第2話 巨漢の男 富士見寮の殿(しんがり)
本庄女史は、ポケット六法を壇上に広げながら続けた。
「ストームとかって謎伝統、どうにかならないかしら。入寮してから、突然謎の男たちが定期的にやってくる。恐ろしくて最初の方はこんな寮でていってやろうかと何度も思ったわ」
「確かに、うちの寮は、他の寮とのストームがとりわけ多いものな」
俺は本庄に続けた。
ストームが多いのには、理由がある。それは、夕見寮がキャンパス内に存在する他の寮と距離的に近いことが挙げられる。
わが大学において、最寄り駅の国立駅(くにたちえき)南口から、南北に伸びる大学通りをはさみ、東西のキャンパスが存在するのだ。それぞれ、国立(くにたち)東キャンパス、国立(くにたち)西キャンパスと呼ばれる。
夕見寮は、国立東キャンパスの東端に存在する。
反対に、昨日朝に襲撃を仕掛けてきた富士見寮は、国立西キャンパスの西端に存在する。
東キャンパスの東端と西キャンパスの西端。字面だけで言えば、離れているように見受けられるが、距離で言えば、夕見寮から富士見寮まで、徒歩10分程度で到着してしまう。わが大学は事の他、狭いキャンパスで有名なのだ。
この距離の近さが、他の寮との交流、もといストームを誘発してしまうのである。
「ストームが多いってのは本当ね。家賃が破格に安くなければ、今すぐにでも荷物をまとめて寮をでていってやるわ」
今日の本庄女史はいつもより機嫌が悪いように見受けられた。ひとりぷりぷり怒っている。
確かに本庄女史の言うように、夕見寮の家賃は破格に安いが、定期的に暴れまわる輩たちが生活圏に出てくるのはストレスであろう。
ちなみにであるが、夕見寮の寮費は、月額1500円。
水道代、光熱費込みである。末恐ろしい金額だ。正直いって、管理費などどこからお金が出ているか心底不思議である。
本庄女史がぷんすかしているところに、白老が横槍を入れた。
「まぁ、まぁ、いいじゃねぇの本庄さんよ。そっちの寮はなんたって寮費が安い。うちの小平寮は寮費20000円だぜ?そっちの10倍以上は金払ってる。」
「はぁ?その代わり、そっちの寮は玄関からオートロックで、最新式のセキュリティ設備も整っているっていうじゃない。ストームとは無縁の生活を送れるってことよね。なんてうらやましいのかしら」
白老の住む小平寮については後述するが、小平キャンパスという、国立東西キャンパスとはまた別のキャンパス内に存在する。こちらの寮は完全に最新の居住空間として設計されている。
というのも海外の留学生や、他大学の学生も一部すむことを想定しているからだ。
昨今、海外からの留学生の数が、文部科学省からの補助金申請要件の一つとなっている。どこの大学も留学生獲得に必死だ。
当たり前だが、海外の留学生が住む寮でストームなんかを日夜起こされたら、「ニホン、アブナスギル、ココハ中世デスカ?」と言われて、出て行かれてしまうこと必至だろう。ストームなんて軽くテロみたいな行為そのものである。
「確かにうちの寮のセキュリティは科学技術が発展した現代日本そのものだが…これはこれで味気ないもんだぜ?むしろ、日常的にイベントが起こるそっちの寮が羨ましいくらいだ」
「じゃあ変わってみる??朝に怒号で起こされて、何かと思えば、男たちが玄関先で取っ組み合いしてるのよ」
うるさいったらありゃしない。と本庄はつぶやいた。
「ふむ。確かに、それが日常茶飯事ってのはどうなんだろうなぁ」
「ほらみなさい。私は断然オートロック完備で、呼べば警備員が飛んでくる小平寮のほうが平和な暮らしがおくれると思うわ」
本庄と白老による逆寮自慢が始まるさなか、俺は横で眠気まなこをこすっていた。
いつもなら白老の「夕見寮上げ」に対して真っ向から反対するところである。しかし、今日はいささか疲労が溜まっていたのだ。
それもこれも昨日の、富士見寮のやつらのストームのせいであるが…。
「お、これはこれは。昨日のストームの時の、『一枚岩』君ではないか」
と、俺が脳内回想を始めようとした矢先、野太い声が後ろから響いた。
振り返り、俺は声をかけてきた人物を見て固まる。
「あ、昨日の富士見寮の…」
「あい、よく覚えてるな。昨日のストームの殿(しんがり)を務めさせてもらった者だ」
忘れることはない。昨日ののストームで、我先に突っ込んできた富士見寮の男たちの先頭にいた男。たった一人で「防衛」しようとした俺に真っ先にぶつかり、軽々しく俺を投げ飛ばした男である。
さらに言えば、「お邪魔するでゴザルゥ!!」とふざけた声を上げて夕見寮に初進入を遂げたのもこの男だ。
名前と素性を聞くと、星野という経済学部三回生であるという。
アメフトでもやっているのか、体格が非常によく、「巨漢」といっても差し支えない風貌をしている。
というより、経済学部三回生が、なぜ法学部一回生の必修授業に来ているかそもそも謎であるが。
「昨日の防衛は見事だったぞ。あの雄姿。賞賛に値する!まさにあの姿、夕見寮防衛陣の『一枚岩』と呼ぶにふさわしい」
がっはっは。と俺の肩を叩く男。「いたい、いたいって」って悲鳴を上げる俺を無視して叩き続ける。この男、見た目からして想像できたが、やたらと力が強い。
「あんだけ俺を軽く投げ飛ばして、賞賛もクソもあったもんじゃないですよ」
