第16話 掘られた落とし穴には、殺戮の刃が仕込まれている

 三十代半ばの守銭奴魔法使いが居付くこの小さな街にも警備隊が常駐している。警備隊長のカヒラは憂鬱なため息を吐いた。ここ最近、街で立て続けに騒ぎが起こっていたからだ。


青い甲冑を全身に纏った男と黄色い長衣の男の戦い。黒いローブの集団と白いローブの男達との戦い。


 いずれも街の建物等に被害が出た。死傷者が出なかったのが不思議なくらいだった。この案件で街の住民の警備隊に対する信用は失墜している。


 それも致し方なかった。カヒラ達警備隊が現場に駆けつけても何も出来なかったのだ。


 目の前に展開された光景はとても警備隊如きでは手に負える代物では無かった。隊長のカヒラは失態続きで、お上からどんな沙汰が降りるか不安な気持ちで毎日を過ごしていた。


 五十才に近づくこの身で、ここより更に辺境の地へ左遷されるかもしれないと。


 一人の警備隊長の心痛を他所に、この小さな街は本日精霊祭を迎えていた。半月前の騒動で順延していたお祭りをやっと開催する事が出来たのだ。


 今日は多くの人が集まり、賑やかにお祭りを楽しんでいる事だろう。警備隊長カヒラはもう一度ため息をついた。


 カヒラは街を囲っている壁の物見矢倉に立っていた。街の住民が安心してお祭りを楽しめるようしっかり監視役を務めなくてはならなかった。


 

 ······街の中央広場では多くの露店が立ち並び、祭りを楽しむ人達で賑わっていた。半月前に破壊された石畳と教会は完全ではないが応急処置を終えたという所だった。 


 大通りの奥まで軒を連ねる食べ物屋から食欲をそそる匂いがいくつも立ちこめている。パン生地の中に牛肉と野菜を煮込んだ具を入れそれを揚げた包みパン。


 鶏肉を串に刺し香辛料をたっぷりかけ焼いた串焼き。林檎を煮詰め蜂蜜をかけたデザート。


 その胃袋を誘惑する匂いに翻弄されるように、銀髪の少女は首を何回も左右に振っていた。鼻息は荒く、どの店に行くか決め兼ねていた。


「師匠! お祭りは誕生日と同じで暴飲暴食が許される日なんですか?」


 育ち盛りのチロルの胃袋はもう我慢の限界を迎えていた。


「ああそうだ。好きなだけ食べていいぞ」


 タクボは飢えた弟子を。否。餓えた猛獣を野に放った。猛獣は興奮した様子で元魔王のヒマルヤ少年の手を強引に引き露店に突撃していった。


 チロルとヒマルヤが三軒目の店に向かった所で、二人のの姿は人混みに消えた。タクボは焼いた鶏肉を甘ダレにつけた串を持ちながら呆気に取られていた。


「へえ。チロルと元魔王君。なんだかデートしてるみたいだね」


 元暗殺家業に身を置き、現在は冒険者の全身黒衣の少年エルドは、チロルの保護者を冷やかすように明るく笑った。


「確かに。年も近いし、なかなかお似合いじゃないかしら。ねえ守銭奴さん?」


 元諜報員で現在は酒場で働くマルタナは、さり気なくチロルの師をあだ名で糾弾する。


「うむ。若者は、はつらつとしてて、見ていて気持ちいいな」

 

 元騎士団少佐で現在はエルドと共に依頼をこなす冒険者ウェンデルは、若いチロルとヒマルヤを穏やかな目で見守っていた。


「ふむ。我が君が年頃の異性と時を過ごすのは初めての事。人間の文化を学ぶ筈が思いもよらぬ勉強になるやもしれん」 


 元魔王軍序列一位。隣国から死神と恐れられるサウザントは、自分が仕える王の情操教育に一石が投じられたと興味深そうな様子だった。


 背後から不愉快で不届きな声が聞こえてくるとタクボは憤慨する。暇人の連中の井戸端会議にタクボは迎合しなかった。


「あれはデートじゃないぞ! ただの子供同士の戯れだ!」


 タクボは必死に抗議する。チロルに色々食べさせてやろうと思い、銀行から銅貨を引き下ろしてきた師匠の善意は空回りしていた。あの銀髪の欠食児童と元魔王と何処かに消えてしまった。


「あなた箱入り娘を心配する父親みたいね」

 

