言の葉は燃える蛍のように

@saburi0509

第1話

国語の先生だった中学校の担任が、取り留めもなく呟いたことがあった。

「最も効率よく文学者を育てるには、有能な奴に不幸な思いをさせるのが一番だ」

なるほど……! 太宰然り、漱石然り、名門と言われている学校に進み、順風満帆な人生を約束されていたにも関わらず(だからこそ?)苦悩する人間の言葉は美しい。

なるほど。念を押すように反芻する。賢い人が不幸になればいい文章が生まれる。僕はその瞬間、名門校の文藝部に入ることを決めた。

ちなみに、僕は読書が好きだ。


「……と決めたはいいもののなぁ」

将来への展望が開けたら、あとは簡単だった。僕はどちらかといえば器用な方だし、何より応用力がある。僕は今、そこそこの進学校にこうして文藝部の一員として通っている。

誰かにいい文章を書かせるにあたって、僕の立てていた計画はこうだった。まず、文藝部の中で一番文章が上手い女子に声をかけ、仲を深める。そしていつかのタイミングで思いっきり振ってやるのだ。

高名な文豪に倣えば、内に溜め込んだフラストレーションが大きい人間は恋にうつつを抜かしやすく、傷付きやすいものらしい。慕情のこじれで何人の小説家が命を落としたことか!

 それでいて、恋愛は所詮日常の副産物だ。学生時代のままごとのような片思いなんて、半年もすればいい思い出に変わるだろう。そういう意味で、僕の計画は優しく、そして勝率の高いものと言えた。結婚詐欺、という言葉が頭にちらついたが、僕は残念ながら『若きウェルテルの悩み』に涙を流せる方の人間ではない。

だが、この計画には誤算があった。ため息をついた瞬間、ガラリと部室のドアが開いた。急に差し込んできた逆光に目を細めると、そこにいたのは、噂の、カモにしようと思っている同級生だった。僕は笑顔を作り、彼女に笑いかける。

「おかえり、一ノ瀬さん」

僕の計画には誤算があった。いっそ笑えるくらい致命的なミスだ。


唯一の物書きで同級生の女子は、すごく文章が下手だった。



 *

『「ぐぅっ」 彼をさんざん苦しめた病が、またしても輝かしい未来を奪おうとしていた。

突然キラーの膝が光り、オムライス味の豆腐のようにすべてが終わっていく。突然の雪崩に巻き込まれながら、イヴァノフはたまらず彼の名を叫んだ。』

僕はここまで読み進めて、一旦目を閉じた。入り込む情報が、脳が理解できるキャパシティを超越していたからだ。

「ええと、一つ聞いていい? オムライス味の豆腐って何?」

「終焉の象徴だよ。この前寝ぼけて冷や奴にケチャップかけたらめちゃくちゃ不味かったから」

「そ、そうですか……」

カモ……いやいや、彼女は一ノ瀬蛍。可愛らしい名前のとおり、大人しく目立たない感じを受ける。隣のクラスなので何度か移動教室が同じになったことがあるが、まあ文芸部員という共通点がなかったら話しかけることはないだろうな、という印象だった。

いつも少しうつむいていて、小さな声でこれまたおとなしそうな友達とひそやかに言葉を交わしているような、そんなどこにでもいる女子だ。彼女は部室の中でだけ、水を得た魚のように饒舌になる。

 彼女が今日書いてきた話は、キラーと呼ばれる記憶喪失の老いた鶯が、森の奥で拾ったイヴァノフという腸閉塞の少年の世話をしていくうちに記憶を取り戻していく、というものなのだが、実は彼は『老い鶯』というコードネームのキラー、つまり事故の衝撃で記憶が混濁したせいで、自分を鳥だと思い込んでいた元殺し屋の老人だった、という素っ頓狂なオチだった。まったく意味が分からない。展開が突飛すぎるし筆致も雑だ。かと思えばイヴァノフが腸閉塞に苦しむ無意味な描写がしつこすぎるし、言葉選びのセンスもない。第一、文章力のない人間が叙述トリックなんて使わないで欲しい。

だが、一つだけ。中盤に差し掛かった辺りで血塗られた記憶を取り戻した老人が、イヴァノフの寝顔を眺めながら、このまま自分がそばにいていいのか悩むシーン。ここだけは、彼の色濃い苦悩が迫力のある筆致で描かれていて、良いまでも悪くはなかった。まあ、それ以外が悲惨なのでどっちにしろ評価は最悪だが。

 原稿から顔を上げると、わくわくした顔の彼女と目が合った。うわ最悪。だがそんなことはおくびにも出さず、僕は笑顔で当たり障りないことを言う。

「面白かったよ、一ノ瀬さん。特にこの老い鶯? が思い悩むところがこう、真に迫っていて……」

「ほんとに!?」

彼女はぱっと目を輝かせて笑った。長い黒髪が、軽やかな動きに合わせて揺れる。僕がその勢いに驚いて頷くと、彼女は無邪気に口を開く。

「いやあ、嬉しいな! クライマックスよりもそこが一番の見せ場だと思って書いてたんだけどやっぱ本たくさん読む人は気づいてくれるもんなんだね。実はその作品、その部分を描きたくて書いたの!おじいさんが憂うそこのシーンを最初に書いて後から辻褄合わせたから、実は前後はテキトーなんだよね」

