カラバコとマザーグース

水崎涼

プロローグ






Aki[ミクさん起きてる?]

39[起きてます。]

Aki[レス早w ダメだよ~こんな時間に起きてちゃ]

39[大丈夫です。それよりも考察聞きたいです。]

Aki[そうなの? お肌に悪いよ?]

Aki[ミクさんのも面白いと思ったけどな~]

39[送った後に気付いたんですけど、私のはルイスキャロルの方でした。]

Aki[あ、やっぱり? 失顔症、有名だもんね]

39[はい。すみません。オリジナルを元にした考察、お願い致します。]

Aki[堅苦しいwww では僭越ながら披露しまーす]

Aki[えっと、まずは、どうして塀から落ちた後『元に戻せなかった』のかってところから考えを膨らませようと思ったんだけどね]






   *






 取り壊しが決まっている大型スーパーの屋上へは、存外簡単に辿り着くことができた。人生もこんな風に容易ければ、と御山車真綺は思うのだ。それも、これからしようとしていることを考えれば関係のないことなのだけれど。

 地上十数メートルの高さに腰掛けて見渡す市街は驚くほどに暗く静かで、草木も眠る丑三つ時の名に、こんなにもふさわしい夜があったかと記憶を手繰る。


「丑三つ時って、三時で合ってたっけ」


 首をひねった。昔の言葉だ、日常的に使わないのならすぐに忘れてしまっても不思議ではない。生活に欠かせない『言葉』でさえ、豪速で移り変わる時代に追いつけずに消えるのだから、『人間』の自分が消えるのもきっと、道理だ。


 さあ、覚悟が鈍らぬうちに終わらせてしまおう。


「いっせーの」


 気の抜けた掛け声で、コンクリートを蹴った。


 ぐるん。視界が回る。ふわん。身体が宙に浮かぶ。覚えるはずのない既視感。


 手が届きそうなほど近くに、暗色の空。肥え太った満月がきらきら目を輝かせて逆さまに落ちる真綺を見守っている。泣けるほどに美しいと思った。


 あれを牛が飛び越え、子犬は可笑しそうに笑う。


 速度をゆるめてゆく世界のなか、彼の脳裏によみがえったのは幼少の頃に誰かから教わった異国のわらべうただった。


「匙と一緒に逃げだしたのは」




 なんだっけ。






 地面が迫り、真綺の脳天を大きな衝撃が貫いた。






   *






39[すごくいいですね!]

Aki[ありがと~!]

39[特に、唄の知名度と重要性が比例しているところが気に入りました。小説みたいで。]

Aki[マジ? 才能あるかな?]

Aki[でもミクさんのクックロビンの考察、あれすごく好きだよ]

39[恐縮です。]

Aki[だからタメ語でいいってばw]

39[ちょっとコンビニに行ってきます! また今度!]

Aki[えっ今から? 危なくない? 気を付けてね?]






   *






 鼻歌が聞こえた。


 メロディに懐かしさを見出すとともに、自分の輪郭がはっきりとしてくる。何もないところに溶け込んでいた精神と肉体が形を取り戻し始める。俺には、意識が、ある。


「……ッ、は!」


 口が大きく開き、どっと酸素が流れ込む。腕と足が片方ずつ勝手に飛び跳ねて、真綺の上半身はバネのように勢いよく起き上がった。


 周囲を見回す。真っ黒いアスファルト。駐車場。太陽は出ていない。夜。

 脳の回転が追いついてこない。


「やっぱりアキチカさんは、すごい」


 歌が終わり、落ちたのは透明な声。弾かれたように顔を上げた。


 体温が伝わりそうなほど近くに、ひとりの、少女がいた。


 闇夜に浮かぶ真っ白な肌の中心で真紅の唇だけが灯火のようだ。ふたつに結われた長髪と吊りがちの大きな瞳は黒に濡れ、未熟さと成熟さを共存させている。


「だ、誰、ですか」


 しゃがんでいた少女が立ち上がる。面食らう真綺へと、細い指が差し出された。


「はじめまして、ハンプディダンプティ」

「えっ」


 先刻まで少女が口ずさんでいた唄が彼の脳内で反響した。


「貴方のことです」


 右手が、吸い寄せられるように彼女のそれと重なった。ひんやりと冷たく、けれど芯には確かに体温を秘めた柔らかな肌が指の一本一本にシンと馴染む。


「私は隅水三十里といいます。貴方は」

「お、じ、自分は真綺、です。御山車、真綺」


 少女・三十里はフンワリと微笑み、見た目よりも強い力で真綺を立ち上がらせる。

 戸惑う彼の頭の中では、ただ彼女の歌っていた節が何度も繰り返されていた。そいつは徐々に古い記憶と結びつき、とつとつと詩を成してゆく。



ハンプディダンプティは塀に座ったよ

ハンプディダンプティは落っこちたよ

王様の馬も家来もやってきて

それでも元には戻せなかった



「あ、あれ?」


 突如として、すべての感覚が確かな重みを持った。


「おれ、あそこから飛び降りて……」


 間違いない。ジワリと冷汗が握られた手のひらを伝う。どうして自分は、無事でいるのか。痛みもない。屋上から真っ逆さまに落ちた。だのに、なぜ。


「それは貴方が空っぽだからです」


 真正面から見た彼女の双眸は、


「貴方は決して、死ねません。今はまだ」


 ちっとも笑ってなどいなかった。


「私はクックロビン。以後、どうぞよろしくお願い致します」











「ああそれと、丑三つ時は三時ではないですよ」






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る