 マルタナが手に口を当て笑う。タクボは思う。彼女に出会った当初は目の鋭さが印象的だったが、最近はその鋭さが無くなった。色々重荷が無くなった影響か。


「この前の黒いローブの四人との戦いの時も必死だったよね。チロルの事となると」


 エルドもマルタナに調子を合わせ笑う。全身黒衣の少年も暗殺者を辞めた時は意識して作ったような笑顔をしていたが、この頃は心から笑っているようにタクボには見えた。


「チロルも最初と比べるとずいぶん子供らしくなった。これも保護者の教育の賜物だろう」


 ウェンデルは腕を組みながら笑う。この全身に正義を纏っている紅茶色の髪の青年は、タクボと出会った頃から何も変わらない。


 多分、ウェンデルはこれからも変わらないのだろう。タクボは何となくそう感じていた。


「なる程な。タクボ。そなたは人を育てる術を心得てるらしいな。是非私にも享受願いたいな」


 この人間文化陶酔魔族には、そろそろ情報料を請求しようと本気でタクボは考えていた。


 この魔族の死神に人間のお祭りを紹介してやろうと、暇人の大人達はサウザンドを連れて行く。


 タクボはサウザンド達から少し距離を置いて歩く。暇人達と同類と思われたくないからだ。


 喧騒の人混みの中、白いローブを纏った金髪の美青年がタクボの目に入った。


 青と魔の賢人の組織に属するアルバの連れで、確かロシアドという名前だったか。ロシアドは特に何をするでも無く、祭りの風景を眺めている様子に見えた。彼の周囲で若い娘達がロシアドに見惚れている。


 確かにロシアドは男から見ても美男子の部類だった。タクボはそのまま通り過ぎるつもりだったが、美男子と目が合ってしまったので仕方なく近づき大人らしく社交辞令を述べる。


「なんだ。外出なんて珍しいな。安宿の部屋にいるのが嫌になったのか? 君等賢人ならもっといい部屋に泊まれるだろう?」


 タクボは歴史を裏から操る青と魔の賢人組織が潤沢な資金が無い筈がないと断定している。金があるのに清貧を気取っているのかと勘ぐっていた。


「私達は浪費を目的に行動していない。泊まる所など甘露凌げれば十分だ」


 金髪の美男子は俗物を見るような目でタクボを見る。


『失礼な。人を金の亡者とでも思っているのか』


 タクボは内心でそう抗議する。


「······私が子供の頃など、ベットで眠れる事など滅多に無かった」


 ロシアドははっと我に帰り、余計な事を言ってしまったと言う顔つきでどこかに行ってしまった。


 苦労知らずの坊っちゃんに見えたが、案外彼も苦労してきたのかもしれない。タクボはそう感じた。


 タクボは人混みに目をやると、酒杯を手にしたウェンデルが甲冑を身に着けた若者と何やら話していた。


「ウェンデル少佐。お久しぶりです」


 若者は兜を脱ぎ、紅茶色の髪の青年に笑顔で敬礼した。


「暫くだったな。コード。だが、少佐はやめてくれ。私はもう騎士団員ではない」


 ウェンデルは苦笑してコードと握手を交わした。


「その装備だと近くに兵達も来ているのか?」


 ウェンデルは元部下に問いかける。


「はい。三百人の兵士が街の外で小休止しています。行き先は東の砦です」


 コードは元上官に軍人らしく報告口調で答える。東の砦は隣国との国境線にある重要拠点だった。最近隣国の挑発行為が増しており、砦の兵力増員の為行軍の途中との事だった。


 大きな戦闘に発展しなければいいとウェンデルは心配をしながらも、気さくに元部下に酒を勧める。


「コード大尉。騎士団を辞めた部外者に任務の内容を安易に口外するな」


 コード大尉の後ろから低い声が聴こえた。その声の主も正規兵の甲冑を身に着けていた。


「······キメル中佐」


 コード大尉の笑顔が気まずそうな表情に変わる。三十代後半と思われるキメル中佐と呼ばれた男は、鋭い眼光を元少佐ウェンデルに向ける。


「久しいな。元少佐殿。騎士団を辞めて冒険者になったと聞いたが。昼間から酒を飲めるとはいいご身分だな。冒険者とやらは」


 悪意と敵意を隠さず、むしろむき出しにしてキメル中佐はウェンデルを睨みつける。


「キメル中佐が私を死地に追いやってくれたので

新たな人生の道が開けました。お礼を言うべきですかな?」


 二月半前、勇者の剣を輸送する任務をウェンデルに命じたのは騎士団の上司であったキメル中佐だった。本来なら帰還する事が叶わない任務。


 キメルはこの正義面をした生意気な男が昔から気に入らなかった。武器輸送の任務を与える人選で迷う事なくウェンデルを選んだ。だがこの目障りな男は死地から生還し騎士団を去った。


 その後のウェンデルの冒険者としての行動は貧しい村々を救う日々だった。その活躍は人づてに伝わり、王都にいてもキメルの耳に入ってくる程だった。


 騎士団に在席しても在席していなくても。キメルにとってウェンデルは気に入らない存在だった。ウェンデル自身も自分を死地に追いやったこの元上司に好意的ではいられなかった。


 元少佐と現役中佐が睨み合う中、一人の兵士が息を切らせてキメルの元に駆けてきた。


「キメル中佐! 非常事態です! すぐに壁の上までお越し下さい!!」


 キメルは威圧的な眼光をウェンデルに残し、兵士とコード大尉と共に去って行った。残されたウェンデルは短く思案し、すぐにキメル達の後を追った。どんな非常事態か確かめる為だ。


