4.愛、受け取りし者
窓の外から差し込む光で、ボクは目を覚ました。ボクの寝床はフカフカと柔らかい。このままいつまでも眠っていたいと思える程だった。
いつもと変わらない、穏やかな日差しの朝。空は晴れ渡り、心地よい風が吹いている。
けれど、ボクの住む家はいつもとは違った。
ボクは鳥の子供だ。しかしボクの住処は、木の上では無い……
「おはようチル! よく眠れた?」
ボクの目の前に、椅子に乗った女の子が現れた。彼女の名前はヒナちゃん。ボクと同じく子供だ。
けれど彼女は鳥じゃない。彼女が言うには、人間という名の生き物らしい。
「チル」というのは、ヒナちゃんがボクにつけてくれた名前だ。
ボクはこの間、母親を失った。明け方黒い生き物に襲われ、実の母親を殺されたんだ。
住処も親も失い、とっくに死ぬ覚悟ができていたところを、偶然ヒナちゃんとそのお母さんに拾われ、ボクはヒナちゃんの家で暮らす事になった。
それからヒナちゃんのお母さんは、ボクの為に小さな家を用意してくれた。寝心地が良くて気に入っている。
考えてみれば、ボクはこれまで木の上でしか寝た事がなかった。
緑に囲まれた木の上での暮らしは、それはそれは素晴らしいものだったけれど、ヒナちゃんの家で何日か過ごしているうちに、人間の住処で暮らすのも悪くないと思うようになった。
「うふふ。チルが家に来てくれて、あたし寂しく無くなったわ」
ヒナちゃんが、ボクの頭を優しく撫でた。彼女はボクの事を気に入ってくれたようだ。ボクの頭を撫でることが、彼女の心の支えになっているのかもしれない。
ヒナちゃんは体が弱くて、ほとんど外で遊ぶことが出来ないらしい。そして満足に歩けないため、いつも椅子に座って移動している。
外で遊べないという事は、友達と遊ぶ事ができない。その意味ではこの間までのボクと同じだと思った。
ボクもかつて木の上に居た時は、どれだけ外の世界に憧れたことか。全く違う生き物であるにも関わらず、ボクはヒナちゃんに同情してしまった。
そして人間は本来、立って歩くことが出来る生き物だというのに、ヒナちゃんにはそれができない。ヒナちゃんが立って歩けない様に、ボクも空を飛ぶ事ができないのかな?
ボクが考え事をしていると、ヒナちゃんがまた話しかけてきた。
「チルは鳥さん。あなたはいずれ、お空を自由に飛べるようになるのよ」
ボクの母親が言っていた事を、ヒナちゃんも言っている。何だかボクの心の中が分かるかのようだ。
生き物としては全く違うけれど、ヒナちゃんがボクの気持ちが分かる様に、ボクもヒナちゃんの気持ちが分かる様になっていきたい。それがボクを拾ってくれた彼女にできる、唯一の恩返しだと思った。
×××
さらに何日かが経ち、外の世界の様子が少しずつ分かるようになってきた。
人間もボクらと同じように、食べることで生きていること。人間同士で言葉を使って会話をしていること。そして人間は自分が持っていないものに、強く憧れる生き物であるということ。
ある日ボクがヒナちゃんの家で、のんびりとくつろいでいた時のこと。お母さんが見ていたテレビ(ヒナちゃんいわく、遠くの景色を映すことのできる大きな箱らしい)に、大きな鳥が飛んでいるのが映っていた。
青空を背景に大きな原っぱの上で、空中を滑るようにして軽やかに飛んでいた。
ボクは本当に驚いた。こんなにも空を軽やかに、自由に飛ぶことのできる生き物が居たのか……
何だか憧れを抱く反面、その生き物に対して少し妬む気持ちがある事をボクは気づいてしまった。
椅子に座っているヒナちゃんに向かって、空を飛ぶ生き物に対しての憧れの気持ちを声に出して表現してみた。
「どうしたのチル? テレビが気になるの?」
