帰宅した

「うわきもののご帰宅だわ」


 危険だからついていこうかという俺の申し出に「そう遠くないから」と譲らなかった夕陽と渋々自宅の前で別れ、玄関の扉をあけるとすぐのことだった。上がり框に鎮座するマスク姿の陽香とご対面したのである。いつものサイドテールが解かれ、長い茶髪を怨霊のように顔全体に垂らしている彼女と。さっきの体験が体験だったので少し跳び上がってしまった。


「二階の窓から見てたから。あなたと転入生がお手々繋いで帰ってくるところを歯噛みしながら見てたから」

「ベッドで安静にしておかないと。まだ熱あるんだろ?」

「今欲しいのは正論じゃないっ」

「なら何が欲しいんだ。ポカリか」

「違う。私が今欲しいのはオーリの潔白の証明よっ。あの転入生の子と何もなかったっていう事実!」

「何もなかったよ」

「じゃあどうして手を繋いでいたのよ?」

「幽霊にあって怖かったから」

「はぁ? あたまだいじょうぶ? 幽霊なんて非現実的存在、いるわけないじゃないの」

 

 事実なのに。


「陽香」

「なによ。そんな真剣な表情で私の名前を呼んだって、そうそう機嫌なんて直らないんだからね。直してほしけりゃもっと呼びなさいよ」

「陽香、金髪の女の子と、和服姿の女の人の二人連れの幽霊の噂とか、聞いたことないか?」

「金髪……和服……?」

「ああ」

「うーん……思い当たるものが一つあるっちゃあ、あるけれど……」

「どんな話だ」

「やけに食いついてくるわね……なんか、妬くんだけど」

「怖い話に嫉妬するなよ。無形だぞ」

「オーリが興味を持つ対象全てが私のヤキモチの対象なのよ。ご存知なかったの?」

「なかったよ。それでどんな話なんだ?」

「……妬くんだけど」

「お願いだよ。今は一刻も早く知りたいんだよ陽香」

「……」

「陽香っ」

「……もっと想いを込めて」

「陽香っっ」


 ふ、と陽香は仕方ねえなと言った風に肩をすくめると、静かに口を開いた。


「しょうがないわね、教えたげる。ずっと前、私たちがまだちっちゃな子ども、小学生の最初あたりかな、そのぐらいのときに……金髪のハーフの女の子と、一人の女の人がいっしょに死体で見つかったんだって。女の子の方は首を絞められてて、女の人の方は身体を切って失血死。ま、手首か首か、その辺りでしょうね」

「親子で、自殺か?」

「親子じゃないらしいわ」

「え……?」

「その二人は親子ではない。その女の人の方は娘を亡くしたばかりで、ちょっとその……大きすぎるショックで少しおかしくなっていたらしいのよね。それで金髪の女の子の首を絞めて殺しちゃって、自分も……ってな感じらしくて」

「それは……」

「悲劇、という簡単な一言で片づけちゃっていいものかと思うけれど……悲劇には違いなかったと思う。それでまたカワイソウなのが、残されたその女性の旦那さんよね。娘に死なれ、妻にも死なれて……きっと、その旦那さんの方も頭がおかしくなっちゃうと思うわ」


 ……妻と娘に先立たれ、頭がおかしくなってしまった男。


「それに、ね……ほんとかどうか分かんないけど、その女の人がおかしくなっちゃった原因の娘の死は……どうも、殺人だったらしいのよ。未だ犯人は捕まっていない、迷宮入りしちゃった事件という説があるの」

「む、娘を殺された母親が、別の女の子の首を絞め殺したのか……」

「ええ、救えない話だわ。犯人が捕まっていないというのも含めてね……で、それ以来、朝陽ヶ丘市のどこかに、金髪の女の子と和服姿の女性の二人連れが、仲睦まじそうに歩く姿が度々目撃されるらしいって噂が、オカルト好きの女子の間で伝わってるのよ。どうかすれば、女の子の方が生きていたら私たちと同い年ぐらいだったものだから、金髪の女子生徒の幽霊まで見た、なんて言い出す子が出てきちゃってねえ」

