2.夢からなかなか醒めない

 花のピアス……間違いなく、夢で逢った男の子だ。

 その夢の男の子が、何かやたら長い名前を名乗った。


「ゆう……ふぁる?」


 かろうじて聞き取れたところだけ呟くと、男の子はくすりと笑った。


「ユウでいいよ」

「今日から私の……何?」

「ガード。ボディガード」


 ……ひょっとしてママがどこかに頼んだのかな……。

 でも、それで何で夢の男の子なのかはわかんないけど。

 だけど、昨日の今日で……ママってこんなに対応早かったかな……。


「ママは関係ないよ」

「!」


 思わず彼の顔を見た。心を読んだ……?

 いや、単に私がわかりやすいだけなのかも。


「えっと……まあ、とにかく」


 ちょっと深呼吸した。

 夢の男の子にはすごく興味があるけど、そんな簡単に信じちゃ駄目だ。

 だって私のことを下調べしているみたいだし、誘拐犯かも。それこそ、ママの心配通りになってしまう。


「完全警備の女子寮に入るし、こう見えて空手の有段者なの、私」

「……」

「だから私には、ボディガードは必要ない……と、思う」

「……」

「えっと、それじゃあ……」


 すごく名残惜しいけどなぁ……。

 私は俯いて、男の子の横を通り過ぎようとした……んだけれど。


「……あれっ?」


 ぼよ~んとした感触が頭に当たった。

 思わず前を見る。特に何もない。


「えっ?」


 足を踏み出したけど、進めない。目の前に見えない壁があるかのようにぼよ~んぼよ~んとはじき返される。


「ん? 壁? 何?」


 手を伸ばしてみた。上から下まで、何かが道を塞いでいる。

 景色は普通に見えるのに、ここに壁みたいなものが確かにある。これじゃ、はたから見たらパントマイムをする人みたいだ。


「何これ! 何これ!」


 思わず男の子を見た。直感的に、彼の仕業だと思った。

 男の子はちょっと楽しそうに笑っていた。


「バリアを張っただけなんだけどね。こういう、特殊な人たちが朝日を狙ってるんだよ。……多分」

「多分?」

 

 何なの、その曖昧な……と思っていると、男の子はウインクをした。

 その途端、急に壁が消えたもんだから前にずっこける。


「わきゃっ!」


 今日はズボンでよかった……。道端で転ぶなんて恥ずかしすぎる。


「もう! 何なの? どういうことなの?」


 変なポーズでこけたのがみっともなくて、恥ずかしくて、私は男の子に当たり散らした。

 男の子はくすくす笑いながら私を見下ろして、右手を差し出した。


「とりあえず、話を聞いてもらえないかな?」


 夢と同じシチュエーションなのに、現実は全然違う……。

 何だか素敵な夢を汚されたようでちょっと憮然としながら、私は男の子の手を掴んで立ち上がった。


「……話って?」

「ここじゃちょっと……。あ、あれ」


 男の子はバス停の近くの喫茶店を指差した。


「あそこに入ってみたい。あそこで話すのは駄目?」

「……」


 えー……。

 ちょっとげんなり。

 誘拐じゃなくて、これは俗にいうナンパというやつじゃないの?


