彼女の見上げた時計台
「遠目からチラチラと見えてはいたけど、実際に見てみると中々に高いわね」
ほー、と感嘆の声を漏らしながら、
場所は中庭、青々しい緑の中を煉瓦敷きの道が延びており、いくつか点在するベンチにはいま現在授業中の為か人はいない。
俺達がいるのは、そんな中庭の中央だった。
中央に建つ、細長い建物の付近だった。
校舎の三階分はあろうかという高さのその建物は、頂きの部分に丸い文字盤が四か所、それぞれの面についている。そのいずれも同様に長針と短針があり、一斉に時を刻んでいる──そう、時計台だ。夕陽ヶ丘高校には時計台が存在する。それも、さる芸術家が設計したもので、確か『彼女の墓標』という名称もついていた。別段変わった機能などはなく、時計の文字盤は四面とも精確な時を刻んでいる。大小様々な歯車にくわえ、正確な標準時刻の電波を時計台の内部アンテナが受信する、云わば巨大な電波時計なのだ。だから、刻まれる時針は常に正しい。アナログではなくデジタルに誤差を修正しているその時間が狂ったことは、今まで一度もないとすら聞く。
「地味な色合いねえ」
確かに、華やかな金色を持つ彼女からしてみれば地味極まりないのだろう。
白と黒と灰。
散り散りに敷き詰められた無彩のタイルと所々に見られる苔というその外観は、数十年の時を経た様に蒼古としており、ひどく寂しげな印象を受ける。『彼女の墓標』という奇妙で由来の知れない名だが、なるほど確かに、聳えるその姿は墓標のようだ。となれば、誰かがここに埋葬されているのか。……そんなわけないか。
「あら……」
諏訪さんが、ふと、声をあげ、時計台へと近寄る。
「花束があるわ」
見ると、確かに花束があった。
時計台の足元に、まるで供えるかのように。墓標……彼女の、墓標……。
「誰かのイタズラかしら」
そう言ってひょいと花束を拾い上げると、じっくりと眺めはじめた。
「ライラックにリンドウ、菊、ローズマリー……バラバラね、色も、季節も」
すらすらと花の名前を言っていく諏訪さん。すごい。俺は、花の種類はさっぱりだ。
「ん……?」
花束をそっと戻そうとしたとき、諏訪さんは何かを拾い上げた。それは薄い青色の花弁と黄色い中心を持った複数の花たちがついている一本の茎……なんだろう。名前が分からない。
「勿忘草……花束から零れ落ちたのかしら」
ワスレナグサというらしい。
「……」
無言で、そのワスレナグサを花束の近くに置くと、諏訪さんはどこか遠い目で、
「この花束を置いた人と、勿忘草を置いた人は、きっと別人だわ」
「分かるのか?」
「なんとなく、だけどね……」
諏訪さんはえらくしょんぼりとしている。さきほどとの違い様に、困惑しか出てこなかった。
伏し目の彼女は、独り言のように小さく、
「勿忘草の花言葉って、知ってる?」
そう、問う。
「……知らないな」
俺がそう言うと、諏訪さんはこちらを振り返り、遠い光景を眺めているかのような、そんな悲しげな目つきを浮かべると、微笑み、言った。
「私を忘れないで、よ。この人は、自分の存在を忘れてほしくなかった。忘れてもらいたくない人が、いた」
知っている誰かへの、憐憫だった。
「……可哀そう。ほんとのほんとに、カワイソウだわ」
彼女が涙すら零しているその事実に、俺は驚いてしまった。いったい、いったい彼女はなにをそこまで憐れみ、悲しんでいるのだろう。
「忘れられるって、思い出されないって、認識すらされていないのって……つらいの、つらいことなの」
すぐに彼女は涙をぬぐうと、「行きましょう」と言った。
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