猫野郎

@kourui

第1話 取り付く島もない女子


「つまりさ、私のこと、人間扱いしないで欲しいの」

 好きな女子にそんなお願いをされたら、どうすればいいのか。


 同じクラスで、隣の席で、委員会の仕事を通して少しづつ会話をするようになった女子。友達は少なく、部活は帰宅部で、休み時間にはなにやら真剣な眼差しで英単語帳を眺めている女子。見た目は綺麗系の美人だが、その愛想の悪さゆえに男子の間ではすこぶる評判の悪い女子。そんな彼女を、僕はいつも目で追っていた。

 告白の場面は突然にやってきた。自分でもどうしてあの日あの時あの瞬間に、そんなことを言ったのか分からない。震える唇からこぼれ出てしまう言葉を止めることなどできなかった。しどろもどろになって好意を伝えた。告白を終えた瞬間からすぐに後悔が始まった。自分で自分の拙さや未熟さや頭の悪さが嫌になった。

 告白のタイミング、内容、彼女に惚れた理由等どれをとっても理由不足だ。

 前からなんとなく注目していて、なんかいいなーと思って好きになって、なぜだか焦ってしまい思わず告白してしまった。付き合ってください。この場面に至るまでの僕の恋愛譚を要約するとこんな感じ。まったく酷いと思う。仮にこれがテレビの恋愛ドラマだとすれば、御都合主義だという誹りを免れないだろう。なにもかもが曖昧で適当なくせに、そのシナリオの未完成さを「青春」や「リアル」というラベルを貼ることによって包み隠して商品化しようという浅ましい魂胆。視聴者を馬鹿だと思っているのか。僕はそんな三流ドラマを唾棄すべきものだと思っている。思っているのだが、情けないことに、僕の恋愛譚は三流ドラマ以下のものになってしまった。

 ああ、これは振られるなという失望の気持ちが全身を駆け巡り体温を冷やしていく。

 そんな折、彼女の口から出たのは意外な言葉だった。

「そんなこと言わないで。私を見ないで。構わないで。本当に、放っておいて」

 付き合う付き合わないという問題を超えた、圧倒的なまでの拒絶。

 いやいやいやいや。そこまで嫌わなくてもいいじゃあないか。こっちは今までずっとひとりぼっちの君を気にかけて優しくしてきたというのに。それは善意というよりもゲスな好意に近いものであったけど、迷惑かもしれなかったけど、悪いことなど一つもしていない。だからそんな強い眼差しで睨まないで欲しい。

 この複雑な気持ちをできるだけ簡潔に伝えようと、足りない頭を絞った。

「どうして?」

 これが精一杯考えて出た一言である。さすが彼女いない歴=年齢の冴えない男子高校生。

 彼女が自分を拒絶する理由を知ることにより、その原因を打ち消すべく対策を立て、計画に沿った対処を施し、適切なタイミングで再び告白をしようという未練たらしいっビジョンが脳に浮かんでいる。

「理由を話せば納得してもらえるのかしら?」

 真顔で仁王立ちをしたまま、彼女はそう言った。女の子らしい可愛さとは無縁の攻撃的な態度に、少したじろいでしまう。こういう女子は苦手だ。僕が性的に倒錯していてドMという属性を持っていたのなら、そんな態度も魅力だと感じることができたのだろう。しかし僕はノーマルな普通の男子高校生だ。とことんマッチングしない。やはり僕が彼女を好きになった理由など殆ど無いに等しい。それでも傍にいたいと願ってしまうのは、実に理由不足で御都合主義である。

「するよ。君の話が聞けるだけで僕は嬉しいんだ」

「頭空っぽなキザな台詞をありがとう。また一段階あなたのことが嫌いになったわ。黙っていれば一緒にいることもやぶさかではなかったのに、残念ね」

「それって僕が黙ってれば付き合ってくれるってこと?」

「一緒にいるという言い回しに特に深い意味はないわ。一緒にいるというのは、ただ一緒にいるというだけ。消極的な意味で、共にあるということよ」

「あのーそれは、僕の存在を否定することはしないという解釈で正しい?」

「否定も受容もしないわ」

「うっそ! それって、喜んでいいのかな!」

 彼女は沈痛な面持ちで嘆息した。どうやら話が噛み合っていない模様。

「無駄な説明をさせないで欲しいの。私は誰とも会話したくない。疲れてしまうの」

 人間扱いしないで、疲れるから。ぼそりと呟く。

 それきり彼女は机に顔を伏せてしまった。永遠の眠りについたかのような静止状態。呼吸をしている気配すらなかった。これ以上の会話をすることは不可能と見た僕は、そーっと席を立った。ショックは感じない。わかりにくく拒絶されるよりはわかりやすく拒絶される方がマシだと思う。しかしどちらも拒絶されることには変わりなく、僕は相応の傷を受けた。


