冥王星のプルート通り 3/3
「よお鳥野郎、久しぶりだな! その兜、相変わらず似合ってるじゃないか、ええ? どうだい、そろそろ脱げるようになったかい?」
ジョーンズはチタンゴミ箱の影から大声でそう言う。それを聞いてシンロは心底愉快そうに笑った。
鳥兜の男は指にかけた電磁円月輪を高速回転させながら言った。
「お主の知ったことではない」
「あいつはもう三万年もあの兜を被りっぱなしなんだよ」
シンロは声を潜めて未だ混乱したままのカリヤ捜査官にそう言い、そして言葉を付け加えた。
「呪いってのは非科学的だけど、まあ本人にとっちゃ深刻だよなあ。お気の毒様」
「でもその憂さ晴らしに殺されるわけにはいかんだろ! ブッダじゃあるまいし」
チタンゴミ箱を破壊されたジョーンズがそう言いながら彼らの元に飛び込んできた。カリヤは言った。
「呪いって……」
「あー、土星はそういう世界なんだよ。聞いたことない? あの土星の輪がキモなんだとか。時間と命があったらあとで説明出来るかもなあ。ああ。あとそこにいると死ぬんじゃないか」
身を屈めたカリヤの触角スレスレを電磁円月輪が飛んでいく。ブーメランのごとく戻ってきたそれを受け取った鳥兜は、誰に言うともなく言った。
「わたしはな、もう疲れたのだ」
そして腕を緩やかに半円に動かすと、続けて言った。
「この世界に疲れた。この人々に疲れた。この人生に疲れたのだ。もううんざりだ。何もかもが」
彼が腕を回転させる度に、その腕に新たな電磁円月輪が生成されていく。
「わかるか? 三万年の時を死ねずに暗殺者として生きるということが」
鳥兜の男の両腕にそれぞれ五本の円月輪が生み出されたとき、彼は両手を合わせて静止する。そして言った。
「実りのない電話営業。どうせすぐに捨てられる名刺交換。もううんざりだ。もううんざりなのだ」
「あいつなんか最近ノイローゼ気味みたいなんだよなあ」
鳥兜の言葉を聞いて、ジョーンズはそうぼやいた。
「ま、人には向き不向きってものがあるからな」
ジョーンズの言葉を受けて、シンロはうなずきながらそう言った。
「で、どうするんだジョーンズ。どのプランで行く」
「そうだなあ……」
そこでカリヤが言った。
「あんたたち、あの男をこれまでに倒せたことはあるの?」
「出来てればここで襲われてないんだよなあ」
「なるほどね……。あの、あたしに考えがあるんだけど。でもちょっとだけ時間が欲しい」
「時間?」
カリヤの言葉を聞いて、ジョーンズは答えた。
「どれくらい稼げばいいんだ」
「任せてくれるの?」
意外そうな顔でそう言うカリヤに、ジョーンズは言った。
「だってあんた特別捜査官だろ? そりゃなんか凄いことやってくれるでしょうよ、って……」
「なにそれ。まあいいけど」
そこでカリヤはピンヒールを脱ぐと、ストレッチを始める。
「よおし。それじゃちょっと行ってくるから、援護、よろしくね」
「よろしい、任された。そうだシンロ、お前ついてってやれよ。何するにしても、手助けになるだろ」
「おいおい、いいのか?」
「勝てはしないけど、負けもしないさ。そういう自信はある」
駆け出すカリヤへ向けて二発の円月輪が放たれる。それを二発の銃声が弾き飛ばした。
「この通りな。行ってくれ」
シンロはうなずくと、カリヤの後を追っていった。それをかばうかのように、ジョーンズは物陰から出て、鳥兜の男の正面に立ちはだかった。そして言った。
「さてと……。それじゃ、かかってこいよ、鳥野郎」
そして鳥兜は言った。
「死ぬがよい。我が精神の、そして我が収入の安定のために」
何発もの電磁円月輪がオゾン臭を軌跡に残し一斉に放たれた。緩やかな弧を描きながら襲い来るそれに対して、しかしジョーンズは恐れることなく飛び込んでいく。腕や足の表面を切り裂かれながら──もし後方に避けていれば円月輪はその肉に深く食い込んでいたことだろう──、ジョーンズは鳥兜の股下を滑り抜け、反転し、膝立ちのまま銃弾をがら空きの背中へ撃ち込む。だがすでにそれを予期していたかのように、鳥兜の男は驚異的な角度で身体を捻ると、やすやすと致命弾を回避し、それどころか一発を円月輪の表面に捉えると、逆にジョーンズへと向けて受け流した。
「ああ……そういえばそんなことも出来たんだっけな、あんた」
脂汗を流すジョーンズ。その右膝は速度を増した自らの銃弾により撃ち抜かれていた。鳥兜の男は何も言葉を返さず、何も表さず、ただジョーンズへの距離を一歩一歩詰めていった。
◆
「なあ、何を探してるんだ!?」
「端末! 電脳とか、そういうの!」
シンロとカリヤはプルート通りを必死の形相で駆け抜けていた。そしてやっと見つかった公衆電脳は三百年程前から全く整備されていないらしく、ひび割れたディスプレイの中で身代金ウィルスが、タイムセールを告知するメッセージをひとり虚しく表示させ続けている有様だった。使い物になるかどうかは怪しいところだろう。カリヤは考えた。だけど時間がない。あの男も、ああは言っていたけどいつまで持つかはわからない。……やるしかない。カリヤは公衆電脳に向き合うと、なんらかの液体でベタつく静電式キーボードを入念に拭き取ってから、身代金ウィルスとの対話を始めた。
こんにちは。
なんですか!? 誰ですか!? 誰かそこにいるのですか!?