 エルドとマルタナは、サウザンドに輪投げの店で遊び方を教えていた。黄色い長衣の死神は真面目な顔つきで木製の輪を突起している棒に投げていた。


 そのエルド達の前をウェンデルが駆け抜けて行く。エルドが見たウェンデルの横顔は、祭りで見つけた美人を追いかけているようには見えなかった。


 キメル中佐は街を囲っている壁に登り、蒼白な顔をした警備隊長のカヒラから報告を受ける。


 キメルは表情を変えず、部下から受け取った望遠鏡で西の丘陵地帯を覗いた。


 望遠鏡に映し出されたのは、無数の塊がこちらの街に向かっている光景だった。人の形では無い。それは魔物達の群れだった。


 その群れは百体はいると思われた。整然と隊列を組み進んでいる。魔物が陣形を組み、組織立って街を襲うなどとキメルは聞いた事がなかった。


「中佐達、王都の騎士団の皆様がこの街を通りがかったのは幸運でした。我々警備隊は中佐の指揮下に······」


 大汗をかくカヒラ警備隊長が言い終える前に、キメル中佐は望遠鏡を部下に返し階段に向かって歩き始めた。


「ちゅ、中佐! 我々にご指示を!?」


 カヒラが慌ててキメルを追いかける。


「我々は東の砦に向かう途中だ。この街の異変に関わるつもりは無い。それはお主ら警備隊の仕事であろう」


 キメルは歩みを止めず、カヒラに視線を向ける事なく言い放った。 


「そ、そんな馬鹿な! この街はどうなるんですか!?」


 カヒラの悲鳴を無視していたキメル中佐が歩みを止めた。カヒラの言葉に心を動かされたのではない。目の前に不愉快な男が立っていたからだ。


「正気ですか? キメル中佐。無辜の民衆を見捨てて我が身の安全を図るおつもりか?」


 紅茶色の髪の青年は、真っ直ぐキメルを睨みつける。


「勘違いするな元少佐。我々の任務は国境線を守る事にある。それは国の領土を守ると言う事だ。こんな田舎町の存亡などそれに比べれば些末な事だ」


 キメル中佐から返ってきたのは冷笑だった。ウェンデルは沸き起こる怒りと共に右手の拳を握りしめた。そしてゆっくりキメルに近づく。その時、空から何かが飛来してきた。


 大きな衝突音と共に壁の一部が破壊された。飛来してきたのは直径二メートル程の岩石だった。


 ウェンデル達は土埃に視界が遮られる。一体誰が。どうやってこの巨大な岩石を空に投じたのか。


 カヒラ警備隊長がまた悲鳴を上げた。誰かが倒れていた。倒れているのはキメル中佐だった。頭から血を流している。


 岩石の破片が当たったと思われた。コード大尉が倒れるキメル中佐に呼びかけても返事がない。完全に中佐は意識を失っていた。


「コード。兵士達の所まで案内してくれ」


 ウェンデルはキメルにまだ息がある事を確認しながら後輩に話しかける。


「どうするおつもりですか? ウェンデル少佐」


 コード大尉も事態の推移に冷静ではいられなかった。ウェンデルの性格を知っていたコードは、紅茶色の髪の青年がこらから何をするつもりか半ば気付いていた。


「兵士達を説得してみる。この街を守る為に

協力してくれと」


 コードから見たウェンデルの真っ直ぐな両目は以前と、現役軍人だった頃と変わっていなかった。事態は一刻を争う。汗を拭いコード大尉は頷く。二人は歩き出そうとした時、悲鳴がまた聞こえた。


「ま、待ってくれ! 私達警備隊はどうすればいいんだ」


 カヒラ警備隊長がウェンデル達に懇願の視線を送る。


「警備隊全てをこの西門に集めろ! 時期に冒険者達が来るから指示に従うんだ。住民達にはこの事は知らせるな。パニックになり収拾がつなくなる!」


 そう言い残すと、ウェンデルとコードは階段を降りていった。紅茶色の髪の青年の指示に、カヒラは少しも安心しなかった。


 金目当ての冒険者がどれ程当てになるのか。西を見やると、魔物達が確実に近づいて来ていた。


 ウェンデルが階段を降りた所に、エルド、サウザンド、マルタナが立っていた。事情をエルド達に話し、ウェンデルはコードの馬に乗り駆けて行った。


 エルドは祭りの人混みに再び戻って行く。練達の頂きに達する魔法使いを探す為だ。


 


 ······小さな街に近づく魔物達の群れの中に、ただ一人だけ人の形をした者がいた。黄色い髪の青年は馬に乗り魔物の群れの最後尾にいた。


 バタフシャーン一族の頭目の孫ベロットはため息をついた。これから始まる殺戮は凄惨なものになるだろう。


 ベロットの目の前には、黒い巨体が街の方角へ歩いている。つい先刻、街の壁に岩石を投げたのはこの黒い巨体だった。


 他の魔物達に比べ、明らかに異様な姿を晒す黒い巨体は、地獄の底から這ってきたような不気味な黒い両目を街に向けていた。




 



 


 










 




 




 



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