 駅から近いことで評判の我が高校。そのメリットは複数ある。たとえば今日みたいな雨の日でもさして濡れることなく帰りの電車に乗ることができる。ちなみに雨の日というのは、僕の心に雨が降っているという文学的な表現などではなく、単なる事実として記述しているだけですよということを明記しておく。別に女子にフラれた後だからといって感傷的なポエムモードに陥っているわけではない。僕はポエムが嫌いだ。そしてこんな時にポエムのひとつも詠めない自分が嫌いだ。さらに自分を嫌う自分が嫌いだ。あーっ、色んなことから解放されたい。何が悪いって感情が悪い。誰かを好きになったり嫌ったり、自分を嫌いになったり好いたり、その全てが面倒くさい。

 心が荒れた時は愚痴るに限る。残り7駅、自宅の最寄りに着くまでに世界の全てを呪ってやる。


「ありがとうございました。またお越しください」

 駅前のコンビニで傘を買った。親切な店員さんは、外のお天気事情を鑑みてすぐに傘を使用できるようビニールを外してくた。退店していく僕に対して、感謝の言葉すら告げてくれた。お仕事ご苦労さまです。その真摯な職業的態度とサービス精神は、どこかの不幸な誰かの救いになるかもしれない。

 こういうのが、彼女の言うところの人間扱いというやつだろうか。

 コンビニの店員さんに優しくしてもらっただけで、なんだか心が温まってしまった僕では、彼女を理解することなど永遠に理解できないのでは。

 ポツポツと傘を叩く雨滴の音は耳に心地よく、冷えた空気が心を落ち着かせてくれる。

 僕は人の温かさや自然の尊さを喜ぶことができる。なぜなら人間であるから。人間として生きていけることは素晴らしい。なのに彼女は、人間扱いをするなと言ったのだ。あの台詞の意味がわからず、涙が出そうになる。埋めようもない深い溝が、僕と彼女の間に横たわっているのだ。その溝を埋めようと頑張る理由も、具体的な策も、持っていない。


 10日間ほど時間を置き、心の整理がついた。10という数字に意味はない。

 僕は何も持たなくても行動を起こせてしまう浅慮さを自分の強みとして捉えることに決めた。

 早速行動を起こす。ラッキーなことに、この10日の間に有効な策を見つけてもいる。最高じゃあないか。

 これは恋愛ドラマのパターンである。あらゆる先例のうちのひとつである。簡単な話だ。彼女のトラウマを、歪んだ認知を、僕が颯爽かつスマートに矯正してあげればいいのだ。そうすれば、「助けてくれてありがとう。大好き!」となるわけで。

 では彼女のトラウマとは何かを探ることから始めるとしよう。そう思い立ち、放課後の誰もいない教室で彼女に声をかける。

「え? トラウマ? 人の過去を勝手にトラウマなんて呼ばないでくれる?」

 綺麗なカウンターを受けてダウンしかけるが、そこでへこたれることはない。

「同情なんかしないで。そもそも人間扱いするなって言ってるでしょ」

「だとしても話せば楽になることってあると思うんだけど」

「ない」

「大丈夫。どんなに暗い話でも受け止めるから」

 僕はそういう話には耐性があると自負している。一時期、愛憎入り混じりのドロドロのドラマにはまっていた。そのドラマはあまりに非倫理的な内容で、一部の人々の闇を刺激したことで有名である。そんな重いドラマですら全話視聴できた僕である。いじめだろうが犯罪だろうが近親相姦だろうが、どんな話題がきても受け止めてみせる。

