13.ついに……。

 二人を疑いたくない、だけどやっぱりそんなことを言っている場合ではないのだろう。

 私はここ2か月弱の夜斗と理央の様子を思い返した。


 理央は隣のクラスだから体育の授業とかで一緒になる。

 それに、夜斗に用事でこっちのクラスに来ることもある。

 そのとき話したりするけど、特に不自然さを感じたことはない。

 正直、あんまりよくわからない。


 でも、夜斗は……。



   ◆ ◆ ◆



「あれ、朝日、何してるんだ?」


 あれは7月のこと。私が先生に頼まれて廊下の掲示を貼り換えようとしていると、夜斗が通りかかった。


「先生に頼まれたから掲示を直してるの」

「ユウは?」


 辺りをキョロキョロしながら言う。


「画鋲が足りないから取りに行っただけ。すぐ来るよ」

「ふうん……」


 夜斗は何だかつまらなそうな顔をした……ような気がした。

 ……夜斗って、ユウが好きなのかな。

 私には見えないけど、ユウはかなりの美少女だもんね。


「……ユウのことが気になるの?」


 じーっと夜斗の顔を見上げて聞くと、夜斗はちょっと顔を赤くして

「そんなんじゃない」

とぶっきらぼうに言った。


「……ふうん」


 ま、いいか。

 私は掲示板に向き直ってうんしょ、うんしょと背伸びをしながら上の掲示物の画鋲を取ろうとした。


「……先生も頼む相手を間違えてるよな……」


 夜斗がちょっと笑いながらスッと手を伸ばして画鋲を取ってくれた。


「失礼ね。まだ成長期だもん。これから伸びるんだから」


 空手の構えから夜斗にパンチをする。

 夜斗は避けながら「悪い、悪い」と楽しそうに笑った。

 夜斗に「もうあっちに行ってよね」とぷんぷん怒りながらもう一段高い方の掲示を外すために椅子に乗った。

 ……すると、バランスを崩して倒れそうになった。


「きゃあ!」

「おっと……」


 夜斗が慌てて支えてくれた。

 かなり顔の距離が近かったせいか、夜斗が真っ赤になって

「本当に、無理するなよ」

とぶっきらぼうに言ってそのまま去っていった。



   ◆ ◆ ◆



「……夜斗は違うと思うな……」


 呟くように言うと、ユウがちょっと驚いたように私を見た。


「何で、そう思うの?」


と、ムッとしたような声を出したので、私はちょっと慌ててしまった。


「だって、何か悪い人に思えないし。それに……夜斗って、ユウのこと好きなんじゃないかな、と思って」

「……は?」

「だってよく見てるし……ほら、ユウ、美少女だし」


 ユウの機嫌を損ねたような気がして、俯きながら早口で言ってみる。

 ユウは「何を言ってるんだか……」と呟いたあと、コーヒーを飲み干した。


「じゃあ、話を戻すけど。理央自身がそうなのか、操られてそうなのかはさておき、誘ったのは理央だからね。で、もし敵だった場合、明らかに罠だから。尾行してどこに行くのか確認しておこうと思って。例えば見知らぬ誰かと接触したり、全然違う場所に消えたりしたら、明らかにクロだから」

「で、どう判断したの?」


 理央は誰とも会わなかったし消えたりもしなかった。ユウがどう考えたのかは、私にはわからない。


 少し緊張しながら聞くと、ユウはコーヒーをおかわりしながら

「……朝日はどう思うの?」

と聞き返した。


 私は理央の言動と帰ったときの様子を思い出した。

 特に変なところはなかったけど……。

 でも、そう言えば理央以外の人を理央の周りで見ていないな、と思った。

 でも……ただそれだけだし……。

 私は首を横に振った。


「よくわからない。グレー。どっちもあり得るかな」

「……どうして?」

「理央は夜斗と二人って言ってたけど、家政婦みたいな人はいないとおかしいよね、理央たちの立場なら。お嬢様が帰ってきたら、誰か出迎えてもいいんじゃないかな、とは思った」

