いわゆる実話怪談

執行明

第1話 ウーシン

 中華料理のシェフを目指してる男が友人にいる。まあ、Aと呼んどこう。

 専門学校を卒業後、Aは西日本のK市にある某中華街で、調理を本格的に勉強しながら働くことになった。

 日中問わず料理屋の準備ってのは朝早い。電車で二時間近くかかる実家から通うよりも、住み込みで働くことにしたらしい。

 中華街を一歩出ればそこは日本の、けっこう大きい都市。住むのにはいっこうに不便はない場所だ。店の人も店長はじめ日本語に堪能な人が多く、何より親切な人達だった。中華料理人を目指すには、凄く良い環境だったと本人も言ってた。

 仕事は確かに厳しかった。忙しかったし、求められるクオリティも高かったそうだ。だがA曰く、それはあくまで店が美味しくて繁盛していたことの結果だった。日本の料理屋にありがちな、職人やその修行を神格化して無駄に偉ぶるような閉塞的な文化はなかったという。Aから聞いただけだから身びいきもあるのかもしれないし、中国の料理店がみんなそうなのかどうかは分からない。でもAがそう言うからには良い店だったのだろう。

 ただ、住み込む部屋だけは足りてなかった。Yという中国人とのルームシェアになった。

 Aは同じ部屋の二段ベッドの上、Yは下に寝ることになった。

 同室者Yは中国の、内陸のあまり開けていない地域から来たばかりだった。まだ日本語をマスターしておらず、あまりコミュニケーションは取れていなかったが、悪い奴じゃなかったそうだ。Aも中国語を勉強しているので、同年代ということもあって意気投合し、お互いに母国語を教え合ったりしていた。半年もすると、片言ながらお互いに相手の母国語でも会話ができるようになった。

 なかなか良好な生活だったという。


 でも、その生活は、ある日曜日の夜に急に終わった。

 本当にその夜になるまで、何の前触れもなかった。

 その晩は二人とも、TVのロードショーが終わると早々と床についた。

 そしてAはなんとなく目が覚めた。理由は分からない。

 関西人のAは「阪神大震災の時に似てた」という。なんとなく寝付けなかったのだそうな。地震のときもそうだったらしい。ちなみにそっちも理由ははっきりしない。予感があったのか。動物が地震を予知して異常行動するみたいな感覚が人間にもあるのか。

 ただ、震災当時同じように「なぜか起きてた」という人は、Aの周辺にもかなりいたそうだ。とにかく、寝つけなさの感覚はその時によく似てたという。

 だがYは早々と寝てしまったようだった。


 どれくらい時間が経ったか。Aによると夜中の1時は過ぎていたと思うと言っている。

 下の階から、何か奇妙な物音が聞こえてきた。

 複数の人間がゆっくり歩いて、階段を上がってくるような音。それと、ズッ、ズッという断続的な音。なにか大きくて重い物を引っ張って、階段を上がっているように思えた。


 なんだろう?


 音から想像したのは、店の人たちが、大きな動物の肉かなにか、たとえば豚の丸ごと一頭とかを2階に上げようとしているんではないかという事だった。

 だとしたら、下っぱとしては自分から起きていって手伝うべきだろうか?

 でも奇妙だった。仕事上の共同作業をしているなら、自分にも言って手伝わせればいいはずだった。連絡をくれないのも、いま一言も声を発しないのもおかしい。大体それだったら毎日やってるはずだ。今夜だけというのがまず変だ。

 そもそもその店は、調理場も倉庫も客席も1階だけで、居住空間だけ2階という造りなのだ。2階に調理用の食材とかを運んでくる意味がありそうにない。

 何か秘密にしておきたい荷物でも運んでるのか? 中国と密輸してるとか? あの音は、麻薬の詰まった袋かなんかなのだろうか?

 でもAは店の仲間を、そんな人たちとは思えなかった。

 それでもなんとなく不吉な気がした。とにかく、こっそり何かを運んでることは確かなんじゃないか、じゃあなんにせよ、詮索しないでいてあげるのが礼儀じゃないか。

 仮に犯罪だったとしても、そうと確定的に知って見逃すわけじゃない。礼儀だから詮索しなかった、だから犯罪に気付かなかった、きれいな流れじゃん、俺は悪くない。そう自分に言い聞かせた。


 かちゃん、とドアノブが回った。


 現われたのは、見たこともない男だった。

 真っ白い服(シェフの服ではない)――を着て、顔中に見たこともないような変な入れ墨をしてる。日本人がファッション的にしてるようなタトゥーじゃないし、中華街の中でも見たことない恰好だ。

