夕焼の下の含羞

nogino

第1話

 ピピ・・・ ピピ・・・という音でベットから起き上がる。

 階段のてすりを伝い下へ降りると、トーストの焼ける匂いでお腹が鳴った。

「お母さん、今日の朝ご飯はパンなの?」

「そうよ、もう少しで焼けるから座って待っててね」

 そう言って母は水道の蛇口を捻った。

 ザーという水の流れる音に耳を傾ける。

 と、今度は隣でバサッという音が聞こえる。

「おはよう。良く眠れたか?」

「うん、もう父さんに絵本読んで貰わなくても寝れるよ」

 と答えると、「そうか・・・」とだけ父は呟いて、またバサッという音を立てた。


 何気ない日常は今日も続いている。

 

 しばらくして、パンが焼け終わった。

 あの香ばしい匂いがバターの香りと共に目の前にやってくる。

 そして一口。サクッという音と共にパンは僕の中に吸い込まれていった。

 音に反してフワフワした食感と甘いバターの味は何とも言い難い。

「牛乳もあるからね。ちゃんと飲みなさいよ」

「もう子供じゃないんだからさ・・・ ちゃんと飲むよ」

 そう言ってコップに手を回す。

 さっき冷蔵庫から出して入れてくれたのだろう。

 手で触れると少し冷たい。

 それでも含むと一気に喉に流れ込んで、体中を潤してくれる。


 しばらくして、ピーンポーンとインターホンを鳴らす音が聞こえた。

「はーい」という返事の後に、ガチャっとドアが開くと、

「おーい、そろそろ学校行こうぜ」と、元気のいい声が聞こえてくる。

 もうそんな時間になったのか。

 そんな風に思いつつ、

「ちょっと待っててね」と返事をし、鞄を受け取って家を出た。

 自転車の呼び鈴を鳴らし、「遅いぞ」と一声かけながら笑う親友は、

 僕を乗せると一気に自転車を漕ぎ出した。

 春の涼しげな風が空気を伝って頬に触れる。

 夏の暑い日差しが僕の背中を暖かく包み込む。


 と、自転車が止まり、ピッポ、ピッポという信号の音と共に、車のエンジン音が聞こえだす。朝の交差点の喧騒も何気ない日常の一部だ。

 だが、次の瞬間。「プップー」とクラクションの音がけたたましく響く。

「朝から五月蝿いな・・・」

 その親友の一言と共に世界は暗転した。

 そんな世界で、「そうだね・・・」とだけ返事をして、動き出した自転車の上で親友のお腹に手をまわして、僕は少し俯いた・・・。



 学校に着いた後、親友に続いて教室に入る。

 その教室の中はやけに騒がしかった。

 それが今日ある小テストのせいか、朝聞いたクラクションの音が頭の中で何回も鳴り響いていたからか、僕には分からない。

 だがその騒々しさも、キーンコーンというチャイムの音と先生の、

「静かにしろ」という声で一気に鳴りを潜めた。

「小テストの時間は10分だ。学期末の成績にも加えるから真面目に受けろよ」

 教室のところどころから「はーい」という声が聞こえる。

 そして「始め!」という声と共に、カリカリカリというシャーペンの音でこの小さな世界は埋まってしまった。


 何分経っただろうか。

 ガタッという音がした。

 誰かが席を立ったのだろうか?

 と、次の瞬間。「バサー」という音が響くと同時に、初夏の心地よい風が吹き抜けた。

 カリカリという音は聞こえない。

 小さな世界は解き放たれたのだ。

 その後小テストが回収され、教室中で問題の批評が始まった。

 そこには少しの達成感と満足感が満ち溢れているような、そんな気がした。



 そうしてあっという間に昼休みになった。

 今日の昼ごはんはおにぎりだ。

 冷めてはいるもののノリの風味と共に、口の中でご飯のうま味が広がる。

「でさ、お前は部活入らねぇのか?」

「うん、ふぁだふぁいるとかはきめてふぁい」

 おぎにりを食べてる途中だったので喋り方が変になる。

「そうか、実は俺ちょっと気になるとこあってさ。放課後寄ってもいいか?」

 笑いながら返答してくれた。意味は何とか伝わったらしい。

「うん、いいよ」

 今度はおにぎりを飲み込んでから、はっきりと返事をした。



 放課後、親友に連れられ、僕は校内を歩いていた。

 キュ、キュという体育館の床と体育シューズが擦れる音がする。

 一方外からは、「おーい、次ー」と、掛け声が聞こえてくる。

 校内に響く、オーケストラ部の音色も綺麗だ。

「ここだ。お前も一緒に入るか?」

「いや、いいよ。ここで待ってるから」

 いつまでも付いていって迷惑をかけていはいけない。

 そう思って待つことにしたのだ。


 


 だが、扉の閉まる音と共に、僕の周りは静寂に包まれた。

 綺麗なメロディーも、元気な掛け声も聞こえない。

 感じるのは古くさい木で出来たイスの感触だけだ。

 その感触さえも時間が経つごとに消えていく気がする。

 そうして僕の周りは虚無になる。

 1人になる。

 孤独になる・・・。


 孤独には慣れていた。

「大丈夫」「隣にいるからね」

 そういった在り来たりの言葉にはうんざりしていた。

 何故なら、何を言われたって僕は暗闇に一人ポツンと座っていて、ただ虚構の音や匂いを感じ取る生活を続けるしかなかったからだ。

 それを運命だと言えばそれまでだ。

 考え、悩み、苦しみ、悲しみ・・・

 それを繰り返しているうちに僕は孤独に慣れたのだ。

 いや、慣れたはずだった。

 なのに何でこんなにつらいんだろう?

 何でこんなに怖いんだろう?

 何で役に立たないはずの目から涙がこぼれているんだろう・・・?




 「大丈夫か?」という声と共に肩を叩かれた。

 と、次の瞬間。

 僕は触れたその手を振り払った。

 その数秒の静寂は長く感じられた。

 が、すぐにあちこちから部活の音が聞こえ始める。

「いくぞ」

 ただそれだけを言って、僕の手を取って親友は歩き始めた。

 いるはずの親友はいないように感じられる。

 もしこの手を放したら、きっと一生会えないような、そんな気さえする。

 だから、僕は何も言わずにただついていくことしか出来なかった。


 帰り道、僕を自転車に乗せ、親友は手で押してくれていた。

 沈黙はまだ続いている。

「・・・ごめんな」

 一言、親友は呟いた。

 赤くはれた目から、また涙が零れ落ちる。

 泣きながら、「ごめん、ごめん」と謝った。

 涙はとどまることなく流れていく。

 僕の背中を摩ってくれる親友の暖かさで、僕は涙を止めることが出来なかったのだ。


 どれくらい泣いただろう。

 僕は泣き終えた後、また俯いて黙ってしまっていた。

「空が赤いぞ、めっちゃ綺麗だ」

 そう言われ、ふと顔を上げる。

 そこには赤い空と共に確かに親友がいた。

「うん、ちゃんと見えてる。綺麗な空も君も」

 少し恥ずかしく、僕はそう答えた。

「なんだよ・・・。恥ずかしいな」

 そう言って、また親友も頬を真っ赤に染めて照れていた。


 世界も、夕空も、そして僕も、赤く綺麗に染められた。

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夕焼の下の含羞 nogino @nogino

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