「ふうん……」

「でも、単にお昼の用意をしていて出れなかった、とかもあるかなって。だから、よくわからない」

「なるほどね……」


 ユウがコーヒーを一口飲んで、ちょっと困った顔をした。


「僕も同意見。あの家、中が全く見えなかったよね。窓も締め切ってたし。何か……違和感があったんだ。いずれにしても、明日行ってみるしかないかな」


 結局のところ、何も分からないということか。

 ユウは歯痒い思いを感じているらしく、少し忌々し気に溜息をついた。


   * * *


 お昼ご飯を食べて少し休憩してから、午後は庭の芝生で修行をした。

 久し振りに体を動かして気持ちよかった。

 いつもの広場よりは涼しいけど、夏の日差しはユウには厳しいらしい。庭に立てたパラソルの下で座ったままだった。

 型や間合いを見てくれて、直した方がいいところを注意してくれた。


 それから、テスラ語の練習もした。

 ちょっとサボってたから結構忘れてしまっていた。

 相変わらず発音が難しくてうまくできないから、ユウに笑われた。



 日中はそんな風に過ごして……夕方になり少し涼しくなってから、私たちは再び散歩に出かけた。

 キャンプ場では家族連れが何組かいて、ユウは物珍しそうに見ていた。


 そのとき一人の男の子が走ってきて、ユウにぶつかって転んだ。

 男の子のおじいさんらしき人が「トーマ、こら!」と少し怒っていた。

 ユウが起こしてあげると「おねえちゃん、ごめんなさい」と照れくさそうに笑って再び駆け出して行った。


「……やっぱり女の子に見えるんだね……」


 私が思わず呟くと、ユウは振り返ってくすりと笑った。


「そうだね。嫌?」

「別に……」


 嫌って訳じゃないけど……。

 ただ、私はデートのつもりでも、他の人の目にはそうは映らないんだなって。

 それに、ユウも女の子のつもりで動いてるから、デートとは思ってないよね。

 何か……それって寂しい。


「……朝日がわかってくれればいいよ」


 そう言ってユウは私の頭を軽く撫でた。


 西の空に夕陽が溶けて、私たちを柔らかく照らしていた。

 私たちは近くのベンチに腰かけた。


「奇麗だね……。僕、この『夕方』の時間が一番好きだな」


 ユウが独り言のように言った。


「テスラはね、昼と夜しかないんだ」

「えっ、そうなの?」


 ユウは空を見上げて大きく手を広げた。


「そう。太陽も月もなくてね。昼は空が白く光ってる。でも、それがだんだんと暗くなって、藍色に変わるんだ。だんだんっていっても、ミュービュリほどゆっくりじゃなくて……そうだね……前に行った、映画館みたいな感じかな。……そうなったら一日が終わり。みんな目を瞑って休む。しばらくしたら、また空が明るくなるんだ」

