第14話 傷つけあった災難と災厄は、流血の果てに傷跡を残す

 ターラは大人しい子供だった。自分の意見をあまり主張する事は無かった。いつも微笑んで相手の提案に頷くだけだった。


 穏やかに静かに暮らす。少女だったターラの望みはただそれだけだった。


 だが、少女の生まれた環境はそれを許さなかった。気の休まる事が片時も無い生活。いつも誰かの気配や物音に怯え続けた。


 そんな日々でも、兄モグルフの歌声はターラの心を癒やした。自分も兄のように歌えたらと思い、モグルフに歌い方を教えてもらった。


 兄モグルフは妹の頭を撫でてこう言った。数年したらターラのほうが上手くなると。


 兄のその言葉は、過酷な生活を送る少女にとって希望の未来だった。だが、程なくしてその夢は断たれる事となる。少女は声帯を潰された。


 少女は追手に捕まってしまった。相手は青と魔の賢人の人間側の手の者だった。少女が目の前で人質にされ兄弟は手が出せなかった。


 モグルフが自分が代わりに人質になると前に歩み出ると、追手はモグルフの右腕を切り落とした。


 その光景を目の当たりにしたターラは絶叫した。それが少女が発した最後の言葉となった。

  

 ターラの首を掴んでいた追手は、首を締めながら更に剣の柄をターラの喉に何度も叩きつけた。


 ターラは呼吸が出来ず気を失った。気づいた時、追手は全て倒れていた。少女はラフトに抱えられていた。


 ふとモグルフに目をやると、ザンドラが懸命に治癒の呪文をモグルフの傷跡に施していた。モグルフはターラに微笑んだ。無事で良かったと。


 その日からターラの性格は一変した。普段はいつも通り穏やかだが、戦いになると人が変わったように戦闘的で冷酷になった。


 一旦敵対した相手には容赦が無かった。命乞いなど彼女の前では無駄な行為だった。


 家族に手を出す者は決して生かしておかない。ターラの無言のその決意を、三人の兄弟達は暗黙の了解で感じていた。 


 ターラは血なまぐさい実戦で恐ろしい程の成長を遂げた。彼女の剣技に敵う者は敵にも、そして兄弟にもいなかった。


 今のターラの望みはどんなものなのか。昔と同じく静かに暮らす事だろうか。それを聞く者は誰もいなかった。兄弟ですらも。



 古代呪文。それは、遠い昔に滅んだ魔法だった。ロシアドの石化の呪文も同様だ。少数だがその滅んだ呪文を復活させ修得する者がいる。


 古代呪文は実力があれば誰でも扱える代物ではなかった。適性があるかどうか。乱暴な言い方をすれば古代呪文と相性が合うかどうかだった。


 サウザンドは次々と光の玉をターラに向けた。その度に灰色の髪の美女の姿が消え、彼女がいた場所で爆発が起きる。


 この小さな街の中央広場に、次々と爆発音が響き渡る。空には一面の炎。地上では終わる事の無い爆裂の嵐。

  

 その光景を遠目に見た街の住人は、いよいよこの街は終わりかと覚悟した。

 

 サウザンドは表情を変えずターラの転移魔法の移動距離を測っていた。死神が見る所、彼女が移動出来る距離は十メートルから二十メートルと思われた。


 念の為に死神はターラから三十メートルの距離を保つ。二人の戦いは、どちらの魔力が尽きるかという局面になっていた。


 ターラの魔力が尽き転移出来なくなった瞬間。光の玉が彼女を直撃するだろう。逆にサウザンドの魔力が尽きれば、丸腰の死神はターラの剣によって斬られる。


 仮に武器があっても、致命傷を受けるのは自分だろうとサウザンドは冷静に分析していた。ターラは死神の攻撃を避けながら、冷たい視線を真っ直ぐサウザンドに向けていた。


『恐ろしい娘だ』


 死神は背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。かつて勇者の恋人の女戦士と戦った時の悪寒と似ていた。