「そうか……」

「まさか……オーリ、見たのって、その人たち?」

「……ああ。きっとそうだ」

「うわちゃー……それは怖い思いをしたわね。怖さを和らげるためにも、ぎゅっとしたげよっか?」

「熱がうつりそうだからやめとく」

「……」


 ゆらり、と陽香が立ち上がる。イヤな予感がしたので、俺は外靴を脱ぎ、彼女の横を早足で通り過ぎようと────「うつしてやる」怨念の籠った声と同時に、真横から緩慢な動作で腕が伸びてきた。難なくかわせた。


「私と、おんなじベッドで、おんなじ病気で、おんなじ度数で、横になって安静にするのよオーリ……!」

「あんまりはしゃぐと熱がひどくなるぞ」

「そんなことは……ある、かも。そう、ね。さすがの私も、少しフラフラしてきた……あっ」


 言葉の通り、彼女はふらつき、壁にもたれかかる。急いでその肩をとり、彼女の体重を自分の身体に受けた。


「ありがと……ついでにベッドまで運んでくれる?」

「俺のベッドでいいならな」

「いーわ、だいかんげー。そのあとは、私を好きにしていいから」


 はしゃいだせいか、彼女のパジャマは着崩れてめくれあがり、鎖骨やらお腹やらが見えてしまっている。熱で上気した頬もあいまってその様子は少々、蠱惑的だった。


「安静にしてろ」


 それだけを言うと、彼女をベッドに寝かせ、冷蔵庫へポカリを取りに行き、グラスと一緒に陽香の寝るベッドの傍に置いた。


「くちうつし……」

「ダメだ」

「してくれないとぜったい飲まない……ここで乾いて私は死ぬ……あなたのベッドに私の墓標を立てるの……」

「つべこべ言わない」


 グラスにポカリを缶から注ぎ、陽香の前に突き出した。ぷい、と顔を背けられた。


「まったく……ここに置いとくぞ」

「あー……そういえば、オーリ。迎え行かないと、舞ちゃんの……」

「あ……」


 そう、そうだった。

 妹である舞もまた、通り魔のせいで下校のときは保護者同伴でなければいけないだろう事実を、すっかりと忘れてしまっていた。兄らしからぬ行動をしてしまっていた。

 

「すぐ行ってくる。きちんと水分は摂るんだぞ」

「通り魔や変態に気を付けて。トレンチコートを着ている人間の八割方は変態だから」


 熱に浮かされる陽香の忠告に頷き、靴を履いて玄関を開けた。

 向かうは朝陽ヶ丘小学校である。いざゆかん────「あ、おにーちゃん帰ってたの? おかえりー、そしてただいまー」


 目の前には舞がいた。その奥には、一台の車と優しそうな笑みを浮かべる女性がいた。


「ま、舞……」

「うん、わたしー」

「そ、その人は……?」

「せんせーだよー? 送ってもらったんだー」

「そう、でしたか……すみません、ありがとうございます」


 そう頭をさげると、「いえいえ、お兄さんのあなたも一人で大変でしょうから」と柔和な笑みとともに舞の先生は言い、「それではさようなら」と車を発進させ、去って行った。


「ばいばーい、せんせー」


 車に向かって手を振る舞。久之木桜利のただ一人の妹。


「……悪かった。迎えに行けなくて」

「え? へーきだよ? どうしておにーちゃんが謝るのー?」


 舞はきょとんと、そう言った。


「ああ……それと、言い忘れてたな、おかえり」

「うん! ただいま!」


 そして、俺たち兄妹は二人そろって、玄関を開けた。

 陽香はポカリに口をつけていなかったため、無理やりに飲ませた。むろん口移しなどではなく、グラスを口元に持っていくという方法である。不満と喜びが半々になったような器用な表情で、彼女はポカリを飲んだ。その後は、身体を拭いてと駄々をこねる陽香の身体を舞に拭いてもらい、ようやく陽香はすぅすぅと寝息を立て始めた。さて、


「俺、何処に寝よっかな……」


 リビングのソファーの上でいいか。

 とりあえずは夕食と、それから諸々だ。寝るまではまだ数時間ある。明日は土曜日、授業の日だが……果たしてあるのだろうか。

 その後、睡眠から起きた陽香の熱は少し下がっており、彼女はそのまま隣の我が家へ帰って行った。彼女の眠っていたベッドで、なんだか甘い感じの残り香に包まれ、俺は眠りについた。

 そうしてまた、一日が終わった。

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