「へぇ……」


 太陽も月もないってどんな感じなんだろう? それに、ゆっくり休めなさそう……。

 でも、そうか。誰も眠らないんだっけ。

 時間の概念が違うんだ。


「この、太陽がゆっくりと落ちていく感じが素敵だよね。もうすぐ夜だよ……休もう……って話しかけられてるみたい」


 ユウは、幸せそうに夕焼け空と落ちて行く夕陽を眺めていた。

 ユウが故郷を思い出してぼうっとすることはあっても、今目の前にある……二人で見ている風景に想いを馳せることは、少ない。

 何だか嬉しくて……とても貴重な時間な気がして、私は黙って見ていた。



「あ、ごめん。待たせてた?」


 太陽が半分ぐらい隠れたところで、ユウが我に返って私に問いかけた。


「ううん。一緒に眺めてたから平気だよ」


 私は笑顔で答えた。実際、二人で同じ場所で同じ物を見て同じようにキレイと感じられたことが、嬉しかったし。


 暗くなる前に戻ろう、と私たちは再び別荘に向かって歩き始めた。


「ねぇ、じゃあテスラって『朝』もないんだよね?」


 藍から白へ、ぱーっと変わるのかな。

 想像してみたけど、何かピンとこない。


「そうだね。あ、初めてミュービュリに来た日、『夜明け』を見たよ。今と逆で、太陽が昇ってだんだん明るくなるんだよね。あの時間もいいよね」


 ユウの声が風に乗って穏やかに流れていく。

 ずっと聞いていたい、染み入るような声。


「『朝日』は、あの夜明けの太陽のことでしょ?」

「うん。日本では……そうだね。始まりとか希望とか、そういうニュアンスもあるかな」

「……いい名前だね」

「……うん」


 ――そのあとは、二人とも無言で歩いた。

 何か、今までよりずっと距離が近い気がする。

 ……こんな時間が、ずっと続けばいいのにな……。

 隣にユウを感じながら、私はそんなことを考えていた。


   * * *


 その日の夜は、夕ご飯を食べて、たわいもないお喋りをした。

 ユウはお金がなかったから、フェルを使ってトラックに飛び乗ったり潜り込んだりしながらやって来たらしい。


「言ってくれればチケットこっちで取ったのに」

って言ったら

「そうだね」

と言って笑っていた。


 かなり疲れたみたいだったから、私は二階の客間を準備した。


「今日はちょっと休むね」

と言って、ユウは早めに部屋に籠ってしまった。


 昼間にいろいろあったせいか、私はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。

 フィラの空の話や、そのときのユウの様子を思い出して……なぜか落ち着かない気分になった。


 そんな状態だったから、次の日の朝の目覚めはあまりよくなかった。私にしては珍しいと思う。

 モヤモヤを吹っ切るように、朝ごはんを食べてから軽く修行をする。

 あんまりいい動きができなかったけど、シャワーを浴びたらちょっとスッキリした。


 11時になったので、理央の家に行く準備をすることにした。

 理央の家のランチがどういう感じかわからなかったけど、とりあえずちょっとお洒落してピンクのワンピースに着替えた。

 ……そうだ。昨日ママにもらったブローチもつけておこう。


 11時半。少し遠くから、帽子を被った夜斗が歩いてくるのが見えた。


「……来たね」


 ユウのまわりの雰囲気がピリッとした。

 つられて私もちょっと緊張したけれど、夜斗の動きに特に怪しいところはない。


「私、玄関まで迎えに出るね」


 そう言ってリビングを出ようとすると、ユウがハッとしたように私の腕を掴んだ。


「え……何?」

「僕も行く。……朝日、油断しないで」

「……わかった」


 ユウは、やっぱり夜斗にはかなり警戒しているみたいだ……。

 私が昨日「違うと思う」って言ったから、ちょっと意地になっているのかもしれない。

 でも確かに、用心するに越したことはないけど……。


 私たちは連れ立って玄関に行った。

 サンダルにしようか靴にしようかちょっと迷ったけど、動きやすさ重視で靴を履いた。

 ユウの緊張がうつったのか、ちょっとドキドキしながら玄関のドアを開ける。


「おはよう、夜斗! 今日もいい天気だね」


 私は玄関のドアを開けて、夜斗を出迎えた。

 ユウは私のすぐ後ろでスニーカーを履いていた。

 ……この距離なら問題ないか。

 外に出ると、夜斗は私の頭をぐしゃっとやって「おはよ。今日はいつもと違うな」と言ってニヤッと笑った。


「もう、やめてよ!」


と少し怒って手を払いのけると、夜斗は少し不思議そうに首を傾げ……次の瞬間、急に驚いて目を見開いた。


「――朝日! 後ろ!」


 夜斗の声に反射的に振り返る。


 二人の人間が出現し、私を挟んで両脇から抱きしめられた。

 駆け寄ろうとした夜斗とユウが、同時に跳ね飛ばされるのが見えた。


「えっ……!」


 何が起こったのか全くわからなかった。

 次の瞬間、足元の感覚がなくなり――まわりの風景が熔け出した。

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