アレキサンドライト クライシス 2
虎之丞
第4部 パリシィ・ワルツ
第4部 パリシィ ワルツ プロローグ
アメリカ合衆国、ニューヨーク市。
世界金融の中枢の地、マンハッタン。
日の出直後の朝日は眩しく、まだ出勤ラッシュ前という事もあり、人通りはまばらだ。
2月の極寒期に入ったことで、ブラックのチェスターコートのボタンを襟元から止め、防寒対策万全の黒羽蓮は、すっかり顔馴染みとなったカフェの店員に笑顔で礼を言い、片手にブリーフケース、もう片方の腕には店のロゴが入った紙袋を抱えて店を出た。
吐く息が、体外に出た瞬間から凍るのではないかと思うくらいに、真っ白に視界を煙らせる。
車通りも少ない車道を見れば、蓮が店内から出た瞬間を狙ったような絶妙のタイミングで、歩道沿いに停車していた見慣れたリムジンの後部ドアが開かれた。
「――予想以上に、早かったですね」
日本人という割には西欧人っぽい顔に笑みを浮かべて乗り込めば、足を組んでスマホに届いたメールへと視線を落していた金髪の男が、その端正な顔を上げた。
金髪を緩く後方へとセットし、V字襟のダークグレーのセーターをモデルばりに着こなす20代後半の若い男。
だが、その年齢にそぐわない貫録は、彼がそれに見合うポストに居るが故に、身に着いたものかもしれない。
彼は、世界的に展開する旅行を生業とするレセテント・リージェント・グループのオーナーにして、オーナー付きの財務アドバイザーである蓮の上司だ。
ついでに付け足せば、居候先の大家でもある。
「――それを買う為に、わざわざ先に出たのか?」
オーナーは、大人げもなく置いてきぼりにされた不満からか、不機嫌を隠そうともせずに、世界でも希少なバイオレットの光彩を輝かせてジロリと睨みつけてくる。
「だって、カフェでミルクティを買う為に、ここでオーナーを待たせる訳にはいかないじゃないですか。今朝は慌しくて紅茶を入れる暇はなかったし、アメリカを離れる前に、久しぶりにここのミルクティが飲みたくなったんです」
ブツブツと言い訳をしつつ、蓮はブリーフケースを膝の上に置き、デスク代わりに乗せた紙袋から、紙製のカップを取り出してディーンへと差し出した。
エメラルドの瞳は、「さあ、受け取れ」と言わんばかりだ。
「――俺は、朝はコーヒー派だ」
「そのくらい知っていますよ。朝はいつも、濃い目のブラックをマグに半分。ついでに言えば、豆は挽きたてのグアテマラ産。ちゃんとそれを買ってきましたよ」
ずいっとそれを差し出せば、紫の瞳で睨んだまま、ようやくSサイズの小振りのカップを受け取る。
「あと、コレも持っていて下さい」と強引にもうひとつ押し付け、蓮は腰を浮かせると、運転席との間仕切りを開けて紙袋を助手席に座る秘書に手渡す。
「お二人の分も買ってきました。スチュワートさんのは砂糖なしでミルク多め、ジャクソンさんはキャラメルマキアートのキャラメル多め、……これで合っていますよね?」
「気が効くな、坊や」
「よく知っているじゃないか、悪いな」
側近の二人からの礼に、「誰かさんも、そのくらい素直だといいんですけど」と、チラリと背後を振り返れば、ディーンはプイッと顔を背けて聞こえない体を装う。
小さくため息をつきながらその隣に腰を落ち着けると、手袋を外してコートのポケットにねじ込み、「ありがとう、ディーン」と、オーナーに預けておいたカップを受け取って真面目な顔を向けた。
「本当に、デューディリジェンスにオーナー自ら行くんですか? 1週間はかかりますよ?」
その問いに、ディーンはコーヒーを一口啜って「美味いな」としみじみと呟いてから、「今さら何を言っているんだ?」とでも言いたげな呆れた顔を向けた。
「別の仕事のついでもある。お前が気にする必要はないと言っただろう?」
そして、ニヤリと唇の端を上げた。
「それにこの間、お前に言われて気付いたんだ。そういえば、自分の持ち物のくせに、まだ一度も乗った事は無かったとな。だから、丁度いい機会だ」
そして、じっくりと味わうようにもう一口コーヒーを啜り、「アメリカにいるうちに、片付ける案件がある」と蓮に断ってメールへの返信を打ち込み始めた為に、オーナーとの会話はそこで途絶える。
諦めたように小さくため息をつき、蓮は少し熱めのミルクティを一口啜ると、窓の外へと視線を向けた。
マンハッタンに一番近いラ・ガーディア空港に到着するまでには、まだ少し時間がある。
――オレは仕事で行くんですよ。その辺の所は、忘れないで下さいよ。
蓮は言おうとした台詞を無理やり飲み込み、お気に入りのミルクティを手に、遠ざかる摩天楼を眺めながら、ひとときのティータイムを楽しむ事にした。
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