 彼女は肩にかけていた学生鞄をそっと机に下ろし、会話する姿勢を見せた。

「他人の不幸話に期待しているところ悪いのだけど、私の過去に大した話なんてないのよ。ただなんとなく人が苦手で、馴れ馴れしさに寒気がして、それで毎日疲れているというだけ。だって他人に興味なんてないし。自分についてもどうでもいいし。なのに周りの人は皆、身の回りで起きることに注目して興味を持って生きている。無縁な遠い世界のこととか、観測できない未来のこととかを、さも重大なことのように大袈裟に話す。好きとか嫌いとそんなクソみたいなことを自身の価値判断の基準にしている。つまり反りが合わないの。だから無駄に関わりたくない。いつも私は、人間でなくなることを夢見ている」

「ほー」

 それって理由不足のネガティブに陥っているだけじゃあないか。どうしようもない。

 これは盛大な肩透かしである。どう反応を返せばいいか考えている間にも滔々と彼女の語りが続けられる。

「わかった。そんなに馴れ馴れしくしないと約束するから、僕の友達になってよ」

「軽々しくわかっただなんて口にできるあなたが嫌いだわ」

「わかった。あ、やべっ。また言っちった」

 てへ。こつんと頭を叩いて見せる。いかがでしょうこのユーモア。

「もう私のこと見るのやめて」

 なぜか、僕以上に悲しそうな表情をしていたのだった。薄い学生鞄を重そうに抱えて去っていく彼女は、今にも崩れて砂になりそうで、本当に人間であることをやめようとしているのだなと察することができた。


 自宅のベッドに寝転びながら思案の海を漂う。彼女の発した台詞群が脳内でリフレインし、漂流者の無力感を僕に味わわせた。

 こうなるともう八方塞がりだ。優しさも、ユーモアも、何もかも通用しない。

 ロクな理由もなく鬱になってる少女を救うことなど不可能だ。 

 ただひとつ残される策は、彼女を人間扱いすることをやめるというアレである。意地悪すればいいのか、嫌いになればいいのか。違うそうじゃない。

人間扱いすることをやめるということは、そんな簡単なことではない気がする。悪意も好意も何もかもを捨てて、無感情で接するということだ。

 じゃあ動物として扱えばいいのか? 彼女に猫耳でもつけてもらうか? 5分間ほどいけない想像をした後、それもまた違うと結論付ける。彼女の存在そのものを対象として認識することを、彼女は拒絶する。

 どうすればいい。僕は、彼女と一緒に手をつないで帰ったりカフェで談笑したりしたい。純粋に、切実に、そう想う。

 でも、無理なのかな。諦めようかな。

 そしてピンと閃いた。きっかけも何もない。ここにきてまた偶然だ。

 僕が彼女を人間として扱ってしまうのは、その最たる原因は、僕が人間であるから。

 僕が人間でなくなればいいんだ。対象の存在を認識する脳など持たない動物に成り下がることができれば。

 たとえば猫になって、何かの偶然で彼女の家に住み着くことができれば。

 自身の妄想に苦笑した。結局偶然だよりかよ。

 

 なんの力が働いたのか知らないが、翌朝目が覚めると僕は猫になっていた。

 猫になってしまえば、彼女の傍にいることなど簡単だった。それなりに愛されることもできた。

 これが噂に聞く思春期症候群なのだろう。僕が心に抱える願望は見事に実現されたのだ。

 それから先の数年間を、僕は猫として生きた。思春期を棒に振って猫になった。思春期を終えれば人間に戻れるのだろうと思っていた。いつか幸せな日々は思ってしまうけど、かつて猫であった自分を思い返しながら酒を飲むのも悪くない、そう楽観的に考えていた。

 しかし失念していた。小動物の寿命の短さをまったく考慮していなかった。


 おそらく、人間に戻れぬまま死んでしまったのだろう。ぼんやりした記憶のなかで、彼女は僕のために涙を流していた。

 そして今、こうして思考している。思考しているということは生きているということだ。

 再び生まれ変わることができたのだろうか。

 人として生まれ、猫として死んだ僕は、再び生を受けた今、何になったのだろう。

 試しに息を吐き出し、声帯を震わせてみる。

「ニャー」

 嫌になった。

 

 祭の後に残るのは虚しさだけ。

 やっぱり僕は人間扱いされたい。

 彼女の言うことはわからない。

 恋は終わり、残るのは後悔だけ。


 なんだか気怠くて、陽だまりの土の上に寝転んだ。

 

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