エディット・エンド

琳谷 陸

エディット・スタート

「さぁさぁ、状況はまさに最高潮クライマックス! 果たして【グリムリーパー】の二人はこのレイドボスを攻略できるのかー!?」

 渋谷の駅前交差点に大音響で響く実況放送。交通規制が始まって、忠犬像のある改札前広場への立ち入りが制限されてからまだ数分。有名レンタル店が入っているビルの巨大広告ビジョンには、まさに実況通りの状況が映し出されている。

「ヴァ……ァ…………アァァァ!」

 辺りを通行規制の人員と、戦場バトルフィールドを表す青白い円に囲まれて、高校の制服らしいものを着た男女一組とその二倍はありそうな侍みたいな格好の異形が、そこにいた。

みなと君、くるぞ!」

 着物でも着ていたら完璧な大和撫子やまとなでしこといった美貌びぼうの黒髪美少女が、その姿に不似合いな銀光を帯びた護身用警棒を片手に男の方へ叫んだ。

 少女――唯花ゆいかに、湊と呼ばれた少年は警戒するように距離を取って異形を見た。

「了解。唯花さん!」

 獣じみた雄叫おたけびを上げ、異形の侍は背を丸め両手を道路へとつける。

 そしてそのまま、犬のように四つんいで向かってきた。

(うわ。嘘だろ速いっ!)

 充分な距離を取ったつもりだったが、どうやら計算違いをしていたらしい。それは、命を落とすミスに繋がる。

「湊君!」

 冗談じゃない。本気で速い。そう思うより、身体を無理にでも動かして少しでも逃げるべき。

 わかっているのと、実際にできるかどうかはまた別物なのだ。

 十数メートル先にいたと思ったその顔は、気づけば眼前がんぜんまで迫っていた。

(あ。死ぬ)

 本当に、何の冗談なのか。辛うじて人の顔だったはずの異形は、いつの間にか耳まで裂けた口を、どこぞの丸くて黄色くてパクパクと口を開閉して追ってくるレトロゲームのアレみたいに、大きく開けて、そこにいた。

 死ぬ。

 びっしりと並んだ歯と生臭い口臭がそこにある。

『お兄ちゃん!』



「おーっと! 【グリムリーパー】のミナト、自分のイマジナリーに吹き飛ばされましたあぁぁぁ! これは痛そう!」

 湊が異形に頭をバックンチョされる寸前、黒い毛玉が湊の脇腹わきばらに弾丸の如く突き刺さり、湊は横に吹き飛ばされつつ道路の上を転がった。

「ゲホッ、ガッ……!」

『お兄ちゃん、大丈夫っ!?』

(夕飯食べてなくて良かった……)



 黒く艶々の毛並みに月のような丸くて金色の瞳、プニプニ桜色の肉球、長い尻尾。それだけなら何処にでもいる普通の黒猫だ。

 他と違うのはまず、赤い革の長靴を履いていること。そして喋ること。

 ――そして、僕の妹であること。




1.始まりは数ヵ月前にさかのぼ




 あまりに高度な科学は魔法と同じ。そう言ったのは誰だったのか。そんな事はこの際どうでも良い。

 ただ、それは紛れもない真実だったと言うこと。

「妹にもう一度会いたいか?」

 真夜中。真っ白な部屋。規則的な機械の判定音が鳴る病院の一室で、僕はそう問い掛けられた。

 目の前には、交通事故で搬送され手術は成功したものの、目を覚ます事無くベッドで眠り続ける妹。こんな時に、そんな言葉。

 ――――脳に異常は見られません。いつ目覚めてもおかしくないのですが……。

 ――――いつ目を覚ますかは…………。

「会いたい」

 暗がりで、問い掛けた者は微笑む。

 はっきり言って怪しい。でもそれでも良かった。この時の僕にはもう一度、妹に会える事が何より大事で、それ以外はどうでも良かったんだ。

「そう。なら交渉を始めよう」

 僕はたとえ何度時を戻したとしても、同じ道を選ぶだろう。

 怪しげでも何でも、仮に問い掛けてきたその人が実は悪魔なんてオカルト展開だとしても。

 妹が目を覚まし、もう一度会えるなら。

 底の見えない漆黒の長い髪とセーラー服の裾が揺らめき、僅かに光の座した病室と相まって、本当にその時は人ではないモノに見えた。

 人形めいて整った白い顔。黒い瞳。それは少女の形をした何かにしか見えなかった。

「君の全てを差し出してもらう。けれどその代わり、私達は君の妹をこちらに呼び戻す」

 その少女は静かにこちらを見ている。

祐影ゆうかげみなと。君の生命も何もかも、全てを差し出す覚悟はあるか」




 何でこんな事になったのか?

 そんな答え、出るはずもない。

「お母さん……お父さ、ん」

 何の変哲へんてつもない大型集合住宅マンションの一室。時刻は日付の切り替わる頃。

 か細い月の光りでは、電灯あかりの消えた室内を照らすには足りないけれど、鉄のような臭気しゅうきと数センチ先にある臭気の元になっているを鼻と目に伝えるには充分だ。

 わらっている。

 床に飛び散った窓ガラスの破片に映るそれも、だらりと両腕を下げて赤い瞳でこちらを見る実物も。

 ズラリと並んだ歯と牙を見せ、真っ赤に濡れた狼男は嗤っている。

 予期する事は不可能だった。

 当然、悲鳴を上げる暇もなく。

 十階にあるこの部屋のベランダから窓ガラスを突き破って侵入してきた災厄モンスターは、その両手にある鋭い爪から真紅を、人形のように床に転がり動かない、娘の部屋から聞こえた物音に駆け付けた両親を、無惨に引き裂いた証の鮮血を滴らせて。

 この上なく愉しそうに嗤っていた。

 ザワザワとさざめくような嗤い声は、木立のこずえが鳴る様にも似て。

 動けない。死ぬのだと、そう思った。




 あまりに非現実的でも、それは紛れもない現実リアル

 取り返しのつかない過去。

 幻想ファンタジーであったなら、そう願わなかったと言えば嘘になる。

 けれど。

 いくら悪い夢と思おうと、忘れたふりをしようと、今、生きている事が。


 ――それが現実であるという事の、何よりの証明なのだ。

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