「は?」

「え?」

「ああ、いや」

思わず声が漏れた。一瞬白目を剥いてしまったのを、咳払いをすることで誤魔化す。

ふざけるなよ、と言いたいところをひと文字の返事で我慢したのは評価点だと思う。呆気にとられた後に、遅れて怒りが込み上げてきた。

文章が下手なだけならまだいい。でもこいつはそれだけじゃない。一部分だけ書きたかったけど辻褄を合わせるために仕方なくそれ以外も書きました、なんて許されない。小説を書き物語を生み出すという尊い行為を蔑ろにしている。 僕が小説家としての義憤に駆られている間、そいつは

「自分が書いた文章を褒めてもらえるって嬉しいなあ。しかも提出用って読ませてもらった加瀬くんの小説すっごく面白かったし。小説書くのっていつも不安だけど、なんか自信ついてきたかも!」

などと能天気に宣っていた。

何だこいつは。ふざけんな。思わず怒鳴りそうになるコンマ一秒前、ギリギリで思いとどまる。自分が文藝部に入った理由を思い出したからだ。そしてふと思う。

もしこいつが、一本の小説を端から端まで心を込めて書いたら、そこそこ面白くなるのではないか。その為には、こいつが一生懸命に小説を書かなければいけなくなるような環境を作り出せばいい。

閃いた。僕は眉間のシワを伸ばし、笑顔を作る。握りつぶしかけた原稿をそっと手渡し、にこやかに口を開いた。

「オッケー。わかった。一ノ瀬さんの原稿、帝都賞に出そう。僕その為に、書き手じゃなく編集担当になるから」

 彼女は未だ意味を飲み込めないのか、目を丸くし不格好に突っ立っていた。三秒後、狭い部室に彼女のすっとんきょうな叫び声が響く。



  *

帝都賞──あの昭和の大文豪、帝都さつきの名がつけられた……とはいえ、十数年前の七月に新たに生まれ、主に若者向けの純文学に与えられる文学賞。応募がインターネットで行えるため、学生からの応募が極めて多い。まだまだ知名度が低く規模が小さいため、賞金が少ないが倍率は低め。だが、将来本当に直木賞や芥川賞を獲るような早熟な才能が受賞していたこともあり、徐々に注目されはじめている。


「いやいやいやいや! 無理だって! 第一加瀬くんの方が面白い小説書けるじゃん!」

「当たり前だろ」

「ん?」

「何でもないよ。それより前から思ってたけど、一ノ瀬さんって文章書き慣れてないよね?」

「え? うん。この四月からだから……三週間目?」

「分かった。小説ってのは才能も関係するけど、やっぱり実力がモノを言うんだよね。これから毎日ショートショート書いてみない? 千字ぐらいで起承転結をつけるトレーニング。どう?」

「え、本当に私の原稿を帝都賞に出すの? ……絶対加瀬くんが書いた方が面白いのに」

「当たり前だろ」

「え?」

「ううん、こっちの話。そんなことないよ、一ノ瀬さんには期待してる。じゃあ、また明日。僕これからちょっと用事あるから」

呆然としている一ノ瀬さんを放置し、薄暗い部室を出る。眩しい春の太陽が目を灼いた。

「これはちょっと失敗かなぁ」

文章が下手な上に創作をナメている同級生の小説なんかに、期待できるわけもなかった。

「早く家に帰らなきゃ」

 そうつぶやき、半ばあの忌まわしい部室から逃げるように歩調を速めた。


家に着くと僕は、制服を着替えるのもそこそこにパソコンを開いた。流れるように一つのサイトを立ち上げると、何件か通知が来ていた。

『山田さんの小説、今日も面白かったです! 次回の更新が楽しみ!』

『どうやったらこんな展開思い付くんですか? ゴッさん天才ですね!』

『うわあああヒロインの最後の台詞めちゃくちゃ好み……! 嫁にしたい』

顔がにんまりと綻んだのが分かった。表情筋を緩ませたまま、その言葉に一つずつ返信をしていく。

僕は『山田ゴッサム』という名義で、ネットに冒険小説をアップしている。そのサイトは実に大型で、ランキング上位になったらなんと、書籍化も夢じゃないのだ! まあ僕は、別にそこまでのことを求めているわけじゃない。もしそうなったら間違いなく嬉しいけれど。でも、こうしてアップするたびに、何人かの人がコメントをくれている現状に十分満足している。

僕は頭をひねって、主人公にとんでもなく強い敵を倒させ、読者はそれを読んで僕にあたたかい言葉をくれる。完ッ璧な需要と供給のバランスだ。

そういえば、彼女が文章を書く理由って何なんだろうか。彼女はお世辞にも小説が上手いとは言いがたいし、物語を考えることが好きなようにも見えない。

そんなことを考えていると一ノ瀬さんからメッセージが届き、さっそく、説明したばかりのショートショートが届いた。あんなに渋っていたのに、律儀なやつだ。ちなみに、色とりどりのタピオカが世界を滅ぼす話だった。


やっぱり、全く意味が分からない。

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