 自分は化物のような女とばかり戦う。サウザンドはそう内心苦笑した。妹ターラの戦いを横目で見ながら、兄のモグルフは一刻も早くターラに加勢する必要があると判断した。


 その為には、目の前の騎士を倒さなければならない。


「ウェンデルとやら。どうやら悠長に一騎打ちをしている場合では無くなった。次の一撃で決着をつけるぞ」


 モグルフはそう言うと、同時に左手を振り上げた。その時、モグルフの握る剣が光り輝く。


「勇者の光の剣か。君は勇者と同等の力を持っているらしいな」


 ウェンデルはそう言うと、皇帝の剣を水平に構える。この剣が黄金色に変わってから、ウェンデルは形容しがたい違和感が全身を覆っていた。

 

 何かが自分の中に存在しているような感覚。だがウェンデルはその感覚にも、モグルフに対しても恐れを抱かなかった。


 アルバはモグルフの光の剣を厳しい表情で見つめる。勇者と魔王の混血児ならその力を扱えても不思議では無い。やはり。と言うべきか。


 あの勇魔の剣は勇者の剣を凌ぐ魔刀になったとアルバは確信した。それは、地上最強の剣を意味していた。


 その最強の剣が更に光を纏った。どれ程の力を見せるか検討もつかない。そしてあの黄金色の剣が、それに何処まで対抗出来るのか。


 アルバが気づいた時、隣にいたタクボが駆け出していた。向かう先は倒れている勇者の金の卵の元だった。


 たちまち空から炎の玉が落下して来る。タクボは魔法障壁を張りながらお構いなしに走る。


 タクボの前方にチロルを抱えたエルドが待ち構えていた。エルドは動けなくなったラフトの傍にいれば空からの攻撃は無いと判断しチロルの保護者の救援を待った。


 エルドはこの戦場に場違いな可笑しさがこみ上げてきた。こちらに走って来るあの守銭奴タクボの必死な形相といったら無かった。

  

 チロルと出会った当初はあんなに邪険にしていた癖にこの変わりよう。さしずめ娘を心配する駄目な父親と言った所か。


 汗だらけの保護者は、チロルとエルドの元に到着した。ラフトが近くにいるせいか空からの攻撃は止んだ。


「エルド! チロルは無事か?」


 息を切らせ、苦しそうにタクボは全身黒衣の少年に問う。


「大丈夫。気を失っているだけだよ。チロルをお願い。僕はサウザンドにこの剣を渡してくる」


 タクボは頷きエルドに魔法攻撃の防御力を上げる呪文をかけた。


「これでいくらかはマシな筈だ。空からの攻撃に用心しろ」


 エルドは笑みを返し、その俊敏そうな身体を存分に生かし走り出す。エルドは先程からこの中央広場の周囲を観察していた。


 あの炎の天井を操っている者は、どこに潜んでいるのかと。


 エルドの見立てでは、教会周辺の建物が怪しかった。あそこなら中央広場全体を見渡せるからだ。


 全身黒衣の少年は中央広場から建物の間に入って行った。遠回りになるが迂回してサウザンドの場所まで向かう。


 もしこの家々の隙間を移動する間、天井から攻撃が無かったら敵にはエルドの姿が見えてない事になる。それは、彼の考えが正しいと証明する事となりえた。


 サウザンドは最後の光の玉をターラに向けた。しかし、それも転移の呪文で避ける。死神は息を切らせ己の魔力が尽きた事を感じた。敗北と死が目の前に立つ青い瞳の女と共に迫って来る。


「サウザンド! チロルからの贈り物だよ!」


 その時、建物の隙間からエルドが現れた。エルドは死神の背中に勇魔の剣を投げる。サウザンドは後ろを振り返る事なく飛来する剣を右手で掴んだ。ターラの死を乗せた一刀をその剣で防ぐ。


『まったく! 魔族は背中に目がついているのか?』


 死神の曲芸に呆れながら、エルドは大声を出す。


「炎の天井の術者は教会の上だ!!」


 それを聞いたアルバは、小さい声で呟く。


「魔力を練る時間は十分にもらった」


 次の瞬間、アルバは白いローブを揺らし風の呪文を発動させた。向かう先は教会の屋根の上。


 上空から屋根に黒いローブを着た人影が確認出来た。疑いようがない。四兄弟最後の一人だ。


 アルバは光の剣を発動させ、隻眼の男に斬りかかった。ザンドラも勇魔の剣で迎撃する。金属音が弾ける。屋根の上という狭い足場にアルバは危なげなく着地した。


「鬼ごっこは終わりの時間だ。転落死か。この剣で死ぬか。好きな方を選ばせてやる」


 アルバが不敵に笑う。背中の傷を考えると時間はかけられなかった。


「こちらは一択のみだ。お前達賢人は焼き殺すと決めている」

 