俺は自分を卑下して言う。しかし、この星野とかいう男は、それに反して俺を持ち上げた。
「いやいや、防衛とはその成否ではなく、心の持ち方在り方のほうが称えられるべきだ。お前さんはたった一人でも防衛しようと向かってきた。その心の持ちようは素晴らしい。富士見寮の面々も昨日のお前の行動をたたえていたぞ」
巨漢の男は謎の激励を俺に送る。
正直、全くうれしくはない。
「…賞賛するくらいの良識があったんでしたら、こっちは防衛が一人だったのだから、憤然と突進してこないでほしかったのですが」
「何を言う、一人でも防衛がいれば、ストームは敢行するもの。逆に、防衛がいるのに突撃せずというのは、むしろ相手様に失礼であろう」
謎の理屈を述べてくる巨漢の男一名。正直どうかしちゃってると思う。
しかしながら、ストームを行う者たちの間には、不文律と美学があるというのも事実。彼らもただ漫然と暴れ周り、相手に迷惑をかける存在ではないらしい。
その不文律の一つに、
――防衛者がいない場合はストームを敢行せず即刻立ち去る。
というものがある。
先ほど本庄も言及したが、「あんたがBBQに遅刻しないで寮が空っぽだったらストームは成立しなかった」との発言は、この不文律があるためだ。
そもそも、俺が寮にいなかったら、寮の中は空っぽ。ゆえに『防衛者』が不在。よって、ストームは敢行できなかった、という理屈である。南無三。
余談だが、他の不文律として、
――不必要に、長時間ストームを続けてはならない。
というものもある。
今回の富士見寮によるストームは、夕見寮への進入から、20分程度で終わりを迎えた。
リーダー格である男が「ストーーーームしゅーーーりょーーーーー!!」という叫びを上げてすぐ、男たちは撤退を始めたのだ。
なんでも、「不必要に長いストームは子供の嫌がらせにも劣る」という謎の美学に則るのが、ストームの基本だそうである。いやいや、そもそもやってること自体、子供の嫌がらせ以下では、と思わなくもない。
「ところで、あなたは経済学部の、しかも三回生ですよね?どうしてこの講義に?」
「あぁいや失敬。特に一回生の講義を邪魔しにきたのではない。このビラを一回生諸君に配りにきたのだ」
そういうと、巨漢の男は先ほどから左腕に抱えた、A4用紙の束から一枚、俺のほうに差し出してきた。
なになに?これは…
「あぁ!!今年の文化祭に、周遊直人がくるのね!!」
俺が読み上げる前に、本庄が、横から突っ込んできた。お前は白老と、自分の寮の逆自慢論議を始めていたはずでは?
というより、周遊直人と言う名前に聞き覚えがあった。確か、有名な俳優だか声優だったような…。
「あいその通り、お譲ちゃん。周遊さんをご存知かい?」
「当たり前よ!お茶の間の主婦たちの人気を掻っ攫う、あの周遊よね!」
思い出した。周遊直人。
確か齢30半ばほどだが、その塩顔に甘いフェイス。そして意外とダンディな声で徐々に人気を獲得している。今をときめく俳優の一人である。
最近では、本学の講堂をロケ地とした医療系ドラマに出演したり、大河ドラマで名のある戦国武将役を演じたりと、メディアへの露出が増えてきている。
大学を卒業してすぐに劇団に入り、オーディションに合格して某特撮系戦隊者に主人公格で出演したが、それ以降、5年以上評判は泣かず飛ばずであったらしく、意外と苦労をしているところもお茶の間の主婦たちから好評だ。
「私、彼が出演したドラマと舞台は全部チェックしてるし、彼が吹き替えした映画のDVDも全部持ってるわ!!」
はわぁ、と本庄女史は恍惚の表情である。周遊直人という名前がでるだけでテンションが上がる、いわゆるミーハーのそれである。
「あいそうなのか。なんと、周遊さん、俺が所属する演劇サークル「アギト」の公演に、ゲスト出演してくださることが決まってね。彼、実はうちのサークルのOBなのさ」
「な、なんですって!」
驚愕の表情を浮かべる本庄。俺も同時に驚きを覚える。あの周遊直人と一介の大学生風情が演劇で共演だって!?
というより、この星野とかいう巨漢。その体格なのに演劇サークル所属なのか?どう考えてもアメフト部とかラグビー部だと思っていた。
二つの意味で驚きである。
「それで、い、い、いいいつ!!公演はいつなの!??」
星野に対して、本庄が詰め寄る。
その姿はまるで、韓流スターを空港で出待ちしているおばちゃんが、実際に韓流スターが現れた時にとる、非常に興奮した姿のそれだ。
「まぁまぁ落ち着け。実はもうあと一週間とちょっとに迫っているが、5月中旬、第二週の水曜日だ」
プラスして、と星野は続ける。
「このビラでは、その公演に際して、なんと『あること』を募集してるいるのだ」
お譲ちゃんもどうだい? と星野は野太い声で言った。
本庄は目を輝かせて次の言葉を待つ。
本庄とは裏腹に、俺は気になりながらも、少し嫌な予感を感じた。
というのも、なんとなしに、何かに巻き込まれそうな匂いがしたからだ。
正しく、その通り。
俺たちは近く、巻き込まれることになる。
――このビラ配りに端を発する、事件に巻きこまれようとは、まさに俺たちは予想していなかったのだ。
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