彼女と帰宅した
四限目が終了し、帰宅の時間と相成った。
ざわざわ、がやがやとクラスメイト達の話し声。そのほとんどが笑顔であることが、通り魔が近場で発生したあまりに遠い事件であることの何よりの証左となるだろう。誰だって……俺だって、実感が湧かない。今朝死体を見たにも関わらず、だ。
「久之木くん、あたし、お母さんが車で迎えに来てくれるけど、いっしょに乗せて行こうか?」
隣席の美月さんがそう、心配そうな顔で尋ねる。普段のほにゃらかな彼女の表情はなりを潜めていた。
「えっと……大丈夫。俺も、迎えに来てくれるみたいだから」
「へ? でも久之木くんのお父さんもお母さんも、今海外に滞在中じゃなかったっけ。妹さん、は車運転できないし……」
美月さんも知っていたのか。
「いや、大丈夫だよ。母さんの妹さんの姉らしき人が迎えに来てくれるから」
「そ、その人、大丈夫……?」
「うん、信頼のおける人だと思う」
知らないけどな。
「そっか……なら、良いけど」
歯切れが悪い。美月さんらしくない。
「あのね、久之木くん」
上目に、気づかわしげな眼で、美月さんは言う。
「あんまり、一人で行動しちゃダメだからね」
「しないよ」
「それで、ね……久之木くん、そのぅ……えぇと……」
美月さんはなにかを言おうとしているのだが、妙に歯切れが悪い。日頃から割と言いたいことを言いたいように言っている宇宙的印象のある彼女なのに、なんだからしくもない。
「久之木くんはね、占い、とか……信じるタイプのお方?」
占い。占いか。
「……いいや、信じないよ」
「だ、だよね、やっぱりだよねっ……占いなんて、信憑性がないし、信じきれないよねっ……ごめんね、久之木くん、変な質問しちゃって」
「い、いや、大丈夫だよ全然」
「じゃ、じゃああたし帰るけど……久之木くん、気を付けてね、ゼッタイに一人で帰っちゃだめだからね?」
「わ、分かった」
「またね、また……」
「ああ、また明日」
どこかオドオドと心配そうに、そして不安に満ち満ちた表情でさよならの挨拶を交わし、美月さんは帰宅していった。
「良い子ね」
今の会話を聞いていたのか、前の席の夕陽が振り返ってそう言った。良い子ね、というのはたった今の美月さんに対する評価、なのだろう。
「彼女は良い人だよ」
宇宙についての造詣と熱意が深い、ほのぼのとした子だ。
「……帰りましょうか」
その言葉に頷き、俺と夕陽は睦月先生に知人が来たので帰るという旨の嘘を吐くと、廊下へと出た。
「嘘、ついちゃった」
「だな」
「私たち、共犯者だわ」
くす、と夕陽は楽しそうに笑った。
「まあいいさ。早々、通り魔になんて出くわさない」
「そう言ってしまうと、なんだか出遭ってしまいそう」
「ああ……確かに」
通り魔との遭遇。
そこにいた、という理由だけで人を刃物で刺せる精神状況の人間に出くわしてしまったならば、それは不運というより他にない。ただ、運が悪かったのだ。そう……運 ヂ が、いだ、胸、が。
「それとももう、出遭っちゃってるのかもねぇ。えひひひっ」
ヂヂ。
胸部に生じた、ほんの一瞬の激痛に膝を折る。まるで刺されでもしたみたいに痛む胸と、不愉快なノイズ音の間に、確かに聞こえた声。ノイズ交じりの笑い声。
「お、桜利くん? どうしたの? ねえ、どうしたの?」
廊下に膝をつく俺に、おろおろと夕陽が言う。痛みのあまりに抑えていた手を離すと、そこにはべったりとした血が……ついていなかった。まっさらな、何も変わらない自分の手のひらがあった。
「先生、そうだ、先生を呼んでくるから……きゃっ」
慌てて踵を返そうとする夕陽の手を掴み、止める。もう痛みはない。あれは幻だったのだ。
「なんでもない。少し胸が痛んだんだけど、気のせいだった」
「胸が……それ、大丈夫? 心臓が急に痛むのって、なんだか怖いわ」
「平気だよ。きっと幻だろうから」
「そう……」
「うん……」
「ねえ、桜利くん」
「うん?」
「手、そろそろ離してほしいのだけれど。痛いし……」
言われて初めて、まだ自分の手が夕陽の腕を掴んでいることを自覚した。細い腕。白い肌。
「あ、ああ、ごめん」
慌てて手を離すと、「気にしないで」とだけ夕陽は言い、そのまま前を向く。
「元気なら、行きましょ?」
そう言って歩き出す彼女の後を、俺は立ち上がってついていった。
下駄箱につき上靴を脱いで靴に履き替えると、俺たちはそして帰宅となったのである。
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