 そいつは扉を開けたまま部屋を見渡していたが、そのうち室内に入ってきて、歩き回り始めた。

 いずれにせよ、見られたとわかって、もし万一泥棒で、危害を加えられたらヤバイ。Aは目を閉じて寝ているふりをした。起きているとわからないように、そっと少しだけ目を開け、相手を観察する。

 だが、最初の男のすぐ後に現われた男の顔を見て、Aは思わず声を上げそうになった。


 鼻がなかった。

 Aは完全に見開いてしまった眼を、慌てて薄目に戻した。

 そいつの顔には、鼻のでっぱりを顔のラインに沿って刃物で切り取ったようになっていた。顔の中心部には水滴型の穴が2つ、ぽっかり開いている。そいつも部屋中を見渡して、また歩き回り始めた。

 しかも変だ。机の引き出しとか箪笥を開ける様子がまるでない。

 泥棒の可能性はもうAの頭から消えていた。中国人だろうが何だろうが、わざわざ目立つ白い服を着てきて、人が寝ている部屋を堂々物色するような泥棒がいるとは思えない。いや、物色してない。クローゼットだけは開けたが、二人は徘徊しながら、家具を見て回っている。

 しかも二人とは別に、がさごそ、がさごそと何かが下をはい回るような音がしている。小型犬や猫のレベルじゃない。動物なら最低でも豚くらいある大型の「何か」が這いまわっているような感じだ。物凄く気になるが、二段ベッドの上からでは、こっそりその「何か」を確認するのは不可能だった。

 少しだけ間隔をあけて現れた奴は、上着は他2人と同じような白だったが、ズボンだけが赤茶色だった。そして何かを引きずっていた。

 首のない人間の死体だった。やはり白い服の。

 肉か何かを動かしているような音の正体はこいつだったらしい。

 そいつは死体を引きずりながら、でも他の2人と同じように部屋の中にあるものを見て回り続けた。


 その様子を見て、もしかして……とAは思った。


 こいつら、目が悪いんじゃないか?

 そう思ってみると、家具も物色しているというより、まるで顔を近づけて初めてそれが家具だと納得している感じにも受け取れた。

 Aは、ゆっくりゆっくりと顔をそいつらの方に向けた。

 薄眼を開けたままで、謎の男たちが気付かないように、ゆっくりと。


 鼻のない男が近づいてくる。

 そいつはベッドの前で止まった。

 その恐ろしい顔が顔の至近距離でAを凝視したとき、さすがにAは本当に目をつぶった。

 いなくなってくれ。夢であってくれ。なんでもいいからこの訳の分からない男たちを消えてくれ。Aはたぶん生まれて初めてガチで祈った。

 男の気配が、息遣いが、少なくとも顔のすぐ前からは消えるまでAはそうしていた。


 ガタンッ!!


 「ウワ……………!!」


 Yの絶叫――いや絶叫になる前にくぐもったものになった声。思わず目をおもいっきり開けてしまったが、もう目の前には誰の顔も無かった。

 ベッドの下の段で、ガタガタと何かが動いてる。いや暴れてる。

 暴れてるのを誰かが押さえつけているような音がして……やんだ。


 それから、徐々に嫌な匂いがしてきた。

 ゲロとトイレの匂いが混ざったような悪臭。


 完全に音がしなくなっても、Aは黙っていた。


 緊張が解けて眠ってしまったのか、気絶したのかは自分でもわからないが、とにかく気付いたら朝だった。

 朝の光がカーテンの切れ目から差し込んでいる。

 でもAは、昨日の訳のわからない事件が夢でなかったことはすぐ分かってしまった。

 昨夜と同じ悪臭が今もし続けている。

 意を決してベッドから降りると、Yが死んでいた。

 Yの口からは吐瀉物が溢れてた。喉に詰めて死んだのかもしれない。

 昨夜は酒なんて飲んでなかったし、今までYが夜に吐いたりするようなこともなかった。持病があるという話も聞いてない。

 何かの漫画で「窒息死は糞尿を垂れ流す汚い死に方だ」というような台詞を読んだのをAは思い出した。その豆知識は正しかったらしい。昨夜から嗅がされた悪臭は、ゲロの他に実際に大小便の匂いだった。

 破裂しそうなほど高鳴っている自分の心臓に、止まらないでくれと本気で言い聞かせながらAは階段を降りた。

 ちょうど店長が起きてきたときだった。

 何もかも初めてだ。友達の死をリアルに目の前にするのも。誰かの死の第一発見者として、それを誰かに報告するという行為も。Aは包み隠さず話した。夢かもしれないと断ったが、仲間の死をネタに不謹慎な冗談を言ったと思われればぶん殴られるかも、そう思った。でもそのまんま話した。