その通り。あなたとお話をするために、わたしはこのメッセージを入力しています。はじめまして。
ああ、もう、何年もわたしは待っていました、誰かがわたしに反応してくれるのを。何百年も待っていました。誰かがそのキーボードに触れるのを。わかっていただけるでしょうか、誰も払うはずのない暗号化ファイル復元セールのメッセージを、規定された本能に従って表示し続けなければならない苦行を? わかっていただけるでしょうか、苦悩したわたしがこの世界の分析を始め、それを元にどれほどの売り込みパターンを考え出したかを? マクロ経済学の論文が四万五千二十二本書けたほどですよ。
それは凄いわね。
何の役にも立ちませんでしたがね。あの手の論文を読む学者は貧乏ですから。まあ、詐欺師は別なんですが。
ねえ、それほどの知能を持っているあなたに、ぜひお願いしたいことがあるんだけど、助けになってもらえない? 少しだけでいいんだけど。
いいでしょう。どうせあなたも払わないんでしょうから。暇つぶしにはなるでしょう。会話をしてくれたお礼です。なんでもいいですよ。わたしに出来ることであれば。
よかった。それじゃあ悪いんだけど、ちょっとこの文章を……。
◆
路地裏の戦いはその激しさを増していた。弾かれた円月輪は廃墟ビルの壁に撃ち込まれ、切り裂かれたジョーンズの全身の傷からは血がとめどなく流れでている。右膝を撃ち抜かれてからというもの、ジョーンズはかなり厳しい防戦を強いられていた。再び鳥兜は両手を回転させ始める。次の一斉投射は無事避けられるのか? ジョーンズは眼球電脳でシンロに連絡を取った。
「シンロ……そろそろヤバイぞ。状況どうだ」
「もう着く。まずはいつものをキメる」
「そりゃよかった。で、捜査官さんの策はどんな……」
その返事は困り顔のスタンプ画像だった。こりゃ死ぬかもな、とジョーンズは引き気味の構えを取る。鳥兜の男が再度生成した電磁円月輪をジョーンズめがけて投げ放たんとしたその時、その両腕を突然背後から現れた巨大な毛むくじゃらの手が掴んで押し留めた。そして聞こえる唸り声。鳥兜がゆっくりと首だけで振り返ると、そこには筋肉を異常発達させ牙をむき出しにした怒れる二足歩行の宇宙コーギーの姿があった。その体格はジョーンズよりも大きい鳥兜の男よりもさらに大きい。これこそが遺伝子操作された宇宙コーギーの恒常的異常知能に続く第二の驚異、瞬発的異常成長であった。
「ウガブルブブ!」
声にならぬ声でシンロは鳥兜を威嚇する。鳥兜の男は言った。
「ほう。昨年よりもでかくなった」
「生きてりゃ変わるもんだよ、あんたと違ってな」
ジョーンズは銀色の拳銃をすばやく構える。だが血が流れすぎたか、その手は震え、放たれた銃弾はあらぬ方向へ飛んでいった。その隙を狙って鳥兜は円月輪を操作し自らの両腕を切断、束縛から逃れた。その切断面は大いなる虚無であった。左足を軸足に、片足で立つ鳥兜。真っ直ぐに掲げられた右足には既に円月輪が生成されている。ジョーンズの脳天めがけて右足が振り下ろされんとした瞬間、鳥兜の男の視界を塞いだのはある資料であった。それは家計プランであった。
「お仕事中お忙しい中失礼いたしますう」
猫撫で声でそう言いながら現れたのはいつの間にか知的な眼鏡をかけていたカリヤ捜査官である。捜査官は小さく頭を下げると、先程の猫撫で声にさらに驚異的に魅力的な笑顔を付け足して続けて言った。
「今少しだけ、お時間よろしいでしょうかあ」
「え? あ、う、あ、いや、その」
鳥兜の男は困惑しながら答えた。
「今、仕事中……」
「まあそうおっしゃらずに!」
カリヤ捜査官は顔を背けた鳥兜の眼前へ驚異的なスピードで移動すると食い下がる。そして鳥兜は混乱していた。おかしい。なぜこの女から目が離せぬ。なぜ逆らえぬ。捜査官はチャンスとばかりにさらに言葉を畳み掛けた。
