真の語彙力とは何か

結城藍人

真の語彙力とは何か

 ふと思いついたことがあるので、短いですが書いてみたいと思います。


 カクヨムでは執筆ノートなどに、よく「語彙力ごいりょくが足りない」「語彙力が欲しい」みたいなことを書いている作家様をお見かけすることがあります。


 そういう気持ちはわかります。語彙力が有って、文章が上手い人の作品とか、文章を読むだけで感心しますから。無いよりは有る方が、表現の幅も広がりますし。


 ただ、それならば、そういう「語彙力が有る」人の文章を真似まねて、難しい言葉を使えばいいかというと、そうでもないという。


 本当の意味で身についてない言葉を使おうとすると、使い方を間違えるんですよ。


 明らかに「背伸び」して難しい言葉を使って間違えていると思える文章を、何度も見かけたりしています。


 そういう意味では、正しい使い方を知るという意味で、語彙力が欲しいという気持ちはわかります。


 ただ、それじゃあ難しい言葉を多く知っていて、その使い方がわかっていれば「語彙力が有る」と言えるのかというと、そう簡単な問題でもないと思うのですよね。


 さて、自分で言うのも何ですが、私は比較的「難しい言葉の使い方を知っている」方だと思っています。とにかく有象無象うぞうむぞう含めて読書量は多かったので。


 ↑とまあ、ここで「有象無象」とかを無意識に使ってしまうわけですよ。使い方を知っているから。使い方がわかるから。


 ここでは一応ルビ振りましたが、まあ「有象無象」くらいなら、普通に読めるでしょう。


 だけど、これが「気息奄々きそくえんえん」だの「牽強付会けんきょうふかい」だのになると、だんだん怪しくなってくるんじゃないでしょうか。


 そんな風に「難しい」言葉を使ってる文章というのは、読みやすいかというと、決してそうではない。


 意味を知っている人には通じますが、知らない人には通じない。それどころか、読み方さえわからないかもしれない。


 不特定多数を対象とするWeb小説では、実の所避けた方が無難かもしれないと思ったりもするのですよ。


 そういう場合は、「息も絶え絶えに」とか「強引にこじつける」とか、よりわかりやすい表現に修正する方がいいのかもしれないと思うわけです。


 だから、「語彙力が有る」というのは、単に「難しい言葉を知っている」「その正しい使い方がわかる」ということではないのかなと思います。本当に語彙力が有るというのは、「難しい言葉」を知っていて、その正しい使い方がわかって、なおかつそれを「わかりやすい言葉」に置き換えることができるということではないかなと思うのですよ。


 そうやって、自由自在に「難しい言葉」も「わかりやすい言葉」も使い分けられるのが、本当に「語彙力が有る」ということなのではないでしょうか。


 そういう意味だと、私もまだ「語彙力が有る」と胸を張って言えるほどではないだろうなあと思います。

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