ボクはテレビの中の生き物に向かってもう一度鳴いた。
「ひょっとして、あの鳥のことが気になるの?」
ボクは頷くように鳴く。テレビを見ていたヒナちゃんのお母さんも、ボクの方を振り返った。
「チルは鳥なのよ。いつかきっと、空を自由に飛べるようになるの。だから心配しないで」
ヒナちゃんもボクの母親と同じことを言った。何だか母親から聞いたことを、ヒナちゃんから何度も聞いているみたいだった。
「ああ、あたしも鳥みたいに空を自由に飛んでみたいわぁ」
それはそれは光り輝いたといっても過言ではない程の綺麗な目つきでボクを見つめてきた。
お母さんはボク達を見て、ニコニコと笑っている。
「でもあたしなんて、空を飛ぶどころか歩く事だってロクにできないからなぁ。あなたが羨ましいわ」
ヒナちゃんは空を飛べるかもしれないボクを、羨ましがっていたのか。彼女は、いや、人間という生き物は、何かに対して憧れを抱くんだな……
でもその憧れは時に強い嫉妬に変わることだってある。ボクがかつて、母親に対して何度も突っかかったように……
ヒナちゃんは、ボクの事を羨ましがっていたけど、ボクだってお母さんの居るヒナちゃんの事が、羨ましいよ……
ボクは悔しくなってきてしまった。
×××
それから一週間が経つと、ボクの羽が少しずつ生えそろってきたのが分かった。家に来た時は小さな丸い体だったのが、ちょっとだけ縦長になった気がした。
ヒナちゃんのお母さんは、毎日ボクの為にご飯を持ってきてくれた。
木の上の家に居た時の食事とは違うけれど、とても美味しい。お母さんがボクの命をつないでくれていると考えると、何だか目頭が熱くなった。
かつてのボクの母親に対しての愛しの感情が、ヒナちゃんのお母さんに湧き出てきた。
ヒナちゃんはお母さんに教わりながら、ボクの寝床を手入れしてくれる。最初は何をすればいいのか分からなかったヒナちゃんも、何度かやっている内にお母さんに言われなくても掃除とエサやりをやってくれるようになった。
ヒナちゃんは早起きで、ボクが朝日で目を覚ますと、すでに彼女は起きている。彼女は一人では車椅子の乗り降りはできないので、お母さんが手伝ってあげている。
ボクが一回鳴いただけで、ヒナちゃんは車椅子のままこっちに来て、頭を撫でてくれる。
毎朝ヒナちゃんとお母さんとで、散歩にも出かけた。昼間は暑いけど朝はそうでもなく、むしろボクとヒナちゃんは少し肌寒く感じる程だ。
ボク達は、家の近くの川沿いの道をよく歩く。川はいつでも勢いよく水が流れ続け、大自然の力強さを感じさせてくれる。
道をしばらく歩いていくと、かつてボクの家があった大きな木にたどり着く。親と家を失った場所。ボクにとってはあまり思い出したくない場所。
けれど――ここで起きた事は全て、自然の成り行きである――そんな風に話しかけてくるように、木は枝を揺らして音を立てた。
散歩中ヒナちゃんは、何度もボクが飛んでいるところを見たいと口にした。ボクに対する憧れは、本物だと感じ取ることができた。
二人と一緒に、毎日欠かさず同じ道を往復した。それ以外の場所へはまだ行った事がない。けれど、同じ場所だけでも外の世界を十分体験していると思う。
それなのに、この世界はボクがまだまだ見たことのないもので満ち溢れている。怖さと美しさを兼ね備えている世界。ボクの母親が言った通りだ。
ボクとヒナちゃん達とは、血のつながりは無い。無いけれど、二人がボクに対してやってくれている事は、正真正銘の愛だと思った。だから、今は二人に感謝をし続けるべきだと思う。
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