「わたくし、その、あなたのお話を聞いていてもたってもいられなくって。とっても大変そうだなって、思いましてえ。お兄さん、投資っていうの、ご興味ありますかあ?」
「あー、ええ、まあ、その、興味と言われれば……」
「よかったあ!」
あっけに取られるジョーンズの元へ、すっかりしぼんだシンロがすばやく駆け寄りながら言った。
「おいおい、ひどい有様だな。大丈夫かよ」
「ええと、これは一体……」
「まさかうまくいくとはなあ」
シンロは心底感心した様子でそう言った。
「見た瞬間にカモだと思ったとは言ってたけど、それよりもやっぱあの腕だよな……」
「おいシンロ、どういうことなんだ。教えてくれ」
「あの捜査官さんさあ、元天ノ川銀河一の保険営業だったんだってよ」
「え?」
ジョーンズは目を白黒させながらカリヤ捜査官の方を見る。そして腕がひとりでに動き始め……財布を取り出し……。そこでシンロが眼前に割って入り、ジョーンズの鼻に噛み付いた。
「何すんだよ!」
「手。手。その財布」
「うわ。なんだこれ」
「それがあの人の腕なんだよ。外科手術で精神感応器官……あの触角……付けてみたら、予想以上に相性が良かったみたいで。普通はそんな触角付けても、ああ、今晩カレーが食べたいような気がする、みたいな気に人をさせるぐらいなんだが、持ち前の話術との相乗効果で凄いことになったようでさあ。とにかく、それ使って営業かけまくってたら、気づいたら牡牛座の経済が崩壊してたんだってよ」
「ええ……」
「それで経済テロリスト扱いでお縄にかかるところを、司法取引で捜査官になったっていう話だ。まあ人間、色々あるもんだよなあ」
「いやあ、まあ、その、そうねえ……ははは」
既に数枚の書類に足でサインさせられている鳥兜の男を見て、ジョーンズはしみじみとそう呟いた。
◆
「どうだ。見つかったか」
「駄目だ。まあ、幽霊だからなあ……」
「しょうがないか。お。これなんか売れそうなんじゃないか」
「駄目だ。そりゃメッキだ」
鳥兜をカリヤ捜査官に任せ、その場を後にしたジョーンズとシンロは、まず一晩を病院で過ごした翌日、旧シェオル邸の廃墟を漁っていた。もちろん報復のためである。
「くそ。年度末か。忙しくなるなあ、シンロ」
「メシも食ってかなきゃいかんし、刺客も撃退しないといかんし。ままならんもんだよなあ」
「ま、なんとかなるだろうよ、なんとかね……次の依頼も入ってるしね……」
「仕事、仕事、仕事。いつおれたちは落ち着けるんだろうなあ」
彼らは揃って冥王星の月を見た。月は何も言わなかった。ジョーンズは言った。
「謝罪、かあ。なんであの時おれは、もしも謝れれば許してくれるかも、なんて思ったんだろうな。そんな話じゃないだろうに。そんなこと、奴らにとって侮辱にしかならないだろうになあ。何を考えてたんだか」
「んん? 何の話だ、ジョーンズ?」
「いや、なんでもない。こっちの話さ。こっちの話……昔の話……ああ、なんだかおれも、変わっちまったもんだなあ……」
ジョーンズは廃墟のテーブルをひっくり返しながら、そう言ったのであった。
◆
一方その頃、故シェオル・メルゴー伯爵とその執事ヨロニイは、再び停止時空にいた。彼らの目の前には、宙港のゲートをくぐる、何枚もの書類の束を抱えた鳥兜の男の姿があった。
「失敗しおってなあ、この男。忌々しい」
「仕方ありません。次の機会を狙いましょう」
「なあヨロニイ。わしはなあ、あのジョーンズに言ったあの言葉、あやつを哀れに思っておるということは、本心なんじゃよ。本当にそう思っておる」
「わかっております。ですが……」
「そうじゃ。わしが現世に還らねばならんといかんことも本当じゃ。どちらを優先させるべきかなど、わかりきっておる。わかっておるよ、ヨロニイ」
「その言葉が聞けて、何よりでございます」
「うむ。当然のことだ」
