彼女と帰宅していた

 何事もなく、俺と夕陽は家路についている。

 朝陽ヶ丘高校の校門を出て、現在は住宅街の途中である。俺たち以外にも通行人はいて、それは親子連れであったり、親子連れであったり、親子連れであったり……それは、そうか。通り魔が出たのだ。大切な我が子を子どもたちだけで帰らせる親など何処にいよう。いなくなってからでは遅いのだ。

「えひひ、えひひ」と笑う金色の髪の少女と「うふふ、うふふ」と微笑む和服姿の母親らしき人物とすれ違ったあと、おもむろに夕陽が尋ねてきた。


「桜利くんはもう、ずっとこの街に住んでるの?」

「俺、は……そうだな、うん」


 生まれた時から十数年、この街にずっといる。

 これからもいるのかはまだ分からないが、積極的に出ていこうという気持ちは今のところはない。


「夕陽は?」

「私……?」

「うん。前は月ヶ峰市に住んでたって言うけどさ、ずっと月ヶ峰だったのか?」

「そう、ね……そうだ、とは思うわ」


 思う。確定ではない表現。あいまい。俺の表情から疑問に気付いたのか、俺がなにかを言う前に彼女は言葉を続けた。


「はっきり言って、よく憶えていないの。昨日、言ったでしょう? 私の居場所なんてないのかもしれない、という話」

「ああ、あの重い……」

「そう、重い話。その一因に、なってるのよ。小さなころの記憶の、朧気さは……」


 ふっと、夕陽は表情を緩めた。微笑んだのだ。なんとも寂しそうに。


「もしかすると、まだ小さなときに私はこの朝陽ヶ丘市に住んでいて、桜利くんとも会っていたかもしれない」

「あはは、なんだかロマンがあるなぁ、そういうの」


 まだ小さなときに出会っていた少年と少女。


「ふふ、そうね。そうだわ。運命的で、私、そういうの好きな────」


 ちり、と後頭部の痛み。ヂ。ノイズ。

 また、黒い影がいた。目の前に異形が佇んでいた。


「ふふ。ふふふ。きゃっは。あははっ。きゃはははっ、えひ、ひ、ひひっ、えひひひひっ」


 変遷しゆく笑い声。冷たく、冷たい。夕陽という少女の声で再生される笑いの数々が、確かに目の前の黒い影から発されている。ヂヂ。そしてまた、一乃下夕陽の姿へ変わる。


「……桜利くん?」


 きょとんとした夕陽の顔が、そこにある。


「どうしたの、立ち止まっちゃって」

「……いいや、なんでもない」

「いいえ」

「おっ……!?」


 すると彼女の顔がぐい、と俺の目の前に迫った。その両手は俺の腕をしっかりと掴んでさえいた。


「なんでもなくはなかったわ。今のきみの目は、なんでもないものを見たような目ではなかった。なんだかとても怯えているように、私には見えた」

 

 その力強い瞳には、俺がいつも彼女に感じる冷えた印象が皆無だった。


「ああ……」

「昨日、学校の案内をしてもらった後のあの下駄箱でも、きみは同じ目をしていたのよ」


 昨日の放課後。夕陽が黒い影になり、陽香が乱入してきたあの場面。


「そう、だったっけ」

「自分がどんな表情をしていたかなんて、きみ自身が分かるわけないでしょ」

「そりゃあ……確かにな」

「ねえ、何が見えるの? 何が、きみには見えたの?」


 答えるまでは逃がさない。

 そんな意志すら今の彼女には感じる。


「う……」 

 

 この状況はおかしい。違和感がある。

 なにもしらない人間が、自らが原因で発生する現象により影響を受けた人間にその理由如何を尋ねているのだ。振舞っているだけか、それとも──本当に、彼女は何も知らないのか。


「わー! ラブラブー!」


 小さな女の子の甲高い声が、俺と夕陽だけがいる場面を切り裂いた。


「ねーねーおかーさん! あのおにーちゃんとおねーちゃんあんなに顔近づけちゃってるー! ラブラブー? あれがラブラブっていうんだよねー! ねー!?」

「ほらほら、やめなさい。せっかく良い雰囲気だったんだから。馬に蹴られちゃうわよ」

「えひひっ」

 

