並行 その二

 私には兄がいる。

 日野息吹。現在高校三年生の引きこもり。

 でも引きこもりの部分は確信が持てない。二年前入学式に行くのを見送って以来一回も見ていない。それどころか閉ざされた兄の部屋からは物音すらしない。だから今生きているのかもはっきりと言えない。

 母は何も教えてくれない。

 入学式の日はいきなりすぎて何が起きたか良く分からなかった。母が病院に行ったことはわかった。


 私は兄が何故引きこもったのかを知るためだけにこの高校に来た。正直私の学力ではこの学校は余裕であった。色々な人に勿体無いと言われた。

 でも知りたいのだ。この高校の何がどうやって兄を閉ざしたのかを。



 が、

 ここに来たはいいもの正直何をすればいいか分からなかった。

 三年生のクラスのコースごとの割り振りも知らないし、音楽室の場所さえも分からない。

 噂覚悟で校長室に乗り込んで聞き出そうか悩んでいると、元気のいい先輩の声が聞こえてきた。


「野球部、校庭で僕佐藤の公開練習やってます!」

「美味しい抹茶はいかがですか!?地下の茶道室にぜひ!」

「演劇部伝統のアリス公演します、多目的まで!」


 私は色々な部活を見学し、そこで先輩と接触して兄についてを聞き出すことにした。



「えっ、『日野息吹』?なんか聞いたことある名前だな…」

「あれじゃね?一年ん時不登校だったやつ」

 最初の当たりは簡単に引けた。二部目の野球部だった。

「『一年の時』ってどういう意味?俺十一組だから三組の教室遠いんだよ」

「ん、一年の終業式の日に言われただけどそいつ退学になったんだよ。その日まではいちよう不登校の扱いだったんだよ」

「退学だっけ?転校じゃなかった?」

「そいつ一回も来なかったの?」

「うん、入学式以外はね」


 五部目、ソフト部。

「入学式はね、んーと…なんか終わった後に不良の先輩が暴れて救急車が来てた」

「あー、そうえばそうだったね。懐かしい」

「それは噂でしょー、救急車は本当だけどね」

「あ、それシメられたの葉山だったらしいよ」

「それも噂でしょ」

「まぁね」


 救急車。

 やはり兄の身に何かあったのかもしれない。


 十部目、バレー部。

「日野といえば葉山が一年の頃凄かったよね」

 葉山。ソフト部でも聞いた名前だ。

「あー、清水が初めて出席で『今日も三十一人全員いますね』って言った時に、くそデケェ声で『はぁ?』って聞き返したやつでしょ?」

「それもあるけど終業式の日、日野の転校が伝えられた時に発狂したやつ。」

「でも二年の始業式からなんか落ち着いたよね、アイツ。」

「えー、確かに突然叫ぶとか常に睨んでるとかはなくなったけど、逆にずっとニヤニヤして余計に何考えているか分からん感じだったし、ブツブツ言ってんのは変わって無かったじゃん。」

「完全に普通になったのは夏休み後か」

「夏休み中もやばかったらしいよ。隣の高校に軽音の男の友達がいるんだよ。その友達が隣町でライブしたんだけど終わったあとに襲われたらしい」

「えっ、どういうこと!?」

「襲われたというか狂ったような凄い勢いで何かを訊いてきたらしい。人違いじゃないかって言っても聞かなかったらしい。その友達首のホクロがセクシーでね、しかもイケメンでさ…


 どうやらこんな兄だが転校を悲しんでくれる人はいたようだ。

 特別に変人のようだが。


 十一部目、演劇部。

 当たり前のことだが兄や入学式のことは覚えていないことが多かったが、葉山という人物の情報はすぐだった。今まで兄のことを覚えている人が少しでもいたのはこの人物の影響があったからかもしれない。


 兄や葉山のクラスの委員長だというその先輩は、私と一対一で丁寧に答えてくれた。

 葉山ってどんな人ですか?

 ・フルネーム葉山和希

 ・たった一人の軽音部 今の二年生は葉山に怖がって入ってこなかった

 ・ブツブツ言ってるやばい人

 ・一年の頃は日にやばさが増していき、終業式がピークだった

 ・二年は一年の苦しそうな表情とは変わって妄想してるような顔でずっとニヤついていた

 ・夏休みが終わるとそんな様子は見られなくなった。


 そして今は、

「いないの」

「えっ?!」


 終業式の翌日に自主退学したらしい。それを知った始業式、みんな悲しむより関心なさそうに驚いていたという。


 入学式の救急車に関係している疑惑があり、兄の転校を唯一悲しんだ人物。

 葉山和希がゴールで間違いないはずなのに。



 翌日の放課後、教室で昨日の葉山についてのメモを睨み次の手をどうするかを考えていると、声をかけられた。

 意外にもその声の主は喋ったことのない男子だった。


「葉山がどうかしたの?俺その人んち知ってるよ。」


 そこからの行動はあっという間だった。

 男子と二人で街を歩くのは途轍もなく抵抗があるはずだが、無論好奇心の前では無意味だった。

 去年の冬、弟が友達と遊んでいると家の二階から葉山が雪を投げてきて少し問題になったらしい。そこで家を知ったという。恐ろしい。


 二十分の移動時間だったが知らないところだったこともあってかとても長く感じた。


 さて、門の前に来てもう十分は経ったか。まだインターホンを押せずにいる。

 逆鱗に触れるような質問をして襲われたらどうしようか。

 そもそも最初からは襲われるという可能性も否めない。


「あの、どうかしましたか?」

 心臓がひっくり返るのと同時に振り向くと買い物袋を持った50代の女性がいた。見た感じから母親だろう。

「えっと、和希さんの友達の妹です。和希さんに私の兄について聞きたいことがありましてお尋ねしました。」

 日野という苗字は隠しておいた。

「和希ねぇ、今人と会える状況じゃ無いのよ…」

「えっ?」

 驚いたのはまるで今までは普通に人と会えたかのような口ぶりだったからだ、会いに来といて何なのだが。

 恐らく家では普通なのだろう。学校にいる時だけおかしくなる。つまり学校に何かそうさせるトラウマなようなものが、ある。

「今部屋にこもって心理学勉強してるのよ。話しかけても気付かない程集中して…前までは家に帰って机に向かっても日記ばっかりだったのに、いきなり学校やめて独学で勉強するって言って…この本だって心理学の本なのよ」

 そう言って買い物袋から出した三冊の本は最近配られた初めての高校の教科書も分厚く難しそうだったが、その何倍も難しいそうだった。


「そうでしたか…突然お邪魔してすいませんでした」

「うん、ごめんね。また日を改めてくれるかしら。和希に伝えておくから名前だけ教えてくれない?」

「兄の名前が日野息吹で私の名…」

 反射的に答えてしまった。

「日野息吹…!?」


 やってしまった。

 怒っているような驚いているような顔で、何も言わずに家に入って行ってしまった。

 やはり兄の名はタブーだったか。


 でも、やはり葉山が兄と関わりがあることに間違いないという確信を得れた。

 何もかもわかる日は近い。

 気付かぬうちに私の顔はニヤッと笑っている。今の顔を「不敵に笑う」というのだろう。





 その帰り道、私は道に迷った。

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