、
「首を絞め殺したうえで、さらに斬ったんだ。犯人の意図が分からないし、怒りが湧いた。こうまでするのか、とな。一体あの子がなにをしたんだ。なにが、どうして……!」
腹の底からひねり出したように、先生は低く、そう言った。
俺は何も言えずにいた。言えずにいるうちに、自分の家が見えてきた。
「久之木……きみは、誰かに好かれていたりするか?」
「だ、誰かに、ですか」
突然趣が変わった質問に、俺は言葉に詰まった。それが今とどう関係するのか。
「分からないです、かね……」
「そうだなぁ。ま、青春したまえよ、若人」
あはははっ、と笑うと、先生は車を俺の家の前に停車させた。
「出歩いたりはするんじゃないぞ。もう、対岸の火事ではないんだ。この事件は危険だから」
「は、はい。今日はありがとうございました」
「なに、気にするな。それじゃあまた明日だ、久之木。明日は学校が休みになるかもしれないがな」
「分かりました。さようなら先生」
そして発進した睦月先生の車が小さくなるまで、俺はぼんやりとそれを眺めていた。
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