「君……」

「ユウって呼んでよ」

「ユウは、私をナンパしてるの?」

「ナンパって何?」


 不思議そうな顔で聞いてくる。

 やめてくれないかな、そんな真っすぐに純粋な瞳で見つめてくるのは。何だかこっちが悪いような気がしてくる。


 それに、何だか、放っておけない。

 走って逃げてもいいんだけど、何だかそうしてはいけないような、とても大事なことがあるような気がしてきた。

 私のモットーは『やらないよりやって後悔しよう』。

 このままここでユウと別れたら、すごく後悔する気がする。


「……バスに乗らなくちゃいけないから、それまでなら」


 私がそう答えると、ユウの顔がぱっと明るくなった。

 胸がドキリ、と音を立てた。


   * * *


 バスの時間までは40分ほどあった。


「私、男の子と喫茶店に入るの初めて……」


 思わずそう呟くと、ユウは少し驚いた顔をしたあと、黙ったまま近くの席に腰かけた。

 え、そんなに意外だったかな。だって、今まで誰かと付き合ったこと、ないんだもん。

 でも、なんかすごく引かれてしまった気がする。

 緊張するけど、もっと堂々とした方がいいのかな。


 私は少し胸を張ってユウの向かいに腰かけた。

 ユウが何でもいいと言ったので、一番早く来そうなホットコーヒーにする。

 とりあえず、ウェイトレスが運んできた水を一気に飲み干した。


「何を慌ててるの?」

と、ユウが無邪気に聞いてきた。

 夢の男の子だからだよ、とも言えなかったから

「ちょっと落ち着こうと思って。なんか変な体験して驚きっぱなしだから」

とだけ答えた。


 ウェイトレスがホットコーヒー2つと水をもってきてくれたので、一つをユウに渡し、私は自分のコーヒーに砂糖を入れた。


「あ、ありがとう」


 ユウは几帳面にお礼を言うと、コーヒーを一口飲んだ。渋い顔をしている。


「……おいしくない」

「初めて飲んだの?」

「うん」


 どういう育ちなんだろう……。

 砂糖を入れてあげると「甘くておいしい」と気に入ったようだった。


「……ところで、さっきの変な壁、何?」


 一息ついたところで、改めて聞いてみた。ユウは私の顔をまじまじと見て


「やっぱり、こっちの人はフェルティガを知らないんだな」


と、不思議そうに言った。


「フェルティガ?」


 なんだそりゃ。思わず聞き返す。


「えっと……そうだね。こういう力のこと」


 そう言うと、ユウはスプーンを手に取った。

 私の目の前で、スプーンはユウの手の平から宙に浮かび上がった。


「わっ」


 思わず声が出てしまったので、とっさに左手で口を覆った。

 しかし幻覚でもなんでもなく、スプーンは宙で踊っている。


「……」


 右手をユウの手の平とスプーンの間に突っ込んでみた。……何もない。

 今度は両手でスプーンの周りもぐるぐる探ってみた。

 ……でも、やっぱり何もない。


「……何してるの?」


 ユウが不思議そうに私を見ていた。


「これ、何かで釣ってるとかってオチじゃなくて? 磁石?」

「何のことを言ってるのかちょっとわかんないな……」


 ユウはちょっと困ったような顔をすると、今度は手の平をはずしてしまった。目の前には、ただただ宙を彷徨っているスプーンがある。


「うわー……」


 私は呆然とスプーンを見つめた。

 目の前のスプーンはしばらく漂ったあと、ペコリとお辞儀をしてユウのソーサーに戻っていった。


「……テレビでしか見たことない……」

「テレビ? ……ああ、確かあれのことか」


 ユウは店内の角にある少し古い型のテレビを指差した。


「こっちの人でも使える人いるんだ」

「いや、あれはタネも仕掛けもあるんじゃないかな……って」


 アホなことを言ってる場合じゃない。何かひっかかる。

 私は真っ直ぐにユウの顔を見た。


「ねぇ、さっきから言ってる『こっちの人』って何? やっぱり外国の人なの?」

「いや……」


 ユウは可笑しそうに笑うと、コーヒーを一口飲んだ。


「違う、違う。外国……もあながち間違いではないけど、正確には『異世界の人』だね」

「異世界!?」


 私は思わず、素っ頓狂な声を出した。

 それってあの、いわゆるファンタジー的な?

 そういえば、夢の世界では遠くにお城みたいなのが見えてたかも。

 でも、でも……え?


「異世界って言葉一緒なの?」


 何て言ったらいいのかわからず、変なことを口走ってしまった。

 やっちゃったー……。


 なのにユウは

「最初に聞くことそれなの? やっぱりちょっと変わってるよね、朝日って」

と嬉しそうに笑うから、またもやドキリとしてしまった。


 えーと、ちょっと待て。どう判断したらいいのかわからない。混乱してる。

 だけど、ユウが異世界の人っていうのは、わかるというか……。

 いや、違うな。

 、ということがストンと私の中に落ちてきた。そんな感じ。

 ユウが言っているのは本当のことなんだ、となぜか妙に納得してしまった。

 何でだろう?


 それは、ユウがこの世の人とも思えないほど綺麗だから……というのとは、違うと思う。……うん。

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