2-⑦ 『同調してくれますよね?』『やだ断る』
(……なんです? この姿は……?)
元魔王にして最強。
すなわち全ての生物の頂点に立っているもの。
隠居したとはいえ、望めばこの世の森羅万象を手にすることができるほどの権力の持ち主。それがシコロモートである。
それが今、目の前で、親にしこたま叱られた子供の様にして泣きじゃくっている。
極めて俗な言い方をすると、マジべこみしている。
本来ならこの機会を活かして、シコロモートを討つべきなのだが、それに対する戸惑いが生じてどうしても行動に移せなかった。
しかしそれはブリアだけの話であり、ギムコは違う。行動を阻害する思いは無い。そしてシコロモートには立ち直ってほしいと願っている。
だからそんな彼女に近付いて、励ましてきた。
「あー……シコロモート様、気を落とさないでください。その様に落ち込んでいる姿は似合いませんよ」
「……」
完全一人の世界に入っていたシコロモートだったが、ギムコの言葉を聞き軽く振り返る。
鼻水、よだれ、涙、汗。顔中の液体が出ることころから全て出ている。百人が百人、『ひでえ』とこぼしそうな最悪の顔。
それを見たブリアは口元が引きつけるのを止められなかったが、さすがにギムコは過剰な反応をすることはしなかった。ただ片手で尻を思い切りつねり、ごまかしを図っただけだ。
「……はい、とりあえず鼻かんで顔を拭きましょう。ちーんしてください」
「……自分でできるわ」
差し出された紙を受け取るや否や、ぶーー、と盛大に鼻をかむシコロモート。さらに息を吸い込んでもう一度。
その量はすさまじいものだったらしく、みるみる紙に鼻水の水分が全体に浸透する。
見かねたギムコはさらに新たな紙を渡しては、それを即座に行使する。
その間にギムコは持っていたタオルを取り出した。
「はい、顔拭きますよー」
「ん……っ」
その手ぬぐいで顔をふき取り、それをシコロモートはおとなしく受けた。ブリアの目から見ても柔らかなそうな手巾が、シコロモートの顔全てを拭っていく。
「これで、よし。ですかね? 少し落ち着きましたか?」
「うむ……」
先ほどとは打って変わり、口元を引き結び目もしっかりと前を見つめている。
だがそれも長続きしない。途端に顔が曇りはじめた。
「どうしました?」
「……余はあのものの気持ちを全く考えず、酷いことをしてしまった……謝りたいのじゃが、謝ってももう仲良くしてくれんのかと思うと……悲しいのじゃ……」
「……いやいや、そんなことはありませんよ。きっとあの人もシコロモート様と仲良くしたいはずですよ、ね」
「何でそこで私を見るんですか」
一度区切ったとき、ギムコは露骨に視線をブリアへ飛ばした。その視線に音声は添付されていないが、
『同調してくれますよね?』『やだ断る』
という内容が2人の心で行われたのは想像に難くない。
だがそんな2人の様子に、シコロモートは気が付かなかった。そのため先の言葉を真に受けたことで、わずかだが顔が輝いた。
「そ、そうなのかのう? 一緒に豚汁食べてくれるかのう? 漫才見て笑ってくれるかのう?」
「……ええ、きっとしてくれますよ。大笑いしてくれますよ。さっき短い会話をしましたが、そのとき『腹も減ったわー、でもそれ以上に大笑いしたいわー、すっげえ大笑いしたいわー』と言ってましたし」
「一言もそんなこと言ってないんですけど」
グーヴァンハに言うのと同様に、冷静で無情にツッコむブリア。だが、それは再び2人には届かなかった。意図的な無視と、気分の高揚で流れてしまったのだ。
「なんと! 笑いたいと言ってたのか? 楽しみたいと言ってたのか? 梅干しも食べたいと言ってたのか?」
「それは言ってないのであなたが食べてくださいね」
「梅干しは好きだから食べたいんですけど」
ここまでの流れの中で、無視されるのは分かっていた。だがそれでも自分の食い意地がそれを言うのを止めるられなかったブリアは横やりを入れ続けた。その壁が厚すぎて割って入ることはできなかったが。
「うむ! うむうむ! それなら余はそれに応えねばなるまい! 笑わせなければなるまい! じゃが、同時にけじめもつけねばなるまいの……」
嘘しかないギムコの言い分にシコロモートは先の調子を取り戻しかけてきた。
だが何もかもを忘却したわけではなかった。ブリアのすぐそばまで来て
「先程はすまんかった……」
頭を深く下げた。
首を垂れ、目は地面を見ている。その姿は隙だらけに見える。だがブリアはただ突っ立っているだけで何もしようとはしなかった。
「余にそのつもりは無かったにしても、そなたを傷付けてしまったのは確かじゃ。許してくれぬかのう……お詫びとしてお笑いするぞ? きっと面白いから。絶対爆笑確定ものじゃから。見てくれぬかのう?」
(……えーと、状況確認しましょう。私は元魔王と魔王を討伐に来たはずなのに、その元魔王から豚汁食べさせられて、抗議したら落ち込んで、魔王に励まされて彼女は頭を下げて来ている……ごめんなさい。お詫びに漫才を見てねと言ってきている……)
現状に理屈が追い付いていない。
論理さが分子程にも存在していない。
でたらめで荒唐無稽すぎる。率直に言ってブリアは混乱していた。顔にはそれを出していなかったが。
「……やっぱり許してくれんかのう……?」
そんな沈黙のブリアがまだ怒りの中にあると考えたのか、シコロモートは軽く頭をあげてきた。
上目遣いで、おどおどと、顔色を窺うようにして。
おびえる幼子そのものにしか見えぬ様で。
「……はあ」
一息、漏らす。そしてブリアは歩き出した。
交渉決裂か、と思ったギムコは身構える。がそれは無為となった。
ブリアはシコロモートを通過した。そして数歩歩いて、先ほど投げ飛ばされた剣を拾って、上に放った。
重力法則に従いやがて自然落下を始める刃物、それが落ちてくるところに鞘を差し出し、
カチン
わずかのずれもなく収納してそれを腰に帯びた。
「もういいですよ」
「え?」
「戦いません、これ以上は」
戦闘の放棄宣言。だがこれは降伏を認めたわけではない。
ブリアは、バカらしくなったのだ。自分一人だけ真面目にやるのが。
この2人から醸し出されるわけわからん空気、種族と種族の生存をかけた戦いとかけ離れた雰囲気。これらに呆れて、やる気をなくしたのだ。
そんな心中であるのだが、表面的には和解が成立したように思える。そしてシコロモートはそう解釈した。
「おお……! それじゃ見てくれるのか? お笑いを! 余の新作コントを!」
「ええ、見ましょう。ただ、私を笑わせることはできますかね?」
「今回は自信あるぞ! 何故なら余は考えた! 勇者に見せる劇なのじゃから、勇者を題材にしたショートコントならば通じるのではないかと!」
両手に魔力を持ち、それを体内へと自らの叩き込む。ブリアには初めてだが、ギムコにしてみると何度も見てきた流れが今再び行われようとしている。
『だから演目は「魔王と勇者」じゃ! 魔王と勇者の初邂逅から始まるコントを見せてやろう!』
魔力によって作り出された分身、シコロが出現、そしてシコロモート劇場が始まるこの流れが。
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