何度でも君に告げる
篠岡遼佳
何度でも君に告げる
「目にゴミが入ったの? じゃあ、目を瞑って、上向いて?」
――そんなふうに、目薬をさしてくれるふりをして。
背の高いあなたは本棚の陰でキスをした。
そして、そんな些細なきっかけで、私たちはつきあうことになった。
「ねえ、つきあうってどんなことするのかな」私は尋ねる。
「いつもの場所で、待ち合わせるとか?」彼はジュースのストローをもてあそびながら言った。
「じゃあ、まずは『いつもの場所』を作るところからだ」
「どこがいいかな?」
「……図書室の、本棚のところ」
私が言うと、あなたは笑って、私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
どちらかというと私の方が彼といて楽しかったのだろう。
同じようにシャツが半袖になる頃までは、なんでも目新しくて楽しかった。
一緒にファーストフードを食べる、深夜まで電話をする、映画を見に行く、水族館に行く、公園で遊ぶ。
ひととおり、それっぽいことをやってみたつもりだ。
それっぽいだけで、本当だったわけじゃない。
『いつもの場所』に彼は時々しか来なくなった。
待って本を読むのは苦ではない。どちらかというと内向的な私は、だから彼みたいに明るい人に惹かれたのだろう。
それでも、その人なつこい笑顔と、茶色い猫っ毛、穏やかな口調は、得がたいものだった。
「ねえ。それなに読んでるの?」
「デザインの本だよ。ジャケットのデザインとかをまとめてある」
「おもしろい?」
「役に立つ」
「俺でも役立つかな?」
「バンドのCDジャケット、デザインしてみれば?」
「そうか、そういうこともできるようになるのか」
お前ってやっぱりすごいな。彼はそう言ってあっけらかんと笑う。
『この場所』に来るの、もう4日間が空いてるんだけどな。忘れてるのかな。
段々自分で自分をだます言葉が増えていく。
彼は私と距離を置いていったのだ。少しずつ。
私は、目薬をさしてもらおうと上をむいたことを思い出す。
あのときのあのことは、なんだったんだろう。
――急に声が聞きたくて、スマホを何度も確認した。番号を知っているのだから、ボタンを押せばあなたに通じるのに。
学食の彼の定番メニューを思い出して、けれど一人で食べてもおいしくないと思ったりもした。
あのときのあのこと。
そう、あの時の唇みたいに、ふっとあなたは私の心に触れて、どこかへ行ってしまったんだ。
ねえ、じゃああんなことしたの?
それすら直接聞けない。
元々居る場所が違うのだ。
彼は明るい方、私はひとりで本を読む方。
彼は私以外にも、キスする相手がいるに違いない。
そうだ、ほんとはきっとあの時のあれは事故だったんだ。
一緒にいてすごく楽しかったことも。
水族館の帰りに買ったぬいぐるみだって、全部嘘、ぜんぶ気まぐれだったんだ。
そう思うだけで、私は布団の中に潜り込んで唇をかみしめる。
泣いてなんて、やるもんか。
「ちょっとやせた?」彼は『いつもの場所』に来るなり言った。
「わからない」体重計に乗ってないからだ。
「……怒ってるの?」
「怒ってるとしたら、何に怒っているのだろう」
自分でもびっくりするくらいの平坦な声が出た。
そう、これは痛みでも怒りでも憤りでもない。
――かなしかった。
出逢うことに後悔しても、そう、これがすべてあなたにとって後悔だとしても、あなたがそこにいたから、私もそこにいられた。
明るい場所。そう、それはあなたが作る場所であり、私の憧れる場所であり、二人でいた時に出来る木漏れ日射す場所だった。
ふたりの場所だった。
「…………」
彼は、私の手を取った。
そのまま、本棚の影に連れて行かれる。
「…………俺、もしかして大事なこと聞いてない?」
「……わかんないけど……」
「俺のこと、好き?」
ああ好きだよ大好きだ。
わかってた。
それが私の答えなのだ。
だから答えてやってもよかったけど、それはそれでちょっと口惜しい。
「どう思う?」
「どうって……」
「今までのこと、よく考えて」
「『いつもの場所』を作った」
「うん」
「そこにいけば、大抵お前がいた」
「うん」
「でも、教室じゃ一緒じゃなくて……俺は俺の友達とばっかり……」
「それは、君の付き合いだから、私はなんとも思わないよ」
「ちがう」
彼は私の語尾を振り切るように言った。
「俺は、いつでも一緒にいたいんだ。約束してないから『いつもの場所』に行ってもいないかもと思って、それがいやで、」
「子供かあんたは」
「……水族館、楽しかった」
「そうだね、ぬいぐるみも買った」
「いっぱい、もっといっぱい、行きたいところが………」
なぜか、そこで彼は止まった。
やっと、思い至ったらしい。
「……許してくれる?」
「どうかな」
「キス、してもいい?」
「それは君にかかってる」
「……好きだよ」
「ふーん」
「これからも一緒に、いてくれない?」
「どんなふうに?」
「え?」
私から疑問が来るとは思っていなかったのだろう、彼は一瞬びっくりした顔をした。
考えあぐね、1分は悩んで、でも、
「……ゆっくり、いろんなものを見られるように、一緒にいてほしい」
私はそこまで聞いて、少し笑った。
私は目を閉じて、顔を上げる。
背の高い彼に、届くように。
何度でも君に告げる 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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