 ザンドラの右目が不吉な色を漂わせた。アルバが光の剣で矢のような突きを繰り出す。


 ザンドラはそれを右手に持った勇魔の剣で受け流す。左手で天井炎火方位陣を維持したまま、次々と繰り出されるアルバの斬撃をいなしていく。


 守勢のように見えるが、ザンドラは時間を稼げれば十分だった。末っ子のターラが転移魔法でモグルフとラフトを中央広場から移動させたその時、炎の天井は地上に落下し全てを焼き尽くす。それがザンドラの算段だった。


「どうした? 隠れるのは得意でも戦うのは苦手か?」


 アルバはザンドラを冷笑しながら挑発する。


「焦りが言葉と顔に出ているぞ。早く俺を殺したいと。時間が無いとな」


 ザンドラはそのアルバの誘いを一蹴する。


 殺意と殺気がこもった言葉と斬撃の応酬は、容易に決着がつかないように見えた。アルバは改めた思った。光の剣はどんな鎧も盾も切り裂く。


 その光の剣の斬撃を受けてもザンドラが持つ勇魔の剣は刃こぼれ一つしない。やはり勇魔の剣のほうが優れているらしい。


 モグルフはその勇魔の剣に更に光を纏わせた。その光の剣が、今まさにウェンデルに振り下ろされようとしていた。


「ウェンデル! これで決着をつける!!」 


 モグルフの剣に輝く光が更に大きさを増す。戦鬼のような形相でモグルフの左手が唸りを上げてウェンデルの頭に落ちてくる。


「余の一刀を受けるは末代までの栄誉ぞ!!」


 ウェンデルの発した言葉は、ウェンデルの声ではあったが彼の言葉では無かった。ウェンデルの右手に輝く黄金の剣は、吸い込まれるようにモグルフの剣と重なった。


 光と光が激しくぶつかり合い、黄金の火花を散らした。


 その時、突然ターラが歩みを止めた。兄達の戦場を視認すると、冷たい青い瞳に動揺の色が浮かんだ。


 ラフトが倒れている。そしてモグルフまでもが目の前で膝をつき頭から崩れ落ちた。


 四兄弟には事前に決め事があった。戦況が不利な時は戦場を離脱し炎の天井で敵を一掃すると。ターラは撤退を即断した。


 ウェンデルの一撃はモグルフの剣を弾き返し、隻腕の男の右肩に深々と刺さった。血が水しぶきのように溢れモグルフは倒れた。


 ウェンデルは勝利の喜びも無く、自分が発した言葉に困惑していた。あの台詞は何者が自分に喋らせたのかと。


 ふと皇帝の剣を見直す。剣は紅茶色の髪の青年に何も語ってはくれなかった。


 その瞬間、ウェンデルの目の前に突然ターラが現れた。ターラがモグルフの背中に手を置く。紅茶色の髪の青年が驚く暇も無く、ターラとモグルフの姿は消えた。


 ターラとモグルフは三度目の転移魔法でラフトのいる場所まで辿り着いた。そこは、チロルを介抱するタクボの目の前でもあった。


 倒れているモグルフとラフトの背に手を置きながらターラとタクボの視線が交錯する。タクボは思い出していた。ターラは耳もよく聞こえなかったと。


 ターラに分かりやすいように、タクボは口をゆっくりと動かした。それを見たターラは驚くような表情の後、一瞬だけ悲しそうに青い瞳を伏せた。そしてターラ達三人は姿を消した。


 それを確認したザンドラは、炎の天井から無数の火の玉をアルバに向けて落とした。


『この距離で落とすか!』

  