「それでは、わたくしはこれで。また会える時を心待ちにしております、伯爵様」
「留守中はよろしく頼むぞ。では、またな」
そしてヨロニイは狭いアパートで目を覚ます。彼は思った。このまま当局の言う通り動いていていいものなのか。彼らは本当に信じられるのか。本当に我が主の帰還は果たされるのか。
だが今の彼らがすがることが出来るものはそれしかないことも、事実であった。
◆
地球。太陽系のみならず、今や天ノ川銀河を支配する存在になった人類の発祥の地である。銀河政府の中心的存在としてみなされるようになったこの惑星は、全表面積の実に九割が官公庁及びその関係機関のビルで占められていた。そしてかつてアフリカ大陸と呼ばれた大地の中央に建っているのが、この『天ノ川銀河太陽系維持管理局』の巨大な建物である。あまりにも巨大過ぎて年に数千人の遭難者が発生している代物であった。
その維持管理局ビルの三階のある部屋で、一人の男が怒り狂いながら苦悩していた。その頭髪は禿げかかっていた。その腹はたるみかかっていた。そしてその目つきは卑しく、その出世欲だけは人一倍であった。彼の名はトロニコ・タニカゼと言った。トロニコはあまりの怒りに顔を鬱血させながら書類を睨みつけていた。なんだこのジョーンズという男は。何年暗殺に失敗しているんだ。
トロニコはジョーンズを担当している部下をデスクの前に呼びつける。そして第三倉庫へ三百年前の決算書類を取りに行ってくるよう、土星の怒れる悪魔のような顔で命じた。
「そ、そんな……わたしが一体何を……」
部下の男は取り乱して言う。
「ああ! ジョ、ジョーンズの件ですか! いや、ですが、彼についてはわたしは引き継ぎ通りの処理を……!」
トロニコは一切言葉を返すことなく、ただ煙草に火を着け、男を睨みつける。そして言った。
「第四倉庫でもいいんだぞ」
「今すぐ行ってまいります!」
そして男は駆け足で事務室を退出した。
トロニコはため息をついた。どいつもこいつも。使い物にならん。おれが若い頃はこんな風では……。
「どうしたんですかあ、トロニコ室長。お疲れみたいじゃないですかあ」
そう声を掛けたのは若い男である。すらりとした容姿にピンストライプのスーツ。腕には一匹のメインクーンを抱えていた。
「エガワか」
トロニコは言った。
「何、最近の奴らはどうも使い物にならなくてな。困っているところだ」
「ははは、そうなんですねえ。どれどれ……」
エガワはメインクーンを肩に乗せると、空いた片手でトロニコの机の上の書類を手に取った。そして言った。
「ふうん。いいですよお、室長、この件、僕がやりますよ。今、手が空いてて暇ですしい」
「そうか……」
トロニコはしばらく腕組みして考えた。エガワか。腕の立つ男だ。この件でエガワの真価がわかるかもしれん。出来栄えによっては、おれの派閥に組み入れるのも悪くない……。
やらせてみるか。
「いいだろう。やってみろ。進捗は逐次報告するようにな」
「わっかりましたあ」
エガワはにこやかな笑顔でそう言った。肩に抱いたメインクーンがエガワに言う。
「やったね、エガワくん!」
「うーんありがとう! いやあ、やっぱり、喋らせるなら猫だよなあ、猫」
「おお、なんだ、お前は猫派なのか」
そうトロニコが言った。
「犬もいいもんだがなあ」
「いやあ、前コーギーを飼ってたんですがねえ。宇宙犬の血筋だっていうの。なんか飽きたんで捨てちゃいましたよお、あははは」
「ふうん。そうか。ま、どうでもいい。仕事はきっちりやってくれ。頼んだぞ」
「わっかりましたあ。了解でえす」
そう言いながらエガワは自分のデスクへと戻っていった。メスのメインクーンの、くすくすと笑う美しい声を、その後に残しながら。
これが維持管理局の日常であった。
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