 話しながら泣いた。朝になったこと、頼れる店長が目の前にいてくれること、理解できない体験をとにかく言葉にできたこと。それらが合わさって、Aの恐怖は少しずつ治まってきた。それと同時に、友達が死んだ悲しさがこみ上げて来て、話の後半はしゃくりあげながらだったという。

 店長は怒らなかった。Aは自分の話が信用されたことを理解した。怒らなかっただけでなく、店長の顔にみるみる恐怖の表情が浮かんできたからだ。

 すぐに大勢が集まってきた。店の周りは人だかり。中華街の人の半分くらいいたかもしれない。

 恐怖に満ちた表情で、しきりにざわつく中国人たち。

 もうそのころ中国語が聞き取れるようになってきていたAには、中国人達がしきりに交わす言葉の端々に「ウーシン」という耳慣れない言葉が紛れ込んでいるのが分かった。


「ウーシン・ライラマ?」(ウーシンが来たのか?)


「ウーシン・シャーラ・ター」(ウーシンが彼を殺した)


 という具合にだ。


 疑問を抑えきれなくなってAはその中国人達に聞いた。

「ウーシン・シュー・シェンマ」(ウーシンってなんだ?)

 ビクッとなってAを見つめる数名をおさえて、店長が手短に説明してくれたのは次のようなこと。


 ウーシンというのは中国の一部で知られる化物の一種で、あの4人組を総称して言う呼び名らしい。

 顔に入れ墨をした背の高い男。

 鼻を切り落とした男。

 脚が動かず這って動く男。(這いまわっていた動物らしきものは多分それだったのだろう)

 首のない死体を引き摺る、下半身血まみれの男。

 そして全員が真っ白な服を着ている。この順番で、夜中に人家に入ってきては、起きているとみなした人間を見つけると、よってたかって押さえつけ、鼻と口を塞いで窒息死させる。鍵は掛けていてもなぜか入ってきてしまうそうだ。

 ウーシンは全員が異常な近眼で、眠ったふりをしていれば起きていることは気付かれにくい。徹底的に狸寝入りしていれば、やり過ごせる事が多いという。

 が、それはかなりの難題だ。あそこまで異常な姿の連中4人もに入って来られたら。まして「眠ったふりをするべきだ」と知らなかったら? 2番目の鼻の取れた男なんかに不意に覗きこまれた日には、落ち着いて薄眼でいろなんて土台無理な話であった。大抵の人なら、驚いて叫ぶだろう。Yのように。あるいは逃げるか、腕っぷしに覚えのある奴なら泥棒か何かと思って反撃しようとするか。

 Aの場合は、あまりに異常な事態を前にして狸寝入りという現実逃避的な行動を取ってしまったわけだ。それが奇跡的に最善の対応と合致したために助かったんだろうな……と本人は言う。


 ウーシンを漢字でどう書くのかは聞きそびれたらしい。

 A自身が言うには、あの引きずっている死体を入れると5人だから、「ウー」は五の「ウー」なのではないかという話だ。シンについては特に見当がつかないとのこと。

 とにかく、ウーシンについてあまり長く喋ること自体がウーシンを引き寄せやすくなると彼らは信じているらしく、Aもあまり根掘り葉掘りは聞けなかった。

 根拠は分からないが、店長の推測で、おそらくYが犯人だということになった。

 ただ、Yが黒魔術師みたいな奴で故意にやったというわけではないらしい。Yが住んでいた地方にもともといたウーシンが、Yの来日に勝手に附いてきて居ついてしまった可能性が高いとのことだった。

 あるいは店長は、生きている人たちの間で軋轢が生じるのを避けるために、今は亡きYに被ってもらったのかもしれない。


 それでもAは、一応これだけは聞いておかなければと思ったことを聞いた。

「中華街から出て来る可能性はあるのか?」

 わからないという。

 わからないということは、可能性のあるなしで言えば「ある」だ。

 まれに夜中に出現して人を殺していくことと、姿かたち。

 誰かの転居について地域を移動することがまれにあるということ。

 このくらいしか情報はないらしい。


 その後、ウーシンをAは見ていない。

 同種の死亡事件も中華街で起こったという話もない。

 Aは店長の勧めもあって、住み込むのはやめにして、中華街の近所にアパートを借りることにした。

 今ではAはその店でメインのシェフの一人になっている。だがウーシンが来た部屋には今も、誰も住んでおらず、物置代わりに使われているそうだ。

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