 アルバは目の前の火球の雨を見て舌打ちする。ザンドラ自身も火の玉の直撃を受ける距離での攻撃。


 魔法障壁を張る時間も無い。選択の余地は無く、アルバは屋根から跳躍した。


 教会の屋根から落下する最中、アルバはザンドラの姿を見た。ザンドラは笑みを浮かべていた。隻眼の男の頭上には炎の玉が迫っているのにも関わらず。


 その時、ザンドラの背後にターラが現れた。そして一瞬でザンドラと共に姿を消す。無数の火の玉が屋根に当たり、轟音と同時に屋根が崩れ落ちていく。


 爆風と石の破片を両手で防ぎながら、アルバは歯ぎしりした。


『最初からこうするつもりだったのか!』


 アルバは地面に落下する直前に、衝撃波の呪文を自らにかけた。落下速度が軽減されアルバは右足のつま先から着地した。同時に膝が折れ倒れ込んでしまう。


 血を流しすぎのか意識が朦朧としてきた。薄れゆく意識の中でアルバは空を見上げる。炎の天井は地上めがけて落下してきた。


  

 百メートル四方の炎の天井が無音のまま落ちてくる。チロルを抱えたタクボは蒼白な表情で空を見据える。やる、やらないでは無い。やるしか無かった。


 タクボは安物の杖を掲げた。杖の先に風が集まり渦を巻いていく。


「上手く行ってくれ······!」


 タクボが唱えたのは本来なら移動する際に使用する風の呪文だった。風の呪文は身体の周囲に風を集め、その風を利用し人の身を空に飛ばす。


 タクボは身体に纏わせる風を外に放出しようと試みた。こんな事はやった試しもなく、風のコントロールも難しかった。


 炎の天井が地上に落ちる寸前、タクボは全魔力を風の呪文に込め突風を起こし、天井炎火方位陣にぶつけた。


 風と炎が互いを巻き込み、暴風のようなけたたましい音が中央広場に轟いた。


 

 

 ······半壊した教会の屋根の上にターラは立っていた。敵の最期を確認する為だ。だが、灰色の髪の美女が見たのは、タクボが起こした突風が炎の天井を四散させる光景だった。


 全ての炎を蹴散らすとまでは行かなかったが、タクボ以下全員、軽い火傷で済んでいる様子だった。


 ターラは天井炎火方位陣を破った魔法使いを見つめる。タクボが自分に言った言葉。半分は耳で聞き取り、もう半分は口の動きで分かった。


『私の願いは穏やかに、静かに暮らしていく事だ。ターラ。君にもそんな暮らしが出来るといいな』


 なぜタクボは自分にそんな事を言ったのだろかか。それは遠い昔、自分が心に抱いていた希望だった。最近では、思い出す事すら無かった過去の自分。


 ターラは雑念を払うように首を横に振った。自分が見た事実を兄弟達に報告しなくてはならない。皆一様に悔しがるだろう。長兄のザンドラは今頃必死にモグルフとラフトの治療をしている筈だ。


 冷酷そうに見える長兄は、実は四兄弟の中で一番心配性だという事を末っ子の妹は知っていた。


 冷たい青い瞳はいつの間にか穏やかな瞳に変わっていた。タクボが教会を見上げた時、屋根の上に人影は無かった。


 タクボはチロルの頭にかかった火の粉を手で払いのける。愛弟子に火傷が無い事を確認しながら、なぜ自分はターラにあんな事を言ったのか考えていた。


 ターラに最初出会った時、彼女は穏やかな瞳をしていた。そんな彼女からタクボは自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。


 声を失い、流血の日々を送る彼女に安息の日は訪れるのだろうか。タクボはターラを案じずには居られなかった。


「師匠。年頃の女性にかける言葉にしては、余りにも色気が無かったですね」


タクボの腕の中で、気を失っていた筈の弟子が口を開く。


「······チロル。お前いつから意識が戻っていた?」


 銀髪の毛先が少し焦げた少女は、大きな瞳を見開いた。


「はい。師匠がお嫁さん候補にあまりにも気の利かない台詞を言っていた時からです」


 この悪ガキの気絶には油断も隙もない事をタクボは学んだ。


「師匠。ほら、見てください」


 小生意気な少女が腕を伸ばした。その小さい指先が指し示す方角をタクボも見る。


 この小さな街の空を覆っていた炎の天井は消え去り、雲ひとつない青空がそこに広がっていた。

 



 














 




 

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