 見ると、俺たちの傍に、一人の金髪の少女と和服姿の女性がいた。親子だ。


「……」

「……」


 茶化された形になった俺たちは数拍見つめ合うと、夕陽が掴んでいた俺の腕をそっと解放した。


「あらあら、ごめんなさい邪魔をしちゃって。ほら、行くよ、レナちゃん」

「はーい」


 親子連れはぺこりと頭を下げると、何事もなかったかのように俺たちの来た方向へと去って行った。


「……ねえ、桜利くん」

「うん?」


 なんとなく俺は、この次に出てくるであろう夕陽の言葉が分かった。


「あの親子、ついさっきもすれ違わなかった?」

「あー……だな」


 俺も、同じことを考えていたからだ。金髪の少女と、和装姿の母親。そんな目立つ親子連れと、数分の間に二度もすれ違うだろうか。しかも、のである。


「ね、桜利くん。桜利くん」


 俺と夕陽は前を向いている。さきほどすれ違った親子は、今も俺たちの背後に歩きゆく後ろ姿が見えることだろう。なにせ、ここは住宅街の真ん中のまっすぐな道なのだ。わき道にそれる十字路も相当に奥にしかない。すれ違って今は一分も経っていないだろうか、そんな時間ではたどり着けない。


「せーので振り返らない?」

「分かった」

「一人だけ振り返らないとかナシだからね、そしたら恨むから」

「大丈夫だよ」

「約束だから。それじゃあ、せーのっ」


 俺と夕陽は同時に背後を振り返り、


「……」

「……」


 同時に言葉を失った。

 俺たちの背後には、誰もいなかった。


「……お、桜利くん?」

「なに……」

「こ……ここっ、ここらへんには怪談話とかあるのかしら。金色の少女と和服姿の母親の二人連れの幽霊が出る、とかいう類の」

「ないな。聞いたことがない。俺は……そんな、怪談とか詳しくないし」


 ロボットのようにぎこちない動きで前に向き直り、俺たちはその場から逃げるように歩き出す。


「見たわ。見てしまったわ。初めて見ちゃった、幽霊……」

「さ、さすがに幽霊じゃないだろ。あれだよ、すごく走ったんだよ。俺たちが前を向いている一分足らずの間に」

「桜利くんには、あの人たちがそんな突然すごく走り出すようなキャラに見えたの? あの金髪の女の子はまだしも、お母さんの方は和服なのよ? 走りづらくないかしら。転んでしまわない?」

「ぐ……そりゃあ、そうだけどさ……幽霊なんてそんな、非現実的な……」


 そう言い、目の前の少女がパンをくわえてタックルしてきたという事実があったことを思い出す。あれも未だに謎だ。本人も憶えてないようだし。あれも幽霊現象の一つというやつか。なんかその……パンをくわえた女の子の幽霊……いや、幽霊じゃないか。夕陽には肉体があ……少し黒くなったりもする感じの肉体がある。


「桜利くん、怖いでしょ? 手を握ってあげてもいいのよ?」

「な、なんでそんな上から目線なんだよ。余計なお世話だ」


 恐怖の気持ちを押し隠し、俺はそう虚勢を張った。


「……じゃあ、言い方かえる。私、怖い。幽霊とかそういうの本当に苦手なの。だから……」


 そっと、夕陽の手が、白く綺麗な手が、差し出された。


「握っててよ、私の手」

「っ……!?」


 不意打ちを喰らった気分だった。まさかそんな正直に物申されるとは思いもござらんかった。

 パニックになる思考をどうにか抑え込み、俺は「あ、ああ……」とだけ頷き、彼女の手を握る。


「……ありがと」


 ぼそりと言われたお礼の言葉。彼女は顔を明後日の方向に向けているため、その表情はうかがい知れない。気まずい気分で雰囲気で、俺たちはまた歩き出した。


「ある意味で、通り魔よりも怖い存在に遭っちゃったわね」

「だな。遭っちゃったな……」


 夕陽の手は温かかった